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三章 別れた騎士
手段
しおりを挟む「……っ」
そこで男が、目が覚めす。何か長い夢を見ていたような気がするが、はっきりと思い出すことはできない。頭痛が酷く、視界が霞む。
「どこだ? ここは……」
男は痛む頭を抑えながら、辺りを見渡す。……知らない部屋だ。カーテンが締め切られているせいで薄暗く、部屋の広さもよく分からない。
「……っ」
男はそのまま身体を起こそうとするが、痛みに邪魔をされ上手くいかない。どこが痛いとかそういう話ではなく、全身が痛む。怪我をしていないところを探す方が難しいほどの大怪我。誰かが手当をしてくれているようだが、どうして自分はこんな怪我を……。
「……そうだ、リリィ。あいつは今、どうなって……!」
そこで男──アスベルは、痛みを忘れたかのように身体を起こし、走り出そうとする。……が、まるで見計らったようなタイミングでドアが開き、呆れた顔をした少女が姿を現す。
「あの怪我でもう動けるなんて、やっぱり先輩は化け物っスね」
「……エリス」
騎士団の団服に身を包んだ、後輩である少女──エリス。彼女がいるということは、ここは……。
「俺は、騎士団の人間に捕縛されたのか?」
アスベルの問いに、エリスは小さな笑みを浮かべ、首を横に振る。
「半分、正解っスね。私たちは『待機』というグラン団長の命令を無視して、異常なものが見つかったという山奥に向かったんス。そこで……そこでまるで、神様みたいな少女と、巨大な化け物が暴れたようなあと。そして、死にかけの先輩を見つけたんス」
「ならここは、近くの街か。……よく重い俺を運べたものだな。助かった、礼を言う」
アスベルは真面目な顔で頭を下げる。エリスは照れを誤魔化すように、視線を逸らす。
「別にいいっスよ。お世話になった先輩の為っスから。……まあでも、最初見た時は死んでるのかと思ったスけど」
「そんなに酷い怪我だったのか?」
「酷いなんてもんじゃなかったス! そこら中、血で真っ赤で……お腹に大きな穴まで空いてる。この街の医者に診てもらった時も、お医者さん……尻餅つくらい驚いてたんスよ? これで死んでないのが、奇跡だって」
「まあ俺は、人間じゃないらしいからな」
「魔族でも、先輩みたいに頑丈な奴はいないっス。お腹に空いた穴が、たった1週間で塞がっちゃうんスから」
「……お前今、1週間と言ったな? あれからもう、そんなに経ったのか?」
エリスたちがアスベルを見つけるまでにかかった時間も考慮すると、最低でも10日以上経過していることになる。こんなところで寝ている場合ではないと、アスベルの目の色が変わる。
「大丈夫っスよ、先輩。心配せずとも、あれは未だに動いてないっス。……騎士団ではあれを、『神』と仮称して現在も対策を講じている最中っス」
「……そうか」
アスベルは歯を噛み締め、息を吐く。今ここで自分が走って行ったところで、あれをどうにかできるとは思えない。考えなしに突撃した結果が、今のこの有様だ。次、同じ真似をすれば、今度こそ命はないだろう。
「先輩。あれは……なんなんスか? 上は神の力だとか言ってるみたいっスけど、あんなのは……見たことがないっス」
「あれはおそらく、リリィ……リリアーナ・リーチェ・リーデンが、何かしらの力で変貌した姿だ」
「たかだかサキュバスに、あんな力があるわけないっス。……私は、見ただけでぶるって逃げてきたんスよ?」
「……あれはサキュバスというより、別の何かが宿っているように見えた。俺にも詳しいことは分からないが、グラン団長なら何か──」
そこでアスベルはふと思い出したことがあり、言葉を途中で止め、エリスの方に視線を向ける。
「近くに、ピクシーはいなかった? 奴なら、今のリリィについてなにか知っている筈なのだが……」
「ピクシーっスか? 残念ながら、見てないっスね。あれは小さくて狡猾な種族っスから、本気で隠れられたら見つけるのは難しいっス」
「そうか……」
アスベルは目を閉じ、考える。対策はない。情報もない。それでも、できることがない訳じゃない。ならいつまでも、こんなところで眠っているわけにはいかない。
「先輩はまだ、あの女を助けるつもりでいるんスね」
そんなアスベルの様子を見て、エリスは呆れたような声で言う。
「……側にいると約束したからな。それに……あれをあのまま放置はできないだろう? 魔族の国も、あれを餌に何か取引を持ちかけてくる筈だ。あの国は、リリィの力を知っていながら放置していた可能性が高い。何かしらの対策は、用意していると考えるべきだ」
「だとしても、先輩にできることなんて……ないっスよ? 今だって先輩、そうやって身体を起こしてるだけでも、辛そうじゃないっスか。お医者さんも、絶対に安静してないと駄目って言ってたんスよ?」
「問題ない。昔から、医者の忠告は無視してきた」
「それは、早死にする人が言うことっス」
「それでもいいさ。俺が戦えないせいで、他の誰かが死ぬよりずっといい」
「……先輩はずるいっス」
そんな無茶を言うアスベルに助けられた経験のあるエリスは、何も言えなくなってしまう。
「先輩は、あのサキュバスのことが好きなんスか?」
「……さあな。好きという感情が、俺には未だによく分からない。ただ、あいつは最後に言ったんだよ」
アスベルの意識が消える寸前。或いはただの夢かもしれない。それでも、聴こえた気がした。似合いもしないか弱い声で、『助けて』と彼女は言った。
「…………そうっスか。先輩がそんな顔をするようになったってことは、きっと楽しいことが沢山あったんスね。だったら、野暮なことを言うのは辞めておくっス」
エリスは立ち上がり、窓の外に視線を向ける。心地いい暖かな風が、彼女の髪を揺らす。背を向けているせいで、アスベルの方からは、エリスの表情を窺うことはできない。
エリスは小さく笑って、言った。
「まあでも、そんな身体で無茶しようとする先輩を放っておくことはできないっス。なんせ私は、できる後輩っスからね」
「……俺は正式に騎士団を除隊された。俺とお前はもう、先輩でも後輩でもない。そもそも俺は、騎士団から指名手配されている筈だ。そんな俺を助けたとあっては、お前にも迷惑が──」
「1番自由にやってた人に、そんなことを言われたくはないっス。それに先輩は先輩っス。騎士団を辞めようと、どこで何をしていようと、それは変わらないっス!」
エリスは笑う。それはいつもと変わらない、彼女らしい華やかな笑み。そんな笑みを見せられると、今度はアスベルが何も言えなくなってしまう。
「……分かった。怪我が治るまでは、無茶はしないと約束する」
「当然っス! いくら頑丈な先輩でも、その怪我で無茶したら今度こそ死ぬっスからね? ……いや、死ぬっスよね? 実は先輩、細切れにされても死なないなんてことは……ないっスよね?」
「流石にそこまで頑丈じゃない」
2人の間に、柔らかな空気が漂う。昔は任務中にこんな軽口を言い合ったなと、アスベルは過去を思い出す。
「邪魔するよ」
……しかし、そんな穏やかな空気を壊すかのようにドアが開き、1人の男が姿を現す。
「思ったよりも元気そうじゃないか、アスベル」
「グラン団長……」
突然やって来たグランは、身体中、包帯で覆われているボロボロなアスベルを見て一瞬、泣きそうな顔をする。……が、すぐにいつもの適当な笑みを浮かべて、2人に向かってこう言った。
「彼女……リリアーナ・リーチェ・リーデンを救う為の手段を見つけた」
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