番ではなく、あなたを選ぶと決めた──王太子と平民の契約から始まる恋

春夜夢

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第1話「契約の印」

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王宮の回廊は静寂に包まれていた。
 赤い絨毯の上を歩く靴音だけが、夜の空気を裂くように響いている。

 その中心を歩くのは、王太子レイグラン・ルシディア。
 銀の刺繍を施された制服の襟を正しながら、彼は足を止め、部屋の扉の前で振り返った。

「……中にいる。入ってくれ」

 扉の前で控えていた護衛が頷き、鍵を開ける。
 重たい音を立てて開かれた扉の向こうには、一人の少年がいた。

 薄い灰色の髪に、夜の湖のような瞳。
 身なりは粗末だが、その背筋は真っ直ぐに伸びていた。

「君が、セイル・ノアか」

 レイグランの問いに、少年は一瞬だけ瞳を揺らし、しかししっかりと頷いた。

「はい。……番候補として、呼び出された者です」

 言葉には怯えがあった。けれど、諦めも感じた。

 番――それは、王族が代々受け継ぐ血によって“選ばれる”者。
 意思ではなく“遺伝子”が決める、神の導きとされる制度。

 セイルは、王都の下町に暮らす平民だった。
 それがなぜ、番候補などに選ばれたのか──本人にもわからないまま、宮廷に連れてこられた。

 レイグランは近づき、セイルの目を見下ろした。

「……この制度は、呪いだと思うか?」

 セイルは言葉に詰まった。まさか、王太子からそんな問いが返ってくるとは思っていなかった。

「……思います。番制度は、意思を殺すものです。誰かを好きになる気持ちすら、奪う」

 レイグランの目が細められた。

 次の瞬間、彼はセイルの手首を取り、左手の甲にゆっくりと指輪を嵌めた。

「では、その意思で決めろ。
 この指輪は“番の契約”の証……ただし、君が望むなら、この場で外すこともできる」

 セイルの息が詰まった。

 王太子との契約を拒める。そんなこと、許されるはずがない。
 けれど、目の前の王太子は確かに、真剣にそれを言っていた。

「……なぜ、俺を?」

 レイグランの答えは、簡潔だった。

「番としてではない。君という人間に、興味がある。それだけだ」

 沈黙が流れた。

 そして──セイルは震える手で、そっと指輪を握り締めた。

「……本当に、選んでいいんですね?」

「もちろんだ。俺は、番ではなく、“選ばれたい”と願っている」

 その言葉に、セイルの心のどこかが、じんわりと熱を持った。

 契約は、ここから始まる。
 制度ではない、本当の恋が、静かに動き出したのだった。
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