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第3話『鬼神の館と、眠る記憶』
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目覚めると、そこは夜のように静かな朝だった。
窓の外には朝靄がたちこめ、鳥の声もない。
まるでこの館だけが、時の流れから切り取られているかのようだった。
「おはようございます、お嬢様」
部屋の外から声がして、戸が控えめに開いた。
現れたのは、黒髪の侍女――妖のように整った顔立ちの、美しい女性だった。
「……あなたは?」
「私は《鈴鹿(すずか)》と申します。以後、身の回りのお世話をさせていただきます」
淡々とした口調。その笑みは優しいけれど、どこか人間離れしていた。
「あなたも、“人”ではないのですか?」
「はい。主(あるじ)と同じく、こちら側の者です」
あっさりと肯定されて、思わずまばたきした。
「……では、私以外、ここには人間はいないのですか?」
「その通りです。今ここにいる“人間”は、お嬢様お一人だけ」
その事実が、思いのほか心に重くのしかかってきた。
館の中は広く、静謐で、何かが潜んでいるような気配がある。
長い廊下には狐面や祠の飾りが並び、所々に古い封印札のようなものが貼られていた。
「これは……?」
「ああ、それは“封”の跡ですね。もう大半は意味を成しておりませんが」
「封って、何を……?」
鈴鹿は、にこりと微笑んで答えなかった。
昼食後、私は一人で庭に出た。
庭といっても、苔むした岩と、枯れた松が一本立っているだけ。
ただその中心に、一際目立つ「石碑」があった。
近づいて見ると、そこには古い文字で、こう刻まれていた。
『——其は契りし花にして、血をもって還るべし』
「……?」
何故だろう、胸の奥がズキリと痛んだ。
ふと、脳裏にフラッシュのような映像が走る。
──雨の夜。白無垢の私。
──誰かに抱かれて泣いている。
──紅い瞳。冷たい手。
──“次こそは、離さぬ”と囁く声。
「……っ!」
頭を押さえ、よろめく。
何かが、私の中で軋んでいる。
眠っていた何かが、目を覚ましかけているような……
「思い出しかけているのか?」
低く響いた声に、反射的に振り向くと、朱煉が立っていた。
「見たのか、“石碑”を」
「……はい。でも、よく分からなくて……」
「当然だ。あれはおまえにしか読めぬ文字だからな」
「私に……?」
「おまえは“前世”で、それを刻んだのだ。俺との契りを、血で刻んだ」
「…………」
信じられなかった。けれど、私の中の“何か”が、彼の言葉に反応していた。
「まだ覚えていないだろう。だが、遠からず思い出す。……おまえが、俺の“花”だったことを」
「私が……」
「そして、おまえはまた俺に、“命”を預けることになる」
朱煉は私の手を取り、その甲に口づけた。
「今度は、逃がさない。何があっても、おまえを離さぬ」
その声音に、私は息を呑んだ。
──この人は、本気だ。
けれど、それが“愛”なのか、それとも“執着”なのか、私にはまだ分からなかった。
その夜。
眠る直前、私はまた“あの夢”を見た。
雨の中、泣きながら誰かの胸にすがりついている夢。
「私を、殺して……」
誰かが、そう言っていた。
それが“私”だったのか、“私ではない何か”なのか――
目が覚めたとき、私は静かに涙を流していた。
そして私は、決意する。
この館に何が封じられているのか。
自分が“何者”なのか。
すべてを思い出すまで、絶対に逃げたりしないと。
だが翌朝。
朱煉の元に届いた“招待状”が、物語を大きく動かす。
──それは、王都から届いた《祭祀への召集》だった。
そして私たちがそこへ赴いたとき、ついに“妹”と再会することになる。
次回――
第4話『祭祀の招待状と、再会する双子』
窓の外には朝靄がたちこめ、鳥の声もない。
まるでこの館だけが、時の流れから切り取られているかのようだった。
「おはようございます、お嬢様」
部屋の外から声がして、戸が控えめに開いた。
現れたのは、黒髪の侍女――妖のように整った顔立ちの、美しい女性だった。
「……あなたは?」
「私は《鈴鹿(すずか)》と申します。以後、身の回りのお世話をさせていただきます」
淡々とした口調。その笑みは優しいけれど、どこか人間離れしていた。
「あなたも、“人”ではないのですか?」
「はい。主(あるじ)と同じく、こちら側の者です」
あっさりと肯定されて、思わずまばたきした。
「……では、私以外、ここには人間はいないのですか?」
「その通りです。今ここにいる“人間”は、お嬢様お一人だけ」
その事実が、思いのほか心に重くのしかかってきた。
館の中は広く、静謐で、何かが潜んでいるような気配がある。
長い廊下には狐面や祠の飾りが並び、所々に古い封印札のようなものが貼られていた。
「これは……?」
「ああ、それは“封”の跡ですね。もう大半は意味を成しておりませんが」
「封って、何を……?」
鈴鹿は、にこりと微笑んで答えなかった。
昼食後、私は一人で庭に出た。
庭といっても、苔むした岩と、枯れた松が一本立っているだけ。
ただその中心に、一際目立つ「石碑」があった。
近づいて見ると、そこには古い文字で、こう刻まれていた。
『——其は契りし花にして、血をもって還るべし』
「……?」
何故だろう、胸の奥がズキリと痛んだ。
ふと、脳裏にフラッシュのような映像が走る。
──雨の夜。白無垢の私。
──誰かに抱かれて泣いている。
──紅い瞳。冷たい手。
──“次こそは、離さぬ”と囁く声。
「……っ!」
頭を押さえ、よろめく。
何かが、私の中で軋んでいる。
眠っていた何かが、目を覚ましかけているような……
「思い出しかけているのか?」
低く響いた声に、反射的に振り向くと、朱煉が立っていた。
「見たのか、“石碑”を」
「……はい。でも、よく分からなくて……」
「当然だ。あれはおまえにしか読めぬ文字だからな」
「私に……?」
「おまえは“前世”で、それを刻んだのだ。俺との契りを、血で刻んだ」
「…………」
信じられなかった。けれど、私の中の“何か”が、彼の言葉に反応していた。
「まだ覚えていないだろう。だが、遠からず思い出す。……おまえが、俺の“花”だったことを」
「私が……」
「そして、おまえはまた俺に、“命”を預けることになる」
朱煉は私の手を取り、その甲に口づけた。
「今度は、逃がさない。何があっても、おまえを離さぬ」
その声音に、私は息を呑んだ。
──この人は、本気だ。
けれど、それが“愛”なのか、それとも“執着”なのか、私にはまだ分からなかった。
その夜。
眠る直前、私はまた“あの夢”を見た。
雨の中、泣きながら誰かの胸にすがりついている夢。
「私を、殺して……」
誰かが、そう言っていた。
それが“私”だったのか、“私ではない何か”なのか――
目が覚めたとき、私は静かに涙を流していた。
そして私は、決意する。
この館に何が封じられているのか。
自分が“何者”なのか。
すべてを思い出すまで、絶対に逃げたりしないと。
だが翌朝。
朱煉の元に届いた“招待状”が、物語を大きく動かす。
──それは、王都から届いた《祭祀への召集》だった。
そして私たちがそこへ赴いたとき、ついに“妹”と再会することになる。
次回――
第4話『祭祀の招待状と、再会する双子』
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