Rain after Five

春夜夢

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夜風が頬を撫でる。
仕事を終えたふたりは、駅から事務所までの道を並んで歩いていた。
昼間よりも街は静かで、
通りの街灯がぽつりぽつりと足元を照らしている。

その光の中を歩くふたりの影は、自然に寄り添っていた。

「……今日、静かだね」

陽翔がぽつりと呟く。
大きな声を出すには、夜の空気があまりに柔らかかった。

「……お前がうるさいとき以外は、いつも静かだ」

「ひど」

「事実だろ」

そう言いながら、蓮は前を向いたまま。
でも、陽翔には分かる。
この返しは“突き放し”じゃない。
夜になってからの蓮は、いつもより少し優しい。
たぶん、蓮自身もそれに気づいていないだけだ。

「……ねえ、蓮さん」

「ん」

「なんか、今こうやって歩いてると……ちょっと、恋人みたいだよね」

蓮の足が、ほんの少しだけ止まった。
夜の街灯に照らされた横顔が、微かに動揺するのがわかる。
陽翔は思わず口元を押さえて、にやりと笑った。

「図星?」

「……バカ」

「ね、否定しなかった」

蓮はため息をつき、夜空を仰いだ。
けれど、完全には顔をそらさなかった。
ほんのわずかに、陽翔の方へと視線が流れる。
その目が、いつもより柔らかい。

(……ね、今の“バカ”は、ちょっと甘い声だったよ)

胸が小さく高鳴る。
この距離、この空気。
一歩踏み込めば簡単に触れられる距離。
でも踏み込まないこの時間が、やけに愛おしかった。



事務所に戻ると、外よりも静かだった。
明かりをひとつだけ灯して、蓮が椅子に腰を下ろす。
陽翔は窓の近くに立ち、夜の街を見下ろしていた。
何の変哲もない日常。
でも、今はそれが特別に見える。

「なに突っ立ってんだ」

「ん~、夜、きれいだなーって」

「……バカ」

「ねぇ、また“バカ”って言った」

蓮が眉をひそめ、陽翔が笑う。
そんなやりとりすら、今では胸の奥をじんわり温める音になっていた。

陽翔はゆっくりと歩いて、蓮のいるデスクの前に立つ。
少し俯いて、彼の顔を覗き込む。
いつもと違う――
ほんの数センチの、“恋人の距離”。

「……近い」

「近づいたんだもん」

「……陽翔」

名前を呼ばれただけで、心臓が跳ねた。
蓮の声が低く響くたび、体温が上がっていく。

陽翔は、蓮の机の端に腰を軽く乗せた。
肩と肩の距離が、自然に触れるほど近い。
息を吸えば、蓮の匂いがする。
夜の空気と混ざって、胸の奥をくすぐるように熱い。

「……目、逸らさないでよ」

「……うるさい」

「見てくれると、ドキドキするんだよ」

「……勝手にしろ」

蓮は視線を逸らさなかった。
陽翔の瞳とまっすぐにぶつかる。
息と息が触れ合う。
それだけで、キスをした夜が蘇る。

(……触れたい)

けれど、蓮は何も言わず――
そっと、陽翔の指先に自分の指を重ねた。

たったそれだけのことなのに、
陽翔の全身に電流が走るような感覚が広がる。
昨夜のキスよりも、もっと静かで、もっと甘い。

「……蓮さん」

「……なんだ」

「今日も……手、つないで寝てもいい?」

「……ガキかよ」

「ガキでもいい」

蓮は短く息を吐いて――
それから、指を強く握り返した。
それが、彼なりの「いいよ」だった。



ソファに並んで座ると、ふたりの指は自然と絡み合った。
夜の空気は静かで、言葉がなくてもすべてが伝わる。
もう、無理に何かを言う必要なんてなかった。

陽翔が小さく息を吸い、
蓮がその手を離さずに、そっと引き寄せる。

肩と肩が重なり、頭と肩が触れる。
その静けさは、まるで世界にふたりしかいないみたいだった。

(……この距離、ほんとに好き)

「……なに笑ってんだ」

「ううん。……好きだなって思って」

「……っ」

蓮が小さく息を飲む。
陽翔はそれを聞いて、さらに微笑んだ。
夜の事務所に、静かな恋の音が響いていた。

🕊️ 第21話 予告:「その手を離さない」
夜の静かな時間。
ふたりの距離は少しずつ、確実に“恋人”の形へと近づいていく。
言葉ではなく、手と息で交わす想い――。
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