伯爵令嬢の逆転劇

春夜夢

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第20話:忠義の刃、裏切りの口づけ

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夜の王都。
 クラリス・エルフォードは、ルーベルト家の私邸にて政務報告の確認を終えたばかりだった。
 文書の一つひとつに目を通しながら、ふと――胸の奥に違和感が刺さる。

 (……この報告、どこか不自然)

 机に置かれた一通の報告書。
 それは近衛騎士団内の配置変動に関するもので、署名は“ノア・ヴァレンティア”。

「ノアが、こんな甘い処理を……?」

 違和感は確信へと変わる。

 その直後――

「失礼いたします」

 扉が開き、本人が現れた。

「ノア。聞きたいことがあるの。……これは、あなたが本当に書いたの?」

 クラリスが示した報告書を見て、ノアの表情がわずかに曇る。

「……いいえ。これは、俺の筆跡を真似た“偽物”です」

「やはり……」

 クラリスの背筋が冷たくなる。

「ノア、あなたは今……騎士団内で“監視対象”にされているわ。誰かが、あなたを私の“裏切り者”に仕立てようとしている」

 ノアの目が鋭く細まる。

「……動いたか。おそらく、騎士団内の旧王政派の残党です。俺がクラリス嬢と近すぎることが、気に入らないのでしょう」

「どうして今、仕掛けてきたのかしら」

「君が“公爵家の婚約者”になったからだ。もうただの伯爵令嬢じゃない。君の側近は“国家の影響力”を持つことになる」

 クラリスは目を伏せた。

「ノア……あなたは、今後、私のそばにいるだけで“命を狙われる存在”になるわ。それでも、ここにいてくれるの?」

 問いかけに、ノアはわずかに笑った。

「クラリス。君の逆転劇が始まった日、俺の覚悟も決まってた。……君が誰と歩もうと、俺の剣は君のためにある」

「……やめて。そんな顔で言わないで。ずるい人」

 クラリスは視線を逸らしながら、手にした扇子で唇を隠した。

 そして、唐突にノアが一歩近づく。

「でも、“忠義”という言葉で片づけないでほしい。……俺が君のそばにいるのは、“それだけじゃない”」

 そのまま、彼はクラリスの手をそっと取る。

「もし、すべてを失ったとしても、俺は君を選ぶ。貴族でも、騎士でもなく、ただの男として」

 その一言に、クラリスの心がかすかに震えた。

 しかし、返す言葉は喉で止まる。

(私は、もう誰かに甘えるわけにはいかない。政界に立つと決めた以上、私情だけでは……)

「……ありがとう、ノア。でも、今はまだ……」

 その瞬間――
 邸内に、破裂音と悲鳴が響いた。

「侵入者です! 西の庭から――!」

 クラリスは即座に立ち上がり、ノアに命じた。

「行って。あなたしか、私の代わりに“動ける者”はいないわ」

 ノアは頷き、剣を手に走り出す。
 その背中を、クラリスは見送った。

 そして、誰にも見せない小さな呟きを漏らす。

「……お願い。あなたまで、私の前から消えないで」

 その夜。
 ノアは侵入者を討ち取るも、手傷を負いながら戻ってこなかった。

 翌朝、クラリスのもとに届いたのは――血に染まった、ノアの剣だけだった。
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