笑いの裏側、君だけは知っている

春夜夢

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ライブ当日。
楽屋の空気が、いつもより少しだけ重たく感じた。
吉岡はネタ帳を眺めていたけれど、まったく頭に入ってこない。
文字がぼやけて、心臓の音ばかりがやたらと耳に響いていた。

昨夜のキス――
桐生の体温、声、唇の感覚が、何度も何度もフラッシュバックしてくる。
思い出すたびに胸がぎゅっと締め付けられて、息が詰まる。

「なあ」

不意に声をかけられて、顔を上げる。
桐生が、ネタ帳を持ったまま、いつものように笑っていた。
でも、その目は――どこか、吉岡だけを見ていた。

「今日、いけるよな?」

「……あ、ああ」

無理に笑ってみせたけれど、自分でもぎこちいのが分かった。
舞台に上がるたび、桐生の横顔を見るのが当たり前だった。
だけど今は、それだけで心臓が跳ねて集中できない。

舞台袖から客席を覗くと、満席の客。
ざわめきと照明の熱が、皮膚の奥まで刺さるようだった。

「……なあ、緊張してんの?」

桐生が隣に立って、耳元で囁く。
ただそれだけで――身体が、震えた。
昨夜、同じ距離でキスをした。
その記憶が、脳裏にこびりついて離れない。

「してねぇよ」

「……じゃあ、いい顔しろよ。俺の相方なんだから」

桐生の手が、吉岡の背中をぽん、と叩く。
その仕草一つで、胸の奥がざわつく。

――いつもどおり、のはずなのに。
――どうしてこんなに意識してんだ、俺。

「次の出番、ランナウェイズです!」

スタッフの声と同時に照明が落ち、舞台の幕が開いた。
一歩踏み出した瞬間、ライトの熱と歓声がぶつかってくる。
いつもなら一気にスイッチが入る。
……なのに、この日は違った。

桐生の声が耳に入る。
いつもどおり、テンポのいいボケ。
客席の反応も悪くない。
それなのに――ツッコミの言葉が、喉につっかえた。

「……え、あれ?」

ほんの一瞬の沈黙。
その“間”を観客は敏感に感じ取る。
笑いの波が小さくなる。
桐生が軽くフォローのボケを入れて流そうとするが、吉岡の頭は真っ白だった。

桐生の横顔が視界に入る。
舞台の光に照らされて、少し汗ばんだ首筋、息づかい。
あの夜の熱が、また蘇る。

(……今じゃねぇだろ……!)

焦れば焦るほど、リズムが合わない。
桐生が笑いを取り戻そうと必死に軌道修正するけれど、吉岡のツッコミは空を切った。

「……吉岡?」

桐生の視線が、横から刺さる。
その一瞬が、やけに長く感じた。
コンビでやってきた5年間――初めて、桐生の視線が「助け舟」ではなく「戸惑い」に見えた。

舞台を終えて楽屋に戻ると、スタッフの空気もどこか硬い。
「どうしたの?」という目が一斉に向けられて、胃の奥が締めつけられた。

「おい」

桐生の声が、背中から落ちた。
笑っていない声だった。
振り返ると、濡れた前髪をかき上げながら、桐生が真っすぐに吉岡を見つめていた。

「なに、あれ」

「……ごめん」

「ごめんじゃねぇだろ。ネタ、途中で止まったじゃん」

「分かってる……!」

声を荒げた自分に、自分で驚く。
桐生も一瞬だけ目を見開いた。

「分かってるけど……!」

喉が詰まる。
言い訳なんてしたくないのに、胸の奥がうまく言葉にならない。
“あの夜”を意識するたび、心臓が勝手に邪魔をする。

桐生はしばらく黙ったまま、吉岡を見ていた。
その目には怒りじゃなく――迷いと、どこか痛みが滲んでいた。

「……俺ら、舞台で笑えなくなったら、終わりだぞ」

「……分かってるよ」

「だったら――」

桐生が一歩、近づく。
楽屋のドアが閉まる音と同時に、息が混ざる距離になった。
いつもの“ボケとツッコミ”の距離じゃない。
あの夜、キスをしたときと、同じ距離。

「……俺のせいか?」

「え?」

「お前が集中できねぇの、俺のせいか?」

桐生の声が静かだった。
でも、その瞳は真剣で、逃げ場なんてなかった。

「……違う」

「ウソつけ」

桐生の手が吉岡の顎を軽くすくう。
反射的に顔を上げさせられ、息が触れる距離に閉じ込められる。

「俺だって、今日ずっと……舞台の上で、お前しか見えてなかった」

「……」

「お前の声、間、顔。全部、舞台より強く頭に残ってんだよ」

吉岡の胸が強く脈打つ。
あの夜だけじゃない――桐生も同じで、今日も、ここでも、同じ熱を抱えていた。

「なあ、俺たち……どうすんだよ」

桐生の声は、優しくて、弱かった。
初めて見る、桐生の“怖がってる”顔だった。

「このままじゃ、コンビ、壊れるぞ」

「……分かってる」

「でも、お前を見ないで舞台に立つとか……無理だろ」

その一言に、吉岡の理性が崩れた。
心臓が“ダメ”って言ってるのに、身体は“離れたくない”って叫んでいる。

「……俺だって、そうだよ」

「……吉岡」

「お前、見えたら……笑えなくなるんだよ」

ふたりの距離が、再び近づいた。
汗と息と照明の熱が混ざり、何もかもが曖昧になる。
桐生が手を伸ばせば、すぐに触れられる距離。

それでも――
この夜は、触れなかった。

互いの胸に押し寄せたのは、抑えきれない“想い”と、“芸人”としての恐れ。
どちらを選んでも、もう後戻りはできない。
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