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本編
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「ねー、ちょっと、がっこのそとにすっごいかっこいいひといるんだけど!」
「ちょっと怖い感じだけどイケメンだよねぇ。危ない大人ってカンジ」
「話しかけてみたい!ね、子供なんて相手しないって言うかなぁ」
きゃっきゃっとはしゃぐ声を追い抜いて、カイトはマフラーに顔を埋める。リトが似合うと押したモスグリーンのダッフルコートに白と限りなく白に近いグレーの毛糸で編まれたふわふわのマフラー。それらが黒髪にぴったりでカイトのお気に入りだ。制服のスラックスが紺のチェックで、それにも似合う色合いだからより気に入りなのかもしれない。
階段を降りる。前から女子生徒が二人上がってきた。
「カイくん、またねぇ」
「うん、また明日」
「ねえねえ、カイトくん、今度遊びにいこーよぉ。ミナ、カイトくんと遊びに行きたいなぁ」
「あ、かなも行きたい!サトル誘って四人でいこう?」
「うん、ごめんね、少し予定が詰まっているんだ」
優しい笑顔で通り抜け、カイトは校舎を後にする。
門の前にはきゃいきゃいと頬を染めて話していた女子生徒の目当ての人物が、眉間にしわを寄せて立っていた。
「ふじは」
「巽」
「ふ──────」
「たつみ」
「たつみ、さん」
巽の講義の時間によっては。と条件がついてしまうのだけれども、あの日からこうして巽はカイトを迎えに来る。
公園で待っている事が殆どなのに、今日はここに立っていた。
迎えなんて要らないとどれほど突っ撥ねても意に返さない巽にカイトはついに面倒になり突っ撥ねるをやめたのだが、この『面倒』という意味の本心がどこにあるのか──────、本当に面倒だからなのか、それとも違う意味を面倒に込めているのか、実は今もカイト本人さえ分からないままだ。
不安定な気持ちの名前をカイトは知らなくて、面倒だからだと名前をつけた。
「何度、こられたって、返事は言えない。だって、怒ってるんだ」
「分かってる」
カイトが隣に立ったところで巽は歩き出す。
この姿を遠目で見て、リトは巽の行動を黙認する事にした。あの巽が自分の隣を歩く人間の速度に合わせている。それだけでリトには十分だった。もちろん、カイトにした事は許さないと言い切ったし、殴りつけてもやったけれど。
そしてカイトの兄と公言する俊哉は「怒ってる」と表現しているカイトを見て黙認を決めている。可愛い弟は『怒っている』のだ。そうなれば黙認して然るべきだと俊哉は思った。もちろん、彼も許さないよとは言ったが。
あの日、好きになれと言われてカイトは巽の腕の中から逃げると、後先考えずに巽の頬を殴りつけた。
怒りでいっぱいで正気を失った、というのが彼の感覚だ。正気になってからの、だけれど。
カイト自身も自分の意思とは違う何かが動いて殴りつけた、としか思えないほど、今も、あの瞬間は理性なんてものは一切なかったと思っている。
だってそんな形で爆発したのはリトだって見た事がない。聞いた時に嘘だと取り合わなかったほど、カイトはそんな形で感情を動かした事がないのだ。
カイト本人も初めて起きた事に、そしてそれでも渦巻く持て余す気持ちに「怒りが収まらないなんておかしい」と幼い子供のように混乱し、電話先で「カイトが人を殴るなんて嘘だ」というリトが来るまでカイトは「おかしい」「なんでこんなにむかむかするの」「こわい」「いやだ」と泣きじゃくって、再び捕まった巽の腕の中で暴れた。リトが抱きしめるともっと泣きじゃくって三十分ほどたって気絶するように眠るまで、壊れたおもちゃのように涙を流した。
今までにはない感情が、今までの自分ではあり得なかったものが、カイトを混沌とした感情で包んだのだ。結果、カイトはなすすべもなく泣くほかなく──────
「痛い、な」
「自業自得」
「いや、殴られた場所じゃねぇ。現実を見つめた結果、いてぇってな」
「は?」
氷を包んだビニール袋を頬に当てた巽はベッドで寝るカイトの手を握るリトを見た。
「好きだってのは、痛いな。知らなかった」
「そ」
「カイトは俺をどれだけ好きで、愛してたんだろうな」
リトは涙の跡がひどい顔をカイトの頬を撫でて、カイトが先ほどまで座っていたソファに腰掛ける巽にぶつける。言葉を。
「浮気が大嫌いなこの子が、五回も──────、いい、五回も浮気を許すほどよ」
ぶつかった言葉は重たく、ずぶずぶと巽の中に突き刺さる。突き刺さって留まって、ずん、と重くのし掛かった。
「そうだな」
「そうよ」
二人の視線は交わらない。
「なぁ、もう一度、始めるからな。俺は、始める」
何をなんてリトは聞かない。聞きたくもなかったし、確かめるのも腹が立った。
これがもし巽の変化を知っていなかったら、その変化を認めていなかったら、そして巽の声が上辺だけの音だったら、リトは立ち上がってカイトよりも的確に巽を殴りつけて腕の一つでも折っただろう。
でも知っているから、解ってしまったから、リトは沈黙以外のリアクションを取れなかった。
それでもせめてもの抵抗で、彼女は声を絞り出す。
「カイトにした事、私は許さない」
あの時殴られた場所はすっかり癒えている。
でも腹の奥、心の中心に刺さりとどまっている思いは、今も巽の中にある。
それを巽は大切にしようと決めていた。
巽とカイトは二人で歩いて河原に出る。
ここの河原は綺麗に整えられており、季節を問わず散歩をする人やランニングする人が多数いるが、この季節はやや少ない。
一番多く人が集まるのは夏の夜、
(花火大会か)
あの日も巽は浮気をした日だった。
「カイト」
低い声が耳に心地が良くてカイトは眉間にしわを寄せる。
(まだ俺は怒ってるんだ、この人に)
許せない。腹が立っている。無関心になりたいのに。と呪文を繰り返す。
「なぁ」
足を止めたカイトを巽は振り返った。
カイトはやはり眉間にしわを寄せたままだ。
「許せない。怒ってるんだ。初めてだっ、こんな風にっ」
カイトはしわを寄せた顔を地面に向ける。
「父さん、姉さん、それに兄さん、この人たちとは何があっても俺、無関心になれない。家族だから。喧嘩して別れて、離れ離れになっても、悔やんでなんとか傍に戻りたいって、足掻くくらい、無関心になれない」
「ああ」
「今まで、どんな事があっても、他人は他人でよかったのに、巽さんはどうして俺に元彼氏なんてのを残したんだよ!今まで、そりゃ、少ないかもしれないけど、大切にしてた恋人と別れた時も他人であって、何かを向ける元彼女にはならなかったのに!感情を向けたりなんて、しなかったのに」
「ああ」
「ひどい、こんなにむかついてるのに、イライラしてたまらないのに、あんたなんて、嫌いなのにっ、あんたはいつまでも、俺の、俺の中でこんなふうに、嫌いって居座って!現実でもこうして、俺の前に現れてっ!なんで、俺の前にあんたがくると、俺はこんな風に、簡単に、こんなふうになる」
「そりゃ、よかった」
「なにが!」
怒りを露わに顔を上げたカイトの真ん前には、眉間にシワのない笑顔の巽が立っている。
180センチ近くあるカイトが見上げる長身の巽。自慢の顔はいつだって自信に満ち溢れているのに、今は笑顔にもかかわらずそれに陰りがあった。
「無関心じゃなくて嫌いなんだろ?」
「だからなんだよ」
「嫌いなら、好きに出来るかもしれないからだ」
カイトは口を開けたまま言葉を失う。ゆったり考えても出てこない。
考えても言葉は出てこないが、ある日の事を思い出す。
別れた彼女に復縁を請われた時だ。「嫌いになったなら、また好きになってもらうから」と言われてカイトは首を振った。嫌いじゃなくて関心がないのだ。好きになれるはずもないのにと、カイトは首を振った。
そう、これではまるで、まだ可能性があると言っているようなものだった。カイトだからこそ、「嫌いだ」という言葉は大きな意味を持つのである。
「拾えなくていいぜ」
「は?」
「俺が、今度はお前を拾うんだよ。捕まえて縛り付けて、今度こそ、お前と、お前がいう、本当の付き合いをしたいから、カイトを拾うんだって言ってるんだよ」
さらさらとカイトの髪を巽が梳く。
大きな手が優しくて、カイトは優しいこの手を思い出したら鼻がツンとした。
「泣くなよ、頼む。お前への気持ちに向き合ったら、お前に惚れてるって心底自覚したらよ、カイト、お前が泣いたところを思い出すたび痛ぇんだよ」
髪を梳いた手が額にかかる前髪を避ける。
そこに、ちゅっとキスが落ちてカイトは両手で巽を押しやった。
「なに、なにして!」
「アプローチ。これに関しては前と同じやり方しかしらねぇからな」
いけしゃあしゃあと言ってのけた巽に、カイトはあの時、前のアプローチを思い出して羞恥で顔を真っ赤に染める。
所構わずキスをして、触って、耳元で好きだと言って。
(そうして染めていくんだ)
最初は嫌だったのに、いつからそれもいいと思ったのか。もうそれを思い出せない。しかし心地よくなった事実は思い出せる。
巽のそれが、カイトには心地良かったことを。
「怒ってる。信じられない。無理」
「解ってる。信じさせる。無理じゃない」
まっすぐな瞳に負けたからだ、とカイトはダッフルコートを握りしめ、顔を逸らした。
仕立てのいい生地がぐしゃりと歪む。
「裏切り者だよ、巽さん。俺は初めてだったんだ。“家族”以外の人に、寄りかかれたのなんて。寄りかかっていいと、スペースを作ってもらったのなんて。それをあんたは裏切ったんだ」
息を吸う。吐き出して。
「怒ってるから、信じないから、無理だから。拾えない」
言いきって巽に背を向け歩き出す。家まで遠回りになっても気にしない。巽の横を通ったら捕まえられると彼は知っているから。
「怒ってていい。信じさせるし無理じゃねえよ。俺が拾うからな」
言葉に捕まるなんて知らなかったとカイトは思った。
足が止まって動かない。
「だから、マイナスからでいい。またアプローチするからな。今度はお前だけ、一人だけ。五回目でひろいあげるぜ?」
真後ろから聞こえた声に五回じゃ無理だと思ったカイトは『何回なら良いのだろう』と、五の倍数を頭に並べた。
しかしそれもすぐに答えがでないから、巽に背を向けたまま叱咤し漸く動きそうな足をただ、前に動かす。
「ちょっと怖い感じだけどイケメンだよねぇ。危ない大人ってカンジ」
「話しかけてみたい!ね、子供なんて相手しないって言うかなぁ」
きゃっきゃっとはしゃぐ声を追い抜いて、カイトはマフラーに顔を埋める。リトが似合うと押したモスグリーンのダッフルコートに白と限りなく白に近いグレーの毛糸で編まれたふわふわのマフラー。それらが黒髪にぴったりでカイトのお気に入りだ。制服のスラックスが紺のチェックで、それにも似合う色合いだからより気に入りなのかもしれない。
階段を降りる。前から女子生徒が二人上がってきた。
「カイくん、またねぇ」
「うん、また明日」
「ねえねえ、カイトくん、今度遊びにいこーよぉ。ミナ、カイトくんと遊びに行きたいなぁ」
「あ、かなも行きたい!サトル誘って四人でいこう?」
「うん、ごめんね、少し予定が詰まっているんだ」
優しい笑顔で通り抜け、カイトは校舎を後にする。
門の前にはきゃいきゃいと頬を染めて話していた女子生徒の目当ての人物が、眉間にしわを寄せて立っていた。
「ふじは」
「巽」
「ふ──────」
「たつみ」
「たつみ、さん」
巽の講義の時間によっては。と条件がついてしまうのだけれども、あの日からこうして巽はカイトを迎えに来る。
公園で待っている事が殆どなのに、今日はここに立っていた。
迎えなんて要らないとどれほど突っ撥ねても意に返さない巽にカイトはついに面倒になり突っ撥ねるをやめたのだが、この『面倒』という意味の本心がどこにあるのか──────、本当に面倒だからなのか、それとも違う意味を面倒に込めているのか、実は今もカイト本人さえ分からないままだ。
不安定な気持ちの名前をカイトは知らなくて、面倒だからだと名前をつけた。
「何度、こられたって、返事は言えない。だって、怒ってるんだ」
「分かってる」
カイトが隣に立ったところで巽は歩き出す。
この姿を遠目で見て、リトは巽の行動を黙認する事にした。あの巽が自分の隣を歩く人間の速度に合わせている。それだけでリトには十分だった。もちろん、カイトにした事は許さないと言い切ったし、殴りつけてもやったけれど。
そしてカイトの兄と公言する俊哉は「怒ってる」と表現しているカイトを見て黙認を決めている。可愛い弟は『怒っている』のだ。そうなれば黙認して然るべきだと俊哉は思った。もちろん、彼も許さないよとは言ったが。
あの日、好きになれと言われてカイトは巽の腕の中から逃げると、後先考えずに巽の頬を殴りつけた。
怒りでいっぱいで正気を失った、というのが彼の感覚だ。正気になってからの、だけれど。
カイト自身も自分の意思とは違う何かが動いて殴りつけた、としか思えないほど、今も、あの瞬間は理性なんてものは一切なかったと思っている。
だってそんな形で爆発したのはリトだって見た事がない。聞いた時に嘘だと取り合わなかったほど、カイトはそんな形で感情を動かした事がないのだ。
カイト本人も初めて起きた事に、そしてそれでも渦巻く持て余す気持ちに「怒りが収まらないなんておかしい」と幼い子供のように混乱し、電話先で「カイトが人を殴るなんて嘘だ」というリトが来るまでカイトは「おかしい」「なんでこんなにむかむかするの」「こわい」「いやだ」と泣きじゃくって、再び捕まった巽の腕の中で暴れた。リトが抱きしめるともっと泣きじゃくって三十分ほどたって気絶するように眠るまで、壊れたおもちゃのように涙を流した。
今までにはない感情が、今までの自分ではあり得なかったものが、カイトを混沌とした感情で包んだのだ。結果、カイトはなすすべもなく泣くほかなく──────
「痛い、な」
「自業自得」
「いや、殴られた場所じゃねぇ。現実を見つめた結果、いてぇってな」
「は?」
氷を包んだビニール袋を頬に当てた巽はベッドで寝るカイトの手を握るリトを見た。
「好きだってのは、痛いな。知らなかった」
「そ」
「カイトは俺をどれだけ好きで、愛してたんだろうな」
リトは涙の跡がひどい顔をカイトの頬を撫でて、カイトが先ほどまで座っていたソファに腰掛ける巽にぶつける。言葉を。
「浮気が大嫌いなこの子が、五回も──────、いい、五回も浮気を許すほどよ」
ぶつかった言葉は重たく、ずぶずぶと巽の中に突き刺さる。突き刺さって留まって、ずん、と重くのし掛かった。
「そうだな」
「そうよ」
二人の視線は交わらない。
「なぁ、もう一度、始めるからな。俺は、始める」
何をなんてリトは聞かない。聞きたくもなかったし、確かめるのも腹が立った。
これがもし巽の変化を知っていなかったら、その変化を認めていなかったら、そして巽の声が上辺だけの音だったら、リトは立ち上がってカイトよりも的確に巽を殴りつけて腕の一つでも折っただろう。
でも知っているから、解ってしまったから、リトは沈黙以外のリアクションを取れなかった。
それでもせめてもの抵抗で、彼女は声を絞り出す。
「カイトにした事、私は許さない」
あの時殴られた場所はすっかり癒えている。
でも腹の奥、心の中心に刺さりとどまっている思いは、今も巽の中にある。
それを巽は大切にしようと決めていた。
巽とカイトは二人で歩いて河原に出る。
ここの河原は綺麗に整えられており、季節を問わず散歩をする人やランニングする人が多数いるが、この季節はやや少ない。
一番多く人が集まるのは夏の夜、
(花火大会か)
あの日も巽は浮気をした日だった。
「カイト」
低い声が耳に心地が良くてカイトは眉間にしわを寄せる。
(まだ俺は怒ってるんだ、この人に)
許せない。腹が立っている。無関心になりたいのに。と呪文を繰り返す。
「なぁ」
足を止めたカイトを巽は振り返った。
カイトはやはり眉間にしわを寄せたままだ。
「許せない。怒ってるんだ。初めてだっ、こんな風にっ」
カイトはしわを寄せた顔を地面に向ける。
「父さん、姉さん、それに兄さん、この人たちとは何があっても俺、無関心になれない。家族だから。喧嘩して別れて、離れ離れになっても、悔やんでなんとか傍に戻りたいって、足掻くくらい、無関心になれない」
「ああ」
「今まで、どんな事があっても、他人は他人でよかったのに、巽さんはどうして俺に元彼氏なんてのを残したんだよ!今まで、そりゃ、少ないかもしれないけど、大切にしてた恋人と別れた時も他人であって、何かを向ける元彼女にはならなかったのに!感情を向けたりなんて、しなかったのに」
「ああ」
「ひどい、こんなにむかついてるのに、イライラしてたまらないのに、あんたなんて、嫌いなのにっ、あんたはいつまでも、俺の、俺の中でこんなふうに、嫌いって居座って!現実でもこうして、俺の前に現れてっ!なんで、俺の前にあんたがくると、俺はこんな風に、簡単に、こんなふうになる」
「そりゃ、よかった」
「なにが!」
怒りを露わに顔を上げたカイトの真ん前には、眉間にシワのない笑顔の巽が立っている。
180センチ近くあるカイトが見上げる長身の巽。自慢の顔はいつだって自信に満ち溢れているのに、今は笑顔にもかかわらずそれに陰りがあった。
「無関心じゃなくて嫌いなんだろ?」
「だからなんだよ」
「嫌いなら、好きに出来るかもしれないからだ」
カイトは口を開けたまま言葉を失う。ゆったり考えても出てこない。
考えても言葉は出てこないが、ある日の事を思い出す。
別れた彼女に復縁を請われた時だ。「嫌いになったなら、また好きになってもらうから」と言われてカイトは首を振った。嫌いじゃなくて関心がないのだ。好きになれるはずもないのにと、カイトは首を振った。
そう、これではまるで、まだ可能性があると言っているようなものだった。カイトだからこそ、「嫌いだ」という言葉は大きな意味を持つのである。
「拾えなくていいぜ」
「は?」
「俺が、今度はお前を拾うんだよ。捕まえて縛り付けて、今度こそ、お前と、お前がいう、本当の付き合いをしたいから、カイトを拾うんだって言ってるんだよ」
さらさらとカイトの髪を巽が梳く。
大きな手が優しくて、カイトは優しいこの手を思い出したら鼻がツンとした。
「泣くなよ、頼む。お前への気持ちに向き合ったら、お前に惚れてるって心底自覚したらよ、カイト、お前が泣いたところを思い出すたび痛ぇんだよ」
髪を梳いた手が額にかかる前髪を避ける。
そこに、ちゅっとキスが落ちてカイトは両手で巽を押しやった。
「なに、なにして!」
「アプローチ。これに関しては前と同じやり方しかしらねぇからな」
いけしゃあしゃあと言ってのけた巽に、カイトはあの時、前のアプローチを思い出して羞恥で顔を真っ赤に染める。
所構わずキスをして、触って、耳元で好きだと言って。
(そうして染めていくんだ)
最初は嫌だったのに、いつからそれもいいと思ったのか。もうそれを思い出せない。しかし心地よくなった事実は思い出せる。
巽のそれが、カイトには心地良かったことを。
「怒ってる。信じられない。無理」
「解ってる。信じさせる。無理じゃない」
まっすぐな瞳に負けたからだ、とカイトはダッフルコートを握りしめ、顔を逸らした。
仕立てのいい生地がぐしゃりと歪む。
「裏切り者だよ、巽さん。俺は初めてだったんだ。“家族”以外の人に、寄りかかれたのなんて。寄りかかっていいと、スペースを作ってもらったのなんて。それをあんたは裏切ったんだ」
息を吸う。吐き出して。
「怒ってるから、信じないから、無理だから。拾えない」
言いきって巽に背を向け歩き出す。家まで遠回りになっても気にしない。巽の横を通ったら捕まえられると彼は知っているから。
「怒ってていい。信じさせるし無理じゃねえよ。俺が拾うからな」
言葉に捕まるなんて知らなかったとカイトは思った。
足が止まって動かない。
「だから、マイナスからでいい。またアプローチするからな。今度はお前だけ、一人だけ。五回目でひろいあげるぜ?」
真後ろから聞こえた声に五回じゃ無理だと思ったカイトは『何回なら良いのだろう』と、五の倍数を頭に並べた。
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