きみにふれたい

広茂実理

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爽やかな5月

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「生まれて初めて、連休なんてなくなれって思った」
 桜の花もとうに散り、木々が青々と鮮やかな葉を湛え始めた、春とは思えない季節。世間が浮き足立つ大型連休も終わり、怠そうな生徒たちが久々の学校生活を過ごしていた。その中でただ一人、彼はそんなことを平然と言ってのけたのだ。
 真面目な顔をしたかと思いきや、突然なんてことを言うのだろうか……。他の子が聞いたら、絶対に頭のおかしいやつだと捉えられてしまうだろう。そんな私の考えをよそに、彼はふわりと微笑んだ。目が合う。
「やっと……やっと、さくらさんに会えた」
 愛おしそうに細められた瞳が、私に向けられている。
 本当に、突然なんてことを言ってくれるのだろうか。私の体温が上がったのは、きっと日に日に強くなってきた日差しのせいにきまっている。ああ、暑い。特に顔が! 扇風機、どこかにないかしら? いや、間に合わない。氷をください!
 そんなこんなで熱にやられている中、日差しに曝されているはずの彼は、何故だか涼しげに見えた。実際は、じんわりと汗をかいている。だというのに、そんな姿すら絵になる彼には、まるで心地よく吹く風が味方をしているかのようだった。爽やかという言葉がよく似合っていて、更に私の頭へ熱が集まってくる。何の罪もない青空を睨んでいると、ふいに隣から声がした。
「俺たち、出会ってから一ヶ月だね」
「そっか。もうそんなになるんだね。早いなあ」
「ねえ、一ヶ月記念に何かしようか」
「え?」
 一ヶ月記念だって?
「君は女子か」
 胡乱な顔で返すと、彼は淡い苦笑を浮かべた。
「さくらさんが、淡白すぎるんだよ」
 この一ヶ月。休日以外は、毎日一緒に過ごした中で知った、彼のこと。ハーフではなくクォーターで、幼少期の数年を海外で過ごしていたという帰国子女。英語がペラペラなのに、授業で苦労しているのは英語。曰く、日本の英語の授業はやけに難しくしていて、ややこしいのだとか。好きなのは、体育。苦手なのは、英語の他には現代文。選択授業は、音楽。昼は、購買のパンか、コンビニのおにぎり。あまり量は食べない。漫画やゲームが好き。趣味はゲーム。塾は行っていない。両親と姉の四人家族。部活も入らずバイトもせず、放課後は毎日ここへ来る。
 本当に、驚くほど毎日毎日飽きもせずに。そんな生活が、互いにとって当たり前になりつつある。慣れとは、なんと恐ろしいものだろうか。そして、これはいつまで――
「何がいい? さくらさん」
 ふと声を掛けられ、思考が中断する。声に導かれて反射的にそちらを向けば、優しい瞳とぶつかった。いつから、私を見ていたのだろうか――そんな考えは、即座に愚問だと一蹴した。
 そんなの、ずっと見られていたに決まっている――
「何って?」
「だから、一ヶ月記念」
 まだ言っていたのか。
「そんなことを聞かれても……第一そういうのって、毎月するわけ?」
「そうだよ。あ、今めんどくさいって思ったでしょ?」
 クスクス笑いながら言う彼に、別に否定するでもなく頬杖をつく。そこで、はたと気が付いた。
「あれ? そういうのって、友達とはしないよね?」
「そうかもね」
 でたよ。お得意のそうかもね。何が楽しいんだか、ニコニコして……。
「そうかもね、じゃない。友達とはしないの。だから、この話はおしまい」
「えーっ……まあ、いいか。あ、そうだ。もう少ししたら、中間試験なんだ。さくらさん、勉強教えてよ」
 つい先程まで、不満そうな顔をしていたくせに、もう笑顔になっている彼。なんて切り替えの早い……。
「テスト勉強?」
「うん。さくらさん三年生だから、一年の勉強わかるかなって思って」
「……どうだろう。科目によるかも」
 当時は詰め込んでなんとかなった知識も、その後すべて覚えているなんてことがあるはずもなく。好きな科目ならともかく、苦手な教科は特に自信がない。確か、彼は現代文が苦手と言っていた。現代文って、正直何を教えたらいいのだろうか。
「深く考えなくていいよ。俺は、さくらさんと一緒に過ごしたいだけなんだから。これは、その口実」
 そういうことは、いちいち言わなくていいと思う。私の眉間に、皺が刻まれた。
「さくらさんは、優しいね。俺のために、今いろいろ考えてくれたでしょ」
 エスパーだとでも言うのか、君は。どうせ、私はお節介ですよ。
「そういうところ、好き」
 はにかみながら、見つめられる。そういうことは、言わなくていいと思います!
「赤くなった。照れてるの? 可愛い」
 そんなことない。私は可愛くなんてない。可愛い子っていうのは、こういう時に貰った言葉に値する行動ができる子のことを言うのだから。
 でも、私は何も言ってあげられない。言葉しかあげられるものがないのに、その言葉さえあげられないのだから。それどころか、悪態ばかりついてしまう。そうしてそんな刃を振り回して、周りを傷付けるのだ。弱いくせに強がって、十八年しか生きていないのに何もかもをわかったようなフリをして。そうして一人、暗闇で迫る孤独に震えていた。それが、私――
「さくらさん?」
 黙った私を訝しって覗き込んでくる、茶の瞳。色を失ったかのようにぼんやりする冴えない黒い目にさえ、光を分け与えてくれる――そんな錯覚にくらくらしてしまいそうになる、優しい色。

 ――ねえ、それはいつ、残酷な色に変わるの?

「さくらさん、どうかしたの?」
「……ううん。何でもないよ」
「……そっか。あ、もうこんな時間か。さくらさんといると、あっという間に過ぎちゃうね。そろそろ帰るよ」
「そう。気を付けてね」
「うん、ありがとう。さくらさん、そんな顔しないで。また明日、ちゃんと来るから」
 いったい、私がどんな顔をしているっていうんだか。そっくりそのまま返してやりたいくらいだ。
 そうは思いつつも、言うわけでなく。私は、いつもの笑みを浮かべて夕日を背に自転車を漕いでいく彼を、見送った。
「何でもないよ、か……」
 なんて幼稚な嘘。口下手なのは、自覚あるつもりなのだが……。まあどうせ、どんな言葉を並べたところで、嘘は嘘。どうやったって、陳腐にしかならないだろう。
 そして、賢い彼はあえて触れてこない。きっと明日も、この先もずっと、足を踏み入れたりなんかしない。いったい、どういった生き方をこれまでしてきたのだろうか。
「お互い様、か……」
 違和感と既視感と、類似したところと――それらが、私に彼を目で追わせる。彼の隠した暗闇を暴きたい。覗き見たい。二人なら、傷口を舐め合えるだろうか。
 信じてなどいない永遠を誓って、ぬるま湯に浸かって、互いを必要として、依存して、堕ちていく。そんなの――
「ダメに決まっている」
 こちらに引き込んではならない。そうした選択肢など、あってはならない。そんな二人に、未来など存在しない。交わるはずのなかった道で出会ってしまったのが、そもそもの……。
「あれ?」
 私を見ることができる人は、少ないけれど今までにもいた。しかし、誰もが幽霊には気付かないフリをして、怖がって、近付いてなどこなかった。そして見える人というのは、大抵がこちら側に近い人間であることが多いものだ。
「まさか、ね……」
 揺れる緑の葉の隙間から射し込む西日に、私はただ目を細めていた。
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