きみにふれたい

広茂実理

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煌めきの6月

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「さくらさーん」
 手を振り走ってくる、無邪気な子。おいおい、誰かに見られたらどうするつもりなんだか。他の人からは、一人で誰もいないところに話し掛けている変な子にしか映らないのだから。
 私の冷や汗などお構いなしに、彼は一直線にこちらを目掛けてきて、嬉しそうに笑った。
 昼に見せたあのしおらしいのは、どこへ置いてきたんだろう? 落とし物ボックスにでも入っているのだろうか。だとしたら、今すぐにでも拾ってきてあげるのだけれど。
「お待たせ」
「うん。勉強お疲れ様……頑張ったね」
「……うん、ありがとう」
 しとしとと、雨音響く廊下の隅。階下から響くキュッという音に、どこかの部活が基礎トレーニングをやっているのだろう掛け声が重なる。
 私たちは、最上階の端の階段に腰掛けていた。ふうと息を吐く。ここは、滅多に人が通らない場所だ。落ち着いて話ができるだろう。
 ひんやりとした空気に包まれた私たちの顔は、すっかりいつも通りになっていた。――ただ一つ、包帯に隠された傷だけが痛々しい。
「痛む?」
「案外平気。包帯が大げさなんだよ。絆創膏でいいのに」
 それは強がりでもなんでもない、本音のようだった。
「それで、さ……聞いても良いのかな?」
「うん、良いよ。何でも聞いて」
「わかった、ありがとう。じゃあ早速だけど、いったい誰なの? クラスの子? 自分だなんて戯言は、なしだからね」
「う、ん……」
 回りくどいことはなしだ。ストレートに私が切り出すと、彼は言い淀むと同時に、目を泳がせた。まさかとは思うが、茶化すか嘘でも吐くつもりだったのだろうか。だとしたら、牽制しておいて良かったというものだ。
「……もしかして、イジメられているの?」
「違う」
 即答だった。彼はキッパリと、今度は私の目を見て言った。
「イジメはないよ。俺が知ってる限りはね」
「そう……」
 この学校は、割と平穏だ。目立って何かが起こることは、ほとんどない。それは、昔からだった。
「じゃあ、どうして?」
 彼の利き腕は、傷付けられたのか。
「……リレー、見てたよね?」
「え?」
 思わぬ方向転換に、素っ頓狂な声が出てしまった。方向転換? いや、この彼がここで突然関係のない話をするわけがない。ということは、大いに意味があるということになる。……でもリレーって、体育祭の時の?
「見ていたよ。感想、言ったよね?」
「うん……あの時の、俺の前を走ってたやつ」
「前……君が抜き去った、他のクラスの子?」
 彼らもしくは、その内の誰かが犯人? 悔しがってはいたけど、そんなことをするような子たちには見えなかったけどな……。
「違う……転んだ方」
 前って、そっち? 同じクラスの子が、犯人なの?
「え? 何で?」
「実は、あいつ陸上部なんだ。あれから、よくいじられててさ。陸上部なのにとか、俺と比べられるような言い方されてて。たぶん、それで……」
「え……」
「まあ、気持ちなんて、本人にしかわかんないよ」
「そうかも、しれないけれど……」
 全然、納得がいかない!
「でも、あいつもすぐに謝ってくれたんだ。泣きながら。怪我させるつもりじゃなかったって。後悔してたみたいだからさ、もうしないと思う」
「何それ……そんなの許さない! そういうつもりがなかったなんて、君はそんな甘いことを真に受けたの? 人に向けるべきでないものを向けた時点で、そんなの言い訳にしかならないよ!」
「いいんだ。ありがとう。俺の代わりにさくらさんが泣いて、怒ってくれたから。もう、いいんだ」
「でも……」
「お願い。事を荒立てたくない」
「っ、…………わかった。君がそう、望むのなら……」
 私は渋々、口を閉じた。だって、これ以上私一人が何を言ったところで、結局何もできはしないのだから。
「ありがとう、さくらさん」
「お礼を言われるようなことは、何もしてない」
「してくれたよ。泣いて、怒って、そして話を聞いてくれた。そばにいてくれてる」
「……」
 この子は、ちゃんと「ありがとう」と「ごめん」が言える。想いを言葉にして伝えられる。それは、すごいことだと思うんだ。だって、想いは見えないから。伝えようとしないと、伝わらないから。だから私は、彼の腕に手を伸ばした。
「さくら、さん?」
 私の手は、何にも届かない。温もりも与えられず、滴も拭えず、傘を差してあげることもできない。けれど、届くものがあるって教えてくれたから。気持ちは見えないけれど、こうすることで少しでも伝えることができるって思うから。
「手当て、だね」
 彼が嬉しそうに呟く。
「まあ、当たってないけどね」
「なんだか、あったかい気がする」
「気のせいだよ」
 包帯を包むように添えた手から、笑みが生まれた。
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