きみにふれたい

広茂実理

文字の大きさ
10 / 47
煌めきの6月

4

しおりを挟む
 彼の腕から包帯が消えて久しく、傷も綺麗になってきた頃。私たちは、放課後の図書室にいた。
「またテストか。この前、終わったばっかりなのにね」
「今度は期末だから、教科数が多いんだよ。助けて、さくらさん」
「……私は、未来からやって来た便利なロボットじゃないよ」
 毎回テストのたびに、こうなるのだろうか。いつもの席に着き、教科書類を広げる彼の荷物を見て、ふと疑問が生じる。
「そういえば、辞書持たないよね」
「辞書?」
「私は、重たい辞書を持っていたよ。本のやつ。教室の机か、ロッカーに入れていたけれどね」
「それって、これ? ケースに入ってるような、角が凶器の」
 そう言って彼は立ち上がり、本棚から辞書を取り出してきた。まあ角は痛いけど、でも凶器って……。
「あー、うん、そういうの。思えば、前のテスト勉強の時も、開いている姿を見たことなかったなーって思って」
 そう言えば、きょとんとした目とぶつかった。
「え?」
 いやいや、何故そんな顔をするの?
「こんな重いのを、都度開いてたの?」
「そうだよ。まあ、電子辞書でも良かったから、ずっと持ち歩いていたわけじゃないけれどね」
「あー、電子辞書なら、授業中たまに漢字とか調べる時は使う」
「そうそう、そういうのだよ」
「でも、授業中じゃなかったらさ、わざわざ辞書なんて使わないよ」
「え?」
 おもむろに、ケータイを取り出す彼。そういや、ケータイの形も変わったな。もう小さいパソコンみたい。初めて見た時は、ケータイだと信じられなかったっけ。
「ネットで調べた方が早いし、アプリとか使ってるやつもいるよ」
 ネット? アプリ?
「わからないことは、大抵ネットの検索で、ほら」
「へえ……」
 ちょっと、十年ほどタイムスリップしてきたみたいだ。浦島太郎って、こういう気分だったのかな。
「そっか。さくらさんって、重い辞書持って勉強してたんだ。ケータイも、昔はなかったって聞いたことあるし」
 おいこら、馬鹿にするな。私だって、ケータイくらい持っていたわ。
「じゃあ、あれだ。勉強も、ネットに助けてもらいなよ。私はいらないでしょ」
 未来から来たロボットがいない今、過去から留まっている幽霊よりも、現在の技術が助けてくれるのだから。
「え? なんで?」
「わからないことは、ネット検索すれば、すぐわかるんでしょ?」
「そうだけど……そうじゃないんだって。俺には、さくらさんが必要なの。何? 怒ったの?」
「怒ってない」
「じゃあ、何で?」
 何だろう……怒ったのとは違う。これは、そう――
「……十年って、大きいなって。玉手箱を開けたくなった」
「玉手箱?」
「いいの。気にしないで」
 世の中がいろいろ変わっていて、知っている人もここにはいなくて、どうしたらいいかわからなくて、何がどうなっているのかもわからなくて。何かに、縋りたかったのだろうか――私は、彼に縋っているのだろうか。藁を掴むような気持ちで。でも、そんな彼にも壁を感じて。だから、私は……。
「さくらさん、寂しくなっちゃったの?」
「……誰が」
「可愛い」
「……」
「俺がいるよ」
「ん……」
 たった一人で老いて、それからもう乙姫に会えなかった浦島太郎とは、違う。今だけかもしれないけれど、私には彼がいるのだ。それだけで幸せじゃないか。これ以上なんて、望み過ぎというものだ。
「玉手箱なんて、俺なら渡さないよ。おばあさんになんて、なっちゃ嫌だよ」
「君ならまず、地上へ帰してくれなさそう」
「バレた?」
「ひどい人」
「さくらさん限定でね」
 ああ、こうして私は緩やかな波に囚われて、いつしか沈んでいくのだろう。大きな海に抱かれて、頭上で煌く彼方を見つめながら。そうして、暗い闇の底へと落ちていってしまったとしても、私はきっとその想いを抱いて眠るのだ。
 彼を、瞼の裏に閉じ込めながら。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ハチミツ色の絵の具に溺れたい

桃本もも
青春
大学生になったばかりの梅若佐保には、ひとつだけ悔やんでも悔やみきれないことがあった。 高校で唯一仲良くしていた美術部の後輩、茜谷まほろが事故に遭うきっかけを作ってしまったことだ。 まほろは一命を取りとめたものの、意識不明がつづいている。 まほろがいない、無味乾燥な日々。 そんな佐保のもとに、入院しているはずのまほろが現れる。 「あたし、やりたいことがあって、先輩のところに来たんです」 意識だけの存在になったまほろとの、不思議なふたり暮らしがはじまる――

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

僕《わたし》は誰でしょう

紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
青春
※第7回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。 「自分はもともと男ではなかったか?」  事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。  見知らぬ思い出をめぐる青春SF。 ※表紙イラスト=ミカスケ様

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

一条さん結婚したんですか⁉︎

あさとよる
恋愛
みんなの憧れハイスペックエリートサラリーマン『一条 美郷(※超イケメン)』が、結婚してしまった⁉︎ 嫁ラブの旦那様と毒舌地味嫁(花ちゃん)....とっ!その他大勢でお送りしますっ♡ ((残念なイケメンの一途過ぎる溺愛♡))のはじまりはじまり〜 ⭐︎本編は完結しております⭐︎ ⭐︎番外編更新中⭐︎

Blue Bird ―初恋の人に再会したのに奔放な同級生が甘すぎるっ‼【完結】

remo
恋愛
「…溶けろよ」 甘く響くかすれた声と奔放な舌にどこまでも落とされた。 本宮 のい。新社会人1年目。 永遠に出来そうもない彼氏を夢見つつ、目の前の仕事に奮闘中。 なんだけど。 青井 奏。 高校時代の同級生に再会した。 と思う間もなく、 和泉 碧。 初恋の相手らしき人も現れた。 幸せの青い鳥は一体どこに。 【完結】 ありがとうございました‼︎

処理中です...