きみにふれたい

広茂実理

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輝きの7月

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「うえええええーっ? ――じゃ、じゃあ、私の、勘違い?」
 夜の学校に響く、私の裏返った声。幸いにも聞こえるのは隣の一名だけなので、近所迷惑にはならない。
 私が落ち着くのを、ただ隣で黙って待っていてくれた彼の瞳は、変わらず甘やかに優しくて。そうして、昼間に聞いた会話を、ぽつりぽつりと話して聞かせたのだったが……。
「彼女がいるって言っておいたら、女子を牽制できると思ったんだ。俺としては、嘘なんて吐いていないつもりだけどね」
「……それ、どういう意味?」
「え? ほら、年上の美人でしょ?」
「誰が?」
「さくらさん」
 言いながら微笑みかけられ、顔が熱くなった。最近日差しが強いから、日焼けしたのかもしれない。
「び、美人じゃない……」
 私のことを言っていたようだが、どこかで勝手に話へ尾ひれがついて、結果的に大学生だのなんだのという噂が、広まっていたということらしい。
「美人だよ、さくらさんは。にしても、誰だ。見たって言ったやつは……」
 面白くなさそうに呟く横顔がなんだかおかしくて、思わず頬が緩んでしまう。
「ねえ、最近溜息ばっかり吐いていたのは、どうして?」
「え? ばっかりって、そんなにしてた?」
「うん」
 どうやら、溜息は無意識だったらしい。恥ずかしそうに頬を掻きながら、彼は口を開いた。
「……そりゃあ、もうすぐ夏休みになっちゃうからだよ。図書室が開いてる日ならまだいいけど、学校に入れない日だってあるから。そうなると、さくらさんに会えないし。溜息だって出るよ」
「そ、そっか……」
 私は、思っているよりも自惚れていいのかもしれないと、改めて感じた。というか、夏休みでも学校来る気だったんだ……。
「誕生日は、そうだね。たまたま言ってなかったね」
「そういう話にならなかったものね」
「大丈夫。俺、さくらさん以外の人となんて、考えてないから。他の誰とも過ごすつもりはないよ」
「いいよ。友達とか、遊ぶ約束もあるでしょ。遠慮する必要なんて、ないのに……だって、私たちは、友達、なんだから……」
 ああ、自分で言っておいて……バカだ。失敗した。そう思った。どうしよう。頬が引きつっている。今の私は、上手く笑えているだろうか?
「友達、ね……ねえ、さくらさん」
 呼ばれて顔を上げると、すぐ目の前に彼の顔があって驚いた。反射的に後ろに退きかけた体を、彼の声が留める。
「逃げないで」
 手を掴まれたわけでもないのに、私はその場に縫い留められてしまった。
「さくらさんは、友達に彼女がいたって知って、泣いちゃうの?」
「え……」
「俺に彼女がいるって思って、誕生日も知らなくて、泣いて逃げちゃったのに。それでも、さくらさんにとって黒崎礼央は、ただの友達?」
「そ、れは……」
 息が苦しい。私も現代文が苦手なのに。こういう時は、どういう答えを空欄に当てはめるのが正解なの? わからない。誰か教えてよ。
「やきもち? 嫉妬? それとも、後悔? ――して、くれたんだよね?」
「っ……」
「俺は、さくらさんが好きだよ。やっぱり好きだって、改めて思った。会えなくなるのが、怖い。他に怖いものなんてないくらいに、さくらさんに会えないことが辛いよ」
 それは、春のあの日と変わらない、ちょっと震えた声だった。
 そうだよね。今ならわかる。ものすごく緊張するよね。何度言っても、ドキドキするよね。
 それでも、やっぱりズルい私を、どうか、どうか許してください。だって、その怖いものはいつかやってくるんだよ。
 私に、やってくるんだよ。
 そうでしょう? だって、貴方はいつか年を重ねて、私を置いて、この地上からいなくなってしまうのだから。
 だから、このたった一つのワガママだけでいい。他には何も言わないから、どうか許してください。
 そうじゃないと、私は――
「さくらさんは、俺といるの、苦しい?」
「え?」
「だって、ふとすると、そうやって一人で考えこんじゃう。未来を見てるの? やってくるであろう『いつか』に怯えてるんでしょ? さくらさんは、不安がりだから」
「当たり前じゃない……普通、考えるでしょ!」
 それは、ただの八つ当たりだった。私は感情のままに、彼へと想いをぶつける。それなのに、目の前の男の子は、笑ってさえいた。
 この子は、どうしてこう達観したような顔をしているのだろう。今だってこんな時間まで、私のせいでボロボロになって、帰れずにいるのに。決して、怒ったりしない。
「ねえ、さくらさんには、未来が見えるの?」
「え?」
「超能力があるの?」
「そんなの、ないけど……」
「だったら、想像に悲しまないで。来るかどうかもわからない、もしもに苦しまないで。俺を、見てよ。さくらさんの目の前にいるのは、未来じゃない――俺だよ。ねえ、違う?」
 それは、痛いほどに切なく、私の目を覚ました。
 彼は怒っていない。ただ、悲しんでいた。痛切なる叫びのようなそれは、願いだと知った。
「苦しいね、さくらさん。恋って苦しいね」
 苦しい。狂おしいほどに。
 それでもやめられないのは、もう底なし沼にはまってしまったからだ。抜け出せるはずがない。優しく囚われて、全身が包まれ、溺れてゆっくりと沈んでいく。そうしてとっぷりと浸かって、それでも息ができるのは、一人じゃないから。たとえ手を繋げなくとも、そこにいてくれる。それだけで、また目を開けられる。
「――ねえ、俺がそっちに行こうか」
「え――?」
 すぐにその意味を掴むことができなかった。ただただわかったのは、彼の声のトーンが下がったことだけ。
「俺も同じ存在になればさ、いつまでも一緒にいられるでしょ?」
「な、にを……」
 それは、初めて見た笑顔。暗い、昏い光を宿した瞳。そして、口元で笑ってみせたのだ。
「――なんてね、冗談だよ」
 一転していつもの調子でそう言ってみせた彼に、私は戦慄した。
「じょう、だん……?」
 本当に? ――その言葉は、怖くて音にならなかった。だって彼は今、私の目を見なかったのだもの。
 しかし、彼は何事もなかったかのように、いつもの表情で今度はまっすぐ私の目を見た。
「ねえ、さくらさん。俺だって、永遠なんてないことくらいわかるよ。わかってる、つもりだよ。今日、改めて思い知らされたよ。それでも俺はさ、この貴重な時間を後悔したくない。出会わなければ良かったなんて、言いたくない。好きにならなければ良かったなんて、思いたくない。だって、この想いはやっぱり嘘じゃないんだ。だったら、できるだけそばにいたい。いろんなことを、一緒にやりたい。いつか、俺たち二人に離れる時が来てしまったとしても、その時に辛くて悲しくて苦しくても、それでもやっぱり楽しかったって、良かったって思えるような日々を過ごしたい。逃げたくないんだ、本気だから」
 本気だから、だから苦しいんだ。泣いちゃうし、笑いあえる。嘘じゃない。どちらの、どの想いも。嘘なんてない。偽っているだけ。
 それでもうまく誤魔化せないのは、私たちがまだ子どもだから――?
「君が本気なのは、知っている」
「うん」
「本当に、いいの?」
「いいよ」
「私で、いいの?」
「さくらさんが、いいんだよ」
 ふわりと笑っていたはずの彼の顔が、緊張に染まる。春の、あの日が蘇った。どくんと、胸の中が心臓でいっぱいになって、苦しい。
「ねえ、さくらさん。俺の、初めての彼女になってください。そして、貴方の最後の彼氏にさせてください」
 夜空の下。向けられる視線は、熱帯夜よりも熱かった。
「私だって、初めてだよ」
「じゃあ、最初で最後のだ」
「……君は、最後にしなくていいからね」
「またそういうことを言う……」
「大事だもの。これが聞けないなら、ダメ」
「頑固だなあ」
「知っているでしょ」
「うん、知ってる」
「じゃあ……」
 重ね合った両手が震える。こんな想いを、ずっとさせていたの? ごめんね。もう、逃げないから――
「レオくん……私の、初めての彼氏になってください」
「――っ、喜んで!」
 花が咲いたような笑みを向けられて、つられて私も笑顔になる。ふと過った灰色の気持ちには気付かないフリをして、そのまま蓋をした。そして、大きな桃色の浮かれた気持ちだけを、そっと大事に抱き締める。
 今だけでいい。今だけは、この気持ちに浸らせて。いつか味わえなくなるのであろうこの気持ちで、いっぱいにさせて。

 ――誰がなんと言おうと、私たちはこれを幸せと呼ぶから。

「さくらさん……」
「レオ、くん……」
 どちらともなく見つめ合って、触れあうことのできない、キスを、した。それでもドキドキして、そして笑いあった。
「これからは、もっと話をしよう」
「うん」
「さくらさんが知りたいこと、全部聞いて」
「じゃあ、血液型は? 星座は?」
「……女子って、そういうの知りたがるよね」
「何? ダメなの?」
「ダメじゃないよ。俺はね、B型の獅子座」
「獅子……もしかして、名前って……」
「うん。獅子からきてる。カッコいいでしょ」
「はいはい。格好いい、格好いい」
「あれ? また棒読みー?」
「ソンナコトナイヨー」
「さくらさーん?」
 どうやら、私たちは関係の名前が変わっても、いつも通りのようです。
「そうだ。俺、短冊の願い事、叶ったよ」
「短冊?」
 そういえば、以前そんな話をしていたっけ。
「願い事、何て書いたの?」
「知りたい? それはね、『さくらさんと恋人になる』だよ」
「……それ、家族の人も見たんじゃ……」
「そうかもね」
「もう! そうかもね、じゃないー!」
 そして、私が彼に翻弄されるといういつも通りの日常が、これからも続くようです。
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