日本、老人のせいで若者が疲弊する国

ウーロン・パンチ

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第3話 押し倒される

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「初めまして。神崎ゆいです。高校生一年生で今日から三ヶ月間お世話になります。」

7月1日、介護体験実習が始まった。私の実習先は駅からバスで30分のところにあった。二階建てで、入り口には『介護実習オールAの優秀な人材が集まっています』とかかれたポスターが貼ってある。

 介護体験実習は高校生だけだが、ここでの評価が就職に響く。この会社のように社員が介護実習で高成績を修めたことをアピールするようになったのだ。これにともない他のサービス業たちも就活で履歴書と実習での成績表を提出することを求めてきた。企業としてもお客様である高齢者に対して学生がどのように対応したのかが気になるのだろう。

「この事業所には全員で6人のヘルパーがいます。神崎さんの担当はこちらの大塚さんね」

 よろしくと頭を下げた大塚さんは身長が150cm程で年齢は60歳くらいだろうか。茶髪でショートボブ。校則ではたしか「茶髪はお年寄りが怖がるので禁止」ではなかっただろうか。こんなことなら、お気に入りの茶髪を黒に戻すんじゃなかった。美容室代を返せ。

「今日は御手洗しずさんの家に行ってもらいます」

 大塚さんは、本棚から御手洗しずと書かれた分厚いファイルを取り出した。

「御手洗さんを病院に連れていき、診察を受けたら、薬局で薬をもらって自宅まで送ります。」

 事務的な口調で淡々と話し終えると、大塚さんはスタスタと入り口へ向かった。あわてて、荷物をロッカーにしまい大塚さんの後に続いた。



 大塚さんの運転する介護用の車に乗って、さまようこと15分、とくに会話はなく、車内には気まずい空気が漂っていた。仕方なく、私は御手洗さんのファイルを眺めて、重要そうな単語をメモった。

「御手洗しず、94歳、独居、認知症…」

 書いてる途中で車が止まり、大塚さんは着いたよといって車から降りた。私も慌ててドアを開け、御手洗さんの家に目をやった。赤い屋根の一軒家、庭に植えられている植物は何日も水をもらっていないのか干からびている。玄関に着くなり、大塚さんがマスクを着けて、靴にビニール製のシューズカバーを被せ始めた。

「あ、あんたの分のマスクとシューズカバーを忘れた…まあいっか」

(なんか嫌な予感がする)

 大塚さんがピンポーンと呼び鈴を押したが返事はない。

「御手洗さん、居ますかー」と大塚さんが扉を開けた瞬間、異臭が吹き出した。

(くさい!! なにこのニオイ!?)

 今までに嗅いだことのない強烈なニオイがした。例えるなら空気に茶色と黄色を混ぜたような…

まさか、ウンコとオシッコ?

 慣れているのか大塚さんは無表情で家に入っていった。私が玄関の前で固まっていると早く入ってきなさいと怒鳴られた。

 恐る恐る家に入ると部屋の中は薄暗く、カップラーメンのゴミや黒く変色したバナナの皮があった。食べた後、そのまま投げ捨てたかのようだった。床には茶色や黄色のシミがたくさんあった。

 でも、これはニオイの原因のほんの一部に過ぎない気がする。部屋の中に人糞があってクサイのとはわけが違う。なんというか、部屋全体の空気が汚物なのだ。まるで便器の中にいるようだ。ゴキブリさえも逃げ出すだろう。ここはもう人が住む家とは言えない。


 私はなるべく呼吸をしないように部屋の奥へと進んでいった。

「御手洗さん、今日は高校生の神崎さんがお手伝いに来てくれました」

 大塚さんが椅子に座っている白髪の老婆に話しかけた。

「は、初めまして。介護体験実習で参りました神崎ゆいと申します」私は慌てて自己紹介をする。

 だが、御手洗さんはピクリとも反応をせずに、じっと壁を見つめている。私が困惑した顔を浮かべていると

「ほら、立たせて。車イスに乗せて」と大塚さんが急かしてきた。

「あ、あのやり方がわからなくて…」

「はぁ? 学校で実習の直前講習があったんでしょ?さっさとやりなさいよ!!」

 嘘は通じなかった。本当は高校で基本的な介助方法を習ってた。ただ御手洗さんに指一本触れたくないのだ。部屋がこれだけ汚いのだ。御手洗さん自身が汚くない保証はない。

(やりたくない)

 だが、校則には『講師の言うことは必ず聞くこと』と明記されている。校則違反をすれば就職に響く。私たちは未来を人質に取られているのだ。


 洋服に汚れがないか確認しつつ、私は御手洗さんの前に立った。

(よし、汚れはなさそうだ。)

 車イスを持ってきて、御手洗さんの前に立ったそのときだった。今まで無表情だった御手洗さんが急に目を見開いた。

「あんた誰よ!なんで人の家にあがってるの。出てってちょうだい!」

 90歳を越えてるとは思えないほどの剣幕で、怒鳴り散らした。

「は!私の財布がない!どこ?どこ?ないないないない。さてはあんたが盗んだのね!返しなさい!」

 急に御手洗さんが私の両肩に掴みかかってきた。あまりの変貌ぶりに戸惑う私にかまわず、御手洗さんは前屈みになった。体重をかけてきたが、足がよろけて、私が押し倒される形となった。


バタンッ   倒れた私は首を強打した。

「痛っ」

(大塚さん、助けて)

「あんた、なにしてんの!? 御手洗さん、大丈夫ですか?」

 私より先に大塚さんは御手洗さんの心配をした。

「この小娘が私の財布を盗んだのよー」

 御手洗さんは私の二の腕を強く握りしめている。大塚さんがどうにか引き剥がし車イスに座らせた。


はあ、はあ、はあ、はあ…


御手洗さん、いや、ババアの呼吸がだいぶ乱れている。額に右手をやり、上を向いて肩での呼吸を繰り返していた。


はあ…、はあ…、はあ…


 ババアの呼吸が整ってきた。私といえば床にへたりこんで、震えていた。大塚さんはババアの頭を撫でつつ、私を睨みつけた。

「ほらあんた、御手洗さんに謝りなさい!」

(ふざけんな!そのババアが突っかかって来たんだろうが!)

 言ってやりたいことは山ほどあるが、言葉がでない。体が震えて言うことを聞かないのだ。寒くもないのに歯がガチガチと音を立てている。

 大塚さんが部屋に響き渡る声で謝りなさいと叫ぶなか、私の脳裏に校則の一文が浮かんできた。

『介護実習中は何があっても利用者に暴行を加えてはならない』
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