蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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一. アッシュの章

7. ピコピコフードの旅人

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 つい先程まで、とっておきのクッキーを食べながら4杯目のコーヒーを行儀悪くズルズルと啜っていたむっさいオッサン連中は、村長の息子さんが走ってやってきて何か耳元でボソボソと言った途端、何事も無かったかのように帰っていった。

 指示が届いたのだろう。

 親父はパアと明るい顔になって「客人がやってくるぞ!」と息巻いた。

 フードの野郎の事ではなく、ここでいう『客人』とは、村が最大級にもてなす男女二人のカップルである。

 今、渓谷を渡っているらしい。
 物見がさっき馬を走らせていたから、すぐに正確な情報か分かるだろう。 

 あれだけ警戒していたフード野郎は、適当に話を合わせておいて今日中にお暇してもらうように、何と俺と親父に託されてしまった。

 まあ、俺らだけでは荷が重いので、さっきのおっさん達が旅人に圧をかけつつ、そいつがこれ以上村をうろつかないように通せんぼ作戦を決行中だ。

 流石に何も食わせないのは可哀相なので、俺んとこである程度食わせて食糧持たせて、さっさと出て行ってもらうのが無難なとこだろう。


 親父は三か月ぶりの客人に心躍っている。

 間に合った、とか言っているが、一体何の話だろう。


 そうこうしているうちに、ついにフードの旅人がやってきた。



 カランコロンと乾いた音を鳴らすドアから覗く、ピコピコ動く変な飾りが出っ張った妙に長い頭。


 その後ろで、フードの野郎を威嚇するように追い詰めてるオッサン達。

「ぶ!!」

 ついに吹き出してしまった。
 フードと目が合った、ような気がした。

 そして忘れもしない一言が、その人物から発せられた。


「そんなに変かな、これ」


 これが、俺が彼と初めて出会った瞬間である。

 この時の俺は、まさかこの出会いによって人生がまるっと変わっちまうだなんて知る由も無かった。


 劇的に変化が訪れるまで、後、数時間――――。



 ■■■



「いらっしゃい、待ってたぜ」

 思わず吹き出した俺に一発ゲンコツを食らわせた親父が、窓にビタリと張り付くおっさん達に目配せしながら言った。

 その顔は、完全に上位に立つ悪いもので、底意地悪いなと我が父ながら呆れてしまう。

 しかしその旅人は、店の外でガルガル威圧しているおっさん達にも、そして眼下で思いっきりガン付けている親父にも全く目をくれず、スタスタとカウンターまで一直線に歩く。

 椅子の前で足を止め、足元まで覆い隠す長いローブをもっそりとめくりあげてそう言ったのだ。

 俺に向かって。

「そんなに変かな、これ」


 なんて野郎だ、こいつは。

 同時に心の奥がゾワっとする感覚。
 寒気でも恐怖でもない、もっと高揚した胸の高鳴りとも云うべきか。

 そわそわする、こいつすげえ面白いかも知れない。

 未知なる料理を創ったり、レシピを考えたりする時に感じる背筋を張るような心地よい緊張感が、俺の心を通り過ぎていく。


 フードの旅人は、めくりあげたローブをそのままに、ちょっぴり首を傾げている。

 その何とも云えない可愛らしさっつうか、こいつが男か女か分かんねえし、そもそも得体の知れない危険なヤツかもしれないっていうのに、胸が、俺の胸がきゅううんとしてしまったのは何故なのか。

 ぐっと胸を押さえて途端に苦しみだした俺の様子をジト目で見ていた親父が、ようやく助け舟を出してくれた。

 こいつにガチ無視されてたくせに、親父の肝も大概据わっている。

「おうおう、俺の息子に色目使ってんじゃねえよ、旅人さん。まずはいらっしゃいませだ」

 そこでようやく親父の存在に気付いたかのように、旅人はああ、と振り返った。
 あくまで足元をめくり上げたまま、クルンと半回転。そいつにつられて、頭のピコピコしている飾りも揺れる。

 無垢な少女のようなその仕草。
 親父も一瞬言葉を失くした。

 なんなんだ、こいつ!!

「ああ。さっきからこの恰好、村の人たちに笑われてるような気がして。お宅の、息子?」

 頭だけ振り返って俺を見据えた。

「いや彼が面と向かって吹いたかから、ホントに変なのかなと思って」

 変?とまた首を傾げる。

 アルパカを意識したんだけどな…ボソボソと奇妙な事を言っている。


 ああ、もう変に取り繕うのがバカらしくなった。

 自分が怪しまれているだなんて微塵にも思ってなさそうだ。

 村人がこいつをジロジロ見ていたのは、単純によそ者だからであり、根掘り葉掘り聞きまくる行動であって、その訳の分からんモチーフのローブじゃねえよ!!胡散臭いのはオマエだ、オマエ~!!!

 と、喉まで出掛るが。

 親父もそいつもいつのまにか無言で俺をじいと見つめていた。


 あ、声に出てたみたい。


「アッシュ、てめえ~~」
「へ?いや、声出てた?あれ、本音筒抜け?」

 そうして俺は、今日何度か食らったゲンコツの一番痛いヤツをついに親父から戴いてしまったのである。



 ■■■



 怪我の功名か、俺だけが痛いのは腑に落ちないが、親父の緊張もゲンコツと共に落ちてしまったようだ。

 眉間の力が抜け、いつもの陽気なおっさんに戻った親父は、後はお前に任せると何故か外に出て行ってしまった。
 窓にへばり付いた他のおっさん達を引っぺがし、ぞろぞろと率いて何処かへ行ってしまう。

 この旅人に脅威を感じなかったのかもしれない。

 恐らく、明日以降訪れる客人を出迎える準備に入ったのだろうと思う。

 上からの指示は、今この店にいる旅人に飯を食わせ、渓谷を越えるだけの食糧を与え、速やかに帰ってもらう事。それより大事な客人を出迎える周到な準備には人手が少なからず要る。

 要はこいつにこれ以上の人員と時間は割けない寸法なのだ。そこで俺に白羽の矢が立ったのだろう。

 くっそ面倒臭いぜ、全く。


「……で、そんな訳なんすけど、旦那――えっと旦那でいいんだっけ?」

 フードの旅人にカウンターを勧め、決して広くない食堂に二人きり、面を突き合わせて言った。

 そいつは黙ったまま素直に椅子に座り、俺の差し出した水を飲んでいる。 

『旦那』に対して否定が無いので、こいつは男であると分かる。

 肯定もされてないんだけど、まあ、いいか。

「旦那、何か食いますか?」

 まずは、上の指示通り食事を与える任務からだ。

「ここは辺境の片田舎だけどね、俺、腕には少し自信があるんですよ。残念ながら材料は限られちまうけど、ある程度のモンならできるよ」

 フードの旦那がグラスから顔を上げた。
 しかしローブは顔の殆どを覆っていて、表情までは窺い知れない。

 水はローブの隙間から器用に飲んでいたみたいだ。チビチビとだけど。

「…………」

 男は黙ってまた水を飲みだした。

 俺の言葉を無視しているのではないようで、便宜上置いてあるだけの日に焼けたメニュー表を見て悩んでいるご様子。

 実を言うと、メニューに書いてある料理名はどれも適当で、料理屋ならば形だけでもと親父に頼まれて数年前に遊びで作った代物である。
 悩むだけ無駄だし、悪い気がしたのでこちらから提案することにした。

「あー旦那?簡単なものだけど、おすすめの軽食だったらすぐに作れるっすよ、それとコーヒーで手を打ちませんか?」

 男がメニューから視線を外した。

「この食堂で食ってくれたら、アンタさんが欲しがってた情報をくれてやりますよって」

 どうせ、3か月前に訪れた客人の事なんだろうし、おそらくほかの村人が喋った内容と大差ないだろうが、さっさと帰ってもらうには彼が一番欲しがるものを与えるのが良い対処法だろう。

「構わない」

 彼は端的に一言だけそう俺に告げると、また視線をメニュー表に戻し、チビチビと水を飲みだしたのだった。


 さて、そうと決まればさっそく調理である。


 今の時刻は真昼をちょっと過ぎた頃、いつもならば俺が小川に足を突っ込んで涼しみだす時間帯だ。
 軽い朝食で腹が減ったので、俺もついでに食ってしまおう。


 鍋に水を張り、乾燥させたパスタを茹でる。
 この際、塩を入れるか入れないかで論争する人もいるが、俺は入れない派である。

 朝食に使ったベーコンを切り、村で採れた小松菜も一緒に鍋の中に投入。
 邪道なやり方だが、時間短縮になるのだし、味は変わらないんだから気にしない。

 パスタを茹でている間に、もう一品。

 コッペパンの真ん中を切って、中に鳥ガラスープを煮詰めて乾燥させ、粉状にしたコンソメで味付けしたキャベツの千切りを入れる。

 キャベツの上に豪快にも太いウインナーソーセージをどかんと置いて、お手製マヨネーズと様々な果実を材料にした濃いソースを掛ける。

 オーブンで表面がカリっとするまでちょいと焼く。
 仕上げにパセリをパラパラ振り掛け、出来上がり!

 丁度良く茹であがったパスタと具材の水気を切って、再度フライパンに投入。
 村で濾したオリーブオイルとにんにく、塩コショウ、とうがらしでちゃちゃっと炒めたら、ほいこっちも出来上がり!

「はいよ、お待たせしました、アッシュ特製ホットドックとペペロンチーノ、お熱いうちに召し上がれ~!!」

 男の前に二品並べ、その横に俺も座る。

「俺も昼飯食っていいすよね。食ってる間、話聞いてやっから」

 こうして俺と旅人の男、初対面だというのに二人仲良く並んで昼食になった。



 相変わらず、男はローブの隙間から器用にちまちまと口に運んでいて、常ならば今頃一口食った時点で、俺という料理人への賛美が聞けるはずなんだが、この男はちっとも面白くない。

 料理を褒めるどころか、何の言葉も発しない。

 いい加減、無言で食ってるのが気まずいというか、嫌になったのでこちらから話を振る事にした。

「旦那、あんた、人を探してるんですってね」
「ああ、そうだよ」

 男がソーセージに苦戦している。
 長い一本モノだからな。ナイフを渡してやると、ありがとうと一言。

「でも、たぶん君からも得られる答えは決まってるだろうから、別にいい」
「は?」
「それに、ある程度分かったから、もういいよ」
「は、なんだそれ。あのカップルが最後に訪れたのがこの店だぞ?彼らが何を話したか知りたかったんじゃないのかよ」

 ある程度分かったとは、どういう意味なのだろう。

 ついつい客人に対する敬語を忘れて、男に噛み付いてしまう。

「彼らの事はもういいんだ。いや、君の好意を無下にするつもりはない。それよりも気になる事が出来ただけだよ」
「気になること?」

 うん、と男はナイフを置く。

 パスタは全部食べてくれたみたいだ。味の感想が無いのが実に寂しいんですけど。

 そんな俺の気持ちなんぞ露知らず、男は続ける。

「君たちのお望み通り、もうお暇するよ。こんな胡散臭いヤツに言われたくないだろうけど、世話になった」
「ったく、あんたさっきの、めちゃくちゃ気にしてんじゃねえか」

 思わず笑ってしまった。

 年齢は幾つぐらいなんだろうか。
 落ち着いているのに、どこか無邪気。

 男の雰囲気は年齢をもローブに隠してしまう。
 俺とそんなに違わないようにも見えるし、もっと年寄りにも見える。

 そもそも本当に男なのか?ちょっと声が低い女性にも思えてくる、不思議な印象。

 そして彼の纏うその雰囲気は、どこかむず痒く懐かしい。
 穏やかな空気の流れを彼から感じるのは気のせいなのだろうか。


「悪いな。客人が来るんだ。正直、旦那に構う時間もねえくらいに」

 だから、明け透けもなく彼には喋ってしまう。

「あの二人が村の客人、とはね……」

 口元に右手を持っていく。親指で顎を掴んで、右手は口元へ。

 彼が渓谷で見かけた、二人組の男女の旅人を思い返しているようだ。

「まあ、これ以上聞きたい事がないのなら、本当に早く出ていった方がいいっすよ、マジで。親父ら、今は旦那を捨て置いてるけど、調子乗っていつまでもいると実力行使されちまうぞ?」
「それは、怖いな」

 フフと、初めて彼が笑った。


 再び、ドキンと鳴る心臓。
 顔は見えないけど、ローブの下ではにかんでいると想像したら顔が赤くなってしまった。


 はあ、なんだこれなんだこれ。

 確かに俺は片田舎の世間知らずな野郎で、村人以外の人間とそんなに話す機会もなければ耐性も持ち合わせていないけれど、初対面も、それも男に!なんでこんなふわふわした変な気持ちになるんだよっ。

 赤い顔を見られるのが恥ずかしくて、俺は席を立つ。

 空いた皿を回収し厨房へ戻る。

 ガシャガシャと敢えて音を出して乱暴に皿を洗う俺の姿を見て、彼がまた笑った気がした。



 ■■■



 それからフードの男は、言葉通りの行動を取った。

 俺に何も質問せず、ごちそう様と両手を静かに合わせただけで立ち上がった。

 もう村を出るのか聞いたら、こくりと頷くので、慌てて携帯食を用意しようと戸棚をがさごそしてたら断られてしまった。
 食糧は持っているのだと言う。

 そこで俺は改めて、この男があの険しい渓谷を渡って旅をしていたはずなのに、手ぶらであることに気付く。

 男はローブの中にいろいろ入っていると答えたが、一瞬足元をめくり上げた時に見えたその中身は、薄い革の靴と動きやすそうな軽装だけだったのを知っている。

「旦那、聞かせてください。アンタは何者なんです?」

 店を出る前、扉に手を掛ける男にそう聞いた。

「俺は、友人の大切な人達を探しにきたただの旅人だよ」


 そして男は出て行った。

 静かに音を立てず、来た時と同じように、ふわりと立ち去った。


 ピコピコと動く変わった形状のローブ頭がいなくなった後、彼の座っていた椅子を触る。

「なんか、変だ、俺」

 椅子は冷たい。

 彼の体温を残していない。

 隣の俺が座っていた椅子は、未だ生暖かいというのに。


 不思議な気持ちを抱いたまま、皿を片付け、拭き、カウンターに寄りかかる。

 男の事が気にかかるが、俺もやるべき事がある。今から客人に馳走するレシピを考えねばならぬし、材料も雑貨屋に発注するものもあるだろう。


 彼の残り香を探してぼうっと呆けている訳にはいかないのだ。

 だが……。


 カランコロンカランコロン


 扉が開き、錆びついて乾いた音しか出せない鐘が鳴る。

「お、アッシュ、うまくやったみたいだな!!」

 親父が帰ってきた。

 どうせ親父の事だろう、あの旅人が村の外に出るのを遠くで見張っていたのかもしれない。

「音…」
「おとぉ?」

 俺が書き出していた馳走用のレシピを手に取り、反復する。俺の言葉は半ば聞き流している。

「あの人が出て行った時、その鐘の音…」


 鳴ってなかった。


 まるで幽霊を相手していたかのような錯覚を抱く。

 彼の姿は現実に存在したし、村人のほぼ全員が彼を見たし彼の声も聴いた。
 俺の作った料理も全部食って、村を出て行く様もしっかり親父連中が確認した。

 だが、体温も音も残り香すら残っていない。

 碌な会話すらしていないのに、また逢いたいと思ってしまう。

 料理以外に興味を持つものが、初めてできた。



 劇的な変化を身を以て体験させられるのはこれより数時間後の事であったが、既に心は彼に奪われていたのかもしれない。

 彼から漂う、あの何とも言えない懐かしい空気をまた吸いたいと叶わぬ願いを抱いたまま――。 
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