蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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一. アッシュの章

11. 茨の道

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 バカなのは俺だ。

 結局、自問自答しても全然解決しないし、目がギンギンに冴えている中、何にもしないで布団をぐるぐる回っているだけの苦行を朝まで続ける自信は無かった。

 念のためと、村長の馬を一頭拝借して、裏庭の影に隠して置いて正解だった。

 どうせ馬を管理しているのは村の若い衆なのだ。
 俺以外の若者、つまり呑み会に参加していない村の重鎮達以外は、既に夢の中である。

 ちなみに夜間の外出は見目が利かないからという理由で、禁止されている。
 俺はこの禁止事項を破ってまで、あの男の言葉の方に気持ちがぐらついたのだ。


 松明に火を灯して手に持つ。

 馬の腹にもカンテラをぶら下げる。足元ぐらいはかろうじて見えるだろう。

 何があるか分からないから、店のナイフを腰に装備する。

 気合を込めて髪を結い直し、良し!と闇の中へ飛び出したのが一時間ほど前。


 深い闇の中、ゆっくりと馬を走らせる。
 怖がらせないように、首を撫でながら畑の畦道を進む。

 すると、闇の中に幾つかの光の塊がゆらゆらと遠目から見て取れた。

 畑の中央付近、あの、御神木を奉っている神聖な場所。

 まさかあんな場所で親父らは慰労会をやってるんじゃないだろうな。

 チラチラと風に揺れる光は松明だろうか。とっさに自分の持つ松明と、カンテラの炎を消した。 禁忌を犯しているのだ。あの光が親父たちだとすると、バレるのは非常にヤバい。

 馬の歩みを緩め、俺は光に近づいていく。

「なんだ、あれ…」

 松明であろう幾つかの赤い炎の光の真ん中、ボウと白い何かが見える。

 それ自体がぼんやりと発光しているようだ。その何かは、ぐねぐねと気持ちの悪い動きをしている。

 段々とそれに近づいてきた。

 俺は馬を降り、手近にあったトウモロコシの茎に馬の手綱を付ける。
 この時期のトウモロコシはしっかりしているのだ。木の代わりぐらいにはなるかもしれない。

 そして俺は腰のナイフの柄に手を掛け、恐る恐る歩みを進める。

 ハッキリ言って、怖かった。

 そのぐねぐねしている何かは、ところどころ透けていて、白い霧の塊のようにも見える。

 おとぎ話で聞いた、良い子にしないとお化けに連れていかれちゃうぞと、ベッドで泣かせてきた母の面影を思い出す。
 幼き頃に読んだ絵本に描かれたオバケそっくりじゃないか!!

「オバケなんてただの御伽噺だ!」

 言い聞かせるように力強く呟いて、それでもガクガクしそうな足を叱咤しつつ歩く。

 その時、フッとその白の塊が消え失せた。
 靄をまき散らし、しかし本体は急に消える。

「へ?」

 驚いたのも束の間。


 グモモモモモモモォォオ!!!!!


 耳を貫く、唐突な慟哭が辺り一面に響いた。

 くぐもった悲鳴のような、心臓を鷲掴みされるような、底から響く劈く声。

 身を屈め、畑の草に身を隠す。
 ナイフを持つ手が、ガタガタと震えて止まらない。

 これなのか、あの男が言った事は!!

 意識して呼吸を整える。
 うまくいかない。

 だが、あの霧の塊に見つかったら命が無いと本能的に思う。
 口元を押さえ、上がる息を殺す。
 肩で大きく深呼吸をしている最中、あの白い塊が俺の直ぐ傍を通り過ぎたような気がした。

「!!」

 姿は見えない。靄が、ヤツの通った痕に残っている。
 耳元を通り過ぎる、トウモロコシを無理矢理掻き分けて草が撓る。
 葉が折れる。トウモロコシの実が割れる。

 視線を動かして確認する。

 あの白い塊は、俺に気付いていない。
 というか、眼中にないのかもしれない。誰かを追っている。

 塊の直ぐ前に、人がいる。


 幾つかの松明の炎は、相変わらずその場を動いていない。
 円を描くように、あの御神木を囲むように松明の光。煙でよく見えないが、松明を持っているのは明らかに人間。

 何人だろうか、複数なのは間違いない。

 いつまでも此処にいるのは危険な気がする。
 だからといって、下手に動いてもいけない気もする。どうやら踏み込んではいけない所まで、ずかずかと入り込んでしまったようだ。

 ああ、くそったれ!こんな事なら大人しく家で待ってれば良かった。

 寝れなくて羊を数万匹も数えている方が遥かにマシだ。あのローブの男も、こんな得体の知れない恐ろしい化け物が、何者かを狂ったように追いかけてる姿を見れるよと教えてくれりゃ、絶対に来る事はなかったのに!!

 って、何者か、を?

 そういやこいつは何を追いかけている。

 誰を、そんなに追い詰めている。


 耳がキーンと鳴った。
 またあのくぐもった慟哭、次いでけたたましい高い悲鳴が畑に響いた。

 人間の悲鳴。

 毛虫に遭遇してきゃあなんて可愛い代物ではない。

 本当に切羽詰ると、人は悲鳴を出す際、言葉を発しない。出せないのだと知る。
 俺が聞いた悲鳴は、喉の中で声にならない叫びをひたすら上げている、犬笛のようなそんな音。

 女だ!!

 理解と同時に、女がついに霧に囚われてしまう。
 白い塊に全身を拘束され、必死にもがくもそれはビクともしない。

 松明の炎が、辛うじて女の顔を映し出す。

 ああ、思った通りだ。
 昼間、俺の料理を食って感激していたあの女性。チキンのトマトガーリックステーキに、恥ずかしげもなく齧り付いて、赤く汚れた口元を拭わずにヘラリと笑った顔は、やけに幼く見えた。

 その女性の顔が、今は苦痛に顔をしかめている。


 息が止まるかと思った。 


 ゴキリ


 聞いてはいけない音がした。

 在り得ない音。

 関節をコキコキ鳴らす音と似ているが、明らかにそれよりも鈍い音。

 音が鳴った瞬間、女性は目を見開き、口をあんぐりと開ける。
 腕が、ああ、見るんじゃなかった。腕が在り得ない方向に曲がっている。

 嫌な既視感を覚える。彼らの為に絞めた鶏と同じ恰好。

 白い塊は、ドサリと遠慮なく女性を落とした。

 くねくねとまた揺れだす。

 松明の炎が一つ、崩れ落ちた女性に近づいていく。
 微動だにしない女性の足を引き摺って、炎が元の位置に戻っていく。

 生きているのか死んでいるのか分からない女性を、炎の円の真ん中に無造作に置く。

 これが人の成す事なのかと真っ白になる。家畜を扱っているかような、ぞんざいな扱い。

 カチカチと歯がなる。

 完全に、ここに来たのは失敗だった。
 あの野郎、どうしてくれようか、ここから生きて帰れたら、あいつマジでぶっ殺してやると思った瞬間、肩を掴まれた。

「ひぃ…!」
「しいっ!!!!!」

 突然の衝撃に思わず悲鳴を上げかける。
 しかし悲鳴は俺の口元を押さえた大きなてのひらによって食い止められた。

 涙目で見ると、見覚えがある。
 あの女性の夫だ。
 元・冒険者らしく鍛えられた身体の青年。

「君は、あの食堂にいた子だね、僕を覚えているか?」

 口早に男が喋る。
 口元を押さえられたまま、俺はこくこくと頷く。

 もう涙は流れてしまった。情けなくも泣いている俺に構わず、男は前方を見据える。
 女性の連れていかれた、松明の炎の中央に。

「一体、何が起きているか君は分かるか?」

 知らないと首を振る。

「君はこれに、この惨状に加担していないんだね?」

 語尾強く、男は俺に問う。俺だって訳が分からない。

 泣きながら何度も何度もうなずく。
  
 男の顔は蒼白で、息を切らしている。
 元・冒険者で武器は持っているだろうに、彼は丸腰である。

「彼らは何故こんなことをする、あんなにも親切にしてくれたのに」
「…え?」
「くそ、あの化け物を回避しつつ妻を助けるのは難しいな。いったん退くか…しかしできるか?」

 俺の質問に答えてくれない。

 ボソボソと口元だけでそう喋る男を改めて見ると、彼も所々怪我をしているようだ。

 額には血が流れ、皮の鎧は破けている。彼の左目は殴られたのか青く腫れ上がり潰れている。

「彼らって誰だ?俺の知っているヤツか!!」

 俺の言葉に、男は一瞬目を伏せた。
 少しだけ思案して、俺を真正面に見据え、信じられない言葉を紡ぐ。

「知っているもなにも、君と一緒に食堂にいた、中年の男性――君の父親だよ」


 ああ、これが真意なのか。

 聞くんじゃなかった。

 本当に、本当に。

 巻き戻るのならば俺を無垢なままで居させて欲しい。

 こんな残酷な、人を人として扱わない、あの正体不明の化け物を嗾けて、この旅人達に何をしようとしているんだ、親父…。

 真実を知るってのは決して良い事ばかりじゃない、か。

 ああ、まさにその通りだよ。

「夕方、僕たち夫婦は荷馬車に乗って村を出た。だが、道の真ん中で轍が外れてしまったんだ。馬は逃げ、僕達は畑に取り残されてしまった。同じような景色で僕たちは迷子になってしまい、あてもなく畑を歩いたよ。夜になって真っ暗になって、足が痛いと泣く妻に肩を貸して、僕たちは歩いた。もう方向感覚なんか狂っていたから、それでも歩き続ければ畑を抜けれるかもしれないし、君たちの村に戻れるかもしれないと、そう信じて」

 その結果がこれだと男は血の混じった唾を吐く。

「松明を持っているのは、みな、君の村で見た人たちだよ。僕たちがあの得体の知れないものに攻撃され、追い詰められても、能面のような顔で見ているだけだ。ついには妻をあそこに引き摺って…!!」

 男が俺を見る。

「ところで君はどうやってここにきた?」
「え?馬に乗ってきた、けど」
「その馬はどこにいる!」
「あ、あの辺だよ。茎に繋いでる。たぶん、見つかってないと思うけど…」

 男はまたしばし思案する。打開策を必死に考えているのだろう。
 元・冒険者としての豊富な経験がそうさせているのだろうか。

 彼は良し!と言って俺に作戦を早口で説明する。

「僕は君の乗ってきた馬で畑を抜け、渓谷を降りる。一睡もしなければ僕の足ならば降りられる。麓の町に、助けを求めに行く。妻を置いていくのは心残りだが、見ての通り妻は動いていない。君はどうか、僕を逃がす手助けをしてほしい」
「え?」
「君はこれに加担していないんだろう?頼むよ、助けてくれ。たぶん妻は骨を複数折られている。早く治療しないと死んでしまうかもしれない!」

 ガクガクと俺を揺する。

「でも…」

 怖い。怖すぎる。

 あの松明を掲げているのが村人なのだとしたら、当然俺の知っている人達なワケで。
 万が一俺の存在が見つかった場合、それはそれで俺の立場が危ういのではないのか。

「頼む!僕が馬に向かって走ったと同時に、君が逆を走ってくれ。できれば声を出して、あの化け物を引き付けるんだ」
「はあ?それじゃ今度は俺があの変な化け物に追いかけられちまうじゃねえか!」

 あの女性のように、バキンと骨を折られるのは勘弁してほしい。それに先ほどから吐きそうなのだ。

 また、あのローブの男の言葉を思い出す。

 村に歓迎された客人の誰もが、二度と村を訪れる事が無い、その理由を。

 もしかして、ではなく。恐らくそう、なのだろう。

 こうやって、客人を襲っていたのならば。彼の疑問の回答になり得る。

「もう時間がないんだ。あの化け物は執拗に僕たちを追ってくる。君はこの村の人間だろう?化け物は村人達には攻撃していないのだから、たぶん君は大丈夫だと思うんだ」

 多分という言葉の意味は、100パーセントではありませんよと同異である。

 俺は慌てて首を振った。

 在り得ない、無理に決まっている。

 それに化け物に見逃されたとして、俺の知っている村人達はどうだ。
 そもそも俺は、夜間の外出禁止を破っているんだ。これだけでもめちゃくちゃ怒られる。そんなの恐ろしくて出来ない。

「今は議論している暇はないんだ、早くいかないとあいつに見つかっ…!!!」

 唐突に男の声が止まった。

 男の荒い息遣い。もう遅かった!!男がそう叫んだ。


 グモモモモモモモォォオ!!!!!


 あの叫び声と共に、男が宙に浮いた。

 いつの間にか真後ろに迫ったあの白い塊が、男の首根っこを掴んで放り投げる。

 いとも簡単に、男の体重などまるで無視である。

 男は虚空を描いて宙を舞い、思いきり地面に叩き付けられた。


「うわああああああ!!!!」


 ついに悲鳴を上げてしまった。

 あの塊が俺を見た気がした。

 俺はあわあわと立ち上がり、草を掻き分けその場を逃げ出す。

 その姿を見止めた、松明を持った村人達が、一斉にざわめきだす。

 親父の聞き慣れた「アッシュ?」という声がざわめきの中、聴こえる。

 くそったれ、見つかった。

 明らかに、俺だとバレている。
 なんで此処にいるんだと騒ぐ人達。
 女性を引き摺った時は、あんなにも無表情だったというのにこの変わり様である。

 一目散に逃げようと思ったが、俺が走った先は男が投げ出された方向。

 腰を抜かしながらも走って、ぐうと呻いている男を抱きかかえる。

 村長の、何をしている!という声。

「だいじょうぶか、あんた!」
「うう…」

 軽く5メートルは空を飛んだ。
 それが一気に地面に落ちたのだ。痛いなんてものじゃないだろう。
 それでも男は鍛えている。苦しみながらも胸を押さえ、俺に掴まりつつ身体を起こす。

 白い塊がまた近づいてくる。
 草を掻き分け、一定の速度でもって、この男を殺しに。

「逃げるぞ、早く!!」
「くそ、アバラが折れちまったかもしれない…かはっ」

 咳き込む唇から、血が滴り落ちる。

 俺は必死になって、男を持ち上げる。男は額に大粒の汗を拵えて、懸命に歩く。

 何故、男を助けてしまったのだろうか。

 男を支えながら思う。
 こんな仕打ちをしているのが、親しい身内の奴らだと知ってしまって、怒りが湧いた。

 あれだけ親切に接していたのに、彼らの来訪を心待ちにしていて、準備も滞りなく頑張ったのに、結局大人達が本当にやりたかったのは、この残酷な結末だったなんて、至極腹が立った。

 俺を、何も知らない村人達を、騙していたのかクソ親父め。

 悔しくて、惨めで、泣きたくなった。

 だから助けようと思った。

 あの大人の連中に、一泡吹かせてやりたいと思った行動の末だったのだ。
 俺一人の力ではどうにもならないのかもしれないけれど、こんなの、許されるはずがない。

 命の取捨選択を、俺達が操っていいはずがない!!


「全くその通りだよ」


 刹那、天から御言葉がおりてきた。


 汗だくの俺達の目の前に、見覚えのある白いローブ。

 右手を前に掲げ、何でもないように、文字通り空から降り立つ。

 ふわりとローブを靡かせ、彼は、笑った。

 手のひらを、あの恐るべき白い化け物に向けて。


「実験は成功した。さあ、今こそ服を着る時間だよ、アッシュ」



 右手から光の束がスパークした。



 あれだけ俺達を脅かしていた恐怖の対象は、あの白い霧の塊のような化け物は、一瞬にして光に呑みこまれ、収縮して消えた。

 呆気なく、ポンと間抜けな音を出して。




 そして畑に、静寂が訪れた。
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