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二. ニーナの章
14. 帰還
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目が覚めると同時に、顔面を容赦なく射す西日の鋭さに襲われた。
カーテンが開けっ放しである。
ベッドに横になったまま空を見上げたら、立派な黄色の夕焼けが出来上がっていた。
ムクリと起き上がって目を擦る。
眠気は若干残るが、頭はすっきりしている。ただ起き上がった時に感じた違和感は、ベッドから降り立った瞬間に全てを理解した。
身体が動かないのだ。
どこもかしこも、動かすとかなりつらい。腕も棒のように固く、足など重力の塊のようで足を踏み出すだけで精一杯。腰などは立っているのが奇跡なくらい痛い。
「痛あああああああ!!!!」
首は寝違えたように一点しか動かない。
つらい、つらすぎる。
まるで生まれたての小鹿のようにひくひくと足がつる。
ああ、これは筋肉痛。それも最大級にやばいやつ。
私の悲鳴を聞きつけて、何事かと団員が複数部屋の中に転がり込んできた。
私は泣きそうになりながらも精一杯笑って何でもないと答えたのだが、そのへっぴり腰を見て団員達も理解する。
「良かったですね、ニーナさん。当日に筋肉痛が来るって事は、まだ若いって証拠ですよ」
「あ、はは…」
全然、嬉しくなんかなかった。
ここは超新星カモメ団のアジト、旧貴族邸の二階にある女性団員専用の仮眠室だ。
家にいちいち帰るのも億劫だった私は、おざなり程度にシャワーを浴び、髪も碌に乾かさず濡れ鼠となったまま、寝室のベッドに転がった。
我が家とは違い、ベッドも布団も薄っぺらかったが、そんなのは一切気にならなかった。
横になった瞬間、私は夢も微睡も見ずにすぐに落ちた。深い眠りを堪能するだけ貪って、気づいた時はすでに夕方になっていたという訳である。
違う意味で重い身体を引きずってシャワー室で熱いお湯を被り、衛生担当の団員の助けを借りつつ、鎮痛剤の役目を果たす薬草を特に痛い数か所に湿布してから、ようやく階段を降りた。
時々ロルフ団長たちの声は階下から聞こえていたのだ。私達と交代したアドリアンも戻ってきており、第2陣として今度はコルトが向かったようだ。
「痛、っつ…あう…」
階段を一歩一歩ゆっくりと降りる。
どこの老人かと思ったと、階段で私を追い抜きざまにエーベルが嫌味を言ってきた。
彼も墓堀の第1陣に入っていた。束の間の休憩を取って、シャワーを浴びたのだろう。やけにサッパリとした顔の下は、彼にしては珍しくシンプルな服装だ。
それでも、ノースリーブのフリルの赤シャツに、踝までの薔薇を模ったレギンス。腰に短いスカートを履いている。
仮にもエーベルは男だ。彼にしては地味だが、私から見れば立派に派手だ。
いや、もっと素っ頓狂な恰好を見てしまっていたからなのか。派手なエーベルが霞んで見える。
そういえば、その素っ頓狂なピンクの牛と赤毛の男も、あのままアジトで休んだはずだ。
このアジトに貴賓室は無い。
個室を持たないギャバンやアイン達と同じ仮眠室に、確か押し込められたはず。
「ニーナ!!!おはようさん!!」
よっと手を掲げて、ニカリと歯を見せるロルフ団長は、とってもとっても元気だ。
「おおお!!辛そうだなあ、日頃の運動不足が祟ったかあ?」
「…団長が規格外なだけです」
「…大丈夫。俺もバキバキだから…」
団長の後ろから、ギャバンの声だけがする。
「ギャバンもおじさんだからねー。ボクはああはなりたくないなあ」
エーベルが面白がって団長の後ろでヘタっているギャバンを揶揄う。エーベルも私達と同じ作業をしたはずなのに、これが10代の若さかとあからさまな年齢の差を見せつけられてガックリと肩を落とした。
団長とギャバン、そしてアドリアンと数名の団員達は、貴族たちがさぞ豪華な晩餐会で利用したのであろう大きな広間で優雅にのんびりとお茶を飲んでいた。
墓堀りの疲れを露ほどにも残していない団長は、見慣れない茶菓子を頬張ってはズズズと茶を啜り、昨夜のグレフ達との立ち回りを大げさな動作を交えて楽しそうに語っている。
このお菓子はどうしたのかと私も空いている席に座って聞いてみたら、なんとあの赤毛の男が作ったのだという。
私の分も残してくれていて、昼食も取らずに睡眠を貪っていた私は空腹を感じていたので、遠慮なくそれを頂戴した。
「あ、おいし…」
クッキーの生地に牛乳と砂糖を煮込んだ甘い汁を混ぜ、それを丸めて油で揚げたものだと言う。
団の貯蔵庫にあった材料でてきぱきと一部始終を見ていたエーベルが、作成の手際の良さを教えてくれる。
仕上げに上から粉砂糖を振りかければ出来上がりだ。
外はカリカリ。中はホクホクでほのかに甘く、さらにボリュームもあってなかなか、いやかなり美味しかった。
料理が得意だったとは知らなかった。
あの赤い毛先をピコピコと動かし、くるくると良く表情を変えて他意の無いお調子者の姿を思い浮かべる。
いや、料理が得意云々ではない。彼らについては何一つ分からない事だらけであるのも思い出した。
「そういえば、あの二人はまだいるの?」
この菓子の難点は、粉砂糖がテーブル一面を汚す事だろう。それ以外は満点だ。
するとアドリアンがいやいやと、首を振る。
「アッシュなら、キッチンだぜ」
「え?」
出会ってそう経っていないのに、既に彼の名前で呼んでいる。
「あの変なのは、服が汚れたとかで町に買い出しに行った」
変なの…とは、あのピンクの牛のローブを着た男の事だろう。初めて見た時の驚きを思い出して笑ってしまう。
「一泊の礼とかで、俺達に飯を作ってくれてるんだぜ、あの野郎、いいやつだな!」
「うぬ!!素晴らしい限りである!!」
アドリアンとロルフ団長が交互に頷く様子をのんびりと眺めながら、私はもう一つ、お菓子に手を伸ばした。
聞けば、夕方まで寝ていたのは私だけだったらしい。
起こしてくれてもいいのにと思ったが、団長なりの優しさだったのだろう。
体力のある男性でも持て余してしまうほどの重労働だったのだ。女性で、尚且つ近接職でない私は相当疲れたはずだと、気を使って眠らせてくれたのだ。
ロルフ団長は3時間ほど眠って完全復活したらしい。どこにそんな体力があるのだと不思議でたまらない。
鍛え方が違うのだと、力こぶでアピールしてくれた。
ギャバンの方は、私よりも一時間ほど前に目覚めたという。
元・船乗りで徹夜も慣れた男も、墓堀作業は相当だったみたいだ。
ギャバンが目覚めたと同じころに、アドリアン達の第1陣が帰ってきた。昼にはすでにコルト率いる第2陣が出発していて、今日は緊急以外の仕事は後回しにしたらしい。
町中の馬をかき集めてきて、行けるだけ大勢で向かったという。
お陰でアドリアンが帰る頃には残り4分の1程度に減っており、この分だと「探索」も余裕でできると意気揚々と帰ってきたのだった。
私たちの危機を救ってくれたあの正体不明の二人は、ギャバンに案内された部屋にそのままダイブして眠ったとの事で、先にローブの男が団長が目覚めるのと同じ頃に二階から降りてきたそうだ。
一張羅の服が汚れてしまったから、服を買える場所を知らないかと聞いた彼は、商業施設の立ち並ぶ噴水のある広場を案内され、それから今迄ずっとこの町をウロウロとしているらしかった。
一方赤毛の男は、ローブに置いて行かれた事に怒っていたそうなのだが、すぐに気を取り直し後を追った先で酒場を見つけ、妙にそこの女将さんに気に入られて厨房に入り浸っていたという。
それから先刻、つい先ほどだ。
何時の間にか仲良くなった複数の団員を引き連れて、各々の両手には何やら大量の食材が抱えられていて、これで一泊の恩を返すとのたまって、屋敷の台所を占拠しているそうだ。ちゃっかり手伝いの団員も何人かいる。
あざといエーベルよりも、巧みに人に取り入るのがうまい。
あの世渡り上手は天下一品の業だろうと、素直に感心するほどだ。
逆にその上役であろうローブの男は、おべっかすら微塵も見せず、取りつく島もない不愛想さだ。顔はローブに隠されて頑なにその表情を見せないから猶更である。
「あの人たち、何者なんでしょうかね…」
3個目のお菓子を食べようか悩んだがやめておいた。菓子でこれだけ美味いのだ。
料理となると期待も数倍だ。今腹いっぱい食べる必要はあるまい。
「…さあ」
「変な人達だよねえ、あーんな趣味の悪い服着てさあ!」
ぷんぷんと怒っているのはエーベルだ。
「どの口が!言うのかね!おまえは!」
「あたたたった!やめてよアドリアン!!」
その台詞に聞き捨てならないとアドリアンが隣のエーベルを抓った。これに関しては私もアドリアンの味方だ。
「もう!僕は若いし可愛いからどんな服でも似合うけど、あの人はちょっとイタイよねえ」
全然気にせずエーベルは続ける。
「さすがに、ぷぷっ、牛は無いって、あはは」
「まあ、ねえ」
「…ひとそれぞれ」
「流石に失礼だぞお、エーベル!」
連られて私も笑ってしまった。
人の趣味に口をだすほどお節介ではないが、確かにあれは無いなとも思う。
よくもあんなけったいな服が売っていたものだ。万が一手作りならば、これは脱帽ものだ。
その時、遠慮なく扉が開かれた。
開いた隙間から、とんでもなく香ばしい良い香りが漂ってくる。
これは、菓子以上の絶品かもしれない。
「やっべ」
アドリアンが舌を出した。
見ると、赤毛の男――アッシュがこちらを見ながら苦笑いしている。
しまった。この会話を聞かれてしまったかもしれない。
明け透けなく今はこの場にいない者の悪口を聞かされては、部下であろうこの男も良い気持ちはしないだろう。
「本人のいない所で悪口大会とは、ちょいと戴けないねえ」
お玉を片手に溜息をつくアッシュは、さほど怒った顔はしていなかった。
「すまな…」
「ま。あのカッコ見れば、10人が10人、おんなじ事思うだろうから別にどうこう思わねえけど」
謝る団長を遮って、アッシュは笑った。
「初めて行く町にゃあ、自重した方がいいって何度も云ったんだけどねえ。ほらあの人、頑なだから」
困っちゃうのよ、と舌を出す。
この男の感覚はまともみたいだ。
ほら、あのと言われても、ローブの男の素性なんて分からないのだから知り得るはずがない。アッシュはそうだったねとあまり気にしない様子で、料理が出来上がった事を告げた。
「やったぜ!!」
「待ち望んでいたぞおお!!!」
ガタリと勢いよく椅子から立ち上がる団長とアドリアンを見て、アッシュはニッカリ歯を見せた。
「俺の料理は美味いからな。ちゃんと堪能してくれよ!」
「おうともよ!」
もはや長年の友人のようなやり取りである。
ある意味、この男は天才だなと私は改めて男を見直した。
私よりも遥かに威力の高い魔法の使い手で、料理が美味くて、考えもまとも。天性の人懐っこさで人を懐柔し、その虜にさせる。凄い男だ。
「でも、旦那の前じゃあんまり言わないでくれよ。あの人、案外気にする性質だから」
そんな何でもできる男を従わせるローブの男にも興味が湧くのは当然だろう。
私達が広間を出たとほぼ同時に、噂の男が帰ってきた。
「なんと、まあ…」
どこをどうして何を気にする性質なのだ。
本気で人の目を気にするなら、わざわざあんな恰好は選ばない。
一同、まん丸く目を引ん剥く中、喉まで出掛かるが、その言葉はアッシュに先を越された。
「…旦那、こりゃあまた、えらいモン選んだっすね」
夜中に私達を先導したあの男と同一人物なのかと疑ってしまうほど、あの尖った冷たい態度は何処に行ったのだと思ってしまうほど恐ろしい威圧感を発していた男はその成りを完全に潜め、目を疑わんまでに奇妙な恰好のその服の端を両手で摘み、コテンと可愛らしく首を傾げて一目する私達に呑気に問うたのだ。
「そんなに変かな、これ」
何処からそんなものを調達したというのだ。
男はピンクの牛ではなくなっていた。
かわりに現れたのは、サメの着ぐるみだった。
可愛らしくデフォルメされた尾びれが男の動きに合わせてピコンと飛びあがった時、
「うわっはっはっはっはっはあああああ!!!!!!」
ロルフの団長の大笑いによって、妙な空気は一瞬にして溶けた。
「旦那、すげえな…」
ツルリとした布質。前方は白く、後ろは黒く波模様。
魚の尾びれと、とんがりを見せる特徴的な背びれをピコピコと揺らし、頭はテカテカ水に濡れたように光っている。額のあたりには円らな目が二つ。
ギザギザの口がぽっかりと開いていて、その中に男の顔が収まっている。相変わらず目深く被って表情はうかがえないが、まさに鮫に呑み込まれた人間だ。
歩きにくいのかその動きは鮫というよりもペンギンに近い。
よくもまあこんなのを見つけてくる。
アッシュが躊躇なく男の手を取り、そのまま繋いで食堂まで歩いて行く。
彼らの姿が食堂に消えた時、私たちは弾かれるようにその後を追った。
なんと面白い人たちなのだ。
私の心は、否応なしにドキドキしていた。こんなに胸が高鳴ったのは久しぶりである。
この二人が何かやらかしてくれるのではないかと、平穏なこの町に出現した台風になり得るかもしれない。そしてそれを心の何処かで期待している私がいて、私にもこんな感情があったのかと少し驚いた。
「…ニーナ」
ギャバンが呼んでいる。
「はい!」
まずは腹ごしらえだ。
私は腹を空かせる匂いの元まで駆けて行った。
カーテンが開けっ放しである。
ベッドに横になったまま空を見上げたら、立派な黄色の夕焼けが出来上がっていた。
ムクリと起き上がって目を擦る。
眠気は若干残るが、頭はすっきりしている。ただ起き上がった時に感じた違和感は、ベッドから降り立った瞬間に全てを理解した。
身体が動かないのだ。
どこもかしこも、動かすとかなりつらい。腕も棒のように固く、足など重力の塊のようで足を踏み出すだけで精一杯。腰などは立っているのが奇跡なくらい痛い。
「痛あああああああ!!!!」
首は寝違えたように一点しか動かない。
つらい、つらすぎる。
まるで生まれたての小鹿のようにひくひくと足がつる。
ああ、これは筋肉痛。それも最大級にやばいやつ。
私の悲鳴を聞きつけて、何事かと団員が複数部屋の中に転がり込んできた。
私は泣きそうになりながらも精一杯笑って何でもないと答えたのだが、そのへっぴり腰を見て団員達も理解する。
「良かったですね、ニーナさん。当日に筋肉痛が来るって事は、まだ若いって証拠ですよ」
「あ、はは…」
全然、嬉しくなんかなかった。
ここは超新星カモメ団のアジト、旧貴族邸の二階にある女性団員専用の仮眠室だ。
家にいちいち帰るのも億劫だった私は、おざなり程度にシャワーを浴び、髪も碌に乾かさず濡れ鼠となったまま、寝室のベッドに転がった。
我が家とは違い、ベッドも布団も薄っぺらかったが、そんなのは一切気にならなかった。
横になった瞬間、私は夢も微睡も見ずにすぐに落ちた。深い眠りを堪能するだけ貪って、気づいた時はすでに夕方になっていたという訳である。
違う意味で重い身体を引きずってシャワー室で熱いお湯を被り、衛生担当の団員の助けを借りつつ、鎮痛剤の役目を果たす薬草を特に痛い数か所に湿布してから、ようやく階段を降りた。
時々ロルフ団長たちの声は階下から聞こえていたのだ。私達と交代したアドリアンも戻ってきており、第2陣として今度はコルトが向かったようだ。
「痛、っつ…あう…」
階段を一歩一歩ゆっくりと降りる。
どこの老人かと思ったと、階段で私を追い抜きざまにエーベルが嫌味を言ってきた。
彼も墓堀の第1陣に入っていた。束の間の休憩を取って、シャワーを浴びたのだろう。やけにサッパリとした顔の下は、彼にしては珍しくシンプルな服装だ。
それでも、ノースリーブのフリルの赤シャツに、踝までの薔薇を模ったレギンス。腰に短いスカートを履いている。
仮にもエーベルは男だ。彼にしては地味だが、私から見れば立派に派手だ。
いや、もっと素っ頓狂な恰好を見てしまっていたからなのか。派手なエーベルが霞んで見える。
そういえば、その素っ頓狂なピンクの牛と赤毛の男も、あのままアジトで休んだはずだ。
このアジトに貴賓室は無い。
個室を持たないギャバンやアイン達と同じ仮眠室に、確か押し込められたはず。
「ニーナ!!!おはようさん!!」
よっと手を掲げて、ニカリと歯を見せるロルフ団長は、とってもとっても元気だ。
「おおお!!辛そうだなあ、日頃の運動不足が祟ったかあ?」
「…団長が規格外なだけです」
「…大丈夫。俺もバキバキだから…」
団長の後ろから、ギャバンの声だけがする。
「ギャバンもおじさんだからねー。ボクはああはなりたくないなあ」
エーベルが面白がって団長の後ろでヘタっているギャバンを揶揄う。エーベルも私達と同じ作業をしたはずなのに、これが10代の若さかとあからさまな年齢の差を見せつけられてガックリと肩を落とした。
団長とギャバン、そしてアドリアンと数名の団員達は、貴族たちがさぞ豪華な晩餐会で利用したのであろう大きな広間で優雅にのんびりとお茶を飲んでいた。
墓堀りの疲れを露ほどにも残していない団長は、見慣れない茶菓子を頬張ってはズズズと茶を啜り、昨夜のグレフ達との立ち回りを大げさな動作を交えて楽しそうに語っている。
このお菓子はどうしたのかと私も空いている席に座って聞いてみたら、なんとあの赤毛の男が作ったのだという。
私の分も残してくれていて、昼食も取らずに睡眠を貪っていた私は空腹を感じていたので、遠慮なくそれを頂戴した。
「あ、おいし…」
クッキーの生地に牛乳と砂糖を煮込んだ甘い汁を混ぜ、それを丸めて油で揚げたものだと言う。
団の貯蔵庫にあった材料でてきぱきと一部始終を見ていたエーベルが、作成の手際の良さを教えてくれる。
仕上げに上から粉砂糖を振りかければ出来上がりだ。
外はカリカリ。中はホクホクでほのかに甘く、さらにボリュームもあってなかなか、いやかなり美味しかった。
料理が得意だったとは知らなかった。
あの赤い毛先をピコピコと動かし、くるくると良く表情を変えて他意の無いお調子者の姿を思い浮かべる。
いや、料理が得意云々ではない。彼らについては何一つ分からない事だらけであるのも思い出した。
「そういえば、あの二人はまだいるの?」
この菓子の難点は、粉砂糖がテーブル一面を汚す事だろう。それ以外は満点だ。
するとアドリアンがいやいやと、首を振る。
「アッシュなら、キッチンだぜ」
「え?」
出会ってそう経っていないのに、既に彼の名前で呼んでいる。
「あの変なのは、服が汚れたとかで町に買い出しに行った」
変なの…とは、あのピンクの牛のローブを着た男の事だろう。初めて見た時の驚きを思い出して笑ってしまう。
「一泊の礼とかで、俺達に飯を作ってくれてるんだぜ、あの野郎、いいやつだな!」
「うぬ!!素晴らしい限りである!!」
アドリアンとロルフ団長が交互に頷く様子をのんびりと眺めながら、私はもう一つ、お菓子に手を伸ばした。
聞けば、夕方まで寝ていたのは私だけだったらしい。
起こしてくれてもいいのにと思ったが、団長なりの優しさだったのだろう。
体力のある男性でも持て余してしまうほどの重労働だったのだ。女性で、尚且つ近接職でない私は相当疲れたはずだと、気を使って眠らせてくれたのだ。
ロルフ団長は3時間ほど眠って完全復活したらしい。どこにそんな体力があるのだと不思議でたまらない。
鍛え方が違うのだと、力こぶでアピールしてくれた。
ギャバンの方は、私よりも一時間ほど前に目覚めたという。
元・船乗りで徹夜も慣れた男も、墓堀作業は相当だったみたいだ。
ギャバンが目覚めたと同じころに、アドリアン達の第1陣が帰ってきた。昼にはすでにコルト率いる第2陣が出発していて、今日は緊急以外の仕事は後回しにしたらしい。
町中の馬をかき集めてきて、行けるだけ大勢で向かったという。
お陰でアドリアンが帰る頃には残り4分の1程度に減っており、この分だと「探索」も余裕でできると意気揚々と帰ってきたのだった。
私たちの危機を救ってくれたあの正体不明の二人は、ギャバンに案内された部屋にそのままダイブして眠ったとの事で、先にローブの男が団長が目覚めるのと同じ頃に二階から降りてきたそうだ。
一張羅の服が汚れてしまったから、服を買える場所を知らないかと聞いた彼は、商業施設の立ち並ぶ噴水のある広場を案内され、それから今迄ずっとこの町をウロウロとしているらしかった。
一方赤毛の男は、ローブに置いて行かれた事に怒っていたそうなのだが、すぐに気を取り直し後を追った先で酒場を見つけ、妙にそこの女将さんに気に入られて厨房に入り浸っていたという。
それから先刻、つい先ほどだ。
何時の間にか仲良くなった複数の団員を引き連れて、各々の両手には何やら大量の食材が抱えられていて、これで一泊の恩を返すとのたまって、屋敷の台所を占拠しているそうだ。ちゃっかり手伝いの団員も何人かいる。
あざといエーベルよりも、巧みに人に取り入るのがうまい。
あの世渡り上手は天下一品の業だろうと、素直に感心するほどだ。
逆にその上役であろうローブの男は、おべっかすら微塵も見せず、取りつく島もない不愛想さだ。顔はローブに隠されて頑なにその表情を見せないから猶更である。
「あの人たち、何者なんでしょうかね…」
3個目のお菓子を食べようか悩んだがやめておいた。菓子でこれだけ美味いのだ。
料理となると期待も数倍だ。今腹いっぱい食べる必要はあるまい。
「…さあ」
「変な人達だよねえ、あーんな趣味の悪い服着てさあ!」
ぷんぷんと怒っているのはエーベルだ。
「どの口が!言うのかね!おまえは!」
「あたたたった!やめてよアドリアン!!」
その台詞に聞き捨てならないとアドリアンが隣のエーベルを抓った。これに関しては私もアドリアンの味方だ。
「もう!僕は若いし可愛いからどんな服でも似合うけど、あの人はちょっとイタイよねえ」
全然気にせずエーベルは続ける。
「さすがに、ぷぷっ、牛は無いって、あはは」
「まあ、ねえ」
「…ひとそれぞれ」
「流石に失礼だぞお、エーベル!」
連られて私も笑ってしまった。
人の趣味に口をだすほどお節介ではないが、確かにあれは無いなとも思う。
よくもあんなけったいな服が売っていたものだ。万が一手作りならば、これは脱帽ものだ。
その時、遠慮なく扉が開かれた。
開いた隙間から、とんでもなく香ばしい良い香りが漂ってくる。
これは、菓子以上の絶品かもしれない。
「やっべ」
アドリアンが舌を出した。
見ると、赤毛の男――アッシュがこちらを見ながら苦笑いしている。
しまった。この会話を聞かれてしまったかもしれない。
明け透けなく今はこの場にいない者の悪口を聞かされては、部下であろうこの男も良い気持ちはしないだろう。
「本人のいない所で悪口大会とは、ちょいと戴けないねえ」
お玉を片手に溜息をつくアッシュは、さほど怒った顔はしていなかった。
「すまな…」
「ま。あのカッコ見れば、10人が10人、おんなじ事思うだろうから別にどうこう思わねえけど」
謝る団長を遮って、アッシュは笑った。
「初めて行く町にゃあ、自重した方がいいって何度も云ったんだけどねえ。ほらあの人、頑なだから」
困っちゃうのよ、と舌を出す。
この男の感覚はまともみたいだ。
ほら、あのと言われても、ローブの男の素性なんて分からないのだから知り得るはずがない。アッシュはそうだったねとあまり気にしない様子で、料理が出来上がった事を告げた。
「やったぜ!!」
「待ち望んでいたぞおお!!!」
ガタリと勢いよく椅子から立ち上がる団長とアドリアンを見て、アッシュはニッカリ歯を見せた。
「俺の料理は美味いからな。ちゃんと堪能してくれよ!」
「おうともよ!」
もはや長年の友人のようなやり取りである。
ある意味、この男は天才だなと私は改めて男を見直した。
私よりも遥かに威力の高い魔法の使い手で、料理が美味くて、考えもまとも。天性の人懐っこさで人を懐柔し、その虜にさせる。凄い男だ。
「でも、旦那の前じゃあんまり言わないでくれよ。あの人、案外気にする性質だから」
そんな何でもできる男を従わせるローブの男にも興味が湧くのは当然だろう。
私達が広間を出たとほぼ同時に、噂の男が帰ってきた。
「なんと、まあ…」
どこをどうして何を気にする性質なのだ。
本気で人の目を気にするなら、わざわざあんな恰好は選ばない。
一同、まん丸く目を引ん剥く中、喉まで出掛かるが、その言葉はアッシュに先を越された。
「…旦那、こりゃあまた、えらいモン選んだっすね」
夜中に私達を先導したあの男と同一人物なのかと疑ってしまうほど、あの尖った冷たい態度は何処に行ったのだと思ってしまうほど恐ろしい威圧感を発していた男はその成りを完全に潜め、目を疑わんまでに奇妙な恰好のその服の端を両手で摘み、コテンと可愛らしく首を傾げて一目する私達に呑気に問うたのだ。
「そんなに変かな、これ」
何処からそんなものを調達したというのだ。
男はピンクの牛ではなくなっていた。
かわりに現れたのは、サメの着ぐるみだった。
可愛らしくデフォルメされた尾びれが男の動きに合わせてピコンと飛びあがった時、
「うわっはっはっはっはっはあああああ!!!!!!」
ロルフの団長の大笑いによって、妙な空気は一瞬にして溶けた。
「旦那、すげえな…」
ツルリとした布質。前方は白く、後ろは黒く波模様。
魚の尾びれと、とんがりを見せる特徴的な背びれをピコピコと揺らし、頭はテカテカ水に濡れたように光っている。額のあたりには円らな目が二つ。
ギザギザの口がぽっかりと開いていて、その中に男の顔が収まっている。相変わらず目深く被って表情はうかがえないが、まさに鮫に呑み込まれた人間だ。
歩きにくいのかその動きは鮫というよりもペンギンに近い。
よくもまあこんなのを見つけてくる。
アッシュが躊躇なく男の手を取り、そのまま繋いで食堂まで歩いて行く。
彼らの姿が食堂に消えた時、私たちは弾かれるようにその後を追った。
なんと面白い人たちなのだ。
私の心は、否応なしにドキドキしていた。こんなに胸が高鳴ったのは久しぶりである。
この二人が何かやらかしてくれるのではないかと、平穏なこの町に出現した台風になり得るかもしれない。そしてそれを心の何処かで期待している私がいて、私にもこんな感情があったのかと少し驚いた。
「…ニーナ」
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「はい!」
まずは腹ごしらえだ。
私は腹を空かせる匂いの元まで駆けて行った。
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いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
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