蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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二. ニーナの章

20. Home

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 残りのメンバーに別れを告げ、私達は早々に屋敷を後にする。

 アドリアン達も早めに休むそうだ。

 どうせ団長が戻るまで、碌な働きはできないのだ。それにアドリアン達も、今日は墓堀で疲れている。

 これからの事、今までの事、そして団長の事は明日改めて団の皆で話し合おうと、互いに顔を見合わせて頷いた。

 アドリアンもコルトもアインも。ロロもギャバンも私だって。
 この8年間。ううん、ギャバンを除けば学生時代からの付き合いなのだ。

 彼らの事は良く知っている。
 一番辛い災厄を、私達は乗り越えてきたのだ。

 これからも、大丈夫。彼らと一緒なら、私達はいつまでもやっていける。
 一人一人の顔をみんなで見て、しっかり頷き合って、また明日ねと別れた。

 館の外まで見送ってくれた彼らの顔は、不安と悲しさに曇っていたけれど、これから違った明日を迎えるのは一人きりじゃないと心の底に微かな希望も見えたのだ。

 手を振る彼らの姿をこの目に焼き付けて、私とリュシアとアッシュの三人は、暗い裏路地を進んだのであった。


 ■■■


「ただいま…」

 遠慮がちに玄関の扉を開く。
 夜は遅いが、祖母は昼夜がほぼ分からなくなっているので、母はまだ起きている時間だ。

 家に入る前に、二人には痴呆が入った祖母を説明していたが、珍しく祖母はすでに眠っているらしい。
 台所からいつもの脅えた顔を覗かせる母は、物珍しい私の来客にかなり驚いた様子である。

「夜分遅くすまない」

 台所で私の後ろに佇む二人の男を見て固まった母に、あのリュシアが自ら進み出て、母に頭を下げたのだ。
 しかし母は口をパクパクしながらリュシアを…もとい、サメの着ぐるみを見つめている。

 忘れていたが、彼はまだあの素っ頓狂な恰好のままであった。
 初めてピンクの牛を見た時の私と同じような形で固まったまま、それでも流石に常識ある大人なのか、引き攣った笑顔を張り付かせながら気丈にも母はリュシアたちを迎えてくれた。

「彼女のご厚意に甘えさせてもらう事になった」

 あの冷たい言葉遣いは何処にいったのやら。今までの不遜な態度を完全に潜ませて、なんという変わり身だ。

「あの、ニーナの…団の関係の方、ですか?」
「そうよ。館がいっぱいで寝る場所がないの。悪いけど、二階のお祖母ちゃんの部屋を使うわよ」
「え、それは構わないけど…」
「良かった。じゃあ、部屋は二階です。私についてきてください」

 母を通り過ぎ、二階に足を向ける。
 サメの背びれがぴょこぴょこと私の跡をついてくる。

「お母さん。悪いけど、布団を二組用意できる?彼らは私の大事なお客様なの、お願いね」
「世話になるぜ、オカーサン!」

 リュシアの後ろで大げさに頭を下げるアッシュを見て少しほっとしたのか、びっくりした顔はそのままであったが、幾分か気は抜けた母が笑った。

「ええ。ようこそいらっしゃい。何もない所だけど、ゆっくりお休みくださいね」

 私を見ると脅えるか目を伏せるしかしなかった母は、とても嬉しそうな顔をした。


 それがなんだか腹立たしくて。
 そしてなんだかむず痒くて。

 無性に叫びたくなった。




 狭い石の階段を昇り、すぐ右手に祖母の部屋がある。
 私が先導して祖母の部屋をガチャガチャしていると、階下の騒がしい音が聴こえたのか、私の部屋から布団の擦れる音がした。

「…おねえちゃん?」

 とても小さな、少し脅えたような声色だ。

「だれか、いるの?」

 テルマは部屋の扉の前にいるようだ。
 3歳で成長の止まったテルマの身長ではドアノブは届かない。彼女は体調が良いと部屋を歩き回る事はあっても、自力で外に出る事は適わないのだ。

「おねえちゃんよ。ただいま、テルマ」
「おねえちゃん!」

 声が聞こえたからなのか、リュシアとアッシュも私が向いた方向を見ている。

「誰かいんのか?」

 アッシュが問う。
 リュシアは黙ったまま、私の部屋の扉を見つめている。

「ごめんなさい、部屋に妹がいるの」
「妹がいんのか」
「ええ」

 祖母の部屋のドアノブを回し、部屋を開けた。

 誰も使わない祖母の部屋は、暗くてひんやりとしてシンと静まり返っている。母が綺麗にしているのでゴミや埃はないが、生活感の無さはあからさまに分かる。

 少し空気が澱んでいたので、まずは窓を全開にしてカンテラに火を灯した。
 月明りとカンテラの淡い光が部屋をぼんやりと照らす。人の息が入って、澱んだ空気も和らぐ。

 此処からの景色は実は絶景なのだ。私の部屋からは屋敷のある方向しか映さないが、高台の我が家からは一面に港を拝める場所でもあるのだ。

 テルマが産まれた時、まだ父も母も仲が良かったあの幸せだった頃、海風がよく入るこの部屋を生まれたばかりのテルマに感じてほしくて、彼女はここでずっとゆりかごに揺られて育ってきた。


「妹って、この子?」

 衣装ダンスの上に飾られた、かつての家族の面影を残した写真に、アッシュは目を止めた。

 光の魔法を紙に印影する写真は、当時も今も贅沢品だ。だけど、貿易都市のお零れを貰うこの町は、贅沢品すら時に貰えることもある。これはたまたま町に視察に来た貿易都市の偉い貴族が、道楽で町民の写真を撮りまくった一枚である。

 私とテルマ、父と母と祖母の5人が、はにかみながら写った写真だ。

「ええ、テルマっていうの」

 リュシアは会話には乗らず、窓から身を乗り出して港を見つめている。

「へえ、可愛いじゃん」
「でしょう?今も可愛いのよ」
「あんたの部屋にいんの?」

 ふわふわのシルバーブロンドは、色褪せた写真の中でもはっきり分かる。
 昔も今も変わらない、私の可愛い妹の自慢の髪だ。

「ニーナ、お布団、持ってきたわよ」
「お、待ってました!」

 するとそこへ母が布団を両手に抱えて階段を昇ってきた。
 すかさずアッシュが母の元へ向かう。

「おばちゃん、あんがとねー」

 カタリと写真立てを置いたアッシュに、母がなんだかばつの悪そうな顔をする。

 またあの顔だ。
 テルマを邪険にするときの、私の大嫌いなあの顔。

「あ、あの、ごゆっくりどうぞ」

 母の表情を見て私の顔色が変わったのを察したのか、母は慌てたような口調で足早に立ち去った。
 ドタドタと階段を駆け下りる音に不愉快さを感じる。


「おねえちゃん?」

 母の背中を憎らし気に見ていると、また私の部屋からテルマの可愛らしい声がした。

「ああ、ごめんねテルマ。今、お客様がいらしてて」
「おきゃくさん」

 私の部屋のドアノブをガチャガチャとしている。
 大方背伸びでもして、辛うじてドアノブを握っているのだろう。転倒でもされたら非常に危険だ。

「お布団用意したら、すぐにそっちに行くからいい子でベッドに戻ってなさい」
「だれ?」

 ねじの緩い褪せた金のドアノブが小刻みに揺れる。

 テルマはどうも、この珍客が気になるようだ。

 テルマが病気になって、次第に友人も気を気を遣ってくれて、私の家には滅多に人が訪れなくなった。
 成長の止まってしまったテルマを好奇な目に曝すのも本意ではないし、無理をするとテルマの病状は悪化する。
 遊びに行きたいのなら、私がそっちに行けば済む話だ。

 この家に私達家族以外の人間が来るのは、数年ぶり、いや十年以上もなかった。


「ごめんなさい。テルマが貴方達の事が気になるみたいで。もしよかったら、顔を見せてやっていただけませんか」

 顔を見せるくらいなら、テルマの体調に障りはないだろう。

 20年近くも寝たきりの妹をなんと説明すべきか悩んだが、不思議とこの人たちは病気に偏見は持たないだろうと勝手に思い込んでいた。

 アッシュは優しいし、リュシアに関しては良く分からないが、彼は他人には興味を抱いてなさそうなので、テルマを見せても大丈夫だと思ったのだ。

「別にいいぜ」

 ソファからよっと立ち上がったアッシュが部屋から出てくる。

「テルマは長い間病気なの」
「へ?入っていいのかよ」
「ええ。ベッドから抜け出してるみたいだし、今日は体調が良さそう」

 説明しながら私の部屋の前へ。

「テルマ、今から開けるから、少しドアから離れていてね」
「はあい」
「?」

「可愛い声でしょ」
「へ?声?」

 ガサガサとテルマのドレスの衣擦れの音が聴こえる。

「私とテルマは4つしか離れていないけど、実はあの子は成長が止まっているの…。声が幼いでしょ、気持ち悪いかもしれないけど、人に移る事はないから」
「何の病気だ?」

 他人の事由など関わるのはごめんだと言わんばかりに外の景色を眺めていたリュシアが、アッシュの後ろに控えていた。
 私とリュシアの顔を何故か焦った様子でキョロキョロと交互に見回していたアッシュは、自分の前に彼を誘導する。

「それが、分からないんです」
「どういう意味だ?」
「いろいろなお医者様に見せても、成長が止まる原因や、弱っていくテルマの病状は、何一つ見つけられないんです」

「おねえちゃん、まだあ?」
「はあい、今行くよ。…あ、すみません。少し散らかっていますが、どうぞ」


 ドアノブを回し、ギギギとドアを押す。
 見慣れたいつもの私の部屋。散らかるほど物は置いていないが、社交辞令というやつだ。

 ドアを開けた真横に、びっくり顔のテルマがいた。
 ぱっちりお目目をさらにぱっちりさせて、ぎゅうと両手を握り込んでドレスの裾を掴んでいる。
 テルマの薄灰の瞳は、私の後ろにいるサメの着ぐるみ一点のみ映している。

「ほわああ」

 変な声を出して、私の足にしがみ付いてきた。
 隠れるようにひょっこりと顔だけ出して、その視線はリュシアに注がれている。

「ただいま、テルマ。遅くなってごめんね」
「さめしゃん…」

 パチパチと何度も瞬きし、ぽかんと口を開けた様が愛くるしくて可愛い。
 私は大丈夫だよとテルマのシルバーブロンドを優しく撫でて、リュシア達に向き直った。

「妹のテルマです。テルマ、あの人達はお姉ちゃんの大事なお客様だよ」
「さめ…」

 テルマは足に隠れたままだ。
 そんなテルマを、彼ら二人も食い入るように見つめている。

 しかしアッシュの目線はどこか定まっていない。テルマを見たかと思えば別の方向を見たりベッドを見たり、なんだか挙動不審になっている。

「旦那…」
「………」

 一方リュシアは、テルマをじっと見ている。フードに隠された顔がどんな表情をしているのかは分からないが、あの不躾な威圧感は無い。
 テルマも彼の異様な恰好に、少しだけ脅えた様子だ。

「すみません。あまり人には慣れていなくて…。テルマ、ご挨拶は?」

 そうテルマを促すも、彼女はついに完全に隠れてしまった。
 サメの着ぐるみが怖いのか、この見慣れない客人達が怖いのか、あるいはその両方か。

「…嬢ちゃん、あのな、その…」

 アッシュにしては煮え切らない態度でボリボリと頭を掻きながら言いかけるも、リュシアがそれを制する。

「いや、

 これ以上ここにいても、テルマを怖がらせるだけだと理解したのだろう。
 彼は短くそう云い捨てると、踵を翻し、さっさと出て行ってしまった。

 母には丁寧な対応をしていたのに、私が相手だとこれだ。
 権力のある人間は、どうにも偉そうで好きにはなれない。


「私はこのまま休むわ。トイレは一階、何か食べたかったら台所を好きに使ってちょうだい」
「へ?あ、ああ」

 置いて行かれて残ったアッシュに手早く話す。
 テルマはまだぎゅうぎゅうと私の足にしがみ付いたままだ。ここ最近、台風対策や廃墟の死人関連で、テルマにはあまり構ってやれていない。彼女なりに甘えているのだろう。

「朝、酒場でご飯を食べてから、ギャバンに馬を用意してもらいましょう。それで構わないわよね?」
「大丈夫だと思うぜ」
「そう。何もない所だけど、せめてゆっくり寝てください。今日は色々と教えてくれてありがとう」

 ペコリと頭を下げると、テルマは私を見上げて不思議そうな顔をした。

「テルマ、ベッド行こう。おねえちゃんが絵本を読んであげるよ」
「ほんとう?わあい、やったあ!!!」
「おやすみなさい、アッシュ。彼にも伝えておいてね」

 そう言って、ゆっくりとドアを閉めた。

 アッシュは何処か明後日の方を見ていて、おやすみの言葉に何の返事も返さなかった。



 バタンと扉が閉じると、私はテルマを抱っこしてベッドに戻る。
 暫くしてアッシュの廊下を歩く音と、少し経って隣の部屋の扉が閉まる音が聴こえる。部屋に戻ったようだ。


「おねえちゃん、あのさめしゃん、なあに?」

 ベッドの上で私にすり寄ってくるテルマは、やはりあのリュシアの事が気になって堪らないようだ。

「じゃあ、今日は絵本をやめて、あのサメさんのお話をしようか」
「さめしゃん、怖い人?」
「え?」

 円らな瞳が潤んでいる。

「テルマをじいと見てたよ。さめしゃん、こわいひと?」
「あはは、大丈夫だよテルマ。怖い人といえば怖い人かもしれないけど、すんごく偉い人なのよ」
「テルマ、さめしゃんのお話聞きたい」
「分かった。じゃあおねえちゃんお着換えするから、ちょっと待っててね」
「うん!」

 こんな小さな子供まで怖がらせるとは、やはりあのリュシアという男はいただけない。
 これだから権力のある人間は…とまた堂々巡りだと着替えながら嘲笑していると、隣の部屋の声が漏れ聞こえているのに気づく。

 そう大きな声ではないので、断片的しか聞こえないが、あの二人が二人きりの時に何を会話しているのか無性に気になって、ついつい耳をダンボにしてしまった。

「……妹が…な…」
「…ん……くま……」
「どうし……よお」
「………グレ………あの…」

 妹?グレフ?

 ああ、もう、断片過ぎて分からない。
 さすがに人の成長が止まる病気なんて、いきなり聞かされても驚くだろうな。

 安易にテルマに合わせた事を後悔する。
 アッシュは視線すら合わせず、リュシアは立ち去った。
 あの異様な二人組からしても、テルマの存在は奇異なのだろう。

「偏見はないと思ってたのに…」

 勝手に期待しておいて、勝手に落胆した。


「おねえちゃん、さめしゃんまだあ?」

 テルマがベッドに足だけを出してブラブラしている。

「ごめんごめん。今いくよ」



 そして私はテルマが眠りにつくまで、あの二人と出会った経緯を、ちょこっとだけ脚色して冒険風に語ってあげた。

 テルマは大喜びで聞いていて、いちいち顔を百面相するものだから私も楽しかった。

 明日は団長や、この団について重い話から始まってしまう。先も真っ暗で本当に気が重すぎる。
 この滅入った気分を少しでも和らげたくて、今この時、大好きなテルマと一緒にいる間だけでも、せめてこの癒しの時間だけ、現実逃避をさせてほしいと心から願った。



 だから、ほんのちょっとだけ、テルマに愚痴を零してしまったのは勘弁してほしい。



 彼女は意味も分からず笑っていただけだけど、話を聞いてくれるだけでも私は随分救われたのだから。
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