蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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二. ニーナの章

21. Laridae

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 深夜、ふと目が覚めた。

 夕方まで寝入っていた所為なのか、いったん目が覚めてしまったら、眠気なんてすっかり遠ざかってしまった。
 私と同じベッドに眠るテルマを起こさないようにゆっくり起きて、机の椅子に掛けてあった上着を羽織る。

 音を立てずに注意深くドアを開け、祖母の部屋の前に立つ。
 物音はしない。シンと静まり返っている。
 だが、人の気配はある。時々寝息らしき吐息も聞こえる。

 彼らも寝入っているようだ。どこでも寝れるというのは簡単なようで案外難しい。枕一つ変わるだけで眠れない人も大勢いるのだ。
 冒険者が世に溢れていた10年前までは、みんなどんな対処をしていたんだろうと、ぼんやりと考える。

 私はそのまま階段を降り、台所で水を一杯んでしばし考えに耽る。
 出てくるのはこんなくだらない事と、それに団長の事だった。

 仲の良い、笑顔の絶えない団員達の顔を一人一人思い浮かべる。

 アドリアンとコルトは幼馴染のライバル同士で、いつも女の子絡みのトラブルを引っ提げてきてはアドリアンはコルトに叱られていた。

 そんなコルトは奥手で女の子に関しては気が弱く、ずっと長く片思いしていた女の子とあの行商人が売った恋の叶う石をきっかけにお付き合いが始まって、とても幸せそうにしていた。

 ロロは力持ちで純粋無垢で、流暢に話せない。いじめられっ子だったロロを生徒会に入れて無理やり引き連れていたら、どんどん性格が明るくなって今じゃ団の人気者だ。

 アインはあんな感じだけれど、実は嫌味の底に仲間を心配する気持ちが隠し切れなくて、どんどんクールを目指していた化けの皮が剥がれつつある。

 ギャバンは二年前にこの町に流れ着いた漂流者で、様々な能力を持つ彼に団長が惚れこんで頼み込む形で団に仲間入りした。口数少なくて人込みも避けるけれど、動物に向ける優しい眼差しはとても綺麗だ。

 エーベルは派手であざとくてお調子者だけれど、ムードメーカーで新たな若い風を運んでくれる貴重な存在だ。

 そんな彼らと共に、10年間切磋琢磨してきた。
 私と団の絆は、並大抵の綻びで断ち切れたりはしない。

 明日から《中央》が介入してきて、今までのように自由に活動できなくなっても、この絆があれば乗り切れるし、大丈夫だ。

 大丈夫だと思いたい。



 玄関を開ける。

 夜風が強く、私の髪を靡かせては遠くに過ぎ去っていく。
 冷たくて、頭が気持ちいい。

 こんな眠れない夜は、ただ水面を揺らす波を見るだけでも心が落ち着くものだ。
 波止場にチャパチャパと波の音を聴きながら、真っ黒な母なる水の源を感じながら、明日を迎えるのも一興かもしれない。
 どうせ頭はこんな風にこんがらがっているのだ。

 私は上着の前紐をしっかりと絞め、すっかり寒くなった誰もいない夜の町並みを、ただ一人下っていった。

 海の女神の銅像で一度足を止め、眼下に広がる港を眺める。
 長い階段を降りればそこは港なのだ。

 深夜も過ぎた時間なので、遅くまでやっている酒場すらもう眠りについている。

 銅像の脇に一本だけ街灯が明かりを灯している。そこから先は、街灯すらない真っ暗闇の港だ。
 足を踏み外せば海に転落する。波止場は海の底が深い。落ちたら無事では済まないだろう。

 だから真夜中の港は危険だからと、夜の逢瀬を楽しむ恋人たちすら避ける。
 一人になりたいときは、もってこいの場所なのだ。


 海は黒い。
 呑み込まれそうに黒い。

 ちゃぷちゃぷと波の音だけは優しく港の壁を叩いている。
 私はそんな港を端から端まで眺めていて、そこで違和感を感じた。

 暗くて見えないが、港の端っこ、船着き場の一角になにやら動く物体が見える。
 こんな夜更けに不審者か。自分の事は棚に上げて、いつも身に着けている触媒の杖を触る。

 暗闇に目を凝らして、あれが何かをじいと見る。

 ぼんやりと白い。服か?

 それは船着き場の石床に腰を下ろして、海に足を投げ出しているようだ。

 あれは、もしかして。

 幾分か闇に慣れた目が、その姿の輪郭を正確に捉えだす。

「!!」

 あれは、やはりそうだ。
 前身は白く、後ろは黒い。やたらめったら黒光りする布質のお陰か、波の光に服全体が艶やかに反射している。
 座ったお尻の部分に、ぴょこんと尾びれのような三角の物体。
 プラプラと地面に着かずに覚束なく揺れている足は、まるで魚のヒレのようで。

 不躾な冷たい態度で、不遜で偉そうで冷たくてとても怖い威圧感を放つ、私達の団長を連れて行き、私たちの今迄の日常を奪った男。

 でも、私たちの命の恩人で、アッシュの話が本当ならば、町そのものの命の恩人でもある人。


 そのローブの男――リュシアは、常闇に包まれた穏やかな海を、ぼんやりと孤独に見つめていた。

 私は女神の銅像の横で思わぬ遭遇者に躊躇して動けなくなっていた。

 すると人の気配を感じたのか、リュシアが私に気付いた。彼は海を背にして顔を上げ、ゆっくりとした動作で私のいる階段上を見上げた。
 フードで隠された顔と、ばっちり目が合った気がした。
 彼は上にいる気配の素が私だと分かったのだろう。視線を逸らす事なく、私を見つめ続けている。


 ああ、もう、帰れなくなってしまったではないか。

 とりあえず、挨拶だけしてから家に戻ろうか。このまま無視するわけにもいくまい。
 あの場所はほとんど人が来ないから、眠れない夜の私のお気に入りの場所だったのに、と出来るだけ平常心と気持ちを落ち着けながら、私は階段を降りて彼の元へ向かうのであった。



 それはまさに、強がりでしかなかったけれども。
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