蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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二. ニーナの章

23. 黒の行商人

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「……?」


 その時であった。私が家へ戻ろうと、一歩足を踏み出した時。

 蹲ったままのリュシアが、突然頭を上げた。勢いよく上げられたそれに、何か不穏なものを感じる。
 穏やかだった空気が一瞬で張り詰めた。

「どうされましたか?」

 リュシアが音もなく立ち上がる。
 ローブの砂すら気にする様子もなく、海ではない方向、つまり私の肩越しに何かを見ている。

「誰か来る」
「え?」

 私も振り返るが、真っ暗過ぎて何も見えない。
 海の女神像のある階段の上は、仄かに明かりが照らされている。しかし光はここまで届かない。

「一人…、マナが澱んでるな」

 とても小さな呟きに、私は口を「え」の字にしたまま聞き返そうとした。

「悪いが隠れるぞ」

 しかしそれは次の瞬間に思い切り口を塞がれ、その勢いでその場に押し倒された。

「ふ、ふご!ふごごご!!」

 恐らく、出てきたのは悲鳴だったはず。
 だけどそれすらも、彼の掌が吸収してしまい、私は情けなくも抗議の唸り声をあげるのみである。

 幸いにも硬い石の地面にぶつかる寸前で、リュシアが身体を受け止めてくれて全く痛くはなかったのだけど。

 それよりも近い近い近い近い!!!
 もはや羽交い絞めに似た形。

 いくら華奢とはいえ、彼は男性だ。私とは違う力の強さに、彼の性別を思い知らされる。綺麗で細い指が案外節くれがあるのだと思った時、別の意味でわたわたした。

 私は男性に免疫が無いのだ。
 こんなに近くに寄られるのだって、遠慮のない団長ぐらいなものである。

 途端に心臓がバクついたが、当のリュシア本人は私が彼に男性を意識してバクバクしているなんて露ほど思っていないに違いない。


「あれは…なんだ?」

 小さな声で、彼が言った。

 顔を真っ赤に悶えていた私は自分の心臓の音が聴こえやしまいかそればかり気にしていたけれど、ふと、こちらに近づいてくる足音に今更ながら気付いた。
 カツカツカツと、規則正しい足音。

 人の事は言えないが、こんな夜更けに人?
 足音は真っ直ぐこちら側にやってくる。

 リュシアが私を抱き抱えたまま、身体を反転させる。
 ぐるりと回転して、転がった先は防波堤の少し段となった石畳。その足音からは死角になるが、こちらが首を伸ばせばその姿を確認できる位置だ。

 リュシアがようやく私を離す。過ぎ去る彼の体温に残念な気持ちを思いながらも、彼の雰囲気からそんな悠長な場面ではなさそうで、なんてことを考えているんだと頭を振った。

 二人、雁首揃えて足音の姿を見やった。

 ほんの私達のすぐそばで、その足音は止まる。
 足音の先は海。ジャリと砂を踏みしめる音だけがする。

 ここまでくると、辛うじてだが姿は分かる。
 そこで理解した。その姿がこんなに間近に来ないと見えなかった訳を。

「あ、あの人は…」

 全身真っ黒の衣装を身に包み、唯一見える色は顔の肌色のみ。
 夏はさぞかし暑いだろうと、熱中症を心配して団のメンバーが水を差し入れしたりしていた、私の見知った顔である。

「知っているのか?」

 訝しげにリュシアが問う。
 目は黒い影を逸らしていない。

「え、ええ。3か月ほど前から町に来ている行商人です」

 そう。全身黒いという以外は、殆ど特徴の無い行商人である。
 あの透明で綺麗な石を持って、3か月前にひょっこり現れた男だ。

 別段何の不思議もない。彼は最初に行商に来た際、「はやくかわないとなくなりますよ」と散々売り文句を言ってはメンバーたちの財布の紐を緩ませたのに、それから幾度となく現れてはまた同じ石を何処からか大量に仕入れて持ってくるのだ。

 稀少価値が高いから云々、マナの濃い地でしか採れない云々と良くもまあ口が回る。
 メンバーや町民もすっかり騙されて、まんまとその口上に乗るものだから、この町の売り上げはさぞかし上々だろう。

 ついぞ二日前よりまたこの行商人はやってきて、今度は町の年寄りをターゲットにあれこれ市場を賑やかにしてくれていた。

 彼の宿は、酒場の隣だ。
 今日は私達の団が酒場を貸し切りにしていたから、喰いっぱぐれてしまっただろう。

 彼は怪しくないよと、そういうつもりで答えたのだが、リュシアの反応は全く違ったものだった。

、だと?」

 声に緊張が籠っているが、口調はあの平坦で冷たい、いつもの感じに戻ってしまった。
 素の彼の声が気に入っていたのにと、頭の端で残念に思う。

「はい。いつもニコニコしているおじさんですが、なんでこんな夜更けに…」

 私達と同じく眠れなかったのか。
 この時期、日中は暑いのに夜は放射冷却で途端に冷えて凍えるように寒いのだ。
 でも彼のあの真っ黒の恰好だと、寒さなんてへっちゃらかもしれないと思った。


「やつは何を売っていた?」
「え?石を…」

 あの透明な小石を売りさばいていたのだと説明しようと口を開きかけた矢先であった。
 海の前に佇んでいた行商人の男が、徐にその服の中に手を突っ込み、何かをバラまいたのである。

「待ってください、今…何か海に落として…」

 黒い小さなシルエットが、眼下の海へポチャポチャポチャと消えてゆく。
 その数は大量。男は何度も服の中をまさぐっては手を開き、何かを海に捨てている。

 何を捨てているのだ?

 災厄に侵されて汚れてしまった海だが、こうもあからさまにゴミを捨てられるとなるといい気はしない。
 この海で魚も獲れるのだ。海は何でも黙って受け入れるが、ゴミ箱じゃない。
 何を捨てているのか、黒い小さなものである事は分かる。

「なんだろ…」

 時折ジャリジャリと鳴るそれは、最初は石ころかと思った。売れ残った透明な石を、持って帰るのが面倒だからここに捨てているのかと思ったが、それにしては音がこう、なにか違う。

「ニーナ!」

 深く考え込みそうになった頭を、リュシアの鋭い声が浮上させた。
 がしりと私の肩を痛いほど掴み、がくがくと揺さぶってくる。

 初めてこの男に名前を呼ばれたのではなかろうか。

「きゃあ!」

 行商人に隠れているとは思われたくなくて、小さな悲鳴を上げる。

「あれは何を売っていたんだ!」

 リュシアの迫力が増した。
 私は最初に感じた彼への怖さを思い出す。

「え、あ、い、石です!」
「石?」

 揺さぶられるままに頭を揺さぶられて、目が回ってしまった。

「え、ええ。透明な、これくらいのサイズの石」

 指で輪っかを作って彼に見せる。

「なんでも願いが叶う石で、銅貨一枚でとても安くて、月に一度くらいは来ているようですが。それが…」

 そこまで言いかけて、男が捨てていた物に、急に思い立った。

 あれは、銅貨なのではないか?
 サイズといい音といい、銅貨にあてはまる。

「どうしたんですか急に。なにか…きゃあ!」

 今度は私の両頬を掴んできた。

 ほんのすぐそこに、リュシアの見えない顔がある。
 息を吐くと、ローブが揺れる。彼が顔をローブに隠していなければ、鼻と鼻がかち合ってたかもと思うほどまでに近い。

 ぐっと息を呑むが、リュシアは頬を掴んだまま、またガグガグと揺らしてきた。

「誰が買った!」
「え?」
「嫌な予感がする。誰がその石を買ったんだ」
「そんな、嫌って…」

 どういう事だ。
 どうしたというのだ。
 あの黒の行商人に心当たりでもあるのか。

 私達が声を潜めながらガタガタ一方的に揺らされていた間に、当の行商人はあらかたポケットを空にしたのか、私達に気付く事なく、来た時と同じように去って行った。

 男は警戒すらしていない。足音も普通だし、夜中ではあるけれど、人の目を気にする様子でもなかった。
 私から見れば、害のないおじさんである。

「団のメンバーは殆どですよ。本当に恋人になれたとか、探し物が見つかったとかで噂が広まって、安かったのもありますから、町の人もたくさん買ってたと思いますけど…」

 行商人の姿が見えなくなったのを確認してから、私達は石畳から這い上がる。

 私の頬をきつく掴んだリュシアの手をやんわりと解き、さきほどまで行商人が立っていた場所まで移動する。

 下を見ると、海に落ちきれてない何枚かの銅貨が落ちていた。

 やはり、音の正体は銅貨だった。
 何故だ?男は金を稼ぎにやってきて、その金をどうして海に捨てるような真似を。
 銅貨とは言え、れっきとした金だ。ジャラジャラと鳴らす音から、決して少なくはない数だろう。


「まさか…」

 見るとリュシアは口元に手を当てている。
 人差し指を口に、親指を顎に添えている仕草だ。

「私も、持ってます」

 なんだか不安になってきた。

 人が変わったかのように緊張感を漂わす彼と、貴重な売上金をゴミのように投げ捨てた行商人。
 その得物であるあの石は、私の家にも存在する。

「なんだって?」

 威圧感のある言い方である。答えなければ、殴ってでも喋らせるぞと云わんばかりの雰囲気に、今まで感じた長閑さが氷点下まで落ちている事に頭が追いついていかない。

「その、石を。あの廃墟で拾って、とても綺麗だったから、妹のお土産に…」

 そう震えながら言いかけている途中で、リュシアが私の手を取った。
 私の意など丸無視で、ずんずんと歩き出す。むしろ走っているといった方が近い。

「戻るぞ」
「え?」
「それはまだあの家にあるのか?」
「は、はい。妹が持っているはず、ですが…。あの、リュシアさん、どういう事ですか?」

 踊り場が三つもある長い階段を、私達は一段飛ばしで駆け上がる。


 彼の眼はもう私を見ていない。
 闇に揺蕩う海を見ていない。

 彼が渇望する海の向こうすら、見ていない。


「説明は後だ、行くぞ」
「は、はい!」

 訳が分からぬまま、私は走った。
 高台にある私の家までは上り坂である。
 階段を昇り切って息を整える間もなく、リュシアは一歩先を走っている。

 なんだか嫌な予感がする。
 リュシアの言葉を借りるなら、まさにそれだ。


「…テルマ!!」


 あの石を手に取って、様々なものを映しては微笑んでいた妹の顔を思い浮かべる。

 彼女だけは守らないと。

 それに彼は、リュシアは信じるに値する男だ。
 彼が自分の正義の為だけにしか動かないのであれば、今走っている行為は正義を脅かす何かがあるからなのだろう。



 それがとても怖くて、とても恐ろしくて。



 彼の背に縋りつきたい気持ちを抑えて、走った。
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