蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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二. ニーナの章

26. 死人化

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 私達は何も得られなかった二階の捜索を諦めて、また一階に戻ってきた。

 血は徐々に固まりだしている。滑りを伴った滴りも、逆側にツララを作ったまま天井を見上げている。


 一階は、ロビーを抜けると長い廊下があって、左側に団長の執務室、食堂や娯楽部屋、会議室、作戦部屋等が並んでいる。
 右側は中庭だ。10年前までは庭師の手が入って綺麗に整えられていた庭は、私達によって木々は伐採され、畑が作られている。食い扶持が多い分、自給自足に頼らないと食ってはいけないからだ。

 中庭の先には室内プールもあるけれど、今は倉庫として利用している。


 長廊下への扉を開けると、むわっとした淀んだ臭いに遠ざかった吐き気が復活した。

 外の空気を取り込まない廊下は換気が悪いのだ。汚れた空気は相変わらず血の匂いを纏っていて、私は思わず手で鼻を摘まんだ。


「ふぐ…すごい臭い…」

 団長の執務室は一番奥だ。
 私達は目の前の部屋、食堂から順に扉を開いていく。

 しかし部屋は二階と大差なく、血で汚れているだけだ。すでに多少の血程度では驚かなくなっている。人間の慣れという奴は恐ろしい。


「アドリアン!コルト!ロロ!アイン!ギャバン!みんな。どこにいるの!!」

 廊下に私の声が響く。
 誰かが一人でも隠れているのなら、この声は届いているはずだ。

 それに得体の知れない敵がいれば、この声に反応して襲ってくるはず。

「旦那、まさかグレフの仕業ってやつじゃ…」
「分からん」

 辺りを警戒しながらアッシュがグレフの名を出した。

「在り得るな。どうだとしたら、恐らくはもう…」

 彼の言葉に痛ましさを感じる。

 グレフが絡んでいるのならば、私達に与えられる選択肢は多くない。
 死ぬか逃げるかの二択のみなのだ。

 団にグレフを殺す力は無い。もしそうだとすると、団のメンバーは全員手遅れなのかもしれない。

 最悪の状況を考えて、最後の扉――団長の執務室を私は開いた。


 ガチャリ


 執務室はこの屋敷でも一番豪華な部屋だ。
 貴族の意地がつまった絢爛豪華な部屋である。団長は絢爛というには似つかわしくないが、武骨な割に華美で丈夫な調度品が揃ったこの部屋が殊更お気に入りであった。

 横領という言葉が脳裏をかすめる。

 団長自身は無駄遣いもせず服装も地味で派手な遊びもしなかった。
 だけど10年もこの部屋を使ってきた割にはよく手入れされている。そういえば、この棚の置物は見た事がない。金ぴかな像も、いつまでも金ぴかなままだ。団長はこういうところに金をかけていたのだろう。

 団の金を掠めて、自らを誇示する部屋を着飾る為だけに。


「う…ここも…」

 もうすべての部屋を見た。

 団長の部屋も、当の本人は《中央》に連行されて不在なのに、血だまりだけが在るのだ。

 見回すがやはり人気は無い。何故かこの部屋だけ、灯りはついていない。長廊下から漏れる光が不気味さを強調していた。

 諦めて最後の西側に行ってみようかと部屋を出る。
 すると、薄暗い部屋の中を食い入るように見ていたアッシュが、あ!と鋭い声を発した。


「待てよ、嬢ちゃん。誰かいるぜ…」
「え?」

 振返り、アッシュに並んで目を凝らす。
 薄暗い部屋の奥、気付きにくいが団長の机の後ろ辺りで、チラチラと黒い影が見えた。

「あ……」

 人だ!

 ついに人に出会えた。

 その黒い影も私達に気付いてくれたのだろう。机に隠れるように揺れていた影が、のそりと立ち上がり、ゆっくりゆっくりとその歩を進めてくる。

 影が遠慮なく血を踏んでいる。

 ひたりひたり

 小さな足音が、恐る恐るといった具合に近づいてくる。

 良かった、無事だ。
 怖かっただろうに、その身体は震えている。生存者に出会えた喜びに、私は影に飛びついた。

 廊下の光が淡く影を照らす。
 それは私の見た事のある、親しい者の影だった。

 若さ故の大胆で派手な恰好。本人はそうではないだろうが怪しいだけのリュシアの服装とは種類が違う。
 服に関する拘りは如何様にも強く、いつも自身満々にその姿を曝け出しているその男の名は、エーベルだ。

「エーベル?」

 ドサリと私に抱きしめられた小柄な身体を包む服装は、寝間着なのかスケスケでフリフリのレースのネグリジェだ。
 相変わらず変な服装。
 クスリと笑って、彼の名を呼ぶ。

「エーベル!!」

 ぐりぐりと頭を痛いほど私に押し付けてくる彼は、よほど怖かったのか言葉は無かった。
 それなりにグラマーでセクシーな女性が着たらアドリアンなど一発でコロリであろう白いネグリジェは、乾いた赤茶の血が幾つもこびり付いていて見る影もない。

 彼の顔が見たくて、エーベルの両頬を触った。
 血が固まったガサガサの髪をかき上げ、顔を覗き込む。

「良かった、無事…ひぃ!!」

 無事なのね、と言いかけた私は、次の瞬間にエーベルを突き飛ばしていた。
 力いっぱい跳ねのけられた身体は簡単に吹っ飛んで、頭を固い机にぶつけてしまう。いつもの彼なら文句の一つや二つは飛んでくる。

 わざとらしくあざとい視線を送ってくるエーベルの狐のような瞳は、無かったのだ。
 そう、言葉の意味する通りだ。あるべき場所に、あるべきものが収まっていない。

「嬢ちゃん!」

 アッシュもエーベルの変わり果てた姿を見て硬直している。

 彼は両目が無く、目があったところは陥没して黄色い液体を流していた。
 良く動く口は耳まで裂けていて、舌がだらりと垂れ下がっている。
 頭も顔も何もかもが血だらけで、手足には痛々しい傷が見える。その一つは相当深く、裂けた肌からは白いものが見えている。

「あ、あ…」

 一歩下がる。

 この姿、私は知っている。
 エーベルが立ち上がる。

 先程と同じように、小さな足音を立て、ゆっくりゆっくりと近づいてくる。
 にたりと避けた唇が笑った。


「離れてろ」


 リュシアが一歩進み出る。

 私は腰が抜けそうになりながらも、必死で彼の後ろに縋りついた。
 妙に触り心地の良い彼のローブを握りしめる。

 その時エーベルの動きが急に激しくなって、ゆっくりだった歩みが怒涛の勢いに変わった。


 ぐがあああああ!!


 顎下まで伸びた舌がピロピロと激しく動き、裂けた口を思い切り開けて、リュシアの喉元に喰らい付こうと突進する。

 プシャ。

 まるでミニトマトが踏まれたような音がした。

 エーベルの手はリュシアには届かなかった。
 リュシアは棒立ちで突っ立ったままである。彼に辿り着くその寸前で、エーベルの頭が粉砕したのだ。
 目の前で砕けたエーベルの返り血すらも、リュシアは被らなかった。

 血は細かい霧となり、左右に散らばった。水ですらない。それはすぐに蒸発して霧散する。
 エーベルの肉は消えた。
 頭を失ったエーベルは、そのまま前に倒れ込む。そこでリュシアはようやく身を逸らし、彼の胴体をやり過ごした。

 一瞬で、エーベルは死んだ。

「死人…!?どうしてエーベルが!!何があったの!そんな、こんな事って…」

 ようやく人に出会ったと思った。

 不安で不安で、心が押しつぶされそうだったのに。
 私が見たものは、あの廃墟で遭遇した死人そのものであった。

 エーベルは、唯一の生き残りではなかった。
 どうしてなのか。なぜ死人と化してしまっているのか。

 めちゃくちゃに混乱して私はついに声を上げて泣きだしてしまった。

「ああああっ…!!!」

 どうして、なにがあったの。

 なぜエーベルは死んだの。どうしてリュシアはエーベルを殺したの。

 虫けらを潰すように、ひどく簡単に殺した。なんの感慨も無く、親しい私がここにいるのに何の許可もなく殺した。

 エーベルは死んでいたの?生きたまま死んだの?
 どうして私は一人なの!!

 ピクリともしないエーベルの屍を、リュシアは黙って見下ろしている。
 私はそんな非情な彼のローブに縋って、泣き崩れている。
 リュシアは、私を慰めもしなかった。



「だ、旦那ァ!!!!」

 暫く経って、アッシュが血相を変えて部屋に飛び込んできた。
 私が泣いている間に、一人で見て回っていたのだろう。

「なんか、いきなり、現れた!!」

 上がる息を堪え切れず、後ろを指さしている。

「だめだ、旦那。二階にめちゃくちゃいるぜ!くそ、訳分かんねー!!」
「一旦引くぞ」

 ひぐひぐと泣いている私の腕を無理やり引っ張って立たせてから、元来た道を戻る。


 ぐがああ!!


 長廊下を走って扉を開く。
 今まで何の気配も無かった広いロビーに、死人の集団が犇めき合っていた。

 いつの間に出てきたのか、一階は元より、二階からも続々と死人は現れる。

 階段を使うといった考えはないのか、二階の手すりを越えて落ちてくるのだ。二階から大理石の床に叩き付けられた身体はグシャリと骨がへしゃげる嫌な音を立て、床を新たな血で汚す。
 それからうごうごと身体を揺らして立ち上がり、曲がった手足をものともせずに歩き回るのだ。

 その100体近い死人がこのロビーに、いる。

 どれも見知った顔ばかり。この人は私と同じ事務係、この人は今日私達と一緒にご飯を食べた…。
 名前も顔も全部分かる。大事な大事な、もう一つの家族なのだ。

 どれも窪んだ目をしているか、あっても眼球が垂れ下がっているか。
 余りにも醜く、余りにも残酷な姿に私は涙も忘れて呆けてしまっていた。


「入り口にも…」

 ロビーから見える玄関ホールの扉の手前にも死人はいた。
 私達を逃さぬ気なのか、出口は塞がれてしまっている。気配を絶っていたのは私達を誘導する為?奥に追いやって出口を塞いで退路を断ち、八方ふさがりにする為か?

 その裏で死人を操る物がいるとすれば。
 怒れる神グレフ以外に置いて他は無い。



「アドリアン、あなたまで…」

 その唯一の出口である扉には、団きっての特攻隊長であるアドリアンが朽ちた姿を晒していた。
 アドリアンの傍にはコルトも控えている。ロビーの集団の中に、ロロとアインの変わり果てた姿も見た。
 アドリアンはその口に、ギャバンの愛用するバンダナを咥えている。

 それを見せつけるかのように咀嚼し、ごくりと呑み込んだ。

 もうだめだ。
 団は全滅している。

 この屋敷にいた100数名が、全て死人化している。
 誰が殺した。私の大事な家族を。

 わなわなと怒りが込み上げてくる中、憎らしい程までに冷静なリュシアがいつもの平坦な声で言った。


「他に出る場所は無いのか?」
「え?」

 本当に、恐れ入る。
 この人は、こんな状況でも一切取り乱さない。
 そしてその態度は、感情任せに視野を狭くした私に、いちいち渇を入れてくれるのだ。

 彼がいなければ私はこの場に崩れ落ち、もうすでに死人の仲間入りをしているに違いない。アッシュは相応に騒いでいるけれど、根っこの部分でリュシアという存在が大きいのだろう。
 何かとリュシアに助けを求めるのは、彼に相当依存している証拠だ。

 それは私もそうなりつつある。

「あ、そうですね…うん。ごめんなさい」

 それから思うのだ。
 彼がいれば、大丈夫なのだと。

「嬢ちゃん…」

 アッシュも一日だけとはいえ、同じ釜の飯を食った同士の屍にショックを隠し切れないでいる。
 死人は私達に気付いてはいるが、襲っては来ていない。
 何か合図を待っているのか、ゆらゆらと腐った身体を揺らしながらこっちを見ているだけだ。



 私は二人の手を引っ張り、長廊下に入ってから扉を閉めた。

「この屋敷の西側、そう、あっちです。中庭があるの」

 団長の執務室とは逆を指差す。

 まだ確認はしていない。死人がいないとも限らないが、入り口は塞がれているのだ。
 生前の記憶が残っているならば、唯一の出入り口を塞いで袋小路におびき寄せる作戦なのかもしれない。
 あれだけの死人がいれば、私達は行く当てがなくなって、最終的にはこの西側の庭に辿り着く。

 罠であるのは間違いないだろう。逃げ場も完全に断ち切って、このメンバーで一番危険な人物…リュシアに対抗する為に。


 だが、私は知っている。
 産まれた時からこの町に住んで、この館近辺を遊び場として育った私ならば。
 幼い頃に見つけた私とテルマだけの秘密の場所。


「中庭と室内プールがあるんですが、その建物との間の細道に、実はここの裏路地に抜ける柵が一本だけあるんです」
「なんだって?」
「大人では少し狭いかもしれませんが、頑張れば通れるはずです。細道は草に隠れて見つかりにくいでしょう。道というよりも野良猫などの通り道といった方が正しいかもしれません。塀を越えても柵があって外には出れないんですが」
「塀を越えれるのかよ。二メートルぐらいあるぜ?」
「大丈夫。この屋敷は私達の遊び場でしたから。貴族がこない時にこっそり入って中庭で遊んでいたんです。その時に使った足掛けが、まだあります。子どもでも越えられるのですから、いけるはずです」

 柵は一本だけ取れるのだ。
 施工した時に気付かなかったのか、そこだけ簡単に外れる。

「庭にもいたらどうすんだ!」
「その時はまた考えればいい。行くぞ」

 庭にいても奴らは動きがとろいはずだ。

 大丈夫だ、大丈夫。

「はい!」
「おう!」




 そうと決まれば行動あるのみである。


 いつこの扉を越えて死人達が襲い掛かってくるか分からないのだ。まずは安全な場所で、作戦を立てる必要がある。
 外に出て家に帰ろう。鍵をしっかり閉めて、それから作戦会議だ。


 テルマの事は心配だけれど、私はこの町を守る自警団のメンバーだから。残った私がやるしかないのだ。
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