蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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二. ニーナの章

27. 無邪気な笑み

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 他より厚い扉を開いて中庭に出る。

 死人の来襲に備えてアッシュも私も魔法の触媒に祈りを込めていた。
 アッシュは火の魔法を。そして私は水を。

 水の魔法では大して死人には効かないだろうが、足を止めるなどのサポートは出来るはず。走りながらも集中して真霊晶石に力を込めた。

「………」
「……」

 この屋敷に入って、まだ数刻も経っていないはずなのに、一日以上いるような体感時間だった。

 血に塗れた空間から解放され、凛とした冷たい外の空気を胸いっぱいに吸い込んで、私は空を仰ぎ見た。外が懐かしかった。屋敷の赤が強すぎて、他の色を欲していたのだと分かる。

 空一面の暗闇は、まだ夜明けの太陽を呼び出してはいない。東が明るんでさえもいない。今は一体何時なのだろう。


 中庭は想像と違ってとても静かであった。
 港でリュシアに皆合したと同じく、空に星も月も無く真っ黒で、シンと静まり返っている。

「ここは、静か、ですね」

 中庭には街灯があって、この場所は真っ暗ではない。

 遠くまで見通すことはできないが、物陰に誰かが隠れる場所は無い。ここはかつて花が咲き乱れた美しい庭であったが、今はただの畑なのだ。

 穀物は長期保存も効くし主食にもなる。
 災厄を経験した私達だからこそ、食糧難が一番怖い事を知っている。だからこの畑に植えられた野菜は、ジャガイモのみである。

「気配はねえけど…血の匂いもしねえ」

 館中が血で汚れていたのに、此処には一滴も落ちていない。

 土が血で侵されたら、ジャガイモは全滅していただろう。死人の体液は感染する。被害は此処だけに留まらなかったはず。

「……」

 リュシアは黙って前方の大きな建物を見ている。
 室内プールのある建物だ。

 海があるのにわざわざ室内にプールを作るとは、とんだ道楽をもった貴族様だと幼い頃は思っていたが、《王都》や貿易都市では流行っているらしい。

 体温よりも若干高めのお湯を入れて、冬でも水泳を楽しむのだ。
 一年中パーティをやっている貴族からしてみれば、当たり前の施設だったらしい。
 その金持ちの軌跡も、今は水すら抜かれて団の倉庫として利用されているのだが。
 頑丈で湿度が一定のこの建物は、武器や弾薬、爆薬など火気類を保管するのに適していたのだ。

 リュシアの視線を追うように、私は何の気なしにその建物を見た。


 そして、妙な既視感を感じたのだ。


「?」


 なんだろう。
 何とも言えない。胸の奥をもやもやとした煙が蠢くような。
 あの先に行ってはいけないような。いや、行かなければならないような。

 建物から視線が外せない。

 一階部分には窓は無いが、二階には建物をぐるりと小さな窓が並んでいる。
 その一つに、懐かしい姿を捉えたのだ。

「あ、あれは!!」

 私は考える間もなく飛び出した。

「お、おい、嬢ちゃん!!」

 アッシュの私を止める声がするが、そんなのに構ってなんていられない。


 だって、だって!
 この私が見間違うはずはない。


 毎日毎日、慈しんできた。
 とても大事に、愛してきた。


 ああ、どうしてこんな場所に。こんな危険なところに、どうやって。
 聴きたい事はたくさんある。ちょっとだけ心配かけた事を叱って、あとはぎゅうと抱きしめてあげよう。




「……テルマ!!」



 窓に映るふわふわのシルバーブロンドは、あれがまさしく私の妹である事を示していて。

 その姿に何の疑問も抱かず、私は団の事や死人の事など全部吹っ飛んで、ただひたすら渇望した。



 ――――





 死人の存在など、正直知った事ではなかった。
 いや、頭の片隅にはある。アドリアンや親しい団員達の醜悪な姿は忘れたくとも忘れられない。

 鉄の扉を開く。
 キイキイと建物全体に音が響く。

 だが、死人よりもまずは妹だった。

 この建物も、中庭と同様に血は一滴も落ちていない。罠の可能性は充分に在り得る。
 死人は土を移動する。この建物の下は石で、プールを支えねばならないから強固な作りをしている。
 土ならばともかく、石を貫通して現れるとは考えにくい。

 ならば考える事は一点で良い。

 建物に入ってすぐに水の張っていないプールはあって、その中に所狭しと武器や火器が陳列されている。有事以外にも、火器は様々な分野で役に立つ。
 水気も火の気も無い建物ではあるが、万が一これに火でも点いたものなら、この周辺は軽く瓦礫の山と化すだろう。
 それだけの武器を保持しているが、幸いな事に殆ど利用された形跡は無かった。

 そのプールには飛び込み台があって、そこには細い螺旋階段を伝って行かねばならない。

 私は螺旋階段の手摺に手を預け、愛しき妹を仰ぎ見た。
 妹は、テルマは飛び込み台の一番端っこで、その小さな身体を揺らしていたのである。



 黒いふわふわのドレスに、同じ色の大きなリボンを頭に飾り、ウサギのキャラクターのワンポイントが刺繍された膝丈までの靴下姿で、危なげもなく台の手前で足をプラプラさせていた。

 テルマが動くたびに飛び込み台は大きく撓って、その動きに合わせて彼女のシルバーブロンドが上へ下へとふわふわしている。

 彼女は悪ふざけをしたような、いたずらっ子の笑みを私に向けていて、これが常時であれば私は今すぐでも彼女を思い切り抱きしめて、めちゃくちゃ甘やかせていたところなのだが、私は何故か螺旋階段から動けないでいる。


「おねえちゃん」

 どうしたのと云わんばかりのきょとんとした口調だった。

「テルマ…」

 靴は履いていない。
 父から貰ったお気に入りの赤い靴を何処かで無くして以来、彼女が靴を履いた所など見た事が無かった。

「ふふ、どうしたのおねえちゃん」

 彼女はそう言いながら、あの行商人が売っていた透明な石をポンポンと上へ投げて遊んでいる。

「あなたを探して、いたの。ベッドに戻らないと、きつくなっちゃうよ」

 私の記憶を遡る限り、テルマは幼いころからベッドに押し込められていた。
 病気だと誰が教えてくれたのか、もう覚えてはいない。

 物心ついた私の最初の記憶は産まれたばかりのテルマを抱いて、母が産院から退院した時だ。
 それから何処に行くのも、何をするにも、私とテルマは一緒だった。

 その歯車が狂ったのは何時の話だったのか。気付けばテルマは病気になっていて、私が看病しないとすぐに血反吐を吐いて死の世界へ旅立とうとするのだ。


「ううん」

 テルマはゆっくりと首を振る。

「テルマの病気はよ。もう、ずっとあんなところに押し込められなくても大丈夫」

 そしてテルマはその場に立ち上がった。
 益々飛び込み台が撓り、ほんの少しの風がテルマを押すだけで、水の無いプールに真っ逆さまである。

 私は顔面蒼白となっていたが、テルマの表情は逆に晴れ晴れとしている。


 そして、ふわりと宙に、浮いた。
 ドレスが靡く。髪が靡く。リボンが靡く。
 私は声も出せず、テルマを見ているしかない。



「お、おい!ありゃ、何だ…浮いてやがんぞ…」
「……」

 するとようやく私に追いついたのか、アッシュの掠れた声がすぐ傍で聞こえた。
 リュシアの声はしない。相変わらず口をヘの字に黙っているのだろう。

「テルマ、そこは危ないよ。おねえちゃんと一緒に帰ろう。ここは怖い人たちがたくさんいるの」

 宙に浮いたテルマは、きょとんとしている。
 大きな瞳がさらに大きくなって、薄灰だった彼女の瞳の色が、この時赤く染まっている事に気付く。
 それは館で見た夥しい血と同じ色。

 余計な刺激を与えてはいけないと思った。だから努めて優しく、いつもの私がいつもテルマに接するように声を出す。

 それに此処は本当に危ない。中庭の向こう、廊下を挟んだ先に死人の大群がいるのだ。

「?」

 テルマは頭の上にいっぱいのハテナマークを浮かべて、それから真っ直ぐに私の後ろを指差した。

「怖い人は、サメのお兄ちゃんじゃないの?」
「……」

 突然指を突き付けられたリュシアであったが、彼の態度は変らずテルマを見上げている。

 この人が怖い?

 そういえば家でもテルマはリュシアを怖がっていた。
 その突飛も無い服装に驚いているだけではなさそうで、テルマをじいと見つめるから怖いと言っていたのだ。

 テルマは私以外の人間から見られるのに慣れていない。
 家族も殆どテルマと接しないし、幼いころに病気にかかったテルマに友達という存在も無いのだ。

 人はテルマを見ても、必ず視線を逸らす。何処か違う場所を見て、不気味なのか彼女と目を合わせる者はいない。
 しかしリュシアはそのどれとも違ってテルマを見つめた。


「なにを言っているのテルマ。お願いだから、おねえちゃんのいう事を聞いて」

 それにリュシアが怖かったのはさっきまでの話だ。

 夜中に彼と出会い、二人きりで夜の海を眺めながら私は彼の本質をほんの少し知ったのだ。
 得体の知れなかった彼とはもう違う。寝る前にテルマに愚痴っちゃった事を、テルマは言っているのだろう。

「テルマはちゃんとおねえちゃんのいう事を聞いているよ?」
「な、なに…」

 だけどテルマは動かなかった。
 その場に浮いたまま、赤い視線を私に移して、少し不機嫌そうな物言いをした。

「おねえちゃんいつも言ってたよ」
「テルマ…」
「このひとたちがいなかったら、もっと自由になれるのにって」
「!!」

 テルマがくるりと宙を舞った。
 いたずら子猫のような細い目をしたかと思うと、服の下をごそごそと弄り何かを取り出し、無造作にそれを投げたのだ。

 ペシャリと音を立てたそれは、空っぽのプールの底でペシャンコに潰れた。
 それと同時に、じわりと血しぶきが底を濡らす。

 目を凝らしてプールの底を覗き込む。微動だにしないそれは生々しいピンク色をして血を流す。
 一筋の血がツウと底を伝って排水溝まで線を描くまで、それの正体をぼんやりと考えた。


 人の、内臓…。


「だからテルマ、おねえちゃんのお願い聞いてあげたのに、どうして褒めてくれないの?」
「あなた、何を、したの…!?」

 悪びれもせずに、テルマはくるくると宙を舞っている。
 その度にドレスの下から臓物を取り出してはペシャリペシャリとプールの底に叩き付けて遊んでいる。

「いなくなればいいんでしょ?だから、いなくしてあげたの__・__#」

 なんてことなの。
 いなくなればいい。
 私はテルマにそう言ったのか?

 もう一つの家族たちを疎ましく思う発言を、テルマにしたとでもいうのか。


 いや、したのだ。


 もう、当たり前のようにしていた。

 テルマは私の話を何でも聞く。彼女にとっての外の世界は、私だったからだ。
 私の言葉こそが、唯一の外の言葉だった。

 私は彼女によく絵本を読んであげていたが、寝る前に少しだけ愚痴も聞いて貰っていた。
 外の世界に疎い彼女には良く分からない話だっただろう。だけどテルマは嫌な顔一つせずに、私のくだらない愚痴を楽しそうに聞いてくれていたのだ。

 それは他愛もない話だ。
 今日はエーベルの恰好が気持ち悪かったとか、アドリアンの女癖が悪くて彼女扱いされて困ったとか、程度の低い解決さえ望んでいない安い言葉だ。


 そして私は最後にいつもこう締めくくって眠りにつくのだ。
 団さえなければ私は自由に飛び立てるのに…と。


「テルマはいい子だから、全部殺してあげたよ?」

 とても綺麗な笑みだった。
 無垢な瞳は、己を正当化すらしない。正しいとも思わない。悪いとも思わない。
 彼女に善悪は無い。

 それすら知らずに、彼女は十数年もベッドの上で生きてきた。

 何がどうしてどうなって。
 テルマが団員を全て殺したとでもいうのか。

 手あたり次第、皆殺し。おもちゃを壊すように、人を殺した。
 そんな力が何処に。

 テルマが捨てて、プールの底に積み重なった臓物は、それが嘘ではないと思い知らされる。




「おねえちゃん、褒めて?また、頭をなでなでしてほしいな」



 そしてテルマは無邪気に笑った。
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