蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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二. ニーナの章

32. 哀しい仲間

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 私は無我夢中で走った。


 今夜はほんとうによく走る。
 それに何度も同じ道。裏通りから噴水広場への長い坂道を、今度はこけてしまわないように下る。

 街灯は思いのほか少ない。石畳の地面は時々出っ張りもあるから、気を付けなければならない。
 坂下に転がり落ちるのだけは嫌だ。怪我だけじゃ済まない気もする。


 町には、とてもたくさんの怒れる神グレフがいた。

 グレフはみな大蛇の姿を模している。形が鮮明なものも曖昧なものもいるし、大きさも様々だ。
 大人の男性よりも大きいのもいれば、膝下ぐらいの小さいのもいる。みなバラバラではあるが、同じ形をしていて、うねうねと生理的に気色悪い動きも同じであった。

 もう遅いのかもしれない。

 坂を駆けながら、私は町を見回す。坂の上からは町がよく見渡せる。白いモヤが、至る所にいる。
 そして、あちこちから悲鳴が聞こえる。

 まだ夜は明けていない。月も星も何もなくて真っ暗な夜に、人の悲鳴が響き渡っている。
 みんな夢の中にいる時間帯。
 だけど、劈く悲鳴は耳に残る。ざわついた町の雰囲気に、眠りは簡単に妨げられる。
 悲鳴が人を呼び起こし、それらが外に出てまた新たな悲鳴を生む。

 もう、手遅れなのかもしれない。町はすでにグレフに侵略された。

 それだけではない。いつの間にやら、あの死人の姿もちらほら見受けられるのだ。
 グレフが人間を殺し、殺された人間が何らかの力によって死人化して殺戮者へ加わる。

 犠牲者の数と殺戮者の数は比例して増えていく。
 それでも被害を最小限に食い止める事は出来るはずだ。
 まだこの騒ぎに気付いていない人も多い。悲鳴に慄いて、家の中でぶるぶる震えている人もいるだろう。


 急がなければ。

 館を飛び出して、アッシュが騎士団の援軍を求めて町を出て行った後、いまいち要領の得ないこの変な全身タイツの男に訝しんでいると、それは『リュシアの影』だと自己紹介してくれた。
 無口だ無口だと思っていたリュシア以上に、言葉そのものを語らない。

 一言だけで説明を済まそうとするロンという人に何度も聞きだして、ようやくこの人がずっとリュシアの側に控えていたのだと知る。

 ピンチの時に颯爽と現れて、俊敏にズバっと解決!…みたいなご都合主義な存在ではなくて、リュシアが呼ばない限りは何が在ろうと一切出てこないだけらしい。
 本当は彼を助けるのが自分の役目で、私を守って港へ行くことも、その後にアッシュを守って無事に騎士団に送り届けるのも、全く持って本意ではないとの事。

 それでもいち早くグレフや死人のいる場所を特定して、無駄な戦闘を避けるために道を選んで一緒に走ってくれて、最善の策を取ってくれているのだ。
 それもリュシアの命令に従っているだけらしいのだが、どちらにせよとても頼もしくて有難かった。


「…っつ!」

 ツクンと右足が引き攣る感覚がした。
 なんだろう。微かな痺れのような、若干の違和感を感じる。

 右足も左足も休むことなくよく動いてくれている。
 いい加減息も上がってきついのだが、上り坂よりも遥かに楽だ。その代わり、勢いにつんのめってしまうから余計な力を込めねばならないが、恐らくは、なのだろう。
 妙な力が入りすぎて、心身ともに疲れているからそう感じるだけ。

 あの館で、団のメンバーたちの屍が大量に出現したプールの建物で、ガッチリと死人に足首を掴まれたあの出来事を思い返す。

 

 確かに力は凄かったし痛かったけれど、血は出ていない。アッシュが問答無用に蹴りまくってくれたから、床から伸びた手はすぐに私を離してくれた。

 大丈夫。気にし過ぎだ。


「はあはあはあ…」

 ついに噴水広場まで辿り着く。
 眼下の階段を降りれば目的地の港だ。
 旧組合事務所は港の脇にある。距離は殆ど無いからもう着いたも同然である。

 流れた汗が夜風に曝されてとても気持ちが良かった。
 あんまり走ったからなのか体温も高い。火照った身体を冷ます風を全身に浴びつつ、海の女神を奉る銅像から真っ暗な海を見やった。

「な!!」
「ム……」
「すごい、数…」

 なんと、海にもグレフがいたのだ。

「海から来ているの?」

 海は一面の白いもやに覆われていた。
 モヤは半透明で、海の黒さを透かしてはいるものの、余りに大量で白しか見えない。

 ぐねぐねと我先に港へ降り立ち、凄い勢いで四方八方に散っていく。
 途中で分解されるもの、統合して大きくなるもの、数は数千、いや数万、もっとか。

 なんという事なのだ。

 グレフを殺せる人間はこの町にいない。小さい一匹だとて、攻撃は効かぬのだ。
 頼みの綱のリュシアは館で別れたきり姿を見ない。この中で唯一グレフを殺せる魔法使いなのだ。

 でも、彼だとて、もはや軍隊といっても過言ではない量のグレフを相手に、あの調子で簡単に奴らが殺せるとは思えない。

 所詮、戦争とは数がものをいうのだ。
 一対数万では分が悪いどころか、同じ土俵に立つ前に殺される。
 これじゃあ、万策尽きたも同然である。

 何故この町に、この日に限ってグレフが総攻撃を仕掛けてきたのか分からないが、残された道は全滅以外には考えられないだろう。

 あの大量の蛇に町ごと呑み込まれてみろ。家でぶるぶると隠れていても全く無意味だ。
 籠城作戦するにも行き当たりばったりすぎる。
 いくら騎士団が援軍に現れるからといって、この数に対抗できるとは思えない。
 非現実的すぎる。

 あるのは「死」のみ。

 グレフに呆気なく殺されて死人と化すか。死人に殺され、ぐちゃぐちゃのまま死人になるか。
 いずれにせよ、町が生き残る術はあるまい。

「鐘」

 一言だけ、ロンが言った。
 彼もあのグレフの数をその目でしっかりと見ているのに、まだ警鐘を鳴らせと言っているのか。

 そうか、彼はあの人を信じているのか。
 あの人がそうしろと言ったから、何の疑問も疑いも持たずに命令に従うだけなのか。

 彼の任務は終わっていない。
 まだ私は町の皆に危険の鐘を鳴らしていない。
 私がこんなところで勝手に絶望して動かなければ、彼もまた動けないのだ。

 早くあの人の元に帰りたいのだろう。それを私が、何も行動しないまま無駄だと思い込んで邪魔をしている。

「ごめんなさい。行くわ」

 私がこれからやろうとしている事は茶番なのかもしれない。

 すぐにグレフが町という町、家という家に入り込んで殺戮を開始するだろうに。ほんの少しの家族の語らいを彼らに与えられる事だと思えば少しは楽か。
 非常事態に家族が寄り添って神に祈り捧げるだけでも、最期に家族の絆に守られたまま死ねるのだ。

 私の家族は、バラバラだ。
 父はそもそもこの町にいない。祖母の頭はお花畑になってしまって、母は狂った私を避けて怯えている。
 家族がこうなってしまったのも、テルマの死を受け入れられずに「」を作った私に原因があるのだ。

 私はどうして、やる事成す事裏目に出てしまうのだろう。


 階段を駆け下りる。

 ついさきほどまで、此処に私とリュシアはいたのだ。
 夜風にのんびりと当たっていた彼は、話せば普通の人だった。
 無口で怖くて不愛想な彼の態度が、今の彼という立場を形成させるのに敢えて作られたものだと彼は語ってくれた。



 本当の彼は、とても優しい人なのだ。
 優しくて、美しくて、強い。
 彼に会いたいと、思った。



 港もグレフで埋め尽くされている。

 この右手側が目的の場所なのだが、すでに私達の存在を悟られ一方的にシャアシャアと威嚇の声が凄まじい。
 擡げた首がゆらりと揺れ、いつ丸ごと呑み込まれるか分かったものじゃない。

 ここから身動き取れずに終わってしまうのかと思ったが、ロンが懐から何か丸い筒のようなものを取り出して火を点けた。
 それは瞬く間にシュウシュウと紫の煙を出して、私達の周りは一瞬で煙に包まれる。

「囮」
「え?」
「対グレフの催涙弾。一時的に姿を認識できなくなる」
「え、ま、待って!」

 そう言うと紫の筒を振りながら、瞬時に姿を消してしまった。

 だが、少し離れた場所でまた煙が噴き出している。モウモウと立ち込める煙に、彼の云った通りグレフは私達の存在を見失ってしまったようである。
 激しく首を振り、僅かな物音に反応して思い切り尻尾を撓らせる。
 その先に私やロンはいない。

 グレフの攻撃はまた別のグレフに当たり、互いに互いを攻撃し合ってはシャアシャアと引き裂かれた口から夥しい涎を垂れ流すのだ。
 横と横の隙間が無い程までにグレフの数がいる弊害が起きている。

 グレフも私達を探している。この紫の煙が消えたら、その時は今度こそあの世行きだろう。
 私は息を殺して、足元に注意して万が一にもグレフの尻尾の先を踏まないように慎重に進む。

 煙の持続時間は意外と長かった。

 ゆっくり、確実に、急げ。
 震える足を叱咤し、そう長くない距離を歩く。

 足がもつれる。

 緊張の所為だけではない。
 もう、殆ど言うことを効かないのだ。
 棒のように固くなった右足を、それこそ両手で持ち上げなければ歩が進まないのだ。

 地面に足が擦れば、その音でグレフは私を認識してしまう。
 幸いにも左足と両手は何とも無い。

 身体が熱い。冷たい風も、生暖かく感じてしまうほどに。


 もう、私は。
 いい加減、認めなければならないだろう。

 私はもう…。



 建物に着いた!
 煙は未だ港に充満している。

 グレフが目という器官でモノを見ているのかどうかは知らないが、港で身動きが取れずに渋滞しているグレフの集団に、海から続々とやってくるグレフの大群が渡れないでいるのだ。
 海はグレフでごった返しており、その滑稽さに笑いが込み上げてくる。

 旧組合事務所に鍵は掛かっていない。
 館にも寝る場所が無い団員の、第二の宿舎施設でもあるのだ。いつでも誰でもこの施設には入れる。だからこそか、グレフがやってくる港に一番近い此処が、一番初めにやられた。

 入り口からあの既に見慣れてしまった血糊が、あの館で見たあの惨事の光景と同じものが、此処にもあった。
 建物全体は静かである。今のところ、グレフの姿も無い。
 しかし気配を探ると、何かがいるのだ。

 足を引きずりながら緊急連絡用の鐘が置いてある小部屋を目指す。

 ここは幼い頃から父の職場だったから、私もよく遊びに行っていた。
 母もここで働いていたから、従業員に家族全員が受け入れられたのだ。
 港に住む野良猫のいいネグラだったこの建物で、私はいつもテルマを連れて猫と遊んでいたっけ。

 フと笑みを漏らし、あの子を思いやる。

 あのくまちゃんには悪いことをした。
 勝手に生んだ挙句に、勝手に不要としたのだ。

 あの子が長年妹として扱われ続けて、私は少しでもあの子の立場を考えた事があるだろうか。
 私に褒められたい一心だったのだ。
 私の言葉が全てだったあの子に、善悪など理解できようもない。
 結果、言葉通りにあの子は団員を消した。みんないなくなれば私がまた旅に出られると思って。


 私はバカだ。
 バカな私に、神様が罰を与えてくださった。

 ほら、見てごらん。
 建物をうろつく死人が、


 やはり建物内は死人が闊歩していた。もう生き残っている者はいないだろう。

 のそりのそりとゆっくり動き回っては、壁や柱にぶつかって転げている。我も意思もなく、生きていないのに死んでもいない。
 あの館で私達を攻撃してきた死人が、もはや私を仲間だと思っているのだ。

 自分の意思では動かせなくなってしまった右足を見る。
 はっきりと、あの時掴まれた爪痕が消せない傷口となってじくじくと汚い泡を吐いていた。

 とても臭い。
 触ったらガサガサしているのに滑りもあった。

「はは…」

 乾いた笑いが出てくる。
 もう仕様が無い。ここまで来たら諦めるしかない。

 でも、まだ私は死んでなんかいない。
 動かない足は一本だけ。
 まだ片方の足と両手、考える頭も残っている。

 やるべきことを、やるだけだ。

 死人が襲ってこないのを逆に利用するんだ。もしグレフが私を追ってこの建物に入って来ても、死人に身を隠せばいいだけの話。
 それにグレフすらも私を死人と認識していれば、私はこの町で意識を保ったまま、ただ一人の無敵状態なのだ。


 カンカンカン カンカンカン カンカンカン


 鐘を打ち鳴らす。

 取っ手がついて持ち運びも出来るこの鐘は、貿易都市の廃墟で拾ってきたものだ。
 災厄で沈んだ灯台の中にあって、貝や苔に塗れていたのを団のメンバーでしっかり磨いて使えるようにした。

 大人の頭ほどの大きさ。ずっしりと重いが、持てないほどではない。
 どんな仕組みかは知らないが、小さい成りの割に音が遠くまでよく響くのだ。

 団長曰く、魔法道具マジックアイテムの類かもしれないが、これが本当にその類であればこの町に城が建つほど高価で稀少な代物である。

 この鐘の存在も、団長は《中央》にひた隠しにしていた。
 獲られると思ったのだろうか。
 彼の意図は見えないが、これが此処にある以上、この町のものであるのは間違いない。
 それに価値があると云われても良く分からない。こんな誰もが入れる建物に、そもそも適当に置かれているのだ。

 この町は台風が良く来る。災厄から潮の流れが変わって、よく直撃するのだ。
 この鐘の出番も多い。打ち鳴らせば町の出入り口まで全て聞こえる。お陰で台風被害も最小限に抑えられているのだ。道具はどれだけ価値があろうと、使ってこそなんぼだと思う。
 ただ飾られるだけの道具など、金持ちの道楽にしても悪趣味で可哀相だ。


 カンカンカン カンカンカン カンカンカン


 鐘を三回鳴らす。
 間隔を空けて、何度も何度も鳴らす。

 全ての人に聞こえるように。全ての人が分かるように。

 一回は避難。二回は集合。三回は待機だ。
 強く慣らせばそれだけ遠くに聞こえるはずだ。

 突然の鐘の音に建物中の死人が反応してこの扉の前に集合しているが、襲ってくる様子ではないので気にしなくていいだろう。

 町全体に響き渡ればいい。
 これで、極力人は、外には出ないはず。


 あちこちの悲鳴から何かが起きているのだと察するだろう。
 だが、鐘が「待機」を指示している。
 この町を守るカモメ団が、町に「待機」を知らせているのだ。

 町の住民は、団がすでに動いている事に安堵するだろう。悲鳴の元も、団が何とかしてくれるはずと。
 この町は、こうやって団に全てを依存してきたのだ。

 彼らは無条件に私達を信じる。団が創設してから8年かけて、信じさせてきた。
 後は何もせずとも、町民は外に出ないだろう。
 団が全てをやってくれるまで、彼らは怯えて家で縮こまっているだけ。

 多少喉に引っかかる部分はあるが、とりあえずはこれで大丈夫。
 一応の、私の目的は果たしたのだ。
 あの人の云う通り、グレフや死人が家の中に入らないという保証はないけれど。


 一応念のため鐘を持って部屋を出る。

 小部屋の前で大集合している死人達を押しのけ、私は足を引きずりながら外へ向かった。
 彼らは何をするでもなく、何となく動いているものについて行っているようだ。
 そう、出口に向かう私の後ろに、ぞろぞろと列を成しているのである。

 なんという珍道中だ。最期の旅の道連れが「死んだ人」とは、可笑しくて涙が出てくる。

 彼らを引き連れ、死人の先頭に立って外に出ると、紫の煙はすでに無かった。
 あれだけたくさんいた大蛇のグレフも、数えるほどしかいない。
 海を見やるとやはりそこにはまだ大量のグレフがいた。奴らは海を渡ってこの町に来ているのだ。
 遠くの水平線を見てもグレフで満杯だ。しかしよく見るとある一定の方向から来ているようなのだ。

「あの方向は、廃墟…」

 潮の流れが険しすぎて渦が行く手を阻み、船で廃墟まではどうしてもいけない。
 陸路からは馬で3時間であるが、海を渡れば2時間も掛からず貿易都市には行けるのだ。

 そういえば、リュシアは廃墟に何かがあると踏んでいた。
 まだ何も終わっていないと言っていたが、始まりがあの晩だったというだけで、今起こっている事こそ彼が懸念していた事由だったのだろう。

 グレフは私達に少しの猶予もくれなかった。
 まだ疑問はたくさん残っている。

 どうしてこの町なのか、あの石は何なのか、死人とグレフの関係や、廃墟に何があるのか、もう分からない事だらけ。

 しかし本来は、【】のであって、人間如きが奴らを推し量れるものではないのかもしれない。


 ここより人が米粒ほどの遠い距離に、あの紫の煙が見える。
 自分を囮に、此処にいたグレフをおびき寄せているのだろう。

 ロンの姿は無いから、あの煙の場所にいるのか、既に次の命に沿ってアッシュの元へ向かったのか。
 リュシアの影というからには、彼も魔法使いギルドのメンバーの一人なのだろう。
 魔法ではなく道具を駆使していたから、魔法を使えるようには見えなかった。ある程度修業した魔法使いは、各々が持つマナの波動を若干ながら感じるものだ。
 魔法使いは、自分と同じ魔法使いを何となく感じるという。空気が似ているというか、雰囲気というか、言葉では説明できない何かを感じるのだろう。

 マナの軌跡を明確に追えるというリュシアは、その才能が最も明白に出た例だ。

 あの全身タイツのロンには、魔法使いが纏う独特の空気は感じなかった。
 リュシアのギルドには魔法使いではない者も所属できるのだろう。
 彼が必要とするならば、職業など一切問わない。


「私もいきたかったな」


 行きたかったな。あの人のギルドへ。
 生きたかったな。あの人の傍で。



 その想いはこの右足ごと――打ち砕かれた。
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