蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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二. ニーナの章

35. 姉妹

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 こうしてみると不思議な気分だ。

 私が死人化しているから、彼らは私を仲間と思って襲ってこない。
 館にいた団の残りの死人の中にアインの姿を見つけた。

 アドリアンとコルトはもういない。
 あの時此処にいたから、恐らく彼にやられてしまったんだろう。

 団も半分ぐらいしかいないけど、この館は今、町の人のほうが多い。


 災厄以上に人が死んだ。

 私の町は立ち直れるのだろうか。
 明日になって明るくなれば、全ては明るみにでる。
 町にグレフが現れ、団が全滅し、町の人も多く犠牲となっている事を。

 団長が団を立て直す以前の問題だ。ある意味団長は運がいい。この惨状を回避できたのだから。
 今後の町が心配ではあるが、大丈夫だと思わなければどうしようもない。

 私はもういなくなる。

 団長さえいればどうにかなりそうだ。彼は私欲にうつつを抜かしてしまったのかもしれないが、私達を8年も引っ張ってきたカリスマ性は本物だったからだ。
 彼は人が良い。強く、逞しく、大らかだ。
 今後ギルドが間に入ってくれるのだろうし、町は存外痛みは感じずにいつも通りになりそうだ。


 それに、彼だって。
 少しはこの町に関わったのだもの。見捨てはしないだろう。

 …関係ないって言いそうだけど。


 どうしてだろう。これから死ぬというのに、心が穏やかだわ。
 こんなやり方しか思いつかなかったけれど、私が我を失う前にやり遂げられそうで良かった。

 よし!まだ身体が動くうちに、導火線を繋がなきゃ。



 私はのそりと立ち上がって、脇に挟んだ書物を開く。
 ペラペラとめくり、なにやらたくさんの線がこんがらがっているページに目が止まる。

「うう、訳分かんない。私は理系じゃなくて文系なんだけどなあ」

『火薬のススメ』
 小道具を扱うのが得意だったエーベルの愛読書でもあった難解なそれをどうにか解読して見よう見まねで繋いでいく。


「ええと、この青い線と…これをつなぐのね」

 指先に力の入らぬ手では、細い導火線を摘まむのにも一苦労だ。

「あら、意外と固い…えい!」

 中の金属が硬くて指が折れてしまった。

 乾いた笑いが込み上げる。ぽっきり在り得ない方向に曲がっているのに、全く痛くないのだ。
 それにこんなにも脆い。

「よし。あとは…銅線出して…道具はどこにやったかな」
「はい、これ」

 手探りでペンチを探していると、私の手に直接握らされてきた。

「あ、これだ。ありがとう」

 ……。

「……!!!」

 って。
 此処には私しかいないはずのに、誰!!

 いや、死人はいるけれど、彼らはぼうっとその辺を歩いている。

 思い切り後ろを振り返ると、それは当たり前のようにそこにいた。


「て、テルマ!!!」

 ふわんふわんのシルバーブロンド。
 いつもの黒いドレスに大きな黒いリボン。
 愛くるしい瞳をほっそり細めて、ニコリと笑っている。

「手伝う」

 そう言って、小刻みに震える私の掌に、その小さな手を載せた。


「あ、あなた、無事だったの…」

 リュシアの魔法の拘束から逃れるために、足をもがれ、身体中から綿を飛び出しながら這う這うの体でこの子は逃げた。
 その行方を案じた事もあったけれど、一体どうしてここに。

「テル…くまちゃん。でも姿が、だわ…」

 最期にこの子を見た時、既に私の妄想の呪縛は解かれ、この子は本来の姿を曝け出したのだ。
 今私の目の前でニコニコ笑うこの子の両手両足は揃っていて、クマのぬいぐるみでもない。
 いつも私が見ていた、妹のテルマそのものだったのだ。

「ふふ、やっとお話しできた」
「どうしてここに…って、だめよ!ここは危険なのよ!これからここはっ」
「おねえちゃんが壊すからでしょ?手伝う」

 私に体温は感じられない。その小さな手の温もりは、肌の感触があるだけで他は何も感じない。

 テルマは足元に置かれた見本書を眺めて「わっかんない」と舌を出した。
 それでも青と赤の線を持って、私にハイと差し出す。

「待って!どうして!だめよ、テルマ。私は感染してしまったの。この人たちも私も野放しにはできない。だから…」

 頭が混乱する。

 あまり頭も働かない上に、テルマが急に現れて、クマのぬいぐるみじゃなくて、テルマで…。
 ああ、もうぐちゃぐちゃだ。

「だと思った。ほら、手を動かしましょ。いつ石の力を神に乗っ取られるか分かんないんだから。そうなるともう二度と、この人たちを集められないよ?」

 確かにその通りだと思った。
 この死人は私のマナで動いている。怒れる神の支配権を奪ったのに、何故か取り返そうという動きは今のところ見られない。
 しかし私が死ねば、その支配はまたグレフに移る。マナが枯渇しても同様だ。

「それはそうだけど…」

 ペンチに力を入れ、導火線の青いゴムの部分だけを切って銅線を取り出す。
 ぶきっちょに震えるのに上手くいった。
 テルマが支えてくれているからだ。

が気になる?」
「え?」

 手を動かしながらもチラチラとテルマを見る私の視線が厭らしかったのか、それでもテルマは笑顔で言った。

「あなたが本当の事を思い出して、私はクマのぬいぐるみに戻っちゃったのに、なぜまたテルマになっているか知りたいって顔」
「……」

 これも、その通りだ。

「へへ、おねえちゃんとお喋るする夢が叶っちゃった」
「テルマ…」

 テルマは凄く嬉しそうにはにかんでいる。

 初めてここでテルマと会った時も、彼女はそう言っていた。
 私とずうっとお喋りしたいと思っていた、と。

 私の想像から生まれたテルマは、もちろん彼女の話す内容も無意識で私が考えたものである。彼女の一挙一動は、全て私の妄想の中で演じられたものだった。

 20年もこの子はテルマの替わりを勤めてきて、ただひたすら一方的に私の話を聞くだけだったのだ。
 そんなこの子の拙い夢が、私と喋る事だったとは。
 欲すらも知らない世界からやってきたこの子は、ただただ純粋であった。


「ある人にね、精霊にしてもらったの」
「え!」
「うん。わたしにたくさんのマナをくれて、神の繋がりを絶ってくれた」

 ふわふわと髪が舞う。
 そう言いながらも、テルマは火薬をどんどん並べていく。
 自身の身体を浮かせて。

「わたしはおねえちゃんのマナから生まれたのよ。神に身体のマナと引き換えにこの命を得たけど、おねえちゃんのマナもほんの少し残っていたから、わたしは完全に操られずにいられたんだって」

 このような事を言う人は一人しか知らない。
 やけにマナに通じている魔法使い。

「もしかして、リュシアさん…?」
「うん、サメのお兄ちゃん」

 テルマはこっくりと頷いてまた笑った。

「お兄ちゃんは、おねえちゃんのマナを解析したんだって」
「え?マナの、解析?」
「あの時、フードを取ったお兄ちゃんとくっ付いてたでしょ」
「あ…!」

 ニヤニヤと可愛い顔して下種な笑みを浮かべている。
 瞬く間にあの事を思い出してしまって、私の顔が赤くなるのを感じた。

 徐にフードを脱ぎ、なんと私と至近距離に額を合わせた。
 キスされるのかと思ったぐらいだ。そんなのは無かったけれど。
 あの顔に、現金なもので一発で見惚れたのだ。

 彼の意図が分からないまま、私は彼にくっ付いていた。
 それは混乱する私のごちゃごちゃの頭をすうと解してくれるもので、問わずして冷静になった私はこのお陰でテルマを想像上の人物だと認識できたのだ。

 あの時彼は、私を宥めていたと同時に、私の中のマナを読み取っていたのだと言う。
 たかが人間にそのような離れ業が出来るかと思うが、彼ならば在り得てしまうのだろうと一方で考えてしまう。

 本当にすごい人。

「うふふ!お兄ちゃんは、わたしにおねえちゃんと同じマナを入れてくれて、わたしを精霊化したの。人でも魔物でも神でもないわたしは、精霊に一番近い存在なんだって。これから自由に好きなように生きればいいって、放り出されちゃった」

 彼らならば、本当に言いそうな台詞である。
 そして彼ならば、自我だけの存在を精霊化するのも容易いのだろうと思った。

 リュシアは一見冷たそうにみえて、いや冷たいのだが、こっちが心を開けばそれなりに彼もまた、心を少しだけ明け渡してくれるのだ。
 他人の事なんかどうでもいいと突き放す次の瞬間には、何故かこちらに利のある援助をしてくれている。
 根本的に彼は優しいのだろう。

 そうでもなければ、彼はそもそもここには来ていないのだ。グレフを殺す名目で、でも実際は人を助けている。大っぴらにしないだけで、彼は自らを犠牲に人助けをしているのだ。

「くすくす」
「だから好きにしに来たのよ。おねえちゃんと一緒にいたい」
「でもどうしてここが…」
「分かんないけど、同じマナを共有してるからじゃない?遠くでマナが汚れていくのが分かったし、場所も。気になって来てみたらやっぱりって」

 おねえちゃんがゾンビ化しちゃってたと、大した事でもないような口調でテルマは言った。

「そうなんだ」
「お願い、おねえちゃん」

 テルマが一旦道具を床に置き、再び私の手を取った。
 ニコニコしていた顔は、真剣なものに変わっている。

 意思の強い赤い瞳が、真っ直ぐに私を見ていた。

「わたしは元々いなかった存在。それにこの惨事の原因はわたしでもあるの」
「テルマ…」
「ごめんね、おねえちゃん。生まれて初めて、たった一つのお願いをしていい?」
「あ…」

 テルマは握った私の手に顔を近づけ、爪にキスをした。
 死人化が進んで穢れた指。ささくれてガサガサの汚い爪。
 躊躇なく唇を押し当て、体温なんて感じないのにそこがほんわりとあったかくなる。

「おねえちゃんを一人で逝かせない」

 そして屈託ない笑顔を見せるテルマに、私の涙腺は崩壊してしまう。

「ううっ…」

 残念ながら涙はもう出なかったけれど、私の身体が健常だったならば、自らが流した涙に溺れてしまっただろう。
 それくらい、泣いた。

「最期まで一緒にいたい。わたしにはおねえちゃんが全てだから」
「テルマ!!」

 どうしてこの子を否定したのか。
 こんなにもこの子は私を愛してくれているのに。

 妄想だからと見切りをつけた残酷な私を、この子は一度も咎めずまた私を姉として慕ってくれている。
 これが嬉しくないものか。

「泣かないで、おねえちゃん。大好きだよ、おねえちゃん」
「うんうん、わたしもあなたが大好きよ」

 彼女の小さな身体を力一杯抱きしめる。

 嬉しかった。
 覚悟を決めてここにきたのに、この子ともっと一緒にいたいと思った。

 死ぬのは怖い。でも死人に侵された私は、生きながら死ぬ。
 人として最期に見たのが、この世で一番愛したあの子でよかった。

 もう、テルマでもくまちゃんでもどっちだっていいのだ。
 彼女はまさしく、私の妹だから。

 何から何まで、あの人はやってくれたのね。
 サメの後姿を思い出す。私は泣きながら笑って、器用だねとテルマに変な褒められ方をされた。



 残された時間は少ない。
 足の感覚は全くない。
 あれだけ高かった熱も引いて、まるで屍のように冷たくなった。
 顔も思うように作れず引き攣って、私はたぶん、酷い顔をしているのだろうと思う。


 ついに果てる瞬間まで、私は人として生きたい。

 ありがとう、テルマ。



 死人の集団に囲まれ、火薬に囲まれ、私達は傍から見たらどれだけ滑稽に見えるだろうか。

 でもそれすらもどうでもよかった。
 私は私のやるべきことをするだけ。

 そしてそんな私の傍らには、愛する妹がいるのだから何も怖い事はないのだ。



 ■■■



「設置完了!案外、本だけ見ていけるものね」

 最後の線を一番大きな火器に括りつけて紐を伸ばす。
 伸びた紐の先に、プールの壁にもたれかかった私がいる。

 しっかり握りしめ、決して離さない。
 導火線のスイッチは私のポケットに入っている。押すぐらいの力はあるだろう。

「うん、そうだね」

 あれこれと顔を突き合わせながら線と線を繋いでいった。
 私もテルマもこういった事は苦手で、今でもどういう仕組みで連鎖爆破するのか理解が追いついていない。
 でも、上手くいった自信はある。本の通り、私達はやり遂げたのだ。

「おねえちゃん、辛い?」

 テルマが私の隣に並ぶ。
 小さな頭が私の下から見上げてくる。

「わかんない。あんま、感覚無くなってきた」

 全身がだるい。
 もう身体を起こせやしない。億劫すぎて身動きも取りたくない。

「これだけ火薬使ったら、みんな吹き飛ぶ?」
「そうね。凄いことになりそう」
「痛いかな」
「痛みを感じる前に、死んじゃえるよ」
「そっか!」
「……」

 テルマは無邪気に笑っている。

 死が怖くないのか、精霊に死という概念はあるのか。
 聴きたい事はたくさんあったけど、聞いたからといってどうにかなる訳ではないので私は黙って聞き流している。

「おねえちゃん、旅に出たかった?」

 テルマの口は良く回る。
 それだけお喋りがしたかったのだろう。
 あまり働かない頭でのんびりと思う。

 災厄が起きなかったら、私はどうしていただろう。
 何度も繰り返し夢見ていた冒険者としての人生。こんな結末じゃない事だけは分かる。

「わたしはお母さんに捨てられていたかもね。うふふ!」
「お母さんは毎日私がおかしいと言ってくれてたのに、結局仲直りしないままだったなあ」
「後悔してる?」
「ええ、とても」

 母はずっと伝えてくれていた。
 母がテルマに冷たかったのも、敢えて世話しなかったのも当然だ。それはただのぬいぐるみで、テルマではなかったからだ。

 そんな母に嫌気が差して私も母に冷たく接した。母は私に怯えながらも、毎日顔を合わせると「テルマはいない」と告げていてくれていたのだ。それを私は都合悪く『病気のテルマを見捨てている』と思い込んで、ますます母を嫌って。

 なんて嫌な娘だったのだろう。

 彼女とて、自分の娘を失ったのだ。
 早く前を向いて立ち直りたいのに、もう一人の娘がそれを許さない。いつまでもテルマの影を追って幻想を作り、母にもそれを強要した。
 母は地獄だっただろう。悲しかっただろう。

「お母さんは、テルマを忘れたわけではなかったよ」
「え?」
「テルマの部屋はいつも綺麗だったよ。どんなにおばあちゃんのお世話に疲れても、お母さんは毎日写真を眺めてわたしに見せていたんだよ」
「どういうこと?」
「お母さんもテルマに会いたかったのよ。わたしを抱きしめれば、おねえちゃんのようにテルマを感じるのか、どうしたらテルマを感じられるのか、毎日ぎゅっとしてくれてたの」
「おかあさん…」

 母だって救われたかったに違いない。
 幸せな世界に一人で旅立った祖母の世話は大変で、父は顔すら見せに帰ってこない。

 母はあの家で、孤独だった。

「お母さんはおねえちゃんが羨ましかった。一人だけテルマとお喋りして、なんでお母さんには見えないんだろうっていつも泣いてた」
「……」
「だから、お母さんを赦してあげて?お母さんはテルマもおねえちゃんも大好きなんだよ」
「私だって、お母さんが好き!」


 申し訳なかった。
 心から、母に謝りたかった。
 蟠りを残したまま、私は最期の最後まで、自分勝手に逝く。

 こんな私でごめんなさい。
 あの時、テルマを放ってしまってごめんなさい。
 部屋を抜け出して遊びに行ってしまってごめんなさい。



 泣きたいけれど、涙は流れない。


 だから心の中で、思い切り泣いた。
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