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二. ニーナの章
36. L.canus
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それから私達は他愛もない話をした。
こんな絶望的な状況で、話す内容は楽観的な事ばかり。
私はテルマとおままごとをして紅茶を頭から被せてしまった事とか、テルマは野良猫に引っかかれて泣いてしまった事とか、それから猫が苦手になって今でも鳴き声を聞くだけで飛び上がってしまう事とか。
それは本物のテルマの記憶ではなく、私がくまちゃんに話した内容だったけれど、そんなのどうだっていいくらい楽しいお喋りだった。
私は徐々に呂律が回らなくなり、舌も口の中に収まらなくなってきた。
いよいよなんだと思った。
私はこうしている間にも、あの透明な石に有りっ丈のマナを注ぎ込んで、町を徘徊する死人を館に引き寄せていたのだ。
館の表門は開いている。入り口の扉は鍵を掛けたが、厨房の勝手口だけは開けてある。
死人は横の繋がりが強い。他と動きを併せる性質を持っているから、館に入ってしまえば他のみんなと同じように、この中をうろつくだけになるだろう。
漏れはあるだろう。
でも、数は少ないはず。
援軍にやってくる騎士団が残りを殲滅するのは容易い数だろうと思った。
出来得る限りこの町の死人という死人を集めて、一斉に爆発させる。
作戦というには大雑把で力押しだが、これこそが最も有効な方法なのだ。
それに…。
「ねえ、おねえちゃんの初恋の人の話をして?」
「はは、どうして、きゅうに?」
唐突に何を言い出すのかと思えば、テルマの赤い瞳はキラキラ光っている。
「わたしは恋を知らないから、おねえちゃんに教えて欲しくって。ねえ、恋ってドキドキして、とっても幸せな気持ちになるんでしょ?」
「ふふ」
期待する目で私を見ている。
そうだね。女の子に恋の話は付き物だものね。
見た目は三歳、産まれて二日のテルマは、私が意思を吹き込んでから20年は経つのだ。
ついぞ忘れていた15歳の苦い思い出。
彼と一緒に冒険者になるはずだった。
淡い想いを彼に伝えた事はなかったけれど、私の態度から気付いていたかもしれない。
今は亡き、冒険者になる夢と共に潰えた初恋であった。
「どんなひと?」
もう殆ど思い出せない。
背が高く、とても男らしい精悍な顔だった気がする。
体つきはアドリアンに似ていた。
真面目な性格はコルトみたいで、気の優しさはロロのようだった。
時々意地悪をしてくるのはまるでアインで、やけに動物に好かれるのはギャバンそっくりだ。
そして、私を引っ張っていく強引さは、ロルフ団長。
本当にそんな人がいたのだろうか。
今思えば、この町に彼の家族や親類はいないのだ。
私がテルマを作ったように、初恋の彼も私が作った存在だとしたら。
私はこの町から出たい言い訳を、彼を追いかけて冒険者になるという夢で、私も周りも力ずくで納得させていたのだろう。
「でも、おねえちゃん。今、あなたの心にいる人は現実だよ」
「……」
目を閉じる。
このまま眠ってしまいそうだ。
あの夜、私は彼と出会った。
はっきり言って、第一印象は最悪だった。
闇夜の中でピンクの牛と遭遇するとは一体誰が思うだろう。
警戒する私に業を煮やして、死人と一緒に私を燃やそうとしたのも忘れていない。
アッシュの一言があって、何とか事なきを得たのだ。
それから墓掘りさせられて、あれは本当にきつかった。
言い出しっぺが働かないわけにはいかないから、あの人も休む事なく土塗れになったっけ。
相当きつい仕事だったのに、一切弱みを見せずに、後から筋肉痛だったとアッシュにバラされて、彼も一応は人間だったんだなと思った。
びっくりするほど無愛想で、すっごく偉そうで。
実際にギルドマスターという本当に偉い人だと分かって驚いた。
団長に殴られても不遜な態度は相変わらずで、私はあの人が気になる以前に嫌いな感情を持っていたのよ。
あの時までは。
どれだけ冷たい態度を取っていても、彼を盲目的に慕うアッシュには彼の本質が分かっていたからなのね。
彼は常に気を張っていないといけなかった。
理想の為に。
彼が突き通す正義の為に。
ギルドを背負い、ギルドの命を預かる重たすぎる責任感に押しつぶされながら。
彼も私と同じ人間だった。
彼の使う魔法は異次元に桁違いだけど、彼だって人間なのだ。
彼の強がる心を垣間見て、私はたぶん、強い同情から惹かれていったのだと思う。
館でテルマと介した時、彼はついにフードを解いた。
そこから現れた素顔に、私は否応なく認めざるを得なかった。
本当に綺麗だと思ったの。
現実味がないぐらい、あの人は美しかった。
彼の存在こそ、都合のいい幻のようで。
私が20年以上も信じた幻想を、彼は簡単に壊した。
ぽっかり空いた心があの人で満杯になるまで、全然時間は掛からなかった。
私はあの人にすでに心を赦してしまっていたのだから。
彼は最期のこの時に、テルマという大事な存在までくれた。
あの人とどうにかなりたいわけじゃない。
だけど、ギルドやグレフに占められたあの人の脳裏に、ほんの少しだけ私の存在がいただけでも嬉しいの。
それだけでいい。
「お兄ちゃんに会いたい?」
会いたくないと言えば嘘になる。
だけど死人となった私の醜い姿は見せたくない。
私の儚い女ごころ。
彼に殺されるのだけは嫌だ。
彼は自分を邪魔する者は、何の躊躇も無く殺せる人。
私も消される。何の感慨もなく。
それだけは嫌。
建物ごと木っ端微塵になるのを選んだのは、それがあるから。
私はやっぱり、私の事しか考えていない。
「てるま」
「もう限界?火付けて、ボタン押しちゃう?」
「うん。しのう」
腐った頭でも、こんなに人を想えるのね。
この人たちも理性を失っているようで、心の中はまだ人間なのかも。
もう、確かめる術はないのだけど。
プールの壁からずり落ちる。
身体すら支えられない。
私はテルマの膝に頭を乗せ、ポケットから起爆用のスイッチを取り出す。
ごめんね、もう力が入らない。
「おねえちゃん、わたしはおにいちゃんにお願いしたの」
テルマが何かを言っている。
遠くなる耳で、私はただ聞くだけになっている。
「あの透明な石はね、何かの『受信装置』のようなんだって。おねえちゃんにも神の声が聞こえるでしょ?それにそれを利用しておねえちゃんはあの人たちをここに集めた。お兄ちゃんはこれをギルドに応用できるかもしれないって、喜んでたの」
「な、に、を」
「遠くの人への連絡手段は限られたもので、今夜みたいな緊急時や戦闘時の混乱した場所で、正確に情報を伝えられる手段はなかったの。精々が狼煙ぐらいで」
テルマの小さな手が、私の髪を掬う。
優しく撫でられる。
「これは声を届けられる。ある程度なら、行動そのものも管理できる」
ペタペタと顔を触っている。
触れる感触だけは、なんとなく分かる。
「わたしがこの世界に生まれてからたった二日の間に、神は色んな事を教えてくれたの。例えば、この石がまだ大量に廃墟に残されている…とか」
また髪を撫でた。
心地よさに目を細める。上手く表情を作れないのがもどかしい。
「お兄ちゃんは本当に喜んで、お礼にわたしを精霊化してくれた。そのついでにもう一つ、お願いしたの」
ボタンを持つ私の手が震えている。
その手をテルマがそっと握り、私から奪い取った。
微かに目を開く。
濁ってぼやけた視線の先に、満面の笑みのテルマが見える。
「おねえちゃんを助けて欲しいと」
導火線のボタンを押した。瞬く間に火が点される。
「あなたの弱っていくマナで、なんとなくわたし達はあなたの状況が分かっていたの」
「てるま、なにを」
急に身体が浮上する。
身動きすら取れず、拘束されている。
懸命に首を伸ばすも、テルマが見えない。
「お兄ちゃんは了承してくれた。おねえちゃんを、ニーナを救うと約束してくれた」
パチパチと火が伝う音がする。
遥か私の下の方。恐怖が私を襲う。
「安心して、ニーナ。あなたは助かるの。どうやって死人から人間に戻れるかわたしには分からないけど、わたしの存在がヒントになったとだけお兄ちゃんは言ってたわ」
まって、なにをするの。
まって、もうすぐここは。
「それに館は爆発するけど、この周りにお兄ちゃんは結界を張ってくれるんだって。ここら一帯が被爆するのを最小限に留めてくれる。お兄ちゃんのマナは底無しよ。凄いったらないわ」
まってテルマ!いやよ、いや!
「ごめんね、わたし一人じゃあ火薬をああだこうだするのが分からなくって。身体が動かないのにおねえちゃんを使ってごめんね。あとはわたし一人で大丈夫だよ」
また、私はあなたを失うの!?
またあなたは私からいなくなるの!?
ずっと一緒に、永遠にいてくれるんじゃなかったの。
いやだよ、一人になるのはいや。
あなたと離れたくない。
せっかくお喋りできたのに。
寂しいのはいやだよ。
「大丈夫、おねえちゃん。おねえちゃんは一人じゃないよ。お兄ちゃんがいる。アッシュくんも、ダンちょーもいる」
「てるま」
「また、さよならだね。今度は本当にお別れかな」
いやだ、いやだ、いやだ!!!
もがく。動かない。
泣く。泣けない。
チリチリと火は走る。火薬の塊に点火されるまで、残り数秒。
「大丈夫。おねえちゃんの中にテルマはいつもいるから。だってわたしはあなたのマナから生まれた存在。あなたがマナを持つ限り、そこにわたしはいるの。会いたいと思った時は、もうわたしはそこにいるんだよ」
「てるま!!!!」
「お兄ちゃんと仲良くね。ありがとう、おねえちゃん。わたしはおねえちゃんが大好きだよ」
身体が振られ、そのままの勢いで二階のガラスを突き破る。
遠くなるテルマの姿に私は絶叫した。
喉は潰れ、声は枯れ、口はだらしなく開いているだけだったけれど、残された力を全て出し尽くして私は叫ぶ。
何を叫んだかまでは覚えていない。
私はそのまま路地裏の硬い石床に叩き付けられた。
衝撃に身体の至るところが破れ、容赦なく臓物を撒き散らす。
自らの血が床に流れて濡らしていくのを、私は意識が朦朧としたまま感じている。
痛みはなかった。
ヒューヒュー……。
助かる?私が?どうやって。
テルマが救った命はほら、もうすぐ尽きる。
息はもうしていない。
口から漏れる空気は呼吸じゃなくて、せり上がった血反吐を呑み込み切れずやり過ごしているだけ。
目を開ける。
まだぼんやりとだが、視力は失われていない。
無造作に白い石床に転がっている私の目の前に、サメの尾びれが見える。
地面を擦り、砂まみれで少しへたれていて、それが無性に面白くて泣きたくなった。
ああ、眠い。
死人の分際で、なんと穏やかな死を迎えているのだろう。
「少し手こずったな。間に合って良かった」
凄く遠くに声が聞こえる。
「酷い有様だが、なんとかいけるだろ。ロン、部屋は用意できているか」
「は」
とても、ねむい。
ああ、ついに目も見えなくなった。
よく見るとあの恰好もひょうきんで愛着があった。
それが見えなくなって、残念に思った。
ふわりと抱き上げられる浮遊感。
すごく、きもちいい。
「すぐに”同化”にはいる。行くぞ」
「御意」
そしてわたしは。
ねむりについた。
最期まで残った耳が、館の爆発する音を拾った。
こんな絶望的な状況で、話す内容は楽観的な事ばかり。
私はテルマとおままごとをして紅茶を頭から被せてしまった事とか、テルマは野良猫に引っかかれて泣いてしまった事とか、それから猫が苦手になって今でも鳴き声を聞くだけで飛び上がってしまう事とか。
それは本物のテルマの記憶ではなく、私がくまちゃんに話した内容だったけれど、そんなのどうだっていいくらい楽しいお喋りだった。
私は徐々に呂律が回らなくなり、舌も口の中に収まらなくなってきた。
いよいよなんだと思った。
私はこうしている間にも、あの透明な石に有りっ丈のマナを注ぎ込んで、町を徘徊する死人を館に引き寄せていたのだ。
館の表門は開いている。入り口の扉は鍵を掛けたが、厨房の勝手口だけは開けてある。
死人は横の繋がりが強い。他と動きを併せる性質を持っているから、館に入ってしまえば他のみんなと同じように、この中をうろつくだけになるだろう。
漏れはあるだろう。
でも、数は少ないはず。
援軍にやってくる騎士団が残りを殲滅するのは容易い数だろうと思った。
出来得る限りこの町の死人という死人を集めて、一斉に爆発させる。
作戦というには大雑把で力押しだが、これこそが最も有効な方法なのだ。
それに…。
「ねえ、おねえちゃんの初恋の人の話をして?」
「はは、どうして、きゅうに?」
唐突に何を言い出すのかと思えば、テルマの赤い瞳はキラキラ光っている。
「わたしは恋を知らないから、おねえちゃんに教えて欲しくって。ねえ、恋ってドキドキして、とっても幸せな気持ちになるんでしょ?」
「ふふ」
期待する目で私を見ている。
そうだね。女の子に恋の話は付き物だものね。
見た目は三歳、産まれて二日のテルマは、私が意思を吹き込んでから20年は経つのだ。
ついぞ忘れていた15歳の苦い思い出。
彼と一緒に冒険者になるはずだった。
淡い想いを彼に伝えた事はなかったけれど、私の態度から気付いていたかもしれない。
今は亡き、冒険者になる夢と共に潰えた初恋であった。
「どんなひと?」
もう殆ど思い出せない。
背が高く、とても男らしい精悍な顔だった気がする。
体つきはアドリアンに似ていた。
真面目な性格はコルトみたいで、気の優しさはロロのようだった。
時々意地悪をしてくるのはまるでアインで、やけに動物に好かれるのはギャバンそっくりだ。
そして、私を引っ張っていく強引さは、ロルフ団長。
本当にそんな人がいたのだろうか。
今思えば、この町に彼の家族や親類はいないのだ。
私がテルマを作ったように、初恋の彼も私が作った存在だとしたら。
私はこの町から出たい言い訳を、彼を追いかけて冒険者になるという夢で、私も周りも力ずくで納得させていたのだろう。
「でも、おねえちゃん。今、あなたの心にいる人は現実だよ」
「……」
目を閉じる。
このまま眠ってしまいそうだ。
あの夜、私は彼と出会った。
はっきり言って、第一印象は最悪だった。
闇夜の中でピンクの牛と遭遇するとは一体誰が思うだろう。
警戒する私に業を煮やして、死人と一緒に私を燃やそうとしたのも忘れていない。
アッシュの一言があって、何とか事なきを得たのだ。
それから墓掘りさせられて、あれは本当にきつかった。
言い出しっぺが働かないわけにはいかないから、あの人も休む事なく土塗れになったっけ。
相当きつい仕事だったのに、一切弱みを見せずに、後から筋肉痛だったとアッシュにバラされて、彼も一応は人間だったんだなと思った。
びっくりするほど無愛想で、すっごく偉そうで。
実際にギルドマスターという本当に偉い人だと分かって驚いた。
団長に殴られても不遜な態度は相変わらずで、私はあの人が気になる以前に嫌いな感情を持っていたのよ。
あの時までは。
どれだけ冷たい態度を取っていても、彼を盲目的に慕うアッシュには彼の本質が分かっていたからなのね。
彼は常に気を張っていないといけなかった。
理想の為に。
彼が突き通す正義の為に。
ギルドを背負い、ギルドの命を預かる重たすぎる責任感に押しつぶされながら。
彼も私と同じ人間だった。
彼の使う魔法は異次元に桁違いだけど、彼だって人間なのだ。
彼の強がる心を垣間見て、私はたぶん、強い同情から惹かれていったのだと思う。
館でテルマと介した時、彼はついにフードを解いた。
そこから現れた素顔に、私は否応なく認めざるを得なかった。
本当に綺麗だと思ったの。
現実味がないぐらい、あの人は美しかった。
彼の存在こそ、都合のいい幻のようで。
私が20年以上も信じた幻想を、彼は簡単に壊した。
ぽっかり空いた心があの人で満杯になるまで、全然時間は掛からなかった。
私はあの人にすでに心を赦してしまっていたのだから。
彼は最期のこの時に、テルマという大事な存在までくれた。
あの人とどうにかなりたいわけじゃない。
だけど、ギルドやグレフに占められたあの人の脳裏に、ほんの少しだけ私の存在がいただけでも嬉しいの。
それだけでいい。
「お兄ちゃんに会いたい?」
会いたくないと言えば嘘になる。
だけど死人となった私の醜い姿は見せたくない。
私の儚い女ごころ。
彼に殺されるのだけは嫌だ。
彼は自分を邪魔する者は、何の躊躇も無く殺せる人。
私も消される。何の感慨もなく。
それだけは嫌。
建物ごと木っ端微塵になるのを選んだのは、それがあるから。
私はやっぱり、私の事しか考えていない。
「てるま」
「もう限界?火付けて、ボタン押しちゃう?」
「うん。しのう」
腐った頭でも、こんなに人を想えるのね。
この人たちも理性を失っているようで、心の中はまだ人間なのかも。
もう、確かめる術はないのだけど。
プールの壁からずり落ちる。
身体すら支えられない。
私はテルマの膝に頭を乗せ、ポケットから起爆用のスイッチを取り出す。
ごめんね、もう力が入らない。
「おねえちゃん、わたしはおにいちゃんにお願いしたの」
テルマが何かを言っている。
遠くなる耳で、私はただ聞くだけになっている。
「あの透明な石はね、何かの『受信装置』のようなんだって。おねえちゃんにも神の声が聞こえるでしょ?それにそれを利用しておねえちゃんはあの人たちをここに集めた。お兄ちゃんはこれをギルドに応用できるかもしれないって、喜んでたの」
「な、に、を」
「遠くの人への連絡手段は限られたもので、今夜みたいな緊急時や戦闘時の混乱した場所で、正確に情報を伝えられる手段はなかったの。精々が狼煙ぐらいで」
テルマの小さな手が、私の髪を掬う。
優しく撫でられる。
「これは声を届けられる。ある程度なら、行動そのものも管理できる」
ペタペタと顔を触っている。
触れる感触だけは、なんとなく分かる。
「わたしがこの世界に生まれてからたった二日の間に、神は色んな事を教えてくれたの。例えば、この石がまだ大量に廃墟に残されている…とか」
また髪を撫でた。
心地よさに目を細める。上手く表情を作れないのがもどかしい。
「お兄ちゃんは本当に喜んで、お礼にわたしを精霊化してくれた。そのついでにもう一つ、お願いしたの」
ボタンを持つ私の手が震えている。
その手をテルマがそっと握り、私から奪い取った。
微かに目を開く。
濁ってぼやけた視線の先に、満面の笑みのテルマが見える。
「おねえちゃんを助けて欲しいと」
導火線のボタンを押した。瞬く間に火が点される。
「あなたの弱っていくマナで、なんとなくわたし達はあなたの状況が分かっていたの」
「てるま、なにを」
急に身体が浮上する。
身動きすら取れず、拘束されている。
懸命に首を伸ばすも、テルマが見えない。
「お兄ちゃんは了承してくれた。おねえちゃんを、ニーナを救うと約束してくれた」
パチパチと火が伝う音がする。
遥か私の下の方。恐怖が私を襲う。
「安心して、ニーナ。あなたは助かるの。どうやって死人から人間に戻れるかわたしには分からないけど、わたしの存在がヒントになったとだけお兄ちゃんは言ってたわ」
まって、なにをするの。
まって、もうすぐここは。
「それに館は爆発するけど、この周りにお兄ちゃんは結界を張ってくれるんだって。ここら一帯が被爆するのを最小限に留めてくれる。お兄ちゃんのマナは底無しよ。凄いったらないわ」
まってテルマ!いやよ、いや!
「ごめんね、わたし一人じゃあ火薬をああだこうだするのが分からなくって。身体が動かないのにおねえちゃんを使ってごめんね。あとはわたし一人で大丈夫だよ」
また、私はあなたを失うの!?
またあなたは私からいなくなるの!?
ずっと一緒に、永遠にいてくれるんじゃなかったの。
いやだよ、一人になるのはいや。
あなたと離れたくない。
せっかくお喋りできたのに。
寂しいのはいやだよ。
「大丈夫、おねえちゃん。おねえちゃんは一人じゃないよ。お兄ちゃんがいる。アッシュくんも、ダンちょーもいる」
「てるま」
「また、さよならだね。今度は本当にお別れかな」
いやだ、いやだ、いやだ!!!
もがく。動かない。
泣く。泣けない。
チリチリと火は走る。火薬の塊に点火されるまで、残り数秒。
「大丈夫。おねえちゃんの中にテルマはいつもいるから。だってわたしはあなたのマナから生まれた存在。あなたがマナを持つ限り、そこにわたしはいるの。会いたいと思った時は、もうわたしはそこにいるんだよ」
「てるま!!!!」
「お兄ちゃんと仲良くね。ありがとう、おねえちゃん。わたしはおねえちゃんが大好きだよ」
身体が振られ、そのままの勢いで二階のガラスを突き破る。
遠くなるテルマの姿に私は絶叫した。
喉は潰れ、声は枯れ、口はだらしなく開いているだけだったけれど、残された力を全て出し尽くして私は叫ぶ。
何を叫んだかまでは覚えていない。
私はそのまま路地裏の硬い石床に叩き付けられた。
衝撃に身体の至るところが破れ、容赦なく臓物を撒き散らす。
自らの血が床に流れて濡らしていくのを、私は意識が朦朧としたまま感じている。
痛みはなかった。
ヒューヒュー……。
助かる?私が?どうやって。
テルマが救った命はほら、もうすぐ尽きる。
息はもうしていない。
口から漏れる空気は呼吸じゃなくて、せり上がった血反吐を呑み込み切れずやり過ごしているだけ。
目を開ける。
まだぼんやりとだが、視力は失われていない。
無造作に白い石床に転がっている私の目の前に、サメの尾びれが見える。
地面を擦り、砂まみれで少しへたれていて、それが無性に面白くて泣きたくなった。
ああ、眠い。
死人の分際で、なんと穏やかな死を迎えているのだろう。
「少し手こずったな。間に合って良かった」
凄く遠くに声が聞こえる。
「酷い有様だが、なんとかいけるだろ。ロン、部屋は用意できているか」
「は」
とても、ねむい。
ああ、ついに目も見えなくなった。
よく見るとあの恰好もひょうきんで愛着があった。
それが見えなくなって、残念に思った。
ふわりと抱き上げられる浮遊感。
すごく、きもちいい。
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