蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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三. セトの章

2. 愚か者の住まう町ヴァレリ ー回想ー

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 今より11年前。
 僕が9歳だった頃の話をしようかな。

 あの日、世界の全てが終わろうとしていた時、ひょんな事から我が町に訪れた転機を。

 世界が破滅に導かれていく条理の波に逆らって、幸せになっていくこの町を。
 誰もが羨む贅沢な生活を、快楽を、僕らはありのままに受け入れ、世界にただ一つの『選ばれた民』だと信じていた能天気な人間達の事を。



 僕の名はセト。
 セト・ルシエンテス。
 生まれながらに伯の爵位を持つ子供だ。

 はっきり言って僕は、年齢相応に純真無垢な子どもではない。
 物心付いた頃には既に何人もの部下を扱き下ろしていたし、妾と称した愛人が沢山いた。

 精通もまともに始まっていない子供に、いずれ必要だからと父が与えた女達。
 僕は訳も分からぬまま翻弄され、僕の意思とは無関係に女の肢体と男のさがを知った。

 結婚もしていないのに妾という表現は可笑しいと思うけど、僕にはまだ見ぬ花嫁がいるらしい。
 それは存在すらしていなくて、父がここぞという時、重要な繋ぎを必要とする時に、政略結婚による保身の為に大事にとってある。

 僕に与えられた妾は、後に全て父のお下がりであると教えられた時は荒れたものだ。
 親子ではなく穴兄弟ではないか。
 いや、こんなピチピチの僕に中古品を宛がうなんてどうにかしている。確かに夜の秘技は筆舌に尽くしがたいが、僕だって選ぶ権利ぐらいは欲しい。

 そう告げると愛人の数が倍になった。
 父に捨てられる女の「取替時期」が頻繁になっただけだった。



 僕はほんの小さな頃から父の膝の上に抱かれ、日々謁見や商談に訪れる者達を見ていた。
 父なりの帝王学だったのか。偶に大事な商談の合否を僕に委ねる事もあった。

 そういう時、僕はとても偉そうに踏ん反り返って彼らの運命を決定付けていたものだ。実際に偉かったし、優越を感じる事が何より楽しかったからやっていたのだけど。


 今となっては黒歴史に近い。


 敢えて踏ん反り返らずとも、相手がへりくだるのだから僕は動く必要がなかったのだ。



 この町で、僕に意見する人間は父を入れても誰一人として存在しない。
 何と言っても、僕の血筋は王家に連なる者だからである。

 母方の遠い親戚筋ではあるが、王家の系図に僕の名前も記されてある。
 父は婿に来た立場だけど、母と結婚したと同時に伯爵の位を王家から与えられ、名字を名乗る事を許された。

「ルシエンテス」は母の名字。美しく、か細く、しかし芯から強さを戴く有難い名だ。


 僕は産まれた時から僕であり、僕こそ世界に認められた子どもであり、こんな僕の元に暮らせる民は世界で一番幸せだと思った。

 勿論、僕自身もね。


 ■■■


 ズガガガガガガッガゴゴッガガ!!!!!


 ある日、かつてない地震が世界を襲った。

 もうすぐ昼という時間帯。
 僕はその時部屋に缶詰めされていて、家庭教師から出された宿題に四苦八苦中であった。

「な、何!?」

 机ごと宙に浮いた。

 それから縦に激しく揺らされ、僕は椅子から転げ落ちてしまう。
 僕は慌ててベッドに行き、頭から羽根布団を被って揺れの恐怖をやり過ごしていた。

 地震は滅多にないから流石に驚いた。
 女たちに激しくバウンドされるより強い揺れだったのだ。上下の震動は思った以上に長く続き、聴いた事もない恐ろしい地鳴りが完全に聞こえなくなるまで僕は全く動けなかった。

 僕の部屋は殺風景で、女と睦む為のベッドと、勉強する為の机と椅子しかない。余計な調度品は余計な思想を招くとやらで、父が省いたのだ。
 いつもは退屈すぎる自室も、それが功を成して震動に倒れるものが椅子以外無く、僕は怪我一つ負わずに済んだ。


 地震は本震よりも余震に注意せよと家庭教師が言っていたのを思い出す。
 暫くベッドに身を潜めた状態で次の揺れに備えていたが、一向に来ない―――というより外が余りにも静かだったから、僕は決心して部屋を出た。

 殺風景なのは僕の部屋だけで、屋敷には至る所に過度な調度品が飾られている。

 金に困った事はない。慈善家じゃないから寄付もしない。
 余り余る金は全て己が欲を満たす為だけに使われる。

 そんな父の偏った美意識で集め尽くされた世界中の芸術作品のそのどれもが無残に倒れ、殆どが壊れている。


「ぼ、ぼっちゃ…」
「!!」

 ガラスの散乱した廊下を注意深く歩いて行くと、僕の妾の一人が大人二人分程もある大きな壺に押しつぶされていた。
 普段は綺麗にしている髪が床にざんばらに落ち、顔中をガラス塗れにして赤い血を流している。
 震える手が僕の足を掴み、僕は咄嗟にその縋る手を踏みつけてしまった。

「……!ぼっちゃ…」
「汚いんだけど」

 血塗れの手が僕の足を穢す。
 僕の足は毎日薔薇の風呂で、徹底的にケアしているのに。そんな汚い手で触られたらばい菌が付くじゃないか。

 僕は掠れた声で助けを求める女を無視し、屋敷内を進んだ。


 いや、僕が冷たいとか、そういう問題じゃないよ。
 なんせ僕は9歳。非力な少年だ。

 あんな大きな壺を、こんな子供が一人で動かせると思っているのかい?
 合理的じゃないのは嫌いなんだ。
 それに、汚いものも。

 女の替えくらい、幾らでもいるのだし。


 屋敷の中は父の悪趣味な調度品や芸術品の所為で、多くの使用人がその下敷きとなっていた。
 もう動かない者もいる。
 大怪我を負ってフラフラ歩いている者も、力無く壁に寄り掛かっている者など様々だ。

 子どもながら地震の影響に恐怖を覚え、父の姿を探す。


 父の生死については興味が無い。
 世界にとって、僕が至高の存在だからだ。

 父が生きれいればそれで良し。死んでいても構わない。どうせ僕が跡目を継ぐだけだからだ。



「セト!無事か!!」

 何人かの屍を越えた頃、父がひょっこり現れた。

「父さん…」

 生きていた。それも無傷で。
 その後ろには2人の裸の女が抱き寄せ合って泣いている。

 一人は体中が傷だらけ。
 もう一人は頭を打ったのか、血が顔を伝ってポタポタと絨毯に染みを作っている。

「良かった!お前に何かあったらワシはっ!」

 父が大袈裟に僕に駆け寄り、おいおいと泣く。
 ぎゅうと抱きしめられた力は強く、僕は少し面食らってしまう。

 父にとって王家の崇高な血を受け継ぐ僕は、父が親戚筋として利用するのに得難い存在であるという、ただそれだけだったと思っていたのだけど。
 僕を産んだ母は、僕を産んですぐに出奔していなくなってしまったから、僕しか王家の血を持っていないのだ。


 父がこの町に君臨するのは、まさにその血のお陰である。
 爵位を賜ったのも、《王都》や《中央》が口出ししてこないのも、こうやって複数の裸の女を抱けるのも高々に威張れるのも全部。僕に流れるこの薄い薄い血が在る為。


「ああ、良かった!お前が無事で!!」
「父さん…苦しいよ」
「よくぞご無事で、坊ちゃま…」
「うう…」

 頭から血を流した女が倒れる。
 傷だらけの女は割れた花瓶の下に敷いていた布を素早く身に着け、僕と父を外へと誘導する。

「怪我人よりも、まずはあなた方です」
「頼もしいな」

 満足げに頷く父に手を引かれ、僕らはようやく外に出る。

「これは…」
「酷い状態だな」

 開け放たれた玄関口を抜けるとすぐに広い庭がある。
 色とりどりの花壇に、飛沫を上げる噴水。
 腕の良い職人が日々手入れを怠らない立派な庭園に、領民が大量に押し掛けていた。彼らは僕らの姿を見た途端に口々に被害状況を述べ、救助や支援、要望や悪口を叫んだ。

 僕らだって無傷じゃないのに。

 いや、僕と父は無傷だけど、屋敷の中はめちゃくちゃだ。
 まだこの地震が何だったのか、何も分かっていないというのに。

 なんて身勝手な連中なんだと思った。


「あいや、皆の者待たれい!」

 しかし父は興奮する領民たちを制するように両手を挙げ、声を張る。

「我らは無事であるが、その他の被害は分からぬ。そう一度に責められても動きようがない。まずは建物から離れ安全な場所にて、被害状況と今後の対策を話し合おうではないか!」

 父は為政者としては有能な方だ。
 野心家で生まれ故郷に燻るのを是とせず、若い頃から政治家としての手腕を《王都》で学んだ。この町に至るまでは《王都》の執政官補佐という立場で、多くの話を見聞きしたという経歴の持ち主だ。

 ただ、金目のものと権力と女に弱いというだけで。

 あの手この手で母を口説き落としたのも、その上手く回る口のお陰か。
 まあ、母は僕を産み落としていなくなってしまったから、父を本当に愛した訳ではなかったのだろう。
 僕という存在すら捨てたのだから。


「領主様の云う通りだ!」
「まずは話し合いだ!」


 この町の領民は、よく父に飼い慣らされている。

 王の名の下、僕さえ保護していれば厚い加護が受けられる。
 父は《王都》や、教会の総本山がある《中央》とも上手く立ち回るから、いわゆる甘い汁というものを、この町は様々な事で受けてきたのだ。


 例えば、税金。
 この町の領主に払うべき税金は、他の町や村に比べて遥かに少ない。
 その代わり、町を訪れる旅人から摂取する金は高いけれどね。


 更に、結婚制度。
 町の成り行きは後で説明するけど、僕らの町はこの国唯一の『一夫多妻制』だ。

 他にもまだまだあるけど、父は町の住人をことさら贔屓した政策で、彼らの信頼を勝ち取った。
 だからこそ、このような状況下でも領民は父の意に従うのである。


 これこそ、我が町――《ヴァレリ》


 王家の薄い血を擁するだけで、この世界の中心と勘違いした愚か者たちの住まう町であった。
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