蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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三. セトの章

3. Rhaphidophoridae カマドウマ ー回想ー

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 町は、燦々たる状態だった。


 この町の建物の殆どは石製で、四角の部屋を何個も高く積んで限り在るスペースを有効活用した集合住宅が主だ。

 一つの世帯が一戸のアパートを所有し、それぞれの部屋に妻と子や近親者を住まわせる。
 家長の主が部屋を行き来して、複数の妻と暮らすのだ。

 部屋が分かれているし、それぞれのプライバシーや生活も個別に出来るから、妻たちは互いに互いを気兼ねなく、また干渉せずに済む。
 夫が今夜の共寝の相手を誰が務めているかも、監視していない限り分からない。


 余計なトラブルを防ぐ意味でもこのアパートシステムはかなり良かったのだけど、今回は皮肉にもこれが多くの被害を生む結果になってしまった。

 積み上げられただけの石壁は、上下に激しく揺れた震動に耐え切れず、亀裂を発しながら脆く崩れてしまったのだ。

 町の建物の、上部分が崩壊している。


 石埃と瓦礫の山で埋め尽くされた町に、女や子供の悲鳴が絶え間なく響いていた。


 主な被害に遭ったのは、家の中にいた女だ。

 まず、時間帯がいけなかった。
 昼も間近。女たちが家族の為に昼食の準備をしていた時間。学び舎から帰る子どもたちも、その被害に遭った。
 上から落ちてくる瓦礫に、その身を押しつぶされて死んだ。

 運良く被害を免れたのは男達。
 毎年この春の時期に執り行われる町の創立祭りの催しで、奇しくも殆どの男たちが広場に集まっていた時だった。


 僕と父は、その広場にいる。

 ヴァレリの町は壊滅状態。
 使える建物なんて、存在していなかったからだ。


「あれは何だったんだ」
「分からん。大きな地震だったとしか」
「《王都》は大丈夫なのか?」
「それよりも家族の安否が…」

 無事な者が広場に集まり、無意味な話し合いが行われている。何をするにも石の瓦礫が邪魔をして動きようがないのだ。

 石は重く、どうしようもない。
 人の手では限界もある。

 父がこの状況で最初に何をしたかというと、有りっ丈の食料を集めさせ、屋敷の備蓄庫に収容した事だった。


「暴動が起こるな」

 父はそう読んだ。


「セト、よく見ておくがいい。理性を失った人間が最後に行きつく先が、『欲』なのだと」
「分かったよ」


 次に父は、《王都》や《中央》に斥候の早馬を飛ばした。救援を要請したのである。

 また、各地の被害も知っておきたかった。
 あの地震は、僕らの町だけを襲ったとは考えにくいからね。



 広場に絨毯を敷き詰め、その上に簡素なテントを張る。
 炊き出しの準備が粛々と進められる中、父はあちこちに指示を飛ばす。

「まずは無事な者の生活基盤を整えねばな」
「怪我人はどうするの?それに、死んだ人も…」

 父は暗く淀んだ空を見上げ、溜息を吐いた。

「今は捨て置くしかないだろう。彼らを助ける人手もなければ、救命道具さえ瓦礫の下だ」

 父は待っている。《王都》からの救援を。

 馬を休みなく走らせても、《王都》まで少なくとも3日は掛かる。
 途中裁くがあるから、どうしても馬の速度が落ちてしまうのだ。
 往復に要する時間も計算して、この町に救援が成るのは最速で一週間。

 《中央》もそのくらい掛かるから、僕らはこの一週間を乗り越えればいいのだ。

 父は領民にそう告げた。徐々に疲弊していく彼らに。
 《王都》がこの町を見捨てる事は有り得ないと。まずはこの町の救出に入るのだと。


 そして再び、《ヴァレリ》は復活する。
 喪った家族は、また作れば良いのだと。


 一夫多妻制の究極の男尊女卑がここに活きた、
 複数の妻を持つ男達は、一人一人の女の存在を軽んじていたのだ。

 その妻たちと成した多くの子どもたちは余りに数が多く、父親は個々を認識していなかった所か何人の子を持っているかすら把握をしていない者が殆どだった。

 だからこそか。
 この町の持つ独自の性質が、地震で犠牲となった者達への追悼を後回しに出来たのだ。


 死んだら哀しいが、思い入れが無い為にどこか他人事のように思えてしまう。


 町は希望を失っていなかった。

 町というよりも、残された身勝手な男達が――と表した方が正しい。

 彼らは本気で思っていたのだ。どうせまた新たな妻がやってくる。子孫は知らぬ間にどんどん増える。そんな事より目先の安全と確かな救助による生活保護しか考えていなかった。


 そして僕も、例外なくそう思っていた一人だった。




 一日、二日経ち、僕は屋敷に篭っている。

 黒い雨が降ってきたからだ。
 雨はししどに降り続け、家を失った領民を容赦なく穢す。

 僕の屋敷は優先的に掃除された。

 幾人かの使用人が死んで、同等の数が使い物にならなかった。
 壊れた家具や調度品は運び出され、散乱したガラスも撤去される。血で汚れた床は綺麗に磨き上げられ、死体の処理も速やかに行われた。

 ただガラスの嵌っていない窓は全開で、どうやっても黒い雨が入り込む。
 一向に止まない雨は屋敷を濡らし、とてもじゃないが綺麗とは言い難い状態となった。

 床はびちょびちょ。風も無いから常に湿気を伴って気持ち悪い。
 それに、長い間陽の光を浴びてないだけで、こんなにも精神が荒んでくるとは思わなかった。


 とにかく気が滅入る。


 僕の部屋は無傷だったから、僕はほとぼりが冷めるまで部屋に篭っていたのだけど。それもじきに飽きてきて父に暇つぶしの道具を求めたら、怪我して役立たずの女を寄越してきた。

「わたくしは坊ちゃまのお相手ぐらいしか出来ません。どうか。お慈悲を…」
「しょうがないな。精々退屈させないで頂戴ね」
「有難き幸せに存じます」


 こうして僕は現実逃避に走る。

 どうせ9歳の子どもが成すべき事などたかが知れているのだ。

 それに僕の役目は血を護る事。
 せめて父の仕事の邪魔にならないように、こうして屋敷で大人しくしておくに限るのだ。


 9歳にしてはマセていると自分でも思うけど。
 僕は合理主義なんだ。産まれた時からね。




 三日、四日と過ぎる。


 斥候は《王都》に無事到着しただろうか。


 一週間という期限を明言したからか、町は落ち着いている。
 民は黒い雨をやり過ごす為にテントに入り、何をするまでもなくぼうっとしている。

 瓦礫の下の遺体が臭いを出し始めたようだが、動く者は一人もいなかった。

 汚物の処理は下賤の者がやるべき仕事である。
 差別をしているわけではない。区別しているのだ。


 それぞれ人は与えられた役目が存在し、僕らはそれに従っているだけ。

 産まれた時に人生はある程度決まってしまう。
 金持ちに産まれれば一生金持ちだし、貧乏に産まれれば一生貧乏人のまま苦労して生きていく。

 これが世の中の条理である。どれだけ努力しようと、生まれながらの運命を変える事は出来ず、無駄な足掻きなのである。


 でもまあ。
 下賤の民の殆どが瓦礫の下だというオチが付くのだけどね。

 それも《王都》か《中央》の救援の際に、やるべき人がどうにかしてくれるだろう。




 6日が経った時、生き残った人々は今か今かと《王都》の救済を待ち望み、町の外で待つようになった。
 というのも、ちっとも片付かない瓦礫と、虫がたかり始めたかつて人だったモノがとにかく邪魔で、居られなくなっただけなんだけどね。


 初日から食料を配給制にした父の手腕は大したものだった。
 まだ暴動は起きていない。どうせ一日我慢すればいいだけの話だからだ。




 雨は途切れない。


 部屋に篭りきりの僕はどうにかなりそうだったけど、日替わりで訪れる女たちに慰めて貰って何とかその日を乗り切っていた。


「セト、何があろうとしたたかに生きねばならないよ」

 夕食に硬い味気ないパンを齧っていると、女の胸に埋もれた父が言った。

「お前は選ばれし民なんだ。どう振る舞おうと、お前に流れる血は変らない。王に連なる者として、どっしりと…時に狡猾にやらねば自分が辛いぞ」
「遠い親戚なのに?」

 確かに王は親戚筋にあたるが、直系ではない。

 確か今より20年ほど前に王が代わった。
 “勇者”の名を馳せた前王が魔王討伐に失敗して失脚。後に跡を継いだのが当時の王子殿下。

 母は殿下を産んだ母方の兄弟の娘であり、稀代の英雄だった前王との繋がりは無いが、辛うじて殿下に流れる血の末に連なったのが僕なのである。


 それでも血筋は血筋。

 理由は分からないけれど、前王は引退した後に沢山の人間を粛清したそうだ。
 その中に親戚関係も多く含まれていたらしく、王家の血族の数は極端に減ってしまった。
 だから遠縁の僕が、まるで王様のようにこの町で踏ん反り返っていられるのだ。


「したたかであれ。父がお前に教える才だ」
「うん」

 女に対しては、したたかさを発揮できてるかな。
 僕の部屋で待つ裸の女の姿を思い浮かべる。

 今夜の相手は幾分か若かった。と云っても、僕よりはだいぶ年上だけどね。
 地震で両親を失ったという可哀相な孤児。僕が慈悲で拾ってあげた。
 彼女が僕に与えるものは身体しかないから、セックスを甘んじて受け入れている。
 私は可哀相でしょ?の態度が前面に出ていて気に食わない。それに僕に近づいておくとお零れに預かれると期待している節もある。

 こんな時の女は強い。

 喪うものを全部無くした女は這い上がるしかないから必死だ。

 身体も心も惜しげもなく使って我が身を護る。女こそ打算的でしたたかな生き物だと思うのだが、それを扱う僕はそれ以上に狡猾じゃないと出し抜かれる。

 女に盲目になって自分を見失い、こき使われる人生なんてまっぴら御免だ。


 だから僕は女に本気になれない。


 9歳がどの口を…と呆れられるだろうが、僕の身体は意志と反して女の出世争いに利用されてきたのだからこの年齢でも分かるのだ。

 僕が大人になっても、それは変わらないだろう。
 今よりもっと酷くなるかもね。今度は跡取りの話に付きまとわされるだろうから。


「あの女は捨てなさい。女にしては野心がありすぎる」
「生きるのに必死なだけでは?」
「いやいや。弁えた女は男を出し抜くのではなく、意思を捨て去るものだよ。ワシが抱くこの女のように」

 僕の目の前で父が愛人の胸を揉みしだく。
 女は笑い、坊ちゃまが見ている前でご乱心を、なんて言いながら身を捩り、本気で嫌がっている様子はない。

 父にされるがまま、阿呆の頭を演じている。


「女は馬鹿なぐらいが丁度いい。上手く立ち回ればそれなりに自分に返ってくる事を知っているからね」
「ああん、領主さまぁ…」

 父は有頂天だ。

 女はくねくねと父の身体に巻き付きながら喘いでいるが、その目は一切笑っていない。
 打算的にならないとこの町では生きていけない事をよく理解している。
 特に災害に見舞われ、前も後ろも不透明な今は、権力者に縋って側に侍る事以上に安全な場所は無いのだ。

「じゃあ、処女を戴いてから外に放り出すよ」

 僕のベッドで待つ女も、このくらい馬鹿に徹すればもう少しいい思いをさせてあげられたのに。


 残念だなと思いながら、僕は席を立った。
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