88 / 170
三. セトの章
4. 逃げ出した先に見た砂漠 ー回想ー
しおりを挟む
7日目。
雨は未だ止む気配はない。
町の南北の入り口に父を初めとして領民たちがズラリと並び、来たる救援を出迎えるべく備えたが、誰も現れる事は無かった。
父はその日のうちに、斥候を再び飛ばした。
「雨で遅れているだけだろう」
民はそう納得しながらも、いつまでも立ち続けていた。
9日目に入り、初めて町から非難の声が上がった。
日に増して荒んでいく領民は、栄養不足から気が立っている者も多く、町は些細な事で殴り合いにまで発展する喧嘩が増えた。
そして僕と父は、備蓄庫の食料を半分持ち出し、残りはしっかりと鍵を何重にも掛け、真夜中に町を出発した。
「放っておいていいの?」
馬の嘶きや足音で民を起こすかもしれないから途中までは徒歩だ。
闇と雨に紛れてしまえば、簡単に抜け出せる。
「明日にでも暴徒はワシらに飛び火する。ワシ自らが《王都》に直訴すると申せば、民の怒りは半減しよう」
体のいい逃げ文句だ。
それに父も気になっている。送り込んだ斥候が、いつまで経っても帰らない訳を。
考えられるのは地震の被害が想定外に多大である事。《王都》や《中央》もこの町のように壊滅状態であれば、他人を助ける暇や人手なんて寄越す暇はないだろう。
そんな当たり前の事、今更過ぎると思うだろ?
だけど父も僕も疑ってなかったんだ。
もはや稀少とされる王家の血を持つ僕を、人々はその身を投げ出して第一に助けるのだと思い込んでいたのだ。
笑えるね。
僕らは《王都》を目指す。
食料も水もふんだんにある。頭もよく戦闘経験もあり、父の腹心ともいえるべき従者も多数引き連れて。
そして2日後、僕らは現実を目の当たりにする事になるのだ。
《ヴァレリ》と《王都》の間には、広大な砂漠が広がっている。
砂漠に住んでいる人間もいるがその数は少なく、全員が家を持たない遊牧民だから集落の位置が定まらない。
運良く彼らに出会って砂漠越えの疲れを癒そうにも、遊牧民たちは余所者を毛嫌いしているから望みは薄い。ならば補給をと水や食料を求めると、法外な金額を請求されてしまう。
頼りになるのは点在するオアシスのみで、ただ闇雲に砂漠をうろつき回っても方向感覚が狂って遭難の危険があるから、多くは道案内と称したガイドを僕の町で雇う事になる。
僕らの町の収入源の多くは、砂漠越えの冒険者や行商人相手から頂戴する安全なのだ。
町から半日で砂漠には到着する。
何処にも寄らず真っ直ぐ2日掛ければ、砂漠を抜けられるはずだったのだが。
僕らは地震の影響ですっかり様子の変わってしまった砂漠の惨状を垣間見て、あんぐりとみっともなく口を開けたまま、愕然としてしまったのだ。
見知った僕らの金になる砂の地が、《王都》とその他の主だった都市を物理的に隔てる枯れた砂の大地が。
幼き頃から慣れ親しんだ僕らの砂漠が。
―――波打っている。
「こ、これは…!」
「まるで大海!!」
ズザザザザザザ
ザザザ―――…
砂がうねり、意思を持ったかの如く渦を巻く。
ザザザザザザザ!
引いては満ち、ひと時も静かにならない。
「風か?」
いや、風は吹いていない。
例え吹いていたとしても、龍の尾のようにグネグネと砂は隆起しない。
黒い雨は未だ降り注ぎ、砂漠の中に浸み込んでいく。砂漠は雨を呑み込み、黒く染まった大地は僕らの侵入を阻んでいた。
「これが地震の影響という訳か!」
「お…恐ろしい!!」
連れてきた使用人と用心棒が口々に叫ぶ。
僕らは馬車の中で皆目し、言葉を発する事が出来ないでいる
それでも僕らは前に進むしかなかった。
砂漠の異様な事態もそうだが、まだそれが原因で救援の手が遅れているとは限らない。
それに今更手ぶらで町に帰れない。
こっそり夜中に抜け出した僕らを、今頃領民は「逃げた」と気付いただろう。
監視役の居なくなった屋敷の貯蔵庫は、もう荒らされているに違いない。暴徒と化した住民を納得させるには、僕らは少人数過ぎるのだ。
彼らを圧倒させる何かを連れて帰らねば、幾ら僕が彼らより位が高いといっても、所詮はただの子ども。
領民には甘い汁を散々吸わせて楽な生活をさせていたにも関わらず、生死の問題だろ帳消しになるのだと父は言った。
僕らはゆっくりと砂漠を進む。
足元が定まらない行軍は、次第に方向を狂わせる。
馬車は早々に捨てざるを得なかった。車輪が動く砂に対処できず通れない。
たくさんの使用人がたくさんの荷物と食料を背負って、真っ暗な雨の中、砂漠を渡る。
無謀かもしれない。
だけど帰って責任の所在を問われるのも、死と直結する。
もし万が一、《王都》も《中央》も助けを寄越さなければ、僕らの町は陸の孤島と化していずれ滅ぶ運命となる。
なんせ僕らは、「生産」に、一切携わっていないからだ。
そう。食べ物は全て輸入に頼っている。
自給自足する知識も土地も道具も人もやる気も無い。汗水流して働くのはそれに適した人がやればいいと皆が本気で思っているのだ。
そんな民を増長させたのは、領主である父の責任だと僕は思っている。
「オアシスだ!」
「やった!水が飲めるぞ!!」
「しばし休憩ですね」
休みなく歩き続けて従者は疲れ果てている。
馬上の僕らも馬の背があっちへこっちへ定まらず動き回るから、手綱を握った手が辛くて震えている。
しかしようやく見つけたオアシスの水は、頭上をひっきりなしに降り注ぐ黒い雨に穢され、とても飲めた代物ではなかった。
「黒い正体は粉塵のようですな」
従者の一人が指で水を擦り、こびり付いた黒の粒を舐めて言う。
「細かな砂と石。濾過すれば飲めない事もないですが…」
そういえば、町の飲み水も限りがあるのだった。井戸は汚れ、それぞれで汲み取り保管していたものしかなかったはず。
その貴重な水も、僕らが持ち去った。
「しかし、先陣した彼らは何処へ行ったのでしょうか」
「本来は太陽の位置で方向を把握するのですが、全く見えませんなあ」
「方位磁石も狂っています。このうねりを伴った砂といい、磁場を狂わせる何かが起きているのでしょう」
「父さん、このまま進んでも大丈夫なの?」
「なあに心配するでない。我らは元々砂漠の民。我が庭で迷子になる阿呆は一人もおらぬよ」
ここに至っても、父と従者たちは呑気だ。
あくまですんなり《王都》に着けると信じて疑わない。
どこまでお気楽主義なのだ。特に父は頭が回る時と楽観視する時の差が激しすぎる感がある。
父だけが死ぬのはいい。
僕を巻き込んでもらっても困る。
僕は父と違って、未来ある有望な子どもなのだから。
それから出発して一日後。
案の定、僕らは遭難した。
遠くに見覚えのある荷馬車を見つけ、そこを目印に進んだのが間違いだった。
「これは…」
息を呑む。
バラバラの荷車が半分砂に埋もれている。脇には散乱した衣服と割れた瓶。飲み水を入れていたものだろう。
何日も水分を取っていない馬は痩せ細り、砂の上に横たわっていた。
僕らが近づくのをじっと見つめ、力無く首を振って動かなくなる。
「父さん!この馬、足が切断されてる!!」
てっきり遭難して餓死寸前なのだと思ったが、砂に埋もれていたように見えた四つの足が消えているのだ。
丁度蹄の上、足首辺りから綺麗に一刀両断されている。
僕が無くなった足の部分をちょんと触ると、馬が身じろぎして小さく啼いた。
「血がでてない…」
すっぱりと鋭い刃物で一気に切られた断面は、馬の肉骨があるのみで流れるべき血が無い。
脱水症状の極みなのか。可哀相で見ていられない。
この馬の命はもう風前の灯火だ。
ここで無意味に生き永らえ、いつ訪れるか分からない死を待つより、潔く安楽死させた方が馬の為だ。
「僕らに会えてラッキーだったかもね」
従者の一人が馬の喉を掻き切り、馬は音も無く命を女神に還した。
やはり血は無かった。首の急所を深く切ったのに、現れるのはピンク色の肉ばかりで赤き血は一切流れない。
砂漠で枯れると、血すらも砂と化すと聞いた事がある。恐らくはそうなのだろう。
「おおい!人がいたぞ!!」
僕らが馬の相手をしていた時、ここから少し離れた場所で別の従者が行き倒れた人間を見つけた。
「ああ、ダメだ。すでに事切れてるな」
数は三つ。最初に送り込んだ斥候の数は5人。
数は合わないが、砂まみれで息をしていない彼らの衣服は間違いなく僕らの町のものだ。
ヴァレリの民族衣装は公的に認められたものである。仮にも《王都》に出向き、然るべき部署で援助を要請するのだから、それなりの恰好が求められる。
彼らの衣服は父が分け与えたものだから、それなりに稀少性も高いのだ。
「酷いな…」
「獣でしょうか」
「坊ちゃんは見ない方が…」
砂の上、無造作に打ち捨てられた肉の塊。
従者に阻まれるも目に入る。もはや人の形すら成していない。
「獣にしては切り傷が綺麗すぎる。先ほどの馬といい、野盗にでも襲われたか」
たかだか人が肩から袈裟懸けで人間の身体を真っ二つという力技が出来るだろうか。
砂に塗れているが血は無く、肉の断面がくっきりしている。骨を真ん中に、脂肪と筋肉と、千切れた血管。
従者の一人がげえげえと吐く中、僕はどうしてもそれが「人間」には見えなくて、僕らが食べる用に買ってきた牛や豚の生肉のようで現実味が湧いてこない。
「この様子では姿の無い残りの2名も恐らくは…」
馬も荷物も仲間も失い、方向を知る術すらない。
斥候は《王都》に行きつく事なく、ここで果てたのだ。
「無駄に7日も待ったな」
父が吐き捨てる。
確かにその通りだと思った。
「しかし、第二陣の斥候は見えませんな。無事、《王都》に着いたのでしょう」
「うむ。これ以上ここにいても仕方ない。獣にしろ野盗にしろ、危険なのには変わりないからな。先を急ぐとしよう」
この場は風が渦巻いている。
ぼこぼこと波打つ砂と黒い雨、巻き上げた砂嵐が視界を塞ぐ。
砂の幕の隙間から、遠くではあるが僅かに濃いシルエットを僕は見た。
「父さん!建物だ!!」
僕は思わず父の袖口を掴み、前方を指差しながら唾を飛ばす。
父も従者もその方向を見つめる。おお、という歓声が飛び出す。
「確かに見えるな。おい、あの辺りには何があった」
従者は砂漠の案内人も兼ねている。生業にしているから砂漠の隅々まで把握して居る筈なのだが。
しかしその従者は首を振った。
「申し訳ありません。実はこの場所すらはっきりしていないのです。ですが、砂漠には幾つもの町跡が点在しています。跡地の形状を見れば、今我々がいる場も分かりましょう」
「とりあえず、馬を休ませる場所も必要だ。黒き雨にずっと打たれ、疲弊しておるからな」
「は」
充ても無く砂漠を彷徨うのは自殺行為。
まして方向感覚の失われている今は言うまでもないのである。
雨は未だ止む気配はない。
町の南北の入り口に父を初めとして領民たちがズラリと並び、来たる救援を出迎えるべく備えたが、誰も現れる事は無かった。
父はその日のうちに、斥候を再び飛ばした。
「雨で遅れているだけだろう」
民はそう納得しながらも、いつまでも立ち続けていた。
9日目に入り、初めて町から非難の声が上がった。
日に増して荒んでいく領民は、栄養不足から気が立っている者も多く、町は些細な事で殴り合いにまで発展する喧嘩が増えた。
そして僕と父は、備蓄庫の食料を半分持ち出し、残りはしっかりと鍵を何重にも掛け、真夜中に町を出発した。
「放っておいていいの?」
馬の嘶きや足音で民を起こすかもしれないから途中までは徒歩だ。
闇と雨に紛れてしまえば、簡単に抜け出せる。
「明日にでも暴徒はワシらに飛び火する。ワシ自らが《王都》に直訴すると申せば、民の怒りは半減しよう」
体のいい逃げ文句だ。
それに父も気になっている。送り込んだ斥候が、いつまで経っても帰らない訳を。
考えられるのは地震の被害が想定外に多大である事。《王都》や《中央》もこの町のように壊滅状態であれば、他人を助ける暇や人手なんて寄越す暇はないだろう。
そんな当たり前の事、今更過ぎると思うだろ?
だけど父も僕も疑ってなかったんだ。
もはや稀少とされる王家の血を持つ僕を、人々はその身を投げ出して第一に助けるのだと思い込んでいたのだ。
笑えるね。
僕らは《王都》を目指す。
食料も水もふんだんにある。頭もよく戦闘経験もあり、父の腹心ともいえるべき従者も多数引き連れて。
そして2日後、僕らは現実を目の当たりにする事になるのだ。
《ヴァレリ》と《王都》の間には、広大な砂漠が広がっている。
砂漠に住んでいる人間もいるがその数は少なく、全員が家を持たない遊牧民だから集落の位置が定まらない。
運良く彼らに出会って砂漠越えの疲れを癒そうにも、遊牧民たちは余所者を毛嫌いしているから望みは薄い。ならば補給をと水や食料を求めると、法外な金額を請求されてしまう。
頼りになるのは点在するオアシスのみで、ただ闇雲に砂漠をうろつき回っても方向感覚が狂って遭難の危険があるから、多くは道案内と称したガイドを僕の町で雇う事になる。
僕らの町の収入源の多くは、砂漠越えの冒険者や行商人相手から頂戴する安全なのだ。
町から半日で砂漠には到着する。
何処にも寄らず真っ直ぐ2日掛ければ、砂漠を抜けられるはずだったのだが。
僕らは地震の影響ですっかり様子の変わってしまった砂漠の惨状を垣間見て、あんぐりとみっともなく口を開けたまま、愕然としてしまったのだ。
見知った僕らの金になる砂の地が、《王都》とその他の主だった都市を物理的に隔てる枯れた砂の大地が。
幼き頃から慣れ親しんだ僕らの砂漠が。
―――波打っている。
「こ、これは…!」
「まるで大海!!」
ズザザザザザザ
ザザザ―――…
砂がうねり、意思を持ったかの如く渦を巻く。
ザザザザザザザ!
引いては満ち、ひと時も静かにならない。
「風か?」
いや、風は吹いていない。
例え吹いていたとしても、龍の尾のようにグネグネと砂は隆起しない。
黒い雨は未だ降り注ぎ、砂漠の中に浸み込んでいく。砂漠は雨を呑み込み、黒く染まった大地は僕らの侵入を阻んでいた。
「これが地震の影響という訳か!」
「お…恐ろしい!!」
連れてきた使用人と用心棒が口々に叫ぶ。
僕らは馬車の中で皆目し、言葉を発する事が出来ないでいる
それでも僕らは前に進むしかなかった。
砂漠の異様な事態もそうだが、まだそれが原因で救援の手が遅れているとは限らない。
それに今更手ぶらで町に帰れない。
こっそり夜中に抜け出した僕らを、今頃領民は「逃げた」と気付いただろう。
監視役の居なくなった屋敷の貯蔵庫は、もう荒らされているに違いない。暴徒と化した住民を納得させるには、僕らは少人数過ぎるのだ。
彼らを圧倒させる何かを連れて帰らねば、幾ら僕が彼らより位が高いといっても、所詮はただの子ども。
領民には甘い汁を散々吸わせて楽な生活をさせていたにも関わらず、生死の問題だろ帳消しになるのだと父は言った。
僕らはゆっくりと砂漠を進む。
足元が定まらない行軍は、次第に方向を狂わせる。
馬車は早々に捨てざるを得なかった。車輪が動く砂に対処できず通れない。
たくさんの使用人がたくさんの荷物と食料を背負って、真っ暗な雨の中、砂漠を渡る。
無謀かもしれない。
だけど帰って責任の所在を問われるのも、死と直結する。
もし万が一、《王都》も《中央》も助けを寄越さなければ、僕らの町は陸の孤島と化していずれ滅ぶ運命となる。
なんせ僕らは、「生産」に、一切携わっていないからだ。
そう。食べ物は全て輸入に頼っている。
自給自足する知識も土地も道具も人もやる気も無い。汗水流して働くのはそれに適した人がやればいいと皆が本気で思っているのだ。
そんな民を増長させたのは、領主である父の責任だと僕は思っている。
「オアシスだ!」
「やった!水が飲めるぞ!!」
「しばし休憩ですね」
休みなく歩き続けて従者は疲れ果てている。
馬上の僕らも馬の背があっちへこっちへ定まらず動き回るから、手綱を握った手が辛くて震えている。
しかしようやく見つけたオアシスの水は、頭上をひっきりなしに降り注ぐ黒い雨に穢され、とても飲めた代物ではなかった。
「黒い正体は粉塵のようですな」
従者の一人が指で水を擦り、こびり付いた黒の粒を舐めて言う。
「細かな砂と石。濾過すれば飲めない事もないですが…」
そういえば、町の飲み水も限りがあるのだった。井戸は汚れ、それぞれで汲み取り保管していたものしかなかったはず。
その貴重な水も、僕らが持ち去った。
「しかし、先陣した彼らは何処へ行ったのでしょうか」
「本来は太陽の位置で方向を把握するのですが、全く見えませんなあ」
「方位磁石も狂っています。このうねりを伴った砂といい、磁場を狂わせる何かが起きているのでしょう」
「父さん、このまま進んでも大丈夫なの?」
「なあに心配するでない。我らは元々砂漠の民。我が庭で迷子になる阿呆は一人もおらぬよ」
ここに至っても、父と従者たちは呑気だ。
あくまですんなり《王都》に着けると信じて疑わない。
どこまでお気楽主義なのだ。特に父は頭が回る時と楽観視する時の差が激しすぎる感がある。
父だけが死ぬのはいい。
僕を巻き込んでもらっても困る。
僕は父と違って、未来ある有望な子どもなのだから。
それから出発して一日後。
案の定、僕らは遭難した。
遠くに見覚えのある荷馬車を見つけ、そこを目印に進んだのが間違いだった。
「これは…」
息を呑む。
バラバラの荷車が半分砂に埋もれている。脇には散乱した衣服と割れた瓶。飲み水を入れていたものだろう。
何日も水分を取っていない馬は痩せ細り、砂の上に横たわっていた。
僕らが近づくのをじっと見つめ、力無く首を振って動かなくなる。
「父さん!この馬、足が切断されてる!!」
てっきり遭難して餓死寸前なのだと思ったが、砂に埋もれていたように見えた四つの足が消えているのだ。
丁度蹄の上、足首辺りから綺麗に一刀両断されている。
僕が無くなった足の部分をちょんと触ると、馬が身じろぎして小さく啼いた。
「血がでてない…」
すっぱりと鋭い刃物で一気に切られた断面は、馬の肉骨があるのみで流れるべき血が無い。
脱水症状の極みなのか。可哀相で見ていられない。
この馬の命はもう風前の灯火だ。
ここで無意味に生き永らえ、いつ訪れるか分からない死を待つより、潔く安楽死させた方が馬の為だ。
「僕らに会えてラッキーだったかもね」
従者の一人が馬の喉を掻き切り、馬は音も無く命を女神に還した。
やはり血は無かった。首の急所を深く切ったのに、現れるのはピンク色の肉ばかりで赤き血は一切流れない。
砂漠で枯れると、血すらも砂と化すと聞いた事がある。恐らくはそうなのだろう。
「おおい!人がいたぞ!!」
僕らが馬の相手をしていた時、ここから少し離れた場所で別の従者が行き倒れた人間を見つけた。
「ああ、ダメだ。すでに事切れてるな」
数は三つ。最初に送り込んだ斥候の数は5人。
数は合わないが、砂まみれで息をしていない彼らの衣服は間違いなく僕らの町のものだ。
ヴァレリの民族衣装は公的に認められたものである。仮にも《王都》に出向き、然るべき部署で援助を要請するのだから、それなりの恰好が求められる。
彼らの衣服は父が分け与えたものだから、それなりに稀少性も高いのだ。
「酷いな…」
「獣でしょうか」
「坊ちゃんは見ない方が…」
砂の上、無造作に打ち捨てられた肉の塊。
従者に阻まれるも目に入る。もはや人の形すら成していない。
「獣にしては切り傷が綺麗すぎる。先ほどの馬といい、野盗にでも襲われたか」
たかだか人が肩から袈裟懸けで人間の身体を真っ二つという力技が出来るだろうか。
砂に塗れているが血は無く、肉の断面がくっきりしている。骨を真ん中に、脂肪と筋肉と、千切れた血管。
従者の一人がげえげえと吐く中、僕はどうしてもそれが「人間」には見えなくて、僕らが食べる用に買ってきた牛や豚の生肉のようで現実味が湧いてこない。
「この様子では姿の無い残りの2名も恐らくは…」
馬も荷物も仲間も失い、方向を知る術すらない。
斥候は《王都》に行きつく事なく、ここで果てたのだ。
「無駄に7日も待ったな」
父が吐き捨てる。
確かにその通りだと思った。
「しかし、第二陣の斥候は見えませんな。無事、《王都》に着いたのでしょう」
「うむ。これ以上ここにいても仕方ない。獣にしろ野盗にしろ、危険なのには変わりないからな。先を急ぐとしよう」
この場は風が渦巻いている。
ぼこぼこと波打つ砂と黒い雨、巻き上げた砂嵐が視界を塞ぐ。
砂の幕の隙間から、遠くではあるが僅かに濃いシルエットを僕は見た。
「父さん!建物だ!!」
僕は思わず父の袖口を掴み、前方を指差しながら唾を飛ばす。
父も従者もその方向を見つめる。おお、という歓声が飛び出す。
「確かに見えるな。おい、あの辺りには何があった」
従者は砂漠の案内人も兼ねている。生業にしているから砂漠の隅々まで把握して居る筈なのだが。
しかしその従者は首を振った。
「申し訳ありません。実はこの場所すらはっきりしていないのです。ですが、砂漠には幾つもの町跡が点在しています。跡地の形状を見れば、今我々がいる場も分かりましょう」
「とりあえず、馬を休ませる場所も必要だ。黒き雨にずっと打たれ、疲弊しておるからな」
「は」
充ても無く砂漠を彷徨うのは自殺行為。
まして方向感覚の失われている今は言うまでもないのである。
0
あなたにおすすめの小説
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
高校生の俺、異世界転移していきなり追放されるが、じつは最強魔法使い。可愛い看板娘がいる宿屋に拾われたのでもう戻りません
下昴しん
ファンタジー
高校生のタクトは部活帰りに突然異世界へ転移してしまう。
横柄な態度の王から、魔法使いはいらんわ、城から出ていけと言われ、いきなり無職になったタクト。
偶然会った宿屋の店長トロに仕事をもらい、看板娘のマロンと一緒に宿と食堂を手伝うことに。
すると突然、客の兵士が暴れだし宿はメチャクチャになる。
兵士に殴り飛ばされるトロとマロン。
この世界の魔法は、生活で利用する程度の威力しかなく、とても弱い。
しかし──タクトの魔法は人並み外れて、無法者も脳筋男もひれ伏すほど強かった。
劣悪だと言われたハズレ加護の『空間魔法』を、便利だと思っているのは僕だけなのだろうか?
はらくろ
ファンタジー
海と交易で栄えた国を支える貴族家のひとつに、
強くて聡明な父と、優しくて活動的な母の間に生まれ育った少年がいた。
母親似に育った賢く可愛らしい少年は優秀で、将来が楽しみだと言われていたが、
その少年に、突然の困難が立ちはだかる。
理由は、貴族の跡取りとしては公言できないほどの、劣悪な加護を洗礼で授かってしまったから。
一生外へ出られないかもしれない幽閉のような生活を続けるよりも、少年は屋敷を出て行く選択をする。
それでも持ち前の強く非常識なほどの魔力の多さと、負けず嫌いな性格でその困難を乗り越えていく。
そんな少年の物語。
出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜
シマセイ
ファンタジー
実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。
起死回生を願った五歳の「スキルの儀」で彼が授かったのは、【サブスクリプション】という誰も聞いたことのない謎のスキル。
その結果、彼の立場はさらに悪化。完全な「クズ」の烙印を押され、家族から存在しない者として扱われるようになってしまう。
絶望の淵で彼に寄り添うのは、心優しき専属メイドただ一人。
役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。
クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる
あっとさん
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。
でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。
でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。
その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。
そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。
【☆完結☆】転生箱庭師は引き籠り人生を送りたい
寿明結未(旧・うどん五段)
ファンタジー
昔やっていたゲームに、大型アップデートで追加されたソレは、小さな箱庭の様だった。
ビーチがあって、畑があって、釣り堀があって、伐採も出来れば採掘も出来る。
ビーチには人が軽く住めるくらいの広さがあって、畑は枯れず、釣りも伐採も発掘もレベルが上がれば上がる程、レアリティの高いものが取れる仕組みだった。
時折、海から流れつくアイテムは、ハズレだったり当たりだったり、クジを引いてる気分で楽しかった。
だから――。
「リディア・マルシャン様のスキルは――箱庭師です」
異世界転生したわたくし、リディアは――そんな箱庭を目指しますわ!
============
小説家になろうにも上げています。
一気に更新させて頂きました。
中国でコピーされていたので自衛です。
「天安門事件」
はずれスキル念動力(ただしレベルMAX)で無双する~手をかざすだけです。詠唱とか必殺技とかいりません。念じるだけで倒せます~
さとう
ファンタジー
10歳になると、誰もがもらえるスキル。
キネーシス公爵家の長男、エルクがもらったスキルは『念動力』……ちょっとした物を引き寄せるだけの、はずれスキルだった。
弟のロシュオは『剣聖』、妹のサリッサは『魔聖』とレアなスキルをもらい、エルクの居場所は失われてしまう。そんなある日、後継者を決めるため、ロシュオと決闘をすることになったエルク。だが……その決闘は、エルクを除いた公爵家が仕組んだ『処刑』だった。
偶然の『事故』により、エルクは生死の境をさまよう。死にかけたエルクの魂が向かったのは『生と死の狭間』という不思議な空間で、そこにいた『神様』の気まぐれにより、エルクは自分を鍛えなおすことに。
二千年という長い時間、エルクは『念動力』を鍛えまくる。
現世に戻ったエルクは、十六歳になって目を覚ました。
はずれスキル『念動力』……ただしレベルMAXの力で無双する!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる