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三. セトの章

8. Hoverfly ハナアブ

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「お前はまだ吟遊詩人まがいの行為をしているのか」

 久々に夕食前に帰ってこれたから、折角だし挨拶でもと思って父との謁見を取り付けら、食事の相伴を強要されて仕方なく坐した途端に先ほどの台詞である。

 今夜のディナーは子牛のソテーか。
 もっとあっさりしたものが食べたかったんだけど、ここで文句を言うともっと小言が降るのは分かっている。

 メイドに辛めのワインを頼んで、僕は素直にごめんなさいと謝った。


 早く切り上げたかったのだ。
 僕の部屋には女が2人待っている。昼間にナンパしたセクシーな女たちだ。

 随分と遊び慣れていそうだったから、どんな夜を見せてくれるか実に楽しみなのだ。
 こんな所で興を削がれるのは本意ではない。

 父は年をとって幾分か説教臭くなり、一つの事に凝り固まった老害になりつつある。


「お前ももうすぐ20歳。15で成人の儀を終えているのだから、早いところ身を固めて子をなし、父を安心させてくれるといいものを。この親不孝者め」

 そんな父こそ母と結婚したのは40を過ぎてからなのに。自分の事は棚に上げ、よく言えたものだと思う。
 面倒臭くなるから黙っているだけで。

「また縁談が持ち込まれたのかい?」
「連日だよ、我が息子。ワシの執務を妨げるほどにお前の縁談が持ち上がるのだよ」

 いい加減、父もうんざりなのだろう。

 この世界の成人は15歳。
 15を過ぎると大人として認められ、世界が崩壊する前は一握りの例外以外は全て冒険者として魔族と戦う義務を課せられていた。

 僕は冒険者登用を免れる一握りの一人で、父の跡を継いでこの町の領主としての未来が約束されていた。

「僕もうんざりなんだよ。世界が不安定だから、安定した僕の町に嫁いで安寧を享受したい輩ばかりで」

 僕の花嫁になる相手は父が選りすぐっている。王家の血を引き継ぐ僕との間に生まれる御子を、下賤の血で穢すわけにはいかないのだ。

 まして、だからこそ、父は慎重を極めている。
 だが父を唸らせる人物はまだ現れていないようである。

「うむ。小貴族ごときが大役を務められるはずがない。ワシも困っているのだよ」
「由緒正しい大貴族は主に《王都》にいたからね。それに《貿易都市》にも」

 その二つは今、存在しない。

「《中央》の貴族は発言力がかなり低いようだ。“ギルド”の力が強くなりすぎた。あのフレデリク閣下が座すのだから、それも当然なのだろうが…」
「だから《中央》の貴族を親族にしても意味がない…と」
「その通りだ。かえってこっちが不利になる。今でこそ“ギルド”がヴァレリに口出ししてくるのに、もっと介入してくるぞ」
「はあ。素直に引き篭もってりゃいいのにね」
「全くだ。平民が揃いもそろって調子に乗りおって…」

 顔を歪める父の目下の話題は、僕の縁談か《中央》のギルドに終始している。
 それもここ近年で、ギルドの動きが活発化してきたからだ。

「ギルドの分際で治世など、おこがましいにもほどがあると思わんか」
「やけに活発化していたけど、ついに踏み切った感じだね。長年計画を練っていたようだし、フレデリク将軍は有能だ」
「ほかの3つは聞かないところが怪しすぎる。フレデリク閣下が表立って全てを取り仕切っておるが、影で何をやらかしているか分からないのがもどかしい。それでいて、《中央》に協力せよとは虫が良すぎる話だ」
「そうだね。町の至るところに《中央》の人たちが入り込んでいるからね。まあ、高い外貨を吹っかけても素直に払ってくれるし、町にとってじゃ得意様なんだけどね」
「またお前は悠長なことを…」

 グイとワインを飲み干す父の顔は真っ赤だった。



 この世界には、かつて三大都市が存在した。


 《王都ダンクール》は王様を擁する城塞都市。
 創世の時代より数千年もの歴史を紡ぐ100万都市である。

 このヴァレリの北、砂漠を越えた先にそれはある。だが、【災厄】で砂漠が死の大地と化し、物理的に行き来が不可能となった今、現在の《王都》がどうなっているか知る由もない。
 確かめる術もなく、砂漠には多くの怒れる神グレフが生息していることもあり、実質滅びたも同然であった。

 この10年。《王都》の情報はゼロ。
 人類の最後の要である王の生死すらも、掴めていない。



 《海都リンドグレン》は海に面し、港を併設する巨大な貿易都市。
 貴族の避暑地としても知られ、海路を通じて様々な交易品を扱った。顧客には人外族や魔族も多く、種族を隔てる事のない唯一の中立地帯であり、多くの冒険者を輩出した美しい港街であった。

 このヴァレリの南東に位置し、人外族の住まうシュナル大森林の手前に築かれた。
 しかし【災厄】による二次被害、つまり津波により街は壊滅。おびただしい死者を出し、廃墟と化した今は誰も足を踏み入れる事はない。

 リンドグレンの近くにある小さな町が代わりの「港」を務めているようだが、海流に妨げられ船を出すことすら憚れる事態に陥っているらしく、現在も港の役割を果たせていないと聞く。



 そして、話にでた中央の都市。
 《湖都アムルマハ》は広大な湖を有した魅惑の歓楽都市である。

 有史の時代から、国教イシュタル神を奉る教会の総本山が存在するが、厳かな雰囲気は微塵もなく、暇と金を持て余した貴族や商人達により観光地として開発された人工都市だ。

 このヴァレリの南西に位置し、ちょうど大陸のど真ん中にある為、通称として《中央》と名付けられた。

 ここに無いものは無いと言い切れるほどに多種多様の施設や物や人が満ち溢れ、ある意味無法地帯だったのを懸念した王族が、この都市の自警的な役割を騎士団に与え「間接的に王が治世に介入」した事によって、表立った治安は守られた。
 また、士官学校や兵士の訓練場、軍部施設があることでも有名で、兵や騎士団が頻繁に《王都》と《中央》を行き来するものだから、休憩地である僕の町にとっては上得意中の上得意様だった。

【災厄】では被害を受けたものの、たまたま王の親衛隊である黄金騎士団長と名高いユリウス・フレデリク総帥が《中央》の視察に訪れていたのが幸運だった。

 彼の手腕により騎士団が中心となり、凄まじい勢いで復興を果たしたのである。


 10年前の【災厄】で、上二つはこの世から消えた。
 あの惨事は、人間社会そのものを脅かしたのである。


 《王都》に成り代わる、治世機関が。



「父さん。僕が市井に出るのは何も遊んでいるわけではないんだよ。《中央》は力を持った。だけど未だ治世の中心部は明かされず、謎だらけだ」
「よく言うな、セトよ」

「唄を歌うのは、人の心を曝け出す為だ。芸術は初対面であっても心の鍵を簡単に開かせる力があるからね。その本音を知らねば、世を知ったとは言えないじゃないか」
「確かに一理あるが、父の仕事を手伝わず、連日舞台を立ち上げてそれで何か分かったのか?」

 父も性格が悪くなった。齢も60を過ぎれば意固地にもなるか。
 父としては家督を譲り、早いところ引退したいのかもしれないけど。

 時期を見定めているのは父だけじゃない。情報収集に事欠かさず、世の情勢に聡くあるのはそのためだ。

「父さんはそもそも“ギルド”が何なのか、どうして《中央》で立ち上がったか分かるかい?」
「ならば説明してみるがいい。ワシも伊達に《中央》を相手に領主など務めておらぬ」
「ふふ」


 そもそも“ギルド”というのは、特定の技能を持った集団が、技術を独占するために作った自治団体の事である。

 一昔前に鍛冶や漁業、商人たちが勝手に組織化していたが、目に余る独占により市場が偏ったのが原因で貴族や王族、評議会の権威が失楽した過去があった。
 それで王政府はギルド制を一切廃止。町に貴族を配属し領属させ、職人たちの横の繋がりを絶ったのである。

 個人でギルドを作る事は勿論、名乗るのもご法度とされ厳しく管理されてきた。

 災厄の前、ほんの10年前までギルドという組織は一つしかなく、王の承認を得た王政府公認施設として存在した“冒険者ギルド”のみであったのだ。
 その名の通り冒険者ギルドとは、冒険者を全面バックアップする公的機関だ。
 王が半ば強制的に冒険者登用を義務化したからであって、冒険者の目的は魔族の魔王を倒すことに集結する。

 魔物退治や雑用請負は役割としてはメインではないが、そうそう魔王に対抗できる人間なんて出るはずもなく、実際に魔族の土地に渡った冒険者はほんの僅かだったと囁かれている。
 数撃てば必ずどれかは当たる。そこまでして王は、魔族の時代を終わらせたかったようだ。王の父君である前王自らが“勇者”を名乗って、あと一歩まで魔王を追い詰め失敗した経緯があるから、尚更その気持ちが強いのだろう。


 しかし冒険者ギルドも災厄を過ぎて存在価値を失った。

 王都のバックアップを得られず、倒すべき魔王は勝手に死んでしまって、人の事よりもまずは自分の身を守る事を優先とする人々に、もはや冒険者という職業は不必要だったのだ。


「そして、災厄を逃れた有名人がいち早くこの事態に収取を付けた」


 災厄後、最も活躍したのはフレデリク将軍率いる王国騎士団と言われる。


 《中央》のみならず、各地の復興にも手を差し伸べ、魔物退治も積極的に請け負ったから生き残った人間たちの希望の星となるのは当然だった。

 騎士団は《中央》に拠点を構え、そのまま湖都を統治した。

 三大都市の二つを喪ったこの国の実権は、図らずとも騎士団が掌握するのに、人々は心情の点からもそして現実的な意味からも認めざるを得なかったのだ。


「だけどある時、突然《中央》に“ギルド”が発足した」

 騎士団がギルドと名を変えただけかと思ったが、なんと4つに増えたのだ。

 何の前触れもなかったから、寝耳に水ですごく驚いたのを覚えている。


 王も《王都》も亡き今、勝手にギルドを立ち上げる事は不可能である。
 だが4つのギルドは、教会の総本山を後ろ盾に、《王都》を救うという名目で、またフレデリク将軍の騎士団が筆頭ギルドとして名乗ったが故に、まかり通ってしまったのである。


「あくまで《王都》を取り戻すための“仮の組織”とは謳っているけど、その権力は無視できない存在になったね」
「そうだ。忌々しいほどに」

 なんと、災厄を生き延びた町や村を併呑し、従属させていったのである。

 それは強制ではなかった。
 あくまで判断はその自治体に委ねられたが、豊富な資金力と人材、資源物資や確約された「生」に抗える者なんて殆ど無く、災厄から10年ですっかり疲弊していた人々は、これこそ真の救世主として崇め奉り従ったのだ。
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