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三. セトの章
10. Slave making ant サムライアリ
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翌日、真っ黄色に見える空を仰ぎ、太陽があんまりにも高いものだから僕は盛大に寝坊してしまったと悟る。
見知らぬ女を連れ込んだ翌日の朝は、メイドも執事も気を利かせて誰もやってこない。朝起ちに乗じてまた狂乱の舞をベッドの中でやっている最中に何度か興を削がれた事もあって、僕がきつく申し立てたからだ。
お陰で朝食も着替えも自分でやらねばならないが、セックスを邪魔されるよりはマシだし、メイド達も余計な嫉妬をせずに済むだろう。
ほら、どうして私たちじゃなくて連れ込んだ女なの?って。
それでも今日の寝坊は酷い。日の高さから、もう昼を過ぎているだろう。
父からの小言の一つや二つは覚悟するつもりだったが、幸いにも免れる事ができた。
町の辺境で何やら事故があったらしく、状況見分のために父は今朝早くから出掛けていたからである。
「ははっ。…腰がつらいな」
盛大にサカり過ぎた自覚がある。昨夜共にいた女たちは遊び慣れていると思っていたけれど、本性はただのビッチだったのだ。
「遊ぶ」の度を超えていて、玄人ばりに散々絞り尽くされた。
あれは金を払ってでも味わう価値がある。僕の腰が壊れる寸前なのだから、その激しさはもう何というか、ヘブンにいきそうだった。
そんな彼女らは既に僕の屋敷を出ている。僕と違って優雅に昼間で寝ていられるような生活でも立場でもない。
微睡む僕の真横で仕事があるからときゃあきゃあ騒がしく化粧直しして出て行ったが、ほんの十数分前までは裸で絡み合っていたのだ。そのタフさに感心させられる。
「気に入ったな。名前を聞いておけばよかった」
どうせ一晩だけの関係だからと名も素性も聞かず、面倒な関わり合いを抜きに事に及ぶのが僕の信条だったのだが、あの女たちは惜しいと思った。
まあ、昨日の場所に行けばまた会えるのだし。彼女らが「そうしたい」のならば、僕の専属僕の専属として好待遇で雇ってもいいだろう。
僕はメイドを呼んで軽く食事を済ませ、早々に屋敷を出る。
父から仕事を言付かっているようだったが、今日の僕はちゃんとした予定がある。
昨夜、父との会話で僕も気になっていたのだ。
僕らの町にしゃしゃり出てくる“ギルド”の事を、もっと知らねばならないと思ったのである。
昨夜女たちが言った“紡ぎの塔”の連中が屯しているという宿屋兼酒場に情報収集目的で訪れてみたけれど、今朝緊急の招集命令が出たとかで入れ違いとなってしまった。
運が悪かった。
「セト様、あの人達にご用件で?」
「うん。領主の息子としてギルドとお近づきになっておこうと思ってね」
「そうですか。残念でしたね。昨晩に早馬が届いたそうですよ。夜の帰還は色々と危ないからって、朝までのんびり過ごされていたんですがね」
「そっか。一足違いだったか。でも部下に甘いんだね、その魔法使いギルドってのは」
《中央》とヴァレリは遠い。馬だと3日。徒歩だと1週間は軽くかかってしまう。
しかし道のりは険しくなく、ヴァレリから出たら果てしなく草原が続くのみだ。元々《王都》との往復に使われた街道である。
旅の途中に小さな宿泊所なども設けてある。至れり尽くせりの街道は、災厄から騎士団が率先して整備してくれたものだ。
今のギルドは良く知らないが、騎士団が昔の気風を保っているとするならば、“魔法使いギルド”とやらは相当甘い。
災厄前より騎士団はこの町をよく訪れていたが、規律に厳しく良く統制されていた。
上の者には一切逆らわず、誰の目が届いていない場所でも気概堂々としていたものだ。
騎士団ならば帰還命令が下された瞬間に、旅路の用意も儘ならない状態でも出発するだろう。
騎士に馬が与えられるのは、ある程度の役職に就いた上役のみだ。
あとはせいぜいが荷馬車。多くは徒歩だった。
一晩の休息を与えられ、尚且つ馬も駆るとは贅沢の極み。
同じ“ギルド”であっても、根本は全く違うものなのだろう。
「とてもお忙しいようですが、待遇は申し分ないと仰っておいででしたね。全ての町や村の店を手分けして回らないといけないらしくて、人手が足りないとボヤいていましたよ」
「こき使っているのは変わりないよね。それの何処に待遇が良いと言えるのかな」
「さあて、私には分かりませんが。金の支払いは良かったですよ。それにあまり大きな声では言えませんが…」
僕以外の客が見当たらないのに店主はちょいちょいと手招きし、耳元で囁く。
「騎士団様たちとは大違いですよ。乱暴でも横柄でも騒がしくもない。あの方々はとても静かでしたから」
騎士団には王と、すべての王民を護る自負がある。厳しい規律や一糸乱れぬ統制を強いられるのは、それだけの責任を負わす覚悟を身体に叩き込むためだ。
だからこそ、「自分こそ特別」だと思う節もある。まるで騎士団が世の戒律だと云わんばかりに偉そうに威張るのだ。
そして災厄から騎士団は『筆頭』ギルドとして名を馳せてきた。混乱する世の中を立て直した自負は人一倍だろう。
その誇示が、一般市民に対して「傲慢」として返ってくる。
これは僕も辟易していたのだ。
《中央》でのさばるならいざ知らず、自治権が王より与えられ騎士団の権力が無意味なこのヴァレリの町ですら、彼らは同じように威張り散らすのだ。
これは元々《王都》が健在だった頃からの騎士団の気質である。
フレデリク総帥が君臨している限り、いや、騎士団そのものが解体しない限り、この体制は変わらないのだろう。
酒場の主人も随分と嫌な目に遭っていたようだ。
安宿ではあるが、飯もそこそこ美味いし清潔感もある。閑静なエリアの宿だから、騎士団が泊まるには客層が合っていない。
「ねえ、他には何か言ってなかったかい?“塔”のギルドマスターの事とか、施策とかそういうの。今後僕と対話するにあたって、少しでも相手に失礼がないように知っておいた方がいいと思ってね」
「流石はセト様です。次期ご領主様の風格が出ておりますよ!」
「はは、ありがとう」
「ですが、そんなに詳しくは私も知りませんよ?」
「“塔”に協力を要請されたんじゃないのかい?この辺一帯を回っていると聞いたよ」
“紡ぎの塔”の仕事は『市井管理』だ。それも、全ての町や村の。
例外なくこの町も入っている。僕たちに断りもなくだ。
「ああ、あれですか。まだ決めかねていますよ。この近辺の店もそうです。領主様に納める税金とは異なるそうで。《中央》に遠ければ遠いほどそれだけ共済金の額は低くなりますが、今のままだと二重に支払う事になりますからね。お金に関しては領主様を通していただかないと、私の一存では決めかねると断っておきました」
「賢明な判断だね、ご主人。ギルドの組合費を払ってでもメリットがあれば別だけど」
「はい。私らはこの町で別段不便はありませんから。あなた様方のご尽力のお陰だと思って感謝しているくらいなのに。まあ、彼らもすぐに返事を欲しいのではないみたいで、町の様子を見に来たついでに…といった感じでしたよ」
「そうか。ありがとうご主人」
「いえいえ」
騎士団長が騎士を統制しているように、この町は父と僕が完璧に牛耳っているのだ。横から利益を掻っ攫おうとカラスの真似事をしていいご身分だと思う。
だから貴族を敬わない野蛮な一般人は嫌いなのだ。どれだけ父が苦労してこの町を統治してきたと思っている。
だけどお生憎様だ。
僕ら領主は散々この町の住民達に目をかけて可愛がってきた。特別な便宜は、他のどの町や村も真似できないだろう。
僕らのもとにいる限り、この町の住人は幸せなのだ。得体の知れない魔法使いなんぞに使われるメリットなんて、それこそ付け入る隙なんて微塵もないのだ。
わざわざこんなところまで無駄足運んでご苦労様と、直接正体不明のギルドマスターとやらに言ってあげたいくらいである。
しかし随分と悠長なのだなと思う。
せっかくの視察を帰してしまうし、決定的な契約に至った店は一店舗もない。僕らに挨拶も来ない。
治世が始まって騎士団は目に見えて行動に移しているのに、魔法使い達は急いていない。
準備が整っていないのか…。それとも違う思惑があるのか。
なんだか気色悪い連中だ。探るだけ探っておいて捨て置くみたいで意図が見えず不気味すぎる。
「セト様のご期待には添えず申し訳ないのですが、マスターや幹部といった方々のお話は聞きませんでしたよ」
「そっか、残念だな」
「今度はご領主様とアポを取るとか何とか聞こえましたから、流石にあなた様とお目通りするのに彼らのような下っ端はやってこないでしょうし、すぐにでもマスターとやらに出会えるのではないでしょうか」
「そうだね。ありがとう、色々と。これ、ごちそうさま」
コトリと金貨を一枚置く。
この宿だと金貨一枚で一週間は寝泊まりできる。破格の情報料だろう。
「へへ、こちらこそ御贔屓に。また現れたら今度は根掘り葉掘り聞いておきますよって」
ほら、人って単純だろう?
僕にとってはお小遣いの範疇ですらない小銭如きであんなに顔を綻ばせて。
頼んでもいない情報収集を買って出て、美味しいお零れに預かろうとする。
ああ、浅ましい。
「じゃあ、また」
宿屋を出て首をコキコキと鳴らす。
狭くて暗い店だった。日が当たらないから時間さえも分からない。
空を見上げると西の方が若干色づいていて、そろそろ一日も終わりになる頃だろう。
起きたばかりの僕としては、まだまだこれからなんだけどね。
「あ~あ、期待が外れたなあ」
もう少し分かるかと思った。
思った以上の情報は得られなかった。騎士団よりも緩そうってぐらいで。横柄な態度を取らないから、それなりに「ギルドとしては底辺な身」を弁えているっぽいし。
ううん…期待が外れたな。
次に向かったのは、昨夜の女を殊更贔屓しているという騎士団員が駐屯している溜まり場だ。
前述の通り、騎士団には勘違い野郎が多数いる。この町を既に従属していると思い込んでいる輩も少なからずいるのだ。
しかし奴らは奴らなりにちっぽけな自尊心がある。
この町には娼婦や男娼が客引きをする風俗街もあるが、プライドの高い彼らはそこには行けない。規律に厳しい騎士団長は、騎士は潔癖に高潔であるべきだと説いているので、明らかに風俗に行くことは禁止されているからである。
駐屯中の騎士は女に飢える。家族を《中央》に残し、数か月も自身を慰めるだけだとフラストレーションは溜まりっぱなしだ。
だから風俗ではなく、ナンパして女たちを買って快楽を満たす。
やっていることは風俗と何一つ変わらないが、一応グレーゾーンで規律にギリギリ反しないのだという。
しかし、礼節を重んじたかつての騎士団の権威は脆くなっている。
災厄から新たな人材を多数取り入れたのだろう。エリート集団だった騎士団に簡単に入れるだけあって、誇示の大きさは随分とショボくなった。
末端まで騎士団長の意が通じていないのは明らかで、最近の騎士団の行動には目に余るものがある。
「王直属だったころはそうでもなかったんだけど…」
さきほどの宿屋のように、騎士団に迷惑している民が増えている。
“ギルド”という組織となって、騎士団も変わりつつあるのだ。
プライドだけは前のまま。筆頭ギルドをかさに立ててやりたい放題。もはや野盗と何ら変わりない。
その事実をフレデリク騎士団長が気付いていないはずはない。あの人は天才的に聡い人だ。
時代とともに騎士団のあるべき姿が変わっている事を何ら手を打たずに野放しにしているほど無能ではない。
だけど騎士団は金払いがいいから一概に邪険に出来ないのももどかしい。
そもそも父が歓迎しているし、僕らの町は「旅人から得られる外貨」で成り立っているからね。
父は消極的に暴力事件に発展しない限りは黙認しているけれど、不満も募れば集団心理は恐ろしく酷くなる事を忘れているのだろうか。
僕が領主の立場ならば、この時点でフレデリク将軍に直談判しているところだ。
《中央》のギルドに僕らは屈しているのではなく、あくまで対等―――いや、王の血筋から見て僕の方が立場が上で従属する義務だってないのだから。
しかし今日はやけに町が騒がしい気がする。
町を闊歩する騎士団も何処か浮ついているようだし、走っている人も多い。
ザワザワとしたいつもの喧騒に、若干の緊張が見えるのは気のせいではないだろう。
もうすぐ創立祭があるから、その準備に立て込んでいる風でもない。
父も朝から事故処理にわざわざ向かったというし、心なしかぞわぞわと胸騒ぎがする。
全身の毛穴がぶわりと開くような、少し不快な感覚。
ああ、この感じ――――ずっと昔に知っているような気がする。
だけど思い出せない。
何なのだろう。
白い塊のモヤが頭全体に掛かってこれ以上の思案ができない。
「まあ、いっか」
頭を振って前を見据える。
どうせ父に聞けばすべて分かる事だ。僕があれこれと探る必要もないだろう。
目の前に虫の行列がいた。
黒くて米粒よりも小さな虫が一列で規則正しく歩んでいる。
ポケットに入っていた飴玉を行列の真ん中にポトリと落とす。
虫の列がわあっと乱れて、また何事も無かったかのように飴を避けて列が作られる。
飴に集らないなんて、へんな虫だ。
何だか折角くれてやったのに無性に腹が立って踏み潰した。
一気に数十匹がぺしゃんこになったが、虫は再び列を形成して何処かへとただ歩き始める。
ここでやめておけばいいのに、何故かムキになって散々踏み潰してあげた。
虫はようやく諦めたのか、その場でぐるぐると回り始めた。残り十数匹しかいなくなってしまったのもあるけど。
「虫の分際で、僕の行く手を邪魔するな」
幾分か溜飲が下がる。
虫ごときに随分と大人気無かったかもしれないが、この釈然としない気持ちがスッキリした。
最後にザザっと砂をかけて止めを刺し、僕は立ち去る。
一匹の黒い虫が、じっと僕を見ていた気がして気味が悪かった。
僕は速足でその場を後にする。
痛いほど背中を刺す視線に気づかない振りをして。
見知らぬ女を連れ込んだ翌日の朝は、メイドも執事も気を利かせて誰もやってこない。朝起ちに乗じてまた狂乱の舞をベッドの中でやっている最中に何度か興を削がれた事もあって、僕がきつく申し立てたからだ。
お陰で朝食も着替えも自分でやらねばならないが、セックスを邪魔されるよりはマシだし、メイド達も余計な嫉妬をせずに済むだろう。
ほら、どうして私たちじゃなくて連れ込んだ女なの?って。
それでも今日の寝坊は酷い。日の高さから、もう昼を過ぎているだろう。
父からの小言の一つや二つは覚悟するつもりだったが、幸いにも免れる事ができた。
町の辺境で何やら事故があったらしく、状況見分のために父は今朝早くから出掛けていたからである。
「ははっ。…腰がつらいな」
盛大にサカり過ぎた自覚がある。昨夜共にいた女たちは遊び慣れていると思っていたけれど、本性はただのビッチだったのだ。
「遊ぶ」の度を超えていて、玄人ばりに散々絞り尽くされた。
あれは金を払ってでも味わう価値がある。僕の腰が壊れる寸前なのだから、その激しさはもう何というか、ヘブンにいきそうだった。
そんな彼女らは既に僕の屋敷を出ている。僕と違って優雅に昼間で寝ていられるような生活でも立場でもない。
微睡む僕の真横で仕事があるからときゃあきゃあ騒がしく化粧直しして出て行ったが、ほんの十数分前までは裸で絡み合っていたのだ。そのタフさに感心させられる。
「気に入ったな。名前を聞いておけばよかった」
どうせ一晩だけの関係だからと名も素性も聞かず、面倒な関わり合いを抜きに事に及ぶのが僕の信条だったのだが、あの女たちは惜しいと思った。
まあ、昨日の場所に行けばまた会えるのだし。彼女らが「そうしたい」のならば、僕の専属僕の専属として好待遇で雇ってもいいだろう。
僕はメイドを呼んで軽く食事を済ませ、早々に屋敷を出る。
父から仕事を言付かっているようだったが、今日の僕はちゃんとした予定がある。
昨夜、父との会話で僕も気になっていたのだ。
僕らの町にしゃしゃり出てくる“ギルド”の事を、もっと知らねばならないと思ったのである。
昨夜女たちが言った“紡ぎの塔”の連中が屯しているという宿屋兼酒場に情報収集目的で訪れてみたけれど、今朝緊急の招集命令が出たとかで入れ違いとなってしまった。
運が悪かった。
「セト様、あの人達にご用件で?」
「うん。領主の息子としてギルドとお近づきになっておこうと思ってね」
「そうですか。残念でしたね。昨晩に早馬が届いたそうですよ。夜の帰還は色々と危ないからって、朝までのんびり過ごされていたんですがね」
「そっか。一足違いだったか。でも部下に甘いんだね、その魔法使いギルドってのは」
《中央》とヴァレリは遠い。馬だと3日。徒歩だと1週間は軽くかかってしまう。
しかし道のりは険しくなく、ヴァレリから出たら果てしなく草原が続くのみだ。元々《王都》との往復に使われた街道である。
旅の途中に小さな宿泊所なども設けてある。至れり尽くせりの街道は、災厄から騎士団が率先して整備してくれたものだ。
今のギルドは良く知らないが、騎士団が昔の気風を保っているとするならば、“魔法使いギルド”とやらは相当甘い。
災厄前より騎士団はこの町をよく訪れていたが、規律に厳しく良く統制されていた。
上の者には一切逆らわず、誰の目が届いていない場所でも気概堂々としていたものだ。
騎士団ならば帰還命令が下された瞬間に、旅路の用意も儘ならない状態でも出発するだろう。
騎士に馬が与えられるのは、ある程度の役職に就いた上役のみだ。
あとはせいぜいが荷馬車。多くは徒歩だった。
一晩の休息を与えられ、尚且つ馬も駆るとは贅沢の極み。
同じ“ギルド”であっても、根本は全く違うものなのだろう。
「とてもお忙しいようですが、待遇は申し分ないと仰っておいででしたね。全ての町や村の店を手分けして回らないといけないらしくて、人手が足りないとボヤいていましたよ」
「こき使っているのは変わりないよね。それの何処に待遇が良いと言えるのかな」
「さあて、私には分かりませんが。金の支払いは良かったですよ。それにあまり大きな声では言えませんが…」
僕以外の客が見当たらないのに店主はちょいちょいと手招きし、耳元で囁く。
「騎士団様たちとは大違いですよ。乱暴でも横柄でも騒がしくもない。あの方々はとても静かでしたから」
騎士団には王と、すべての王民を護る自負がある。厳しい規律や一糸乱れぬ統制を強いられるのは、それだけの責任を負わす覚悟を身体に叩き込むためだ。
だからこそ、「自分こそ特別」だと思う節もある。まるで騎士団が世の戒律だと云わんばかりに偉そうに威張るのだ。
そして災厄から騎士団は『筆頭』ギルドとして名を馳せてきた。混乱する世の中を立て直した自負は人一倍だろう。
その誇示が、一般市民に対して「傲慢」として返ってくる。
これは僕も辟易していたのだ。
《中央》でのさばるならいざ知らず、自治権が王より与えられ騎士団の権力が無意味なこのヴァレリの町ですら、彼らは同じように威張り散らすのだ。
これは元々《王都》が健在だった頃からの騎士団の気質である。
フレデリク総帥が君臨している限り、いや、騎士団そのものが解体しない限り、この体制は変わらないのだろう。
酒場の主人も随分と嫌な目に遭っていたようだ。
安宿ではあるが、飯もそこそこ美味いし清潔感もある。閑静なエリアの宿だから、騎士団が泊まるには客層が合っていない。
「ねえ、他には何か言ってなかったかい?“塔”のギルドマスターの事とか、施策とかそういうの。今後僕と対話するにあたって、少しでも相手に失礼がないように知っておいた方がいいと思ってね」
「流石はセト様です。次期ご領主様の風格が出ておりますよ!」
「はは、ありがとう」
「ですが、そんなに詳しくは私も知りませんよ?」
「“塔”に協力を要請されたんじゃないのかい?この辺一帯を回っていると聞いたよ」
“紡ぎの塔”の仕事は『市井管理』だ。それも、全ての町や村の。
例外なくこの町も入っている。僕たちに断りもなくだ。
「ああ、あれですか。まだ決めかねていますよ。この近辺の店もそうです。領主様に納める税金とは異なるそうで。《中央》に遠ければ遠いほどそれだけ共済金の額は低くなりますが、今のままだと二重に支払う事になりますからね。お金に関しては領主様を通していただかないと、私の一存では決めかねると断っておきました」
「賢明な判断だね、ご主人。ギルドの組合費を払ってでもメリットがあれば別だけど」
「はい。私らはこの町で別段不便はありませんから。あなた様方のご尽力のお陰だと思って感謝しているくらいなのに。まあ、彼らもすぐに返事を欲しいのではないみたいで、町の様子を見に来たついでに…といった感じでしたよ」
「そうか。ありがとうご主人」
「いえいえ」
騎士団長が騎士を統制しているように、この町は父と僕が完璧に牛耳っているのだ。横から利益を掻っ攫おうとカラスの真似事をしていいご身分だと思う。
だから貴族を敬わない野蛮な一般人は嫌いなのだ。どれだけ父が苦労してこの町を統治してきたと思っている。
だけどお生憎様だ。
僕ら領主は散々この町の住民達に目をかけて可愛がってきた。特別な便宜は、他のどの町や村も真似できないだろう。
僕らのもとにいる限り、この町の住人は幸せなのだ。得体の知れない魔法使いなんぞに使われるメリットなんて、それこそ付け入る隙なんて微塵もないのだ。
わざわざこんなところまで無駄足運んでご苦労様と、直接正体不明のギルドマスターとやらに言ってあげたいくらいである。
しかし随分と悠長なのだなと思う。
せっかくの視察を帰してしまうし、決定的な契約に至った店は一店舗もない。僕らに挨拶も来ない。
治世が始まって騎士団は目に見えて行動に移しているのに、魔法使い達は急いていない。
準備が整っていないのか…。それとも違う思惑があるのか。
なんだか気色悪い連中だ。探るだけ探っておいて捨て置くみたいで意図が見えず不気味すぎる。
「セト様のご期待には添えず申し訳ないのですが、マスターや幹部といった方々のお話は聞きませんでしたよ」
「そっか、残念だな」
「今度はご領主様とアポを取るとか何とか聞こえましたから、流石にあなた様とお目通りするのに彼らのような下っ端はやってこないでしょうし、すぐにでもマスターとやらに出会えるのではないでしょうか」
「そうだね。ありがとう、色々と。これ、ごちそうさま」
コトリと金貨を一枚置く。
この宿だと金貨一枚で一週間は寝泊まりできる。破格の情報料だろう。
「へへ、こちらこそ御贔屓に。また現れたら今度は根掘り葉掘り聞いておきますよって」
ほら、人って単純だろう?
僕にとってはお小遣いの範疇ですらない小銭如きであんなに顔を綻ばせて。
頼んでもいない情報収集を買って出て、美味しいお零れに預かろうとする。
ああ、浅ましい。
「じゃあ、また」
宿屋を出て首をコキコキと鳴らす。
狭くて暗い店だった。日が当たらないから時間さえも分からない。
空を見上げると西の方が若干色づいていて、そろそろ一日も終わりになる頃だろう。
起きたばかりの僕としては、まだまだこれからなんだけどね。
「あ~あ、期待が外れたなあ」
もう少し分かるかと思った。
思った以上の情報は得られなかった。騎士団よりも緩そうってぐらいで。横柄な態度を取らないから、それなりに「ギルドとしては底辺な身」を弁えているっぽいし。
ううん…期待が外れたな。
次に向かったのは、昨夜の女を殊更贔屓しているという騎士団員が駐屯している溜まり場だ。
前述の通り、騎士団には勘違い野郎が多数いる。この町を既に従属していると思い込んでいる輩も少なからずいるのだ。
しかし奴らは奴らなりにちっぽけな自尊心がある。
この町には娼婦や男娼が客引きをする風俗街もあるが、プライドの高い彼らはそこには行けない。規律に厳しい騎士団長は、騎士は潔癖に高潔であるべきだと説いているので、明らかに風俗に行くことは禁止されているからである。
駐屯中の騎士は女に飢える。家族を《中央》に残し、数か月も自身を慰めるだけだとフラストレーションは溜まりっぱなしだ。
だから風俗ではなく、ナンパして女たちを買って快楽を満たす。
やっていることは風俗と何一つ変わらないが、一応グレーゾーンで規律にギリギリ反しないのだという。
しかし、礼節を重んじたかつての騎士団の権威は脆くなっている。
災厄から新たな人材を多数取り入れたのだろう。エリート集団だった騎士団に簡単に入れるだけあって、誇示の大きさは随分とショボくなった。
末端まで騎士団長の意が通じていないのは明らかで、最近の騎士団の行動には目に余るものがある。
「王直属だったころはそうでもなかったんだけど…」
さきほどの宿屋のように、騎士団に迷惑している民が増えている。
“ギルド”という組織となって、騎士団も変わりつつあるのだ。
プライドだけは前のまま。筆頭ギルドをかさに立ててやりたい放題。もはや野盗と何ら変わりない。
その事実をフレデリク騎士団長が気付いていないはずはない。あの人は天才的に聡い人だ。
時代とともに騎士団のあるべき姿が変わっている事を何ら手を打たずに野放しにしているほど無能ではない。
だけど騎士団は金払いがいいから一概に邪険に出来ないのももどかしい。
そもそも父が歓迎しているし、僕らの町は「旅人から得られる外貨」で成り立っているからね。
父は消極的に暴力事件に発展しない限りは黙認しているけれど、不満も募れば集団心理は恐ろしく酷くなる事を忘れているのだろうか。
僕が領主の立場ならば、この時点でフレデリク将軍に直談判しているところだ。
《中央》のギルドに僕らは屈しているのではなく、あくまで対等―――いや、王の血筋から見て僕の方が立場が上で従属する義務だってないのだから。
しかし今日はやけに町が騒がしい気がする。
町を闊歩する騎士団も何処か浮ついているようだし、走っている人も多い。
ザワザワとしたいつもの喧騒に、若干の緊張が見えるのは気のせいではないだろう。
もうすぐ創立祭があるから、その準備に立て込んでいる風でもない。
父も朝から事故処理にわざわざ向かったというし、心なしかぞわぞわと胸騒ぎがする。
全身の毛穴がぶわりと開くような、少し不快な感覚。
ああ、この感じ――――ずっと昔に知っているような気がする。
だけど思い出せない。
何なのだろう。
白い塊のモヤが頭全体に掛かってこれ以上の思案ができない。
「まあ、いっか」
頭を振って前を見据える。
どうせ父に聞けばすべて分かる事だ。僕があれこれと探る必要もないだろう。
目の前に虫の行列がいた。
黒くて米粒よりも小さな虫が一列で規則正しく歩んでいる。
ポケットに入っていた飴玉を行列の真ん中にポトリと落とす。
虫の列がわあっと乱れて、また何事も無かったかのように飴を避けて列が作られる。
飴に集らないなんて、へんな虫だ。
何だか折角くれてやったのに無性に腹が立って踏み潰した。
一気に数十匹がぺしゃんこになったが、虫は再び列を形成して何処かへとただ歩き始める。
ここでやめておけばいいのに、何故かムキになって散々踏み潰してあげた。
虫はようやく諦めたのか、その場でぐるぐると回り始めた。残り十数匹しかいなくなってしまったのもあるけど。
「虫の分際で、僕の行く手を邪魔するな」
幾分か溜飲が下がる。
虫ごときに随分と大人気無かったかもしれないが、この釈然としない気持ちがスッキリした。
最後にザザっと砂をかけて止めを刺し、僕は立ち去る。
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辺境の田舎街に住むエリオは落ちこぼれの底辺冒険者。
普段から無能だの底辺だのと馬鹿にされ、薬草拾いと揶揄されている。
そんなエリオだが、ふとした事がきっかけで『野良犬』を手懐けてしまう。
そこから始まる底辺落ちこぼれエリオの成り上がりストーリー。
そしてこの世界に存在する宝玉がエリオに力を与えてくれる。
うっかり野良犬を手懐けた底辺男。冒険者という枠を超え乱世での逆転人生が始まります。
いずれは王となるのも夢ではないかも!?
◇世界観的に命の価値は軽いです◇
カクヨムでも同タイトルで掲載しています。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
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【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
この度異世界に転生して貴族に生まれ変わりました
okiraku
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地球世界の日本の一般国民の息子に生まれた藤堂晴馬は、生まれつきのエスパーで透視能力者だった。彼は親から独立してアパートを借りて住みながら某有名国立大学にかよっていた。4年生の時、酔っ払いの無免許運転の車にはねられこの世を去り、異世界アールディアのバリアス王国貴族の子として転生した。幸せで平和な人生を今世で歩むかに見えたが、国内は王族派と貴族派、中立派に分かれそれに国王が王位継承者を定めぬまま重い病に倒れ王子たちによる王位継承争いが起こり国内は不安定な状態となった。そのため貴族間で領地争いが起こり転生した晴馬の家もまきこまれ領地を失うこととなるが、もともと転生者である晴馬は逞しく生き家族を支えて生き抜くのであった。
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