蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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三. セトの章

12. 欲のはじまり ー回想ー

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「取引か…具体的に何をしてもらえばいいのかな。それに今町に戻ったら、僕たちは殺されるかもしれない」


 地震から7日。

 町から集めた食料と水の大半を持ち出してこっそり抜け出した僕らは、今頃相当な恨みを買っているだろう。助けもなく食料もなく、瓦礫も死体もそのままにして置いてきた町の惨状を知りたいような知りたくないような。


「しつもんすればいいのです。わからないときは、しつもんするのがいちばんですよ」
「はあ」

 中年の男。髭を携えている事が唯一の特徴である。二度目に会っても気づきもしないだろう。何の変哲もない薄い顔をしているから。

「わたしとそれがあなたをたすける。まちをもとどおりにしたいのですよね」
「うん。地震で家はぐちゃぐちゃだから。人も…たくさん死んだんだよ」

「けがれびとのふっかつはできません。わたしたちとはちがうからです。だからおしえるのです、あなたのすべてを。くずなセトを」
「そうは言ってもね。9年しか生きていない僕の人生なんて、たかが知れてるよ。後ろにいる父たちの方が余程―――」

「バカはきらいです。あなたはもっとさといとおもっていましたよ」

 男に張り付いたニコニコ顔が癇に障った。

「…僕は馬鹿ではないよ。ちょっと回りくどく言ってみただけだ。まだ少し混乱しているからね。あなたも、それに僕の中に入った白いものも何の説明も無しだ。そんな状況に素早く冷静に対処できる人なんて、物語だけの世界だよ」

「ものがたり。おしろにあったほんのこと」


「《王都》を…今の《王都》を知っているんだね。あそこはいま、どうなっているの?」
「あれはわたしたちのすみかです。けがれからかくりしないと、わたしたちにはつらいからです。でもじかんをかけてじょうかします。それにはげんじゅうみんのきょうりょくがふかけつなのです」
「中の人たちは無事なの?それに王様も…」
「そんなひとたちはいません。わたしたちのせわをするひとならたくさんいますが。おしろにいたのがそうなのなら、それがおうさまなのでしょう。わたしたしにはみなおなじにみえるので、わからない」
「そうか…」

 話の中身の殆どが意味不明だ。
 僕は男と喋っているのに、男の言葉は的を得ず会話にすらなっていない。

 男の言葉は間延びしていて、非常に聞き取りにくくもあるのだ。


「あなたたちがおしろにいくことはできません。できないかべをきずいたからです。ねんのため、すなのだいちにたくさんのかみさまをはいちしました。きょうこなまもりというやつです」

 城に入る事のできない、強固な壁?この砂漠の地に、神を配置した?


「人を…どうするつもりなの」

 オカルト的な存在は認めたくない。そんな不確かなものよりも、まずは目に見えるものを優先させる方が合理的だからだ。

 だけど僕の目の前に立っている、人の好さそうなただのおじさんは―――。


「それをしるひつようはないとおもいますよ。あなたとおしろはかんけいない。おしろはなくなったとおもってください。わたしはたんにクズをしりたいだけです。それをあなたがかなえてくれるから、こうしていっしょにいるのです」

 この人は、ヒトなのか?

 間違いなく地震と関係があるだろう。それに《王都》の様子も知っている。
 砂漠に阻まれ、どう頑張ってもたどり着けない彼の地を、「無くなったもの」として認識しろと言っている。

「何でも言うことを聞いてくれるんだね」
「もちろんです」

「だったら、僕に従ってくれるということだね」
「ええ」



 《王都》が、なくなった!!
 王を据える人間の随一の本拠地が、王様もろとも消えた!!!

 これは僕にとって――――最大のチャンスじゃないか!!



「じゃあ、《王都》がどうなろうとどうでもいいよ。どうせ王子のいない《王都》は、いずれ僕を必要としていたんだから。その機会が早まっただけ。ヴァレリに都を築けばいい。新たに、『僕の国』を、ね」

 笑いが隠し切れない。
 後ろに控えている父達にこの会話は聞こえていないようで、くつくつと震える僕の背に心配そうな声が降ってくる。

「クズですね」


 ふふふ。何とでもいえばいい。


「僕の望みは僕だけの国だ。《王都》なんかはいらない。僕はいつまでも僕でいられて、僕が幸せだったらなんでもいい。綺麗なお召し物と、旨い食事、退屈させない女たちがいればあとは自分で手に入れられる。あなたの助けがなくても、ね」
「いえと、めしと、おんな。わかりました。クズなのにのぞみがすくなくておどろきました。ではきかせてください。ひとのごうよくを。わたしのこのせかいのことを、ヒトのすべてを」


「じゃあ、最初に何を知りたいの?」
「セトのすみかにいきます。いえをよういしなければいけません。そこでみるヒトのごうを、わたしはいちばんさいしょにしることになるでしょう」
「僕に危険がないと約束してくれるね」
「はい。あなたはこんごいっさい、きけんなめにはあわないでしょう」

 ならば憂いは無い。
 怖いのは集団心理で搔き乱された人の心だ。暴力に訴えられると僕は負ける。9歳の子供が、キレた大人相手に何が出来るというの。

 だけどこの「人ならざる者」が助けてくれる。

 僕は父達を振り返り、一言帰ろうと告げた。


「早速帰ろう。僕の町、ヴァレリへ。援けも食料も無くてみんな飢えているはずだから、色々と面白いものが見えると思うよ」

「たのしみです」


 僕の口からぼやりと白いモヤが出てきたかと思うと、次の瞬間には僕らの身体は砂漠の入り口にいた。


 ああ、これは夢じゃない。

 ―――現実だ。







「ああ、すばらしいですね」
「はあ、人の気も知らないでさあ!地震が起きたのは僕らの所為じゃないってのに」

 案の定、実入りなくのこのこと戻ってきた僕らを見つけた領民たちは、散々僕らに世話になって贅沢を享受していたというのに恩知らずにも程がある。

 怒声と怒号が飛び交う中、僕らは胸を張って帰還する。

 あちこちから瓦礫の欠片が飛んでくる。しかしそれは僕らに届く事はなく、見えない壁に阻まれてカキンカキンと落ちていくだけだった。


「いかりの、かんじょう」

「お腹も空いているんだろうね」
「しょくよく」

 全て予想通り。そして民の行動も想定通りだっからちっとも怖くなかった。
 砂漠から町までの道中に父達にはこのおじさんとの取引を説明したから、父達も平気そうな顔をしている。

 それが憎たらしくて溜まらないようで、血眼で石を投げてくる民の無様な姿は笑いを通り越して哀れみにすら感じる。

「まあ、殆どの食料を僕らが持ち出したってのもあるけど。この人達、僕らがいなかった数日間、ひたすら鍵のかかった食糧庫を壊すことしかしなかっただなんて。クスス、本当に浅ましいね」


 屋敷の荒らされ具合は半端ではなかった。
 僕らへの怒りを込めて、ひたすら壊しまくったのだろう。その行動に何の意味もないと知らずに。

「誰一人として町から出た者はいなかった。《中央》に援けを呼ぶことだってできたはずなのに。瓦礫を撤去する事も、死体を片付ける事も、人助けすらせずにひたすら屋敷を破壊するだけして。あはは、ここまでして屋敷の食糧庫の鍵を破れなかっただなんてお笑い種だ。こんなおかしな話ってあるかい」


「じゃあ、早速助けて貰おうか。僕らが彼らの怒りを鎮めるには、手っ取り早く彼らの要望を叶えればいい。人は欲求が満たされると次の欲の階段に昇る。欲に終わりはないんだ」
「セトはものしりですね。ここのつなのに」
「まあね。伊達に領主の息子を名乗ってはいないよ」

 僕らがちっとも臆していないのを訝しげに思い始める領民も出てきた。

 石を投げる者は相変わらずいたが、それより自信満々な僕らの様子に、民の態度が徐々に変わってくる。


「知識を得るには本を読めばいい。その分野の専門書を10冊読みこめば、それはもう専門家といえる。殆どの知識は本で得られる事を知っておくといい。僕の仕事は本を読み、人の話を聞いて正しく統治する事なんだ」
「わかりました。ほんをよみます。ほんのとおりにしましょう」

「民には本当の事を話す。《王都》がすでにない事や、砂漠の地形が変わって野盗が蔓延っている事をね。そんな中でも僕らは《王都》や《中央》の助けを借りず、町の復興を完遂させる。僕と父の成果にする為にね」

 ニコニコ顔のおじさんを振り返り、上から下まで見た。
 うん、人の好さそうな笑みと、背が小さくて丸まった体系は人の心を懐柔する。まさにうってつけの役目がある。

「貴方はこれより行商人を名乗るんだ。彼らに「僕らから」と食料を配給して欲しい。かなりたくさん、種類も豊富に新鮮で旨いものを」
「わかりました。ではアレにたのんでうばってきましょう」

「貴方は僕と父の強力な【ツテ】であり、僕らにしか便宜を図らない。貴方は黙って食べ物を配っていればいい。お金は貰わなくてもいい。僕らから戴いているからと説明してくれたらもっといい。これは飢えた人を一発で信用させられるよ。食欲は欲の中でも群を抜いて制御できないものだからね」
「なるほど。すべてをてはいできるぎょうしょうにん。ひとのすきまにはいるスキ」


「ここが落ち着いたら貴方の知りたい事をたくさん教えてあげる。貴方達が何なのだろうと、僕に利があるのなら余計な事は一切聞かないから」


 気にならないといえば嘘になるが、どうでもいいと思えば本当にどうでもいい。

 だってこれからは「僕」の時代なのだ。正体不明な化け物であろうと、それの目的が何なのであろうと、これは僕に「生」を約束してくれたのだ。

 世界中がどうなってしまおうと、僕だけは助かる。

 ならばいいではないか。これ以上、何を知ってどうする。



「うふふふふ」
「さあ、早くあの白いのを出して!《王都》でも《中央》でも、地震で無くなった町や村でも、通行人でも何でもいい。有りっ丈の食料を今すぐここに用意して!」
「では、すぐにでも」


 口元を窄めて笑うおじさん―――いや、行商人の男は心底嬉しそうな顔をしていた。

 僕もまた、同じような顔をしていたに違いない。





「ああ、あさましい、あさましい」

「ね、言った通りでしょう?あんなに僕らを目の敵にしていた領民が、たかだか一日分の食料で掌を変えて」
「これがひとのよく。ごう……なのですね」


 広場に集められたたくさんの食料に我先にと群がる領民たちを遠目に眺めながら、僕らは暢気に会話を楽しんでいる。

 僕らへ向けられた怒号は、食料の占有への掛け声へと変わっている。
 その変わり身の早さも予想通りだ。僕らが顔を見せても、領民達は何もしてこない。

 むしろ土下座する勢いで感謝されている。


「そう。僕らは人の持つ『生理的欲求」を満たしてあげたのさ」
「よっきゅうにもしゅるいがあるのですね。セト、わたしたちはそれをしりたいとおもうのです」


 男には上下真っ黒の衣服を用意した。

 黒は闇に溶け込める。存在感の薄い男は、何処でもすんなり入っていけるだろう。
 そして懐に入れば黒は目立つ。さすれば男の存在は認められ、その人の好さが見える顔も相まって人の心を簡単に掌握できるだろう。

 行商人の男は酷く喜んでくれた。

「欲を知ってどうするのかは知らないけれど、僕には関係ないと言ったから敢えて深くは聞かないよ。だけどこれから長い付き合いになるんだ。貴方達のことも、徐々に明かしてもらうよ。僕の…相棒としてね」
「ならばわれわれに、もっとおしえなさい。こくいをきろとおしえてくれたように、さまざまなことを」
「うん」

「ひとのごうを。わたしたちがヒトをしるのに、セトはとてもつごうがいい。わたしたちがすみやかに、じょうかをおわらせるために」


 人の業。

 僕の知識を教えるだけで、こんな簡単な事で僕の夢が叶えられるなんて、ああ、女神は僕を見捨てていなかった!

 でも、まだまだ足りない。この人にはまだまだ、やる事はたくさんある。



「さあ、次は屋敷を建て直して貰おうか」
「まかせてください。かんたんです」

「僕らの町に、。屋敷も町も、何も起こっていない。まあ、死んだ人達はどうにもならないのだから、それはどうでもいいや」
「はい」
「町さえ建て直せれば人は自ずと集まる。「地震」で機能を失った《中央》や、世界からいち早く離脱した《王都》なんか要らない。僕らが…ううん、この僕が、この世界の重心になるんだ」
「あなたのヨクはふかいですね」


 深いものか。これが、僕なのだ。


「僕が人の欲の最終段階だよ。『自己実現の欲求』さ。これから幾らでも説明してあげるから、まずは目の前の事から片付けよう」
「はい、けがれたあいぼうよ」


 僕はなんて運のいい子供なのだ。

 所詮は王家の血を受け継ぐと云っても、僕に王位継承権は無い。ただの一豪族なだけだ。
 そんな王家のはみ出し者の僕が、「唯一無二」になれる日がまさか訪れるとは思わなかった。

 何の苦労もなく、棚から美味い餅が降ってきたかのように、突然沸いて出た幸運。


 僕は世界の王になりたいわけではない。だけど、人にとって特別な存在でいたいと思っていた。

 そしていつまでも贔屓され、愛され、僕を中心に世界が回ればいいと心の奥に潜ませていた。


 それが浮上し、思いかけず叶う日が来るとは。


 これの目的は分からない。怪しい事この上ないが、しかし僕の野望を叶えるにはその不可思議な力が不可欠なのは間違いない。

 この合理的で現実主義者の僕が、「オカルト」に頼るとは笑えてくる。




「魔法使いよりも、よっぽど信用できると思うけど」


 僕の呟きは、未だ降り止まない黒い雨の中に飲み込まれて霧散した。
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