98 / 170
三. セトの章
14. Tarantula タランチュラ
しおりを挟む「もはや虫の発生はすっかり見慣れてしまっていてな。多少は湧こうと害はないから放っておいていたのだが…」
「襲撃に、遭った…」
「そうだ。まさに『襲撃』だったらしい」
虫が腐食させた鉄の管の錆び取りに地下に潜っていた作業員が襲われたという。
二人一組であちこちに穴を開け、片方が潜り片方が綱を持って道具を下すなどのサポートに入っていた。
穴に入って数分後、それは恐ろしい悲鳴と羽音が聞こえたらしいのだ。
何があったのかと声を掛けるも返事はなく、悲鳴だけが鳴り響いた。羽音はうるさくて、地上の音さえ届いていなかったとみえる。
命綱がビクンビクンと震え、地上の作業員が慌てて引き上げるも尋常ではない力でびくともしない。
それが穴の開いた数、潜った作業員の数、発生しているのである。
人間如きの力では儘ならない状態で懸命に救助活動を続けるも、その強い力は突如抜けた。
もう穴の中の悲鳴は聞こえない。あれだけ鳴り響いていた羽音も一切なくなった。
慄きながらも綱を手繰り寄せると、随分と軽い感触だった。
大の大人一人引っ張るのに何の苦労もせず、えいと地上に引きずり上げた作業員が見た者は。
―――白い骨がプラプラと揺れていたという。
「……そうだ」
「酷い、よね。魔物や魔族でさえも、そんな殺し方は無いよ」
死者は全部で四人。骨髄には虫が噛り付いていて酷い有様だったらしい。
「状況検分でワシが呼ばれ実際にこの目で確認したが、それじゃ残忍なものだったよ」
「昨日の話はここまでだったよね。創立祭の準備もあるから父さんは帰ってきたけど。昨日の今日で何か対処法でも見つかったのかい?」
下水工事は一時中止となった。
手をこまねいていた虫が無害な存在ではなく、人を殺すからだ。
今その近辺は、立入禁止にしてある。
「虫の縄張りに人が入り込んで、痛い目に遭う話はどこでも転がっている。虫は特に縄張り意識が強いからね。特に女王を得た蜂などは要注意と聞くよ。虫は至る場所に巣を作るけれど、それでも人の多くいる場は避けているからね」
あそこは人通りも殆ど無い町の外れ。たまたま生息していた巣を工事で暴いてしまい、虫の防衛本能を刺激してしまったのだろう。やりすぎ感は否めないけれども。
「うむ。虫ケラ如きに工事の中断はあり得まい。しかし見捨ててもおけぬ。人を食う虫など、聞いた事もないからな。だから折を見て《中央》に調査を依頼しようと手配の準備をしていたのだが…」
「だが?」
父は大きく溜息を吐いた。
僕は着替えを終わらせて、眠気覚ましに濃いコーヒーを頼む。
父と並んで屋敷の執務室に歩く。目に見えて父の背が丸まって元気がない。
そんな父の衣装は襟元一面に鳥の羽を誂えている。
ラメ入りの金の衣、遠くからでも目立ち一目瞭然だ。
僕はフリルの多い、これもまた小さな宝石を埋め込んだ特注の衣装だ。
白銀の髪によく似合う紫の衣だが、仰々しくて動き辛い事この上無い。
「実は虫の被害はこれより前から度々上がっていたのだよ。郊外ではなく、街中にな。それはほんの小さな事案だったから、事件性が薄く後回しにされていた。我々が一向に対処していない影で、面白くない事に町に滞在する騎士団の連中が嗅ぎ付けた」
「それって…すでに《中央》に知られているという事?」
「ああ。一昨日の事件も、報告されてしまった」
「じゃあ、僕らがこんな格好をしているのってまさか…《中央》の名士に、いやそれ以上の人物に…」
「そうだよ、セト」
父は薄くなった禿げ頭にバチンと手を当てて嘆いた。
「あの騎士団長…4大ギルド筆頭ユリウス・フレデリク騎士団長総帥閣下が本日、この町に参られる事となった」
「あのフレデリク将軍と会うっていうのかい!」
成程、これは納得だ。
王も貴族も喪った今、僕らが対等の立場に在るのはフレデリク将軍以外は他にない。
人外のエルフの族長も相応の立場にあるから無下にはできないが、エルフ族は基本的に住処の大森林から出ないとも聞く。
残りの2つのギルドマスターは正体不明であるし、権威を持った貴族も生き残ってはいない。
「我らに断る理由は無い。往復で6日は掛かる道のりを《中央》にいる将軍閣下がどうしてこの事件を知ったのかは分からぬが、抜け目なくて有名な閣下の事だ。何らかの手段を用いたに違いない。いずれ近い内に依頼をしようとは思っていたが、まさか大将御自ら参られるとは誰が予想しようぞ」
早朝に斥候が届いたのだという。本日の午後、非公式ながら我々との謁見を希望するというものだった。
そして文ではなく口頭で付け加えられたのだ。
「依頼について、あてがある」のだと。
これはまさに一大事である。
僕らは将軍と初対面ではない。過去2回、実際に逢った事がある。
災厄前に一度、そして災厄後にもう一度、お目通りをした。
そのどれも町に騎士団を滞在させるのを許可し、砂漠の道案内を「契約」として提携するのを目的として来たのだ。
その時の事は良く覚えている。
最初の一回目は、王の紹介状を持参してきた。
《王都》と《中央》を行き来するのにヴァレリの町を補給地として利用させ、砂漠の行軍を速やかに行えるように便宜を図るようにとの御達しだった。
まだ騎士団長に就いて間もない頃だったのに、貫禄は出来上がっていてすごい男だと幼心に思ったものだ。
次の二回目は災厄後、あの黒い雨が止んで直ぐの頃だったか。
流石に王の文は持っていなかったが、どうしても砂漠を越えて《王都》に行きたいのだとせがんできたのだ。
だけど僕ら自身も、砂漠を越えられなかった。地震から地形そのものを変えてしまった砂漠は、何人も立ち入れない魔の領域と化したのだ。
父は将軍の申し出をどちらとも快く受け入れた。
災厄前であろうとなかろうと、対価として高過ぎる滞在金と税金、砂漠越えに掛かる人件費をふっかけたが相手側は背に腹は代えられないのか条件は全て呑まれた。
以降、騎士団は僕らの町の「糧」として散々利用し尽している仲である。
だから父は、金を落とす騎士団に甘いのだ。
最も、砂漠越えに関しては数年前から使われなくなったけれどね。
どれだけチャレンジしても、一度たりとも《王都》に辿り着けなかった。
依頼主としては面白くない結果だっただろうから。
「だけど《中央》とは関係ない町の、少しばかり特異な事件に興味を持ったからわざわざ長い旅をしてまでギルドの大将が出張る理由なんてないと思うけど」
「うむ。何らかの意図が孕んでいると思ってよいだろうな」
「だから僕を呼んだんだね」
「お前ももう大人。知識も口もこの父を勝る。それに―――」
「アレとの関係も、あるからだね」
「うむ」
僕を呼ぶ最たる理由。
騎士団長と対等に対峙できる度胸を買われているのではない。
僕の持つ、【ツテ】こそに、それはある。
「ああ、そうだった。ギルドと【アレ】は対立していたね」
「我らには双方に話をつけねばならぬ。いままでそうしてきたように」
「虫の件も、【ソレ】に通してほしい、と」
「そうだ。こういう事は【ソレ】の方が詳しいやもしれん」
「一応呼び出しはしているんだけど。ここひと月ほど、顔を見せてくれていないんだ」
「お前だけの特権なのだ。…分かっておるな」
「……」
僕だけが用いる事のできる【ツテ】とは、別段用事があるわけでもないし、仲良しこよしでもなし、昔こそ頻繁に連絡を取り合っていたが、あっちの方も僕のような人間を多数抱えているようで、今は数か月に一度くらいしか会わない。
丁度ひと月前、ギルドが治世を始めたと教えたきりだった。
【アレ】はやけに人の営みを知りたがっていたから、ギルドの内部情報を探れるなら可能な限り宜しく頼むと云われた。
特に4大ギルドのトップに君臨する4人のマスター。
中でも何故か「魔法使い」にご執心だった。
だから、こうやって父に嫌味を言われながらも日々情報収集に繰り出していたのはそういう理由である。
僕は決して遊んでいた訳ではないのだ。
「あくまで我らは中立だ。その上で、この町の『利』になるべく立ち回らねばならぬ。
「とりあえず、フレデリク将軍がわざわざ出向いてまで興味を持つ理由を見極めようか」
「うむ。いずれにせよ、虫の問題は我々ではどうにもならぬと踏んでいるのだ。どちらかに、対処を願うつもりだったから、それはそれで騎士団に調査を依頼すればいい」
「…で?将軍とは何処で?騎士は何人いるのかな」
「応接間を用意させている。食事の準備も並行中だ」
「騎士団の方々を休ませる部屋も必要だね。なんなら女の子も用意させておくよ」
脳裏に今朝の女たちの顔が浮かぶ。
中途半端に終えさせられ、彼女らももどかしいに違いない。
騎士団を特別な「接待」で持て成すのは初めてではない。頼んでないにしろ、これでも間接的に町の平和を守っているのは騎士団である。
彼らは砂漠を越える名目で、常に町を巡回しているのだからだ。近隣を徘徊する魔物退治は騎士団が請け負っている。彼らを労うには心身を満たす休息が必要だろう。
僕の女達はわが身をよく弁えている。
意のままに、騎士団を心行くまで楽しませる事が出来るだろう。
「じゃあ、僕が知り得ている《中央》の実態を説明するよ。ギルドが抱えている問題や騎士団の現状は結構シビアだよ。虫を口実にこの町を取り込んで、兵力増大を狙う事くらい、あの将軍には簡単だろうし」
「抜け目がないのはこちらもあちらも同じか」
「勿論だよ。僕は黙ってギルドに従うつもりはない。この町が―――僕が「基準」であるのが本当なのに」
「表も裏も、我らは今までうまくやってきた。今回もそうすればよいだけの事よ」
「当然だよ、父さん」
メイド達が朝食を運んできた。
熱くて濃いコーヒーで無理やり眠気を覚まし、女達へ指示を飛ばす。
これはいい機会を向こうから設けてくれたと思うべきだ。
飛んで火にいる夏の虫とはこのことか。
騎士団を―――ギルドを出し抜ける絶好のチャンス。
それに、僕が知りたい情報も得られるだろう。
なにせ相手はギルドマスター。一向に情報を得ない「魔法使い」のあれこれも訊けるに違いない。
あわよくば、『双方』の有利に立てる。
「ふふ。なんだか楽しみになってきたよ、父さん」
眠気は完全に吹き飛んだ。
0
あなたにおすすめの小説
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
お餅ミトコンドリア
ファンタジー
パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
だが、全くの無名。
彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。
弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです!
何卒宜しくお願いいたします!)
前世で薬漬けだったおっさん、エルフに転生して自由を得る
がい
ファンタジー
ある日突然世界的に流行した病気。
その治療薬『メシア』の副作用により薬漬けになってしまった森野宏人(35)は、療養として母方の祖父の家で暮らしいた。
爺ちゃんと山に狩りの手伝いに行く事が楽しみになった宏人だったが、田舎のコミュニティは狭く、宏人の良くない噂が広まってしまった。
爺ちゃんとの狩りに行けなくなった宏人は、勢いでピルケースに入っているメシアを全て口に放り込み、そのまま意識を失ってしまう。
『私の名前は女神メシア。貴方には二つ選択肢がございます。』
人として輪廻の輪に戻るか、別の世界に行くか悩む宏人だったが、女神様にエルフになれると言われ、新たな人生、いや、エルフ生を楽しむ事を決める宏人。
『せっかくエルフになれたんだ!自由に冒険や旅を楽しむぞ!』
諸事情により不定期更新になります。
完結まで頑張る!
俺、何しに異世界に来たんだっけ?
右足の指
ファンタジー
「目的?チートスキル?…なんだっけ。」
主人公は、転生の儀に見事に失敗し、爆散した。
気づいた時には見知らぬ部屋、見知らぬ空間。その中で佇む、美しい自称女神の女の子…。
「あなたに、お願いがあります。どうか…」
そして体は宙に浮き、見知らぬ方陣へと消え去っていく…かに思えたその瞬間、空間内をとてつもない警報音が鳴り響く。周りにいた羽の生えた天使さんが騒ぎたて、なんだかポカーンとしている自称女神、その中で突然と身体がグチャグチャになりながらゆっくり方陣に吸い込まれていく主人公…そして女神は確信し、呟いた。
「やべ…失敗した。」
女神から託された壮大な目的、授けられたチートスキルの数々…その全てを忘れた主人公の壮大な冒険(?)が今始まる…!
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
~最弱のスキルコレクター~ スキルを無限に獲得できるようになった元落ちこぼれは、レベル1のまま世界最強まで成り上がる
僧侶A
ファンタジー
沢山のスキルさえあれば、レベルが無くても最強になれる。
スキルは5つしか獲得できないのに、どのスキルも補正値は5%以下。
だからレベルを上げる以外に強くなる方法はない。
それなのにレベルが1から上がらない如月飛鳥は当然のように落ちこぼれた。
色々と試行錯誤をしたものの、強くなれる見込みがないため、探索者になるという目標を諦め一般人として生きる道を歩んでいた。
しかしある日、5つしか獲得できないはずのスキルをいくらでも獲得できることに気づく。
ここで如月飛鳥は考えた。いくらスキルの一つ一つが大したことが無くても、100個、200個と大量に集めたのならレベルを上げるのと同様に強くなれるのではないかと。
一つの光明を見出した主人公は、最強への道を一直線に突き進む。
土曜日以外は毎日投稿してます。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
俺得リターン!異世界から地球に戻っても魔法使えるし?アイテムボックスあるし?地球が大変な事になっても俺得なんですが!
くまの香
ファンタジー
鹿野香(かのかおる)男49歳未婚の派遣が、ある日突然仕事中に異世界へ飛ばされた。(←前作)
異世界でようやく平和な日常を掴んだが、今度は地球へ戻る事に。隕石落下で大混乱中の地球でも相変わらず呑気に頑張るおじさんの日常。「大丈夫、俺、ラッキーだから」
ぽっちゃり女子の異世界人生
猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。
最強主人公はイケメンでハーレム。
脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。
落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。
=主人公は男でも女でも顔が良い。
そして、ハンパなく強い。
そんな常識いりませんっ。
私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。
【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる