蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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三. セトの章

38. ストーリー仕立ての真似っこさん

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「さて、アッシュ。お前の村に現れたグレフはどんな形をしていたか覚えているな」
「はっ、忘れるはずもねえよ。木、豚、それからでっかい犬っころだ。アグネスはケルベロスとか言ってたけどな」
「ニーナの一件はどうだった」
「えっと、まずは死人ゾンビだろ?それから蛇に、足がタコのボインのねーちゃん。俺は見てねえけど、下半身が魚のバケモンだ」
「スキュラに人魚の雄型、マーリンだな。お前たちは知らないだろうが、他にもドラゴン、ワイバーン、ウロボロス、キマイラとも出会った。その共通点は分かるか?」
「あん?えーっと…」
「伝説上の生き物、だね」

 アッシュがうんうん唸っている間に、僕がその答えを呟いてしまった。
 占い師は僕に一瞥を食らわせただけで何も言わない。
 僕を会話に入れる気がないと言われたのはまだ継続中だったようだ。

「前々から思っていたが、港町の死人で確信した。グレフに自ら考えて行動する御大層な意思はない。行動の全ては指針に沿って行われている。そこでニーナに調べさせた」
「はい。マスターの知る、10年に及ぶグレフ絡みの一連を徹底的に洗い出しました。事件、事象、背景、被害、結果…、そして擬態を」
「どうしてニーナなんだ?いや、ニーナがどうとかじゃなくてよ、旦那でも知らない事があんのか?」
「ふふっ、私はこう見えて、本の虫…なんですよ。カモメ団にいた頃は、とにかく暇さえあれば本を読み漁っていたんです。廃都で売れない書物を見つけてはアジトの書庫を埋めていましたから。団のみんなからは呆れられていたくらいです」

 ニーナは眼鏡を外し、その縁を優しく撫でながらヘラリと笑った。
 その顔は寂しそうで、泣いているかと思った。実際には涙なんて流さず苦しい表情を浮かべているだけだけど。
 昨日も故郷を思い返す彼女はそんな表情をしていた。彼女にとって、故郷の港町とその仲間は人生の全てだったのだろう。
 彼らに襲われていたところを魔法使いのギルドマスターに拾われて、新たに生きる意志を見つけてはいるが、彼女は未だ立ち直れてはいない。

「奴らの指針はこれらの本だ」
「聖書、って事か?」
「違う。さまざまな、本だ。多種多様、あらゆる本に描かれた物語を、奴らは真似ているのさ」

 本を、真似る。
 魔法使いの言葉に納得してしまったよ。
 まさに彼らは、初めて出会った11年前から誰かの助言無くては何も出来ない者達だったからだ。

 最初の日、黒の行商人は僕に言ったのだ。
 人間の世界を知る為に、《王都》にあった本を見ていると。

 僕は黒の行商人に色んな事を語った。
 人のあさましい欲や本能を。人間社会の実情とカラクリを。
 人の懐に入り込むのに行商人の姿を取るように指示したのは僕だし、辺境の村を乗っ取って彼らの食料を作らせる助言をしたのも僕だ。
 何処からか赤ん坊を調達してきたのは残念ながら僕じゃない。だけどやはり別の誰かの進言に従ったのだろう。

 つまり彼らはこの世界で生きる術を、侵略しに来た割に全く知らなかったのだ。
 彼らの無知さは深刻なレベルだった。生まれたての世界を知らない赤ん坊と同じ無知さ加減だったんだ。

 彼らにあるのは、ただ【浄化】だけである。
 マナという現存するエネルギーを滅ぼす明確な意思だけを持っていて、それに付随する邪魔なもの――人間や魔族を消しているだけであり、彼らに感情というものは存在しない。

「怒れる神が伝説上の生き物の姿に擬態するのは、それが神をも凌駕する最強の生物であると本に書かれているからでしょう。物語は面白くする為に誇張していますからね。伝説の生物は、創世の時代に女神が戯れに造った最初の魔物と伝えられています」
「ただのストーリーだろ?本当にそんなのがいた証拠はないって村の神父が言ってたぜ」
「長命のエルフ族ですら、その時代から生きている者はいないからね。所詮は子供騙しのおとぎ話さ」

 でも効果はある。
 古くから伝えられて今に残っているぐらいだから、それだけ多くの人々に知られているという事だ。
 伝説の魔物が現れただけで、視覚的インパクトは絶大だ。
 人は恐れ慄く。その魔物がどんな性質を持ち合わせているか、物語上で知っているからだ。人間如きが太刀打ちできる相手ではないと、戦意を失わせるには充分効果的である。

「そしてグレフが町や村に関与して、何らかの影響を及ぼしている時、それも物語ストーリーに沿って行われていたんです」

 物語の模倣。
 彼らは思考せず、工夫もしない。
 その行動の大元は、本に書かれた小話。脚本に従って動いているだけなのだとニーナは言っている。

「それじゃ俺の時も…」

 アッシュの顔が曇る。
 聴くに聞けない状況だが、多分その様子を見る限り、アッシュもニーナと同じ体験をしたのだろう。
 過去、故郷をグレフに奪われた。

「その通りだ。俺からこの話を聴いたニーナには思い当たる節があったらしい」
「旦那、それは何なんだ!!俺の村は何故…!!」
「ごめんなさい、アッシュ。理由までは分からない。だけどあなたの故郷で描かれたストーリーは判明したわ」
「……」

 ニーナは聖書とはまた別の冊子をアッシュの前に差し出した。
 大衆向けの安い娯楽本だ。二匹の蛇が互いに喰らいつく、悪趣味なイラストが表紙に描かれている。
 彼女は付箋をつけたページを捲り、人差し指でトン、と一文を指し示した。

「ここよ。題名は『案山子の繁栄』―――オカルト愛好家なら誰もが知っている娯楽本で、世の不条理を怪談にした短編集なの」
「怪談?怖い話ってことか?」
「ええ、あらすじはこうよ。とある村では御神体として古くから案山子かかしを崇めていた。案山子は村の作物の守り神とされていた。村はいつも豊作だった。どんな干ばつが来ても、土砂降りの雨に見まわれても、作物は必ず美しく実った」
「…はっ!どうせそれにはカラクリがあったんだろ?生贄とか胸糞悪い習慣とかさ」

 口捨てるアッシュの表情は硬い。

「村はとても閉鎖的で他人を受け入れるのを極端に嫌がっていたのに、年に一度だけ、豊穣のお祭りの日に観光客を受け入れた。必ず男と女、夫婦のカップルだけをもてなした。そして、拉致して殺した。村人が手を下すのではない。御神体である案山子が殺しにやってくるの」
「…酷い話だね」
「閉鎖的な村を非難したくて冒険者の作者はこの話を書いたんですって。旅先で嫌な目に遭って腹いせにこの怪談を書いた。ただの作り話フィクションよ」
「……それが本当に起っちまったんだから、今俺がここにいるんだけどな。はは…そんなひでー話を参考にしたなんて、グレフってのはどんだけ性格歪んでるんだか」

 自嘲するアッシュの肩をそっと触り、ニーナも苦しそうな表情だ。
 あのお転婆なテルマ嬢ですら空気を読んで黙り込んでいるのだから、その悲痛は相当なものである。

「アッシュ…ごめんね、思い出させてしまって」
「いいんだ。もう今更過去には戻れねえし、あれがあったから俺は旦那に出会えたんだからいいさ。それで?その話の結末はどうなるんだ?」
「夫婦は子を育める特別な力を持っているとその村では信じられていた。子を成す力を豊穣に変えるの。男は案山子に襲われ、次の案山子になる。女は案山子の傍らで絶命する。その血が大地を潤し、生贄によって村は繁栄を続けたの。だけど行方不明の噂が囁かれ始め、村には観光客が訪れなくなった。村を存続させる為に、次は村から生贄を差し出し続け、ついには誰もいなくなった―――これでおしまい」
「結末まで同じとは恐れ入ったぜ。あんたの言う通り、やっぱり奴らは馬鹿なんだな。そんなのいつか破綻するって分かるようなもんだろうに」
「そうだ。俺が馬鹿だという意味が理解できたか?」

 物語の解説をニーナに任せ、押し黙っていた占い師は言う。
 ニーナのようにアッシュを同情する声色は感じない。気を掛ける素振りさえもない。

「所詮は大衆向けの本を模倣しているだけに過ぎないからこそ、奴らは詰めが甘い。ちょっとした事で生じる矛盾を顧みずに突き通してストーリーから外れた途端、奴らはやるべき指針を失う。だから邪魔が入ると放置するんだ」
「そしてまた別の物語で、人の生活を搔き乱すって寸法かよ。なんて奴らだ」

 占い師の不変な態度はいつも通りなのだろうか、アッシュに気分を害した様子は無い。
 彼女のこの感情の無さは、彼らと少し似ていると思った。

 彼らはいつも薄気味悪い笑顔を浮かべて、どんな事があっても胡散臭いニヤケ顔を張り付かせているが、この占い師は逆だ。
 言葉に濃淡すら浮かべず、能面のように一定だ。
 それがと思えば少しは頼もしくもあるだろう。だけどこの占い師の無感情さは、ただの冷静と言い切るにはかけ離れている感じがするのだ。

「わかったあああああ!!!」

 いきなりテルマ嬢が大声を張り上げた。
 詰めれるだけ口に頬張っていた肉の塊が、唾と一緒に飛び出してくる。

 それを慌てて拾ってまた口の中に入れて、少女は悪びれもせず天真爛漫に笑った。
 とても可愛い。可愛いが、流石に行儀が悪すぎる。

 当然、見過ごせないと姉であるニーナに頭を叩かれている。しかし口を窄めながらもテルマ嬢に反省の色はなく、腕を組んで動かない占い師の手を持ってぶんぶんと振り回した。

「へへーん、テルマ分かっちゃったよ!セトくんよりも早く分かっちゃったんじゃないかな~!!」

 自信満々に口角を上げる少女は、その仕草一つとっても愛らしかった。
 残念ながらその幼い挑発に乗るほど僕は子供ではないんだよ。

「是非ご教授願いたいね。君が辿り着いた答えとやらを、占い師サンに正しいか訊いてみようか?」
「ふん!正しいに決まってるわ!」

 ふんがふんがと鼻息荒く手テルマ嬢は水を飲み干し、ぷはっと顔を上げてにんまりと歯を見せた。
 毎日が本当に楽しくてたまらない。この世は素敵な物だらけ。何もかもが新鮮で美しい。
 そんな顔をしている。

 僕にも子供時代はあったけれど、この子のように純真に笑えていただろうか。
 毎日は楽しかった。子供らしい遊びはしなかったけれど、それなりに充実していた。だけど「子供」として生きるには僕の境遇がそれを許さなかった。次期当主として、王族の誇りとして、僕は成熟を求められていたからだ。
 その人生に陰りはなく、後悔すらも持ち合わせていないけれども、もし僕が庶民に生まれた何の変哲もない子供だったとしたら、こうして彼女のように笑えたのかもしれないと思うと、それが少しだけ羨ましく感じた。

「ぜーんぶ、ご本の真似っこしてるなら、これからどうなるか、それもぜーんぶ分かるってことじゃない?」
「あ、そうか…。その物語さえ知れば、グレフの行動の先が読めるって事だね」
「ちょっとお!!テルマが言おうとしたのにぃーーー!!!」
「ふふ、よくできました。テルマ、ちゃんとお話聴いてくれたね。すごいわ」
「おねえちゃんっ!」

 お日様の申し子の二つ名を献上してもいいくらいに、一層パァと表情が明るく輝く。
 今にもニーナに抱き着かんばかりの勢いで、テルマ嬢はひたすらはしゃいだ。

「かみさまは邪魔されると逃げちゃう。だからわたし達が先回りして、これからやろうとしているのを止めちゃえばいいのよ!ね、りゅしあ、そうでしょ?」
「じゃあこの町で奴らが描いてる物語を、嬢ちゃんが突き止めたって事なんだな。だったら解決したも同然じゃね?チビの言う通り、俺達が止めりゃいいんだから」
「そのお話が聖書にあるんだね。でも虫なんて、教義の中にあったかな」

 行動を先読みして阻止すれば、解決だけはするだろう。
 本当に彼らが僕の町を襲い、物語に沿って動いているとするならばだ。
 しかし被害は大きい。町はすでに大打撃を受けた。
 人は死に、ライフラインも潰された。救いを求めて身勝手な領民は詰め掛け、いざ虫がいなくなっても残される課題は多い。

 僕はこれから頭を使わねばならない。考えねばならない。
 それこそ、立ち回りが重要だ。
 前回の災厄は、世界中がダメージを受けたお陰で、ヴァレリの町がいち早く復興を果たした一部始終を周りに悟られる心配が無かった。他に目を向ける余裕が無かったからだ。
 だけど今回は皮肉にもギルドが絡んでしまった。それは《中央》に目を付けられたと同意であるといえよう。
 被害状況も知っているこの人達を余所に、人類の敵である彼らグレフの力を借りてさっさと現状回復してしまえば、流石に怪しまれてしまうだろうね。

 《中央》にだけは付け入る隙を見せてはならない。
 贅沢を言えば、事件が解決したその瞬間に彼らがこの者達を殺してくれさえすればいいのだ。
 そうすれば、事は速やかに行えるのに。どこにも勘繰られずに僕の町は再生され、また幸せに暮らしていけるのにと。

 どす黒い感情が湧き出でるのを抑えられない。
 なんだ、簡単じゃないか。
 この人達さえ死ねば、証拠は何も残らないのだ。こんな危険な任務、分かってやって来たんだから途中で命を失っても自業自得だと、フレデリク将軍も“紡ぎの塔”のギルドマスターも思うだろう。

「―――残念ながら、それは叶わないわ」
「え?」

 一瞬、僕の心が読まれたのかと思った。
 背筋が強張り、冷や汗が噴き出す。
 しかしニーナの本意は違った。

「対処のしようがないんです。まだ本体の行方は分からないし、
「滅び…だって!?」
「リュシアさんはご存知ですか?聖書に描かれた物語の一つ、『大地の粛清』を」
「……知らんな」

 占い師はまた肩を竦めた。
 今度は珍しく殊勝な態度だ。甚だ偉そうなのは相変わらずではあるが。

「聖書は本来、創世から終末までを記した世界の歴史書と言われます。未来も書かれているけど預言ではない。戒めなんです。私達が知る教義は聖書の長い長い物語を抜粋して簡単にまとめたもので、本当は一つのオムニバスドラマなんですよ」

 深緑の、生地が所々ほつれた表紙を大事そうに触り、付箋を挟んだページまで丁寧に捲る。
 大層な文字列が並ぶそこに挿絵はなく、難しい聖書独自の言い回しが読む気力さえ失わせる。

 ニーナは申し訳なさそうに語った。
 これは哀しい物語だからと前置きし、この町に起きた一連の事象の、大元とされたおとぎ話を語ってくれたのである。
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