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三. セトの章

39. 大地の粛清

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 ―――『大地の粛清』―――

 かつてこの地には、創世から住まう聖なる土地の民がいた。
 彼らは自然を愛し、家族を愛し、動物を愛し、大きな集落となっても争いごとを一切せず、互いに慈しみ合って平和に穏やかに、とても長閑のどかに暮らしていた。

 彼らは決して裕福ではなかった。
 けれど懸命に耕した土地は実り、協力して造った家は暖かく、常に女神に感謝して慎ましく暮らしているだけで幸せだった。

 そして女神も彼らを愛した。彼らを聖なる土地の民と呼び、大地に芽吹く生命全ての申し子たちとして見守った。
 自然に愛され、動物に愛され、家族に愛され、流るる川のせせらぎのように、彼らの時は過ぎていくのであった。

 ある時、この地に鉄の民が訪れた。
 船に乗り、海を越えて、彼らの土地に土足で足を踏み入れた。
 鉄のわだちが砂を踏み、鉄の鎧がいびつな音を立てた。その手に鉄の筒を携えて、鉄の紀章をはためかせながら、鉄の民はやってきた。
 彼らは言った。「我々は“開拓者”である」と。

「お前達は原始的で野蛮な先住民である。速やかに降伏し、我々の指示に従え。土地を差し出し、食料を、宝を、女を寄越せ。論は聴かぬ」

 物珍しさから鉄の民に近付いた聖なる土地の民の子どもが、槍で一突きされた挙句、筒から飛び出してきた鉄の塊に頭を撃ち抜かれて死んだ。

 これを皮切りに、鉄の民は聖なる土地の蹂躙を開始する。

「野蛮人に生きる価値はない。皆殺しだ」

 戦う術を持たない聖なる土地の民は、瞬く間にその数を減らした。
 残虐の限りを尽くされた。
 土地は踏み荒らされ、家は焼かれ、食料は奪い取られた。
 男は嬲り殺しにされ、女は強姦され、子どもは真っ二つに引き裂かれた。
 家畜は細切れにされ、黄金宝石は略奪され、草の根一本生えぬまで更地にされた。

 聖なる土地の民は、たった7日で全滅した。7日間をかけて、じっくりと殺された。
 女神に愛されたはずの民の祈りは届かなかった。
 聖なる土地には血が溢れ、川は赤く濁り、死体の山が築かれた。

 7日目の朝、夥しい死体の真ん中に、聖なる土地の最後の人がいた。
 聖なる民を束ねる族長だった。
 7日間、彼は必死で鉄の民の残虐な行為を止めた。必死で民を逃がそうとした。必死でやめてくれるように懇願したが、鉄の民は受け入れなかった。

 たった今、族長の目の前で彼の妻と娘たちが犯され、四肢を裂かれて泣き叫びながら殺された。この瞬間、彼は聖なる民のたった一人の生き残りとなった。
「我々が何をした」
 血反吐を吐きながら、血の涙を流しながら、族長は初めて人を憎んだ。
 怒った、恐れた、嘆いた。
 そして―――呪った。

「我は許さぬ。絶対に許さぬ。お前たちのした悪行、仲間の無念、この怒りを永久にこの地に刻む」
「構わぬ。野蛮人が死んだとて、世界は何も変わらぬのだから、好きなだけ呪うがよい」
「我は忘れぬ。幾千の時が流れようとも、絶対に忘れぬ。お前達がこの地で犯した7日間の罪を、地獄を、死を!永久に忘れぬ。覚えておくがよい。この先この地を侵す事があれば、我は必ず復讐を果たすと」
「女神の元で、いつまでも嘆き哀しんでいればよい。そんなものはおらぬがな」

 ついに族長は生きたまま、首を切り落とされた。
 己の血で窒息死、切られた断面がごぼごぼと泡を立てる。
 それでもなお、族長は死ななかった。

 胴体と首が完全に離れた後も、彼は呪いの言葉を口にした。

 聖なる我が地に、他者は立ち入ってはならぬ。
 これは女神の意思、自然の意思、大地の意思である。
 呪いは我が死を、一族の死をもって成立す。
 再び足を踏み入れれば、大地の御使の怒りをその身に受けるだろう。

 首はごろごろ転がりながらいつまでも喋り続ける。

 1日目、大地の御使が顕れる。
 2日目、包囲が完了する。
 3日目、粛清を開始する。
 4日目、一人ずつ嬲り殺しにしよう。
 5日目、全てを破壊する。
 6日目、全ては無に帰す。
 7日目、大地の御使は還り、世界は白となる。

 どれだけ耳を塞いでも、どれだけ遠くへ逃げようとも、呪いの言葉は掻き消えない。

 7日の死の粛清を予言した後、首は動きを止め、ようやく果つる。
 だが胴体はいまだ動き続け、血に塗れた土を掘り、丁寧に仲間の死体を埋め続けた。

 鉄の民らは恐ろしくなり、殺すだけ殺して逃げ帰った。奪った宝石も、何もかも放り出して逃げた。
 族長の首から、夥しい虫の大群がうぞうぞと蠢き溢れてきたからである。

 こうして鉄の民はいなくなり、聖なる土地は真っ赤な呪われた地となった。

 それから千年後、新たな開拓者が現れた。
 呪いのかかった無人の地に腰を下ろし、根を張った。
 開拓者は大地に住み着き、彼らの土地を再び侵略したのである。

 果たして呪いは発動し、過去を知らない新たな開拓者に大地の粛清が下される。
 予言の通りに御使は顕れ、7日目の朝には全てが無に帰し、白となった。

 人よ、忘るるなかれ。
 無差別な殺戮と侵略は、大地の粛清により滅される。
 正しくあれ。決して他人の土地を侵してはならぬ。

 さすれば、蟲が顕れよう。


 ―――――――


 スス、と静かに本が閉じられた。

「は…胸糞悪い話だな」
「こわっ!ぞくちょー、こっわ!!」
「聖書の本編は愚かな行いを罰して戒めを教えるものだから、こんなお話ばかりよ。この話の教義はそのままね。他人の土地を侵してはならない――なのよ」
「ほえー!手に汗握る展開だったわ!」
「ちょ、ちょっと待って!確かに今と似たような状況だけど、粛清される心当たりがないよ!僕らは土地を侵していないし、グレフを虐殺してもいない。全く理由が当て嵌らないのに、なぜ!!」

 虫は自然物。大地の御使とやらが虫で、これが僕の町の物語ストーリーだとすれば、胸糞悪いどころか一方的な理由なき屠殺だ。
 僕らも町こそ、侵略されし聖なる土地の民ではないか。それがどうして虫に襲われなければならない。
 どうして味方である僕を、彼らはそんなグロいやり方で蹂躙するのだ。

「それは…分かりません。怒れる神が物語を選ぶのに、理由なんてないのかもしれない。物語はただの指針で、あれは人間を殺せるならそれがどんな物語だって構わない。そう思えませんか?」
「それに止めようもねえよな。まず虫を操ってる本体が分からねえ事にはどうしようもない。それに俺の村と違って、
 滅びに明確な日時が指定されているのも気になる。7日間ってのは絶対なのかもしれない」
「もう粛清は始まっているのです、セト」
「始まってるって…そんな!」
「―――今日は、か」

 占い師は話の途中から顎に手を掛け、考え込む仕草をしていた。
 人差し指は口元に、親指は顎下に添えられている。

「ならば、明日滅ぶな」

 あろうことか、そうあっけらかんと言い放ち、彼女はガタリと椅子を引いた。

「な!ちょ、君、何処行くの!!!」

 そのまま手をひらひらとさせて、迷いなく部屋の扉へ歩いていく。

「だ、旦那!?」
「マ…リュシアさん!」

 突然の占い師の行動に、仲間の二人も驚いている。
 アッシュなどは勢い余って腰をテーブルに打ち付けてしまっている。誰も占い師の行動を予想していなかったのだ。

「ど、どうすりゃいいんだ、あんたどうするつもりなんだ!何も言わずに勝手に消えようとすんなよ!!!」
「アッシュ…」
「言葉足らずも構わねえけど、俺らに分かるように説明してからどっか行ってくんねえかな!俺らは何すりゃいいんだ。こいつらを助けるのに、俺は何をすればいい!?」

 僕の言いたい事を、アッシュが全部言ってくれた。
 彼よりも上の立場であろう彼女に対して言うには褒められた発言ではなかったけれど、ストレートに言ってくれて助かったよ。
 この御仁に回りくどい物言いは無意味だ。

「どうもしない。滅びが分かって手の打ちようがないのなら、何処にいても一緒だろう?」

 冷たい言葉だった。

「その手があると信じたから、フレデリク将軍は君たちを呼んだんじゃないか!君らが根本からどうにかすると豪語するから、僕は君らに助けを求めた!それを放置?所詮他人事?君の何が偉いんだ。君は一体何様のつもりなんだ!!」
「おい、坊!旦那になんてことを言いやがるんだ!」
「セト、リュシアさんへの無礼は許しませんよ!」

 任務を放棄してその場から立ち去ろうとする輩に、どうして僕が気を遣わねばならないのだ。
 敬意を払うのはむしろ彼らの方。立場が違う事を今すぐにでも思い知らせてやろうか。

 占い師は堂々とした態度で興奮した僕を見据えている。
 見捨てるのが当たり前だと言わんばかりの視線。ベールの下から僕を蔑む冷たい視線を感じた。

 占い師は笑っているはずだ。
 あの黒衣の中で、虫に手も足も出ずに滅びを待つだけの無力な僕を、馬鹿にして笑っているはずだ。

「一つだけ、指示をやろう」
「……え?」

 占い師は僕を見ていると思った。でも、ちっとも僕を見てなんかいやしなかった。
 笑ってさえもいなかった。
 完全に椅子から立ち上がり、その勢いでテーブルから本や食べ物を床に落としてしまったアッシュとニーナを交互に見つめ、幾分か冷たさを柔らげた声で言った。

「今日と明日、籠城でもして乗り切れば7日目には終わる。残された時間を使って、精々屋敷の補強に努めるんだな」
「あ……」
「奴らは何処か詰めが甘いと言ったろう。考える頭を持つ人間が、能無しの奴らに後れを取ってどうする。人は単純ではない。書物通りにはいかないとお前たちが底力を見せなくて何が人助けだ」
「だ、旦那…悪ぃ…」

 声色は柔らかいが、何処か苛ついているようでもあった。
 無感情の奥底に、彼女の真意が隠されている。そんな気がした。

「外は危険だよ?おらぶった領民が暴れてる」
「そ、そうですよ、リュシアさん!まだ外の状況を確認しないで出られるのは…」

 それでも彼女はドアノブに手を掛けた。

 カチャリ

 ゆっくりとノブが回され、特別仕様の二重ドアがギギギと開く。

 喧騒が聴こえてきた。
 埃を立てて廊下を走るメイドも。
 怒号が飛び交う中、バタバタと忙しなく走り回る従者らを見渡して、占い師はもう一度だけ振り返った。

「今しか時間がないぞ。死ぬか否かはここで何をするかだ。人助けに来たとのたまうのなら、御託を並べずさっさと動け。お前たちが何をしようと、俺は関知しない」
「は、はい!」
「旦那…」
「ただ、俺の邪魔をするな。事を忘れるなよ」

 そう言い捨て、黒のローブを翻して彼女は今度こそ去って行った。
 残り香さえもその場に残さず、彼女は初めからそこに居なかったかのように、昼食を食べていたはずの形跡もいつの間にかなくなっていた。

「はは…、フレデリク将軍からとんでもなく扱いづらい人とは聴いていたけど、僕の想像を超えるね」

 扱い辛いなんて、そんな生温い表現じゃこの気持ちは表せないよ。
 先天的な精神の疾患を持っているのかと思ったくらいだ。
 中には生まれつき、対人関係が築けない障害を持つ人もいる。コミュニケーションが苦手で、誰かの心情を捉えるのも出来ない人が。

 でもあの人の場合、わざとあんな態度を取っているようにも見えるのだ。
 性格が歪み過ぎて、よくもまあこの世界を無事に生きてこられたものだと思う。
 いずれにせよ破損している。あの占い師は、

「いや、旦那の言った通りだと思うぜ」
「そうね。今こうしている間にも、被害は増えているでしょう。どうしても止める事が出来ないのであれば、自衛するしかない」
「トンテンカントンするの?」

 ニーナも手早くテーブルの上を片付ける。重い本を重ね合わせて、持てるだけその細腕に本を抱えた。

「セト、屋敷や避難先の施設を強化しましょう。あなたがお父様を、民を説得させるのよ。みんなで力を合わせれば、為せない事なんてないわ」
「あんたの部屋みてえな補強は時間的に無理かもしんねぇけど、何もやらないよりはマシだろ?俺らも手伝うぜ」
「じゃあテルマは虫さん退治ね。作業中の邪魔をさせないくらいは、テルマにだってできるよ!」
「みんな……ありがとう。そうだね、滅びが分かっているなら、手を打つまでだね。最後まで足掻くのが領主の務めと思って頑張るよ」

 僕らは部屋を出て、覚悟を決める。
 そうして自ら喧騒の中に飛び込んだのだった。

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