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三. セトの章
40. Black Beetle クロカミキリ
しおりを挟む午後。
僕は精力的に走り回り、まず父を説得して屋敷の補強作業に人員を割いた。
色んな叫び声が飛び交う中での危険極まりない作業であったが、従者らが脇目も振らずに窓に板、床には鉄、隙間に石を貼り付けているのを見て、一人また一人と手伝う者が現れた。
僕の話を聴いて、父は屋敷を解放した。
避難民を受け入れてくれたのである。
僕や父、それからギルドの客人らの私室方面は立ち入りを禁じたけれど、その他は食堂も含めて自由に明け渡した効果もあって、民の怒りは半減する。
屋敷に入りきれない民達の多くは、役場や劇場、遊戯施設などを避難所として活用した。
飲食店に協力を仰ぎ、補填と当面の生活の面倒を見る契約を交わして食料も配布した。
全ての施設に補強の手は入る。
他力本願で文句しか言わない役立たずの領民も、流石に今回は働いた。
とにかく時間が無い。
蟻の一匹も通さない隙間を塞ぐには、時間がとても足りなかった。
だけどやらないよりは遥かにマシで、この2日さえ耐えきれば僕らの勝利だ。虫は自然に還り、僕らはまた平和な日常を取り戻せる。
だから2日間耐えるだけの補強を、備蓄を、協力を。僕たちは果たせばいいだけなのである。
占い師以外のギルドの面々も良く働いてくれた。
アッシュには民の先導をお願いしたら天性の人たらしが発動して、すんなり受け入れてもらったのが大きい。人を上手く使いこなし、作業は思った以上に捗った。彼の自発的な炊き出しも好感を得るのは十分過ぎた。
ニーナは逆にメイド使いが上手かった。偶然にもメイドの服を着ているから違和感なんてなく、誰もが僕の屋敷のメイドだと思っただろうね。彼女は主に食料分配に走ってくれた。ニーナの采配で混乱なく食料が平等に配られた。みんな彼女にとても感謝していた。
非力な女の護衛は可愛いお転婆少女のテルマ嬢である。もはや彼女が空中を浮いてようと、誰も気にせず受け入れていたのには驚いた。これも屈託ない彼女の笑顔の効果だろう。
占い師は分からない。
あの女は最後の妙な台詞を吐いた後、彼女に充てられた自室に一人篭り、うんともすんとも言わなくなった。
災厄の前でも後でも、この町がこんなに協力し合ったのは一度もなかったのではないだろうか。
やればできるじゃないか。まずは満足である。
滅びゆく日に記念すべき一ページ。
僕は民を誇るべきだろう。僕の民も捨てたものじゃないと思うべきだろう。
来たる滅びへの2日間を、共に乗り切る方舟の仲間として。
だけど―――僕の本音は少し違う。
本当は、今すぐにでも砂漠に行きたかった。
あの砂漠で黒の行商人を呼んで、この事件が本当に彼らが起こしたものなのか、その真意を確認せずにはいられなかった。
もし、万が一そうだとしたら、11年も苦楽を共にしてきた信頼する取引相手の僕を切る理由を問い質したくて堪らなかった。
そして状況次第で僕は最高のカードを彼らに与え、またいい関係を築きたいと考えていた。
カードの中身は、今僕の町にいる魔法使いギルドのメンバー4枚だ。
ギルドから得た情報は彼らもずっと知りたがっていた。あの4人を人質にした上で捗る未来は、彼らの【浄化】の時期を早めてくれるだろう。4人を殺せば、憎きギルドの戦力を下げられるのもいい。
僕は、もう一度やり直したかったのだ。
こんな、何人が生き残るか分からない状況よりも、また最初からやり直した方が手っ取り早い。
虫に食い尽くされて汚くなってしまった我が町を、地味に工事して復興していくより彼らの力を借りた方がずっと綺麗でずっと良くなる。
僕の本当の本当の心の中は。
僕さえ生きていれば、後はどうでもいいと思っていた。
「補強用の板や木は、馬舎を取り壊していい。僕らの別荘も避難所に使って構わないよ」
「流石は次期御当主様。見事な手腕でございます」
―――ほんと、みんな滅びてしまえ。めんどくさい。
その夜、僕は占い師の自室に向かった。
全ての窓を木板で塞いでいるから、月の光さえ通さず廊下は真っ暗である。
光りを察知されるとまずいから、極力灯さないようにしているのも暗さに拍車をかけた。
僕は絨毯に躓かないように、慎重に歩く。
この屋敷にはすでに100人ほどの避難民で溢れているが、僕の居住区までは立ち入れないようにしている。
彼らは主にホールに集まっている。寄り添って震えながら夜が終わるのを待っている。
もう明後日の朝まで屋敷を出られない。
窓という窓、扉という扉、隙間という隙間を塞いでしまったからである。
決死の籠城作戦は、今夜から行われる。
あの聖書の物語の道筋通りならば、本格的な攻撃は今夜から始まるのだ。
虫は夜行性だから夜間に活発に活動するはずで、朝は包囲網が緩むからそれまで我慢しろとニーナが力説するものだから、この屋敷で僕らを護衛する従者らは寝ずの番が決定している。
一定間隔で廊下に立つ従者らに励ましの声を掛けつつも、僕は足を速めた。
コンコンコン
占い師の部屋の前に立ち、間髪入れずに扉をノックする。
彼女はあれからついに一歩も部屋の外に出てくることはなかった。
夕食の時も、アッシュがわざわざ料理を部屋まで運んであげていた。
何をしているのか聴いた僕に、さあ?と首を竦めただけだった。
コンコンコン
もう一度ノックする。
返事はないが、人の気配はちゃんとする。
カサリと中で音がしたから、いるのは間違いないと思うのだけど。
どうして僕が占い師の部屋を訪ねているかって、そんなの決まっている。
彼女と過ごす為さ。
僕もいい大人だし、彼女とて経験豊富な情婦まがいの女だ。
フレデリク将軍に懇意にされて、アッシュの心を奪い、ニーナの心酔の的となり、恐らく魔法使いのギルドマスターともそういった仲であろう股の緩い女も満更ではないはずである。
今朝、食堂で分かり易く僕を誘ったのだから。
雌の匂いを纏わりつかせて、僕を誘惑した。
僕と一夜の恋に落ちるのも一興だと、彼女自身が望んだ。
だから親切で優しい僕が、そんな淫乱な女にノってあげるのだ。
最後の夜かもしれない。明日は夜さえも送れないかもしれない。
そんな貴重な夜に僕と過ごせるなんて、あの女は幸せに思うべきだ。なんせ僕と契りたがる女は両手じゃ足りないくらいなんだから、慈善事業もラクじゃない。
将軍やギルドマスターを夢中にさせる女の身体を堪能してみたいと思った。
あの黒衣の下を暴いてみたかった。
彼女は今日、頑なに閉じていた口を解放してくれたのだ。もう一つの下の口は、それほど苦労せずに開いてくれるに違いないと思った。
糸を引き、僕を迎え入れるだらしない口を、こじ開ける必要もなくカッパリとししどに濡らして。
偉そうな態度を苦悶の表情に変えさせ、あの強弱も無い平坦な声を、歓喜で叫ばせたい。
ああ、実に愉しみだ。
コンコンコン
3回目のノックで、ようやくノブが回された。
ガチャリと鍵が解除され、ゆっくりと扉が開く。
ゴクリと唾を呑み込んで、彼女に来訪の意図を伝えようとその顔を見たら、なんと出てきたのは赤毛の男であった。
扉を半開きにして怪訝な表情で僕を見やる赤毛は、上半身に何も纏っていない。
裸の薄い胸板をポリポリ掻いて、目を細めた。
「えーっと、なに?なんか用?」
「は?……なんで君がここにいるの」
占い師サンのお部屋でしょと続けると、彼は本格的に嫌そうな顔をして、トレードマークのサラサラ赤毛をガシガシと搔き乱し、それからもう一度僕に問うた。
「なに?旦那になんか用?夜…遅えんだけど」
男臭い仕草だった。
なんならアッシュから雄を感じ取れる匂いまで漂ってくる。
それはこちらの台詞だと言いたいのをぐっと我慢して、僕はアッシュに対峙する。
「占い師サンと話がしたくて。興奮して眠れないんだよ」
するとアッシュは首だけで後ろを見て、彼の裸体に隠れて見えないがそこにいるであろう占い師の意を問う。
彼女からの返事は聴こえない。
「話すことなんてねえってさ。なに?まだなんかあんの?」
心底僕を邪魔だという不躾な視線をぶつけてくるアッシュは、直ぐにでも扉を閉めたそうにドアノブに力を入れる。
「なにって、ふふ」
「……なに笑ってんだ」
「この僕がこんな時間に女性の部屋を訪れる理由はただ一つでしょ?君も子供じゃないんだから、大人の言っている意味は分かるよね」
だから敢えて彼を見下すのだ。
複数の男が一人の女を獲り合うなんて、自然界ではごく普通のやり取りだ。
こうして強く、雄を剥き出しにし、女に選ばれた方が子孫を残せる。こうして強い男の遺伝子は紡がれ、生存競争に勝利するのだ。
「わり、分かんねえわ」
「じゃあ単刀直入に言うよ。僕は占い師サンを抱きにきた。君よりも、彼女を満足させられる自信もテクニックもある。最後かもしれない夜くらい、女を芯から悦ばせてあげるのは男の務めだと思って、こうしてわざわざ足を運んであげたんだよ」
「……は?」
細められていたアッシュの三白眼がまん丸く見開く。
「だから君はお呼びじゃないと言っているんだよ、童貞くん。さっさと部屋に帰ってママのおっぱいでも思い出しながら自慰でもしてろと親切で言ってあげてるんだけど。それでも理解できない?」
「……」
アッシュはぽかんと口を開け、間抜けな面で僕を見た。
その時だった。
「アッシュ、ドアを閉めろ」
鋭い声が飛んできた。
あの平坦な低い声―――占い師だ。
「だん――」
「閉めろと言っている。それとその下半身男に言ってやれ。目に余る無粋は身を滅ぼすとな」
アッシュの言葉を遮って聴こえた言葉はあんまりなものだった。
「そういうことらしいんで、じゃ、おやすみ」
アッシュが素直に扉を閉めようと身体を屈めた時だ。
彼の背中の隙間から、見知らぬ女性の姿が僅かに見えたのだ。
「ま、待って!あの人、もしかして占い師サン!?」
僕に背を向けてベッドに腰を落ち着かせている女。
上半身を脱いでいるアッシュとは違い、見慣れた黒衣をきちんと着込んでいた。
だけど、ベールを纏っていない。顔を隠すあの薄絹は、占い師の手に握られていたのだ。
顔が―――見えない。
背中まである長い金色の髪が、部屋のロウソクの炎に照らされて瞬いていた。
艶やかなプラチナブロンドが、今、彼女自身の手によって掻き上げられた。
サラサラと背中を滑る金の糸に、僕は息をするのも忘れて魅入ってしまう。
しかしそれは一瞬だった。
アッシュは彼女の素顔を僕に見せる時間すら与えず、無慈悲に扉を閉めてしまった。
「ちょっと!せめて顔だけでも!」
あの綺麗な金髪の素顔が見たかった。
決して暴かれない禁断のパンドラの箱を開けるが如く、そんな危険を冒してでも彼女に嫌われてでも、どうしても彼女の姿を見たかった。
だけど無情にも扉は閉められた。
僕はしつこくドアノブを捻ったりガチャガチャしたり、ドアを叩いたりと紳士的ではないおかしな行動を取り続けてしまった。
あんな行動は初めてで、それをやらかしてしまった僕はふと我に返り、僕自身に驚いた。
やがて衣擦れの音が僅かに聴こえた時、僕はようやく諦めた。
アッシュの睦言なんて聞きたくもなかったから、駆け足で部屋に舞い戻った。
自室に帰っても一人悶々としていて、外では虫らしき羽音と悲鳴がうるさくてとても寝れたものじゃなかったから、知り合ったばかりの妾達を呼んだ。
彼女らは破廉恥で大胆な元情婦だ。
僕専用の妾にして数日だが、そのプレイは激しく遊び慣れていて、僕と身体の相性もばっちりだ。
彼女らと共に過ごしていれば、このもどかしい気分も少しは晴れてくれるだろう。
女の暖かさに包まれながら、僕は目に焼き付いたブロンドの髪を思い返している。
啖呵を切ってしまったのにあっけなく争奪戦に負けて、アッシュは今頃彼女を堪能しているのかと考えたらもうダメだった。
悔しくて悔しくて。
口惜しくて悔しくて。
出会ったばかりの変な女に、何故こんなにも劣情するのか分からない。
心臓の奥底が張り裂けんばかりに痛むのだ。
あの女を組み敷き、全て奪い取りたいと。
彼女を喰らい尽くしたいと、心が渇望していた。
「セト様ぁ、なんだか元気なぁい」
「ムスコちゃん、ごめんなさいしてるよぉ?」
「うるさい。それをどうにかするのが君たちの仕事でしょ?ちゃんとご褒美をあげるから、ほら、頑張って」
僕は思いきり目を瞑る。
どんなに極上の女を脳裏に浮かべようとも、瞼に映る暗闇の先に、あの美しい金髪がチラついて離れなかった。
この日、僕は生まれて初めて、男としての矜持を失った。
―――勃たなかったのだ。
僕は今夜、眠れなかった。
だけど夜はちゃんと明けてくれた。
そして、最後の日を迎えたのである。
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