上 下
159 / 170
四. ルーベンスの章

5. 消沈

しおりを挟む

 結果、私もマナを追えなかったのはお笑い種だ。
 貴重な時間を割いてわざわざやって来たのに、なしのつぶてで来た道を戻らねばならないとは滑稽である。

 いつもより格段と静かなフォースの集落に、レオナルドと同じ顔をした酒の抜けきらない阿呆どもらが草の根を掻き分けて痕跡を探す姿が散見する中、一軒一軒家を回って丁寧にマナの痕跡を探したが、私の力を持ってしても何一つ成果が上げられなかったのは不徳の致すところ。
 言い訳をするつもりはないが、慌てた愚かども達が虫けらのようにウロチョロする為に、マナがかき乱されてしまっているのだ。只でさえ他人のマナの軌跡を辿るのは難しいというのに、お膳立てすらできないとは誠に遺憾である。

 私の力に期待していたレオナルドは、明らかに落胆した様子で肩を落とした。

「ルーベンス様…ど、どういたしましょうか…」
「……歯痒いな」

 方向の定まらない大量の足跡が残された砂を蹴る。捜索の基本である足跡さえ追えない。散々踏み散らかした男どもの足跡が、貴重な痕跡を消してしまっている。
 私も負けじと大きな溜息を吐いた。レオナルドの肩がビクビクと震える。

 レオナルドは将来有望な若者だった。竜人族の利を兼ね備えた力と知を持ち、私の後釜にしても良いとさえ思っていた。このまま何事もなければ順良く出世し、いずれは私の後を継いでファーストワンの統括長になっていただろう。
 愛妻と子を沢山作り、この寂れた集落に活気をもたらすきっかけになれるだろうと、私も長も期待していたのだ。

 しかしこの男はもう駄目だろう。
 大事な時を見誤り、自分の欲望を優先させた時点で上に立つ資格は無い。
 上に立ち、魔族を導く者は己の本音を隠し通し、世の為人の為に尽くせる者である。
 かつての魔王様は、それは素晴らしい為政者だったのだ。レオナルドは魔王様を知らない世代ではない。魔王様の成し得た偉業を知りつつも、それを模範しようともしないとは魔族の本質を軽視し過ぎである。

 だが、最近の魔族は皆そうなのだ。
 絶対なる為政者を亡くし、宙ぶらりんの状態でただただ生きている。
 目的も夢も未来もなく、規範となる者も畏怖されるべき者もなく、その日暮らしの生活を惰性で送っている。
 私とて、そうなのだ。

 どうすれば11年前の活気が取り戻せるのかを思案する。
 その答えは毎回出ず、私ごときではどうすることも出来ないで終わってしまうのが悔しかった。
 やはり魔族には魔王様が必要なのだ。我々を導く、絶対的存在が。
 魔王様がいて初めて魔族は統率が養われる。所詮魔族なんてものは、独りよがりの好きな無法者の集まりに過ぎないのだから。

「ルーベンス様、もう2刻は過ぎておりますよ!そろそろお戻りにならないと間に合いません。人間どもが来てしまいます。貴方様がエスコート役なのですからお早く!」

 日は昇り、予報した通りの快晴となっている。
 実に長閑のどかで、実に風が涼しく、実に心地好い天気が良い。人間を出迎えるには絶好の日和だ。
 しかし私の心が心地良さを感じないのは、心臓が真っ黒に塗り潰されているからだろう。こんな事件が起きなくとも、11年前から私の心が晴れた事は無い。

「分かっている。だが、もう少し調べたい。馬を全速で走らせれば何とか間に合うように此処を出よう」

 フォース区画から消え失せたのは総勢41名。全て、女と老人である。
 幼い子供や赤子は未来への懸け橋になる存在であるが故、懐妊すると夫婦はファーストワンへの移住が強制されて手厚い加護を受けるため、幸いにも此処にはいない。
 被害に遭ったのは一部の例外もあるが、その殆どが戒律を破って酒場で飲んだくれた近衛兵らの家族だった。

「変だな…」
「と、申しますと?」

 玄関扉の縁を触り、砂を払う。
 私を追ってこんなところフォースまでやってきたプランナーのナポリが、緊張感の欠片もない声で聴き返す。
 此度の人間との謁見の総演出を任されている鳥人族の男だ。最後の打ち合わせをしたいのに私がおらず、時間も惜しいとの事でわざわざ足を運んできたのだ。
 ナポリは私の隣にしゃがみ込み、同じように玄関扉と室内の境目を手で擦っている。ある程度の事情も聞き及んでいて、私を急かす口ぶりだが本気で邪魔をするつもりはないようである。

「どの家もだよ。僅かだが感じるマナはこの玄関口で断ち切られている」
「家から出ずに姿を消したとおっしゃるんですか?」
「うむ。が、それもあり得ぬ話だ」

 不可解なのは、これだけの数が姿を消したのに、何も痕跡が残っていない事にある。
 レオナルドや他の連中から聴取した限り、呑んだくれの証言ほど当てにならないものはないが、不穏な物音は無かったと全員が言ったのだ。

「示し合わせたかのように、いなくなりましたねぇ」
「だが荷物は残されておる。外履きも着替えもそのままだ。家族を置いて家出する理由もない」
「ですよねぇ…私のように空を飛べる種でもないし。それに空を飛んでもマナの軌跡は残りますしねぇ…」
「これがこの事件の恐ろしい事だ。何も分からぬ事がな」

 そう。いなくなった者達の生死すら不明なのである。マナは生命の源、それを辿れなければ生きているか死んでいるのかすら分からない。
 ただ一つ言える事は、この10年弱で姿を消した者は、誰一人として家族の元に帰らなかった事実のみである。影も形もなく、死体すらも見つかっていない。

「私の妻は死んでしまったのでしょうか…」
「分からぬ。こう痕跡がまるでなければ、お手上げ状態だ」

 レオナルドは意気消沈し、嘆くばかりだ。

「過ちを犯さなければっ、命令さえ聞いていればこんな事には…どうして私は流されてしまったのだ、どうしてこんな時に!!くそ、くそ―――!!!」

 膝から崩れ落ちるレオナルドの小さな背を見つめながら私は思う。
 この事態を、本当に人間如きが解決できるのだろうかと。我らの窮地を救う手立てを、奴らが持っているとは考えにくい。

 長は言った。初めて人間と会話を試みていると長に明かされた時、憤然と抗議した私に言ったのだ。
 生き残って足掻き続ける人間は強い。魔族に勝る力を得て、人間の利を活かして徒党を組み、互いに切磋琢磨して己を磨いて大いなる力を身に付けている。
 ただ死を待つ臆病な魔族とは違う。人間はマナの覇者ではないが、世界の覇者たる存在なのだと。

 長の考えが分からない。
 なぜ今になって人間を魔族の地に呼んだのか。この惨状をわざわざ見せつける事が、この失態を暴かれる事が我らの利に適うとも到底思えないのだ。

 力もマナも勝る魔族に出来ない事を、人間風情が出来るはずがない。

 だが――――。

「あああああああ!!!!私は、わたしはああぁぁっぁ!!!」

 自業自得とは言えど、レオナルドの嘆きは魔族全体のものである。
 もし昨夜フォースの者達が行動を自粛して家にいたとしても、これが起こらぬ証明にはならない。レオナルドごと、フォースの住人全てが消えた可能性も無きにしも非ずなのだ。いようがいまいが、無事である確証が取れぬのに、レオナルド一人に責任を負わせるのはあんまりかもしれない。
 怖いのはこれが連鎖していく事だ。これはフォースだけの話ではない。今夜はナイン区画、明日はサード区画と被害が広がる危険もあるのだ。

 こうして魔族は絶滅していくのだろうか。
 少しずつ数を減らし、いつ消されるか分からない恐怖に身を竦ませながら疑心暗鬼に苛まれて死んでいくのだろうか。
 女神はどこまで我々に試練を与えれば気が済むのか。
 せめて穏やかに余生を過ごしたい。そんな仄かな願いすら打ち砕くのか。

 抗う気力さえ、失われていく。

「ルーベンス様…是非ともこの嘆きを人間にお伝えください!私の、皆の、魔族の苦しみを、私は人間に託します…!!」
「必ず伝えよう。貴様達は住民の捜索を続けつつ、サードとセカンドの守備に当たれ」
「はは!!」

 レオナルドは起立し、姿勢を正して敬礼する。

「アニタと協力し、夜警を強化せよ。もう失態は許されぬぞ」
「は!寝ずの番を務めさせていただきます!」
「暫くはバラバラに動くよりも固まっていた方が宜しいかもしれませんね。わたくしのサード住民には何と説明を?」
「いずれにせよ、人間が滞在している間の目立った動きは好ましくない。サード区画に箝口令を敷く必要もあるやもしれぬ。余計な混乱は避けるが吉だ」
「かしこまりました。住民には人間を配慮して不外出を敷きましょう」

 どれだけ意識を集中しても、途切れたマナの行方は追えない。
 妙な気配も視線もなく、我らの心情とは裏腹に心地良い風が凪いているだけである。

 私は調査を諦めた。ここで無駄足を踏んでいても状況が変わらないのならば、それは蛙の面に水をかけるのと同じ行為なのだ。
 ならば気を取り直し、他の仕事に速やかに移行すべきだ。
 後の始末をレオナルドとアニタに任せ、私は馬を持ってくるように頼む。
 ナポリの顔が弛緩する。やっと帰る気になってくれたかと、駆け足で馬舎へ向かう背を見つめる私の心はひどく沈んでいる。

「帰るぞ。間に合わぬ」
「よしきたぁ!!!ノンストップで参りましょう!ついでに打ち合わせもやっちゃいましょうかねぇ!」

 私が赴いても無意味であった。
 成す術もなく人が消えるのを指を咥えて見ているしかできな自分に腹が立つ。
 手も足も出ないとはこの事だ。

 私は私が最も嫌う、無能な魔族に成り果ててしまっていた。
しおりを挟む

処理中です...