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用水路の中の別世界 編
下(完)
しおりを挟む果たしてそこには、満面のお花畑があった。
「うわあ!!」
思わず声に出てしまう。
ヤスくんの声はコンクリートに反響したのに、僕の声は何にも邪魔されてない。
それもそのはずだ。
僕は今、雲一つない真っ青な空の下、太陽さえもない絵の具で塗りたくったような青い色の真下に立っていたからである。
「すごい、本当にあったんや!」
オダくんも空を見上げて興奮している。
8人それぞれが、いきなり現れた青に感動している。
飛び降りた先は、だだっ広い原っぱだった。
コンクリートの天井は、空に変わった。
上から見ると数メートル四方の小部屋が、中は遠くに地平線を見るほど広い。
乾いた地面の音は、緑で覆いつくされた草と、黄色い菜の花で咲き乱れている。
用水路の中に何かがある。
上級生の語ったそんな噂は本当だった。
僕たちは、用水路の中に別の世界を見つけたのである。
それから僕たちは、思う存分遊んだ。
女子も男子も入り混じって手繋ぎ鬼したり、どこまで地平線が続いているかかけっこしたり。
疲れたら女子は花で冠を作って休憩。
僕たちは給食で取っておいたパンをみんなぬ分け合って食べた。
今まで食べたどんなものよりも、一番美味しいパンだった。
オヤツに冷凍ミカンをポケットから出したら、すごいすごいと褒められた。
丁度、8房あった。
みんなで食べたミカンも、とても美味しかった。
ミカンの皮は、その場に捨てた。
時間も忘れて僕らは原っぱを駆け回った。
「ねえ!いま何時?」
でもワタナベさんの一言で、一気に現実に引き戻される。
「ピアノの時間なんやけど、時計持っとる?5時だったらお母さんに怒られる」
楽しい時間に水を差されて、僕たちのテンションも下がる。
でも確かに彼女の言う通りだ。
ここに入ってどれくらい経ったか分からないが、結構長い時間過ごした気もする。
僕の家の門限は6時だ。
それを過ぎたら怒られるどころか晩御飯抜きだ。しかも、父の鉄拳パンチのオマケ付き。
いやだ!
残念ながら、僕たちは誰も時計を持っていなかった。
シマっくんは塾。
ダニは英語教室。話せないのに。
オダくんとヤスくんは用事はないけど、ヤスくんの家は僕よりも遠い。
ワタナベさんはピアノの時間。
ユウカちゃん家の門限は5時。
シバヤマさんだけ、まだ遊べるよと呑気な返事。
小学生だって忙しいのだ。
僕たちはここに来たらいつでも遊べるのだし、今日はもう帰ろうという話になった。
もう遊ぶ気にならない。
こんなだだっ広い原っぱ、天井すら無いのにどうやって帰るか不安になったが、不思議と全員が帰ると思ったからなのか、手を伸ばした先に、僕たちが開けた柵があったのだ。
オダくんとヤスくんが先に登り、女子を引っ張り上げて、一人、一人と数が減っていく。
それがとても寂しかった。
最後は僕だった。
オダくんの手に掴まりながら、僕は振り返る。
綺麗な菜の花と柔らかい草の原っぱ。
青々と美しい空。どこまでも続く地平線。
僕の捨てたミカンのオレンジが、やけに目立って見えた。
「また、来ようね」
「明日また遊ぼう」
「いいね!」
柵を潜った時、また振り返った。
そこは来た時と変わらず、真っ暗だった。
笑顔でみんなと別れ、ヤスくんと一緒に帰る。
案の定、結構時間が経っていたようで、空は微かに赤味が差していた。
この時期は日が高い。とっくに6時は過ぎているのかもしれない。
ヤスくんと僕はオダくんで繋がった仲だ。乱暴者のヤスくんは少し苦手だった。ヤスくんも、僕と何を話していいか分からないのだろう。
あの原っぱで散々遊んだ仲なのに、僕たちは無言で帰る。
家に着いたのは、7時前だった。
母が冷めた目で怒っただけで、特にお咎めはなかった。
父が仕事から帰って、母がいつ言いつけるかもうバクバクだったけど、何もなかった。
僕は色んな意味で疲れてしまって、その日はすぐに寝てしまった。
また明日、あの原っぱで遊ぶ。
そんな事を考えながら―――。
次の日、僕たちはあの用水路に行く事が出来なかった。
小学校の入り口の前に、ポン菓子屋さんが来ていたからだ。
ポン菓子屋さんが来ると、周りはお零れに預かる小学生だらけになる。
おじさんが機械のお尻を叩くと、ぽん!と凄い音がして、白いお米のお菓子が大量に吹き出してくる。
その時に、少しだけ試食させてくれるのだ。
ポン菓子は、小さな袋が500円。大きなゴミ袋に入ったものだと2000円もするのだ。
そんなお金は持ってない。
母に何度もねだった事があるが、500円もあれば僕と兄と妹の3人の1週間分のオヤツが作れると、許してくれた事はない。
大人になって初めてゴミ袋一杯のポン菓子を食べたが、あれは飽きる。あの時買わなくて正解だったが、当時はそれが食べたくて仕方がなかったのを思い出す。
ポン菓子屋さんは、小学校が夏休みに入るまで、お店を出していた。
ポン菓子屋さんの前に排水溝の入り口はある。
僕らは結局、あれから一度もあの素敵な別世界に行けないまま、夏休みを迎えたのである。
夏休みのある日。
宿題はとっくにやる気を無くしているし、兄もガキ大将と遊びに行っていない。
母は絨毯洗いのパートに出ていて、妹は保育園。
僕は友達との約束がなくて、とても暇だった。
そして思い立った。
あの原っぱに行ってみようと。
あのメンバーの誰の電話番号も知らなかった。連絡簿は母がどこかにやってしまって見つからない。
仕方ないので、一人で学校まで向かった。
水筒に麦茶を入れて、カッパえびせんを一掴み、ビニール袋に突っ込んで。全部持っていくと兄に殴られる。
学校に着く。
夏休みなのに先生達は職員室にいる。可愛そうだなと思いながら、見つからないように排水溝の入り口を目指す。
外は暑い。
汗が何本も僕の額に筋を作る。
真昼間、太陽が高い。
あの原っぱは、空があるのに太陽はなかった。なのに明るかった。
暑くも寒くもなかった不思議な空間。
外から見ると小さな入り口。
中は小学校が丸々入ってもあまり余る広さ。
あそこにどうしても行きたかった。
あの時と同じように、排水溝のフタを開けて田んぼに隠す。
水筒が突っかかって通りにくいのを無理やり通る。
ポケットのカッパえびせんが潰れる音が聞こえる。
何とかそこを這い出して、コンクリートに囲まれた小さな川へ。
昨日雨が降ったからか、あの時よりも水が流れている。
まっすぐ川を走って鉄の柵に着く。
しゃがんで蝶番を開ける。
ギギギと、あの時と同じ錆びた音。
あの時と全く同じ。
僕は迷いもせずに飛び降りた。
暗闇の穴の中へ、勢いつけて飛び降りた。
「え…」
あの時と同じならば、もう地面に足がついてるはずだった。
僕の足は宙に浮いた。
もがく。
何も当たらない。
「ひぃっ!」
まるでジェットコースターだった。
一番高いところから、真っ逆さまに落ちる。
重力に引っ張られて、ちんちんがヒュっとする。
身体中の毛が逆立つ感覚。
あの感覚。
僕は真っ暗な闇の中、いつまでもいつまでも落ちていった。
なんで。
どうして。
あの原っぱはどこ。
僕はどうなってる?
怖い。
痛いのはいやだ。
怖い。
死にたくない!
ぎゅうと目をつぶる。
用水路の中には何かがある。
その何かが、毎回違うものだったとしたら?
そんな事を考えもしなかった。
僕たちはあの時、たまたま原っぱの世界に出ただけで。
今回の世界は…
奈落の底―――。
ハッと気づいた。
長い時間、ひたすら落ちていた僕はいつのまにか地面に立っていた。
上を見上げる。
空が見える。
空と雲と、太陽。
周りを見渡す。
コンクリートの壁。
僕が手を伸ばせば届く狭さ。
下を向く。
足首まで水が浸かっている。
ミカンの皮が、隅の方に浮いている。
「おい、こんなとこで何やってんだ!!」
突然上から怒号がした。
驚いて顔を上げる。
見ると天井のコンクリートの隙間から、麦わら帽子のおじいさんが上から覗きこんでいる。
状況が理解できない。
ここは、どこだ?
「排水溝のフタがあると思ったらこんなところにいやがって!」
その口調からとても怒っているのがわかる。
失敗したのか?この人に見つかったから。
ならばあの長い穴は何だったんだ。
おじいさんが早く出ろと怖いので、僕は柵を越え、川まで出てくる。
案の定、日に焼けて皺の深いおじいさんが、すごく怖い顔で僕を睨んでいる。
おじいさんの助けを借りて川から這い出る。
「どこのクラスの誰だ!こんなところに入って危ないやろ!先生に言うから早く名前を言いなさい!」
やばい。
先生にバレるのはダメだ。
先生ならまだいい。
悪いのは、そこを飛び抜かした後だ。
脳裏に父の顔が浮かぶ。
父は遠慮なくぶっ飛ばしてくる。それがなにより怖いのだ。
大人になった今でも僕は父には頭が上がらない。
父は具現化された恐怖の塊だ。
僕は脱兎の如く逃げ出した。
悪い事をしている自覚はある。だけど、父に知られるよりマシだ。
遠くにおじいさんの叫び声が聞こえる。
家まで約20分。
一度も立ち止まることなく、全力で僕は逃げた。
あれから一度も排水溝には入っていない。
あの不思議な世界にも、あれ以来行く事はなかった。
夏休みが過ぎたら、あの原っぱの話はもう別の話題に変わっていて、僕は新しいゲームの攻略に夢中になっていて、いつしか思い出しもしなくなった。
だけど、大人なった今、あの綺麗な景色を思い出さずにはいられなくなる時がある。
そんな時は、近くにある排水溝を覗くのだ。
排水溝の先、用水路の中にわくわくするような世界が今も広がっているのだろうかと想像しながら。
異世界へ行く方法を知っているかと聞かれたら、僕は首を振るだろう。
だけど、異世界の入り口は何処にあるかと聞かれたら、僕は答えるだろう。
用水路の中にそれはあるよ、と。
■■■
ガチャリ
「ただいま」
19時40分。妻が帰ってきた。
娘は眠いのか、ご機嫌斜めだ。
「おかえり。今日のご飯は、豚バラの塩ダレ炒めと、鳥の香草焼きだよ」
僕の一日。
娘が寝たらもう終わりだ
「それがホントやったら、一緒に行くツレの、別の世界に行きて~っつう気持ちが強ければ条件を満たすとか?よくあるやん、想いを一緒にすれば魔王を倒す光のチカラが出るとか、そういうの」
メインが二つもあってご機嫌な妻が言う。
「違うと思うけど…」
「子どもっつー生き物は、何もかもがおっきく大袈裟に見えて、キラキラしとるやん?用水路の中の一本の花だったり、微かに見える空が、そう見えたのかもしれんね」
妻はこう見えて、現実主義者だ。
一人で大人しく遊ぶ娘を見る。
娘もいつか、僕のような不思議な別世界を見るかもしれない。
子ども一人一人、違う世界を持っていて、何かをきっかけにそれは体験できる。
僕はもう行けなくなったあの原っぱは、娘の瞳にはどう映るのだろう。
僕と同じ、どこまでも続く菜の花畑だといいなと思った。
だってあの世界は、僕が今まで見た中で、一番綺麗で一番ワクワクした場所だったのだから。
終わり
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