天高く、馬鬼娘は風を駆る~冤罪処刑人は異端の少女とレースに挑む~

龍威ユウ

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第一章:咎人、異端の少女と出会う

第6話:決意と覚悟

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 例えるなら、それは上質な天鵞絨の生地をいっぱいに敷きつめたような空だった。

 同じ夜空であるはずなのに、何故か今まで目にしたものよりもずっと美しい。

 そう思える要因はおそらく、ぽっかりと浮かぶ金色の三日月だろう。

(いつも目にしているはずなのに、やけに美しく見えるな……)

 心地良い夜風がひゅう、と吹く中でツキノヨルノオウカはいた。

 他の馬鬼が心地良い眠りに就き、彼女だけが夜空を楽しそうに見上げている。

「オウカ」

 ツキノヨルノオウカではいささか長いので、略称して呼んだ。

「あれ? どうかしたんですか?」

 人懐っこい笑顔を示し、ぱたぱたと駆け寄ってくる。

 その笑顔が、胸中をじんわりと温める――あの時、割って入ったのは、決して間違いではなかった。

 彼女の笑顔が守れてよかった……心の奥底からそう思う。

「いえ、少し君と話をしておこうと思いまして……」

「お話? どんなお話ですか!?」

 瞳がいつになく強く輝く。

 好奇心旺盛な子どもらしい反応に、しかし雷志の表情は対照的に暗い。

 これよりするのは、彼女が連想するような楽しさは微塵もない。

 暗く、苦しく、険しい道のり……それを強要することへの罪悪感がひしめく。

 だが、生きるためにはどうしても、この現実を告げねばならない。

 どんよりとした雲に覆われたような心境で、重くなった口をゆっくりと開く。

「オウカ、私は“れえす”というものが未だどういうものかわかってはいません。ですが――」

 君は、この“れえす”で是が非でも勝たねばならない。

 勝利を確実なものとするには、現状のままではおそらく不可能だろう。

 武術にも言えるが、才能や感性だけでどうにかなるほど世の中は甘くはない。

 こつこつと地道に積み上げていく者こそが、真の勝利を手にする。

 それを――

「君は、乗り越えなければならない」

 包み隠さず、雷志ははっきりと告げた。

「……」

 ツキノヨルノオウカが一瞬だけ、顔を強張らせた。

 年相応の幼い子どもに、この現実はそう容易に受け入れられない。

 雷志もまた、沈黙をもって返した。

 時間が静かに流れていく。

 冷たい風でさえ、重苦しい沈黙は流せない。

 わずかな時間しか経過していないはずが、相当な時間が経ったような錯覚さえあった。

「……正直に言うと、すごく怖いです」

 先に沈黙を破ったのは、ツキノヨルノオウカ。

 胸の内を晒した彼女の顔に、明るい笑みはない。

 未来に対する不安が、端正な顔をぎこちなくさせる。

「私、走るのがすっごく好きなんです」

 言葉の端々から伝わる感情に、嘘偽りはない。

 紛うことなき真実……だが、その言葉に宿る活力は大変弱々しい。

「それは、なんとなくですがわかります」

 馬鬼として生まれたが故の性か、あるいは元からか。

 草原で目にした時、ツキノヨルノオウカはとても生き生きとしていた。

「だから、レースにもいつか出てみたいなって、ずっと思ってたんです」

 憧れの舞台に立つ……そのための好機を彼女は得た。

 見ようによっては、これは幸運かもしれない。

 もっとも、ツキノヨルノオウカが描く形でないことだけは確かだ。

「でも……」と、ツキノヨルノオウカがもそりと呟く。

 雲の隙間から差す月光が彼女だけを包み込む。

 それはまるで、これから困難に立ち向かう者を祝福するかのよう。

 ツキノヨルノオウカの顔には、先程にはない感情がしかと宿っていた。

 覚悟を決めた者の顔。あどけないなりに、ひしひしと覇気を感じる。

「私、ここを……お家を守りたいです!」

 再び漂う静寂、だが重苦しさではない。

 魂を焦がすような熱が、心を焼いた。

 幼いなりに固めた覚悟に、雷志は深く頷いた。

「……それなら私も、覚悟を示さなければいけませんね」

 腰の愛刀をすらりと抜く。

 これまでに数多くの首を落とした、己が半身。

 ずしりとした重さが、命を断つことの覚悟を忘れさせない。

 幾度となく血を吸い、時の流れと共にかつての白銀は見る影もなくなった。

 鈍く黒く輝くその様から、妖刀……そう比喩する者も決して少なくはない。

 皮肉にもどんよりとしていながら、その輝きは元来のものよりもずっと美しかった。

 日本刀を前にした途端、ツキノヨルノオウカの顔が瞬時に強張る。

 雷志は一切気に留めず、刀身にそっと触れて――力強く握れば、たちまち赤い汁が黒刃を朱に染めた。

「……え?」

 突拍子もない行為だけに、ツキノヨルノオウカの反応は至極当然である。

 唖然とした後――

「な、なんでいきなり……!」

 と、ひどく狼狽する。

「これが、私なりの覚悟です」

 雷志はさも平然とそう告げた。

 手からは依然として鮮血が滴り落ちる。

 その量から察するに、軽微と軽んずるのはいささか無理がある。

 だが、これが雷志なりの覚悟だった。

「オウカ、私はこの痛みと血に誓って……あなたを勝てるようにします」

 これよりツキノヨルノオウカとは一蓮托生だ。

 幼き者だけに、重責を負わすなど今後言語道断である。

 文字通り、命を懸ける。それがきっと、自分に課せられた贖罪だろうから。
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