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第二章:初レース
第7話:年頃の娘はよくわからない
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空がまだ東雲色の頃、雷志は外に出た。
昨晩の寝付けは、あまりよろしくない。
傷のせいではない。単純にこれまでの環境から逸脱したのが要因だった。
枕が変わるとなかなか眠れない……などと、そう口にするほど雷志は繊細ではないが、何事にも限度がある。
家にいても寒さに震えるようでは、まるで意味がない。
これでは外にいてもなんら変わらないではないか……。
「……まずは、建物の修繕を念頭に置いた方がよさそうだな」
結局、一睡もすることなくそのまま夜を明かした。
今もずっと、生欠伸ばかりがこぼれる――もう何度目かさえ、よく憶えていない。
さらさらと流れるせせらぎを耳に、小川で顔を洗う。
ひんやりとした水気が、眠気を一瞬にして吹き飛ばした。
「……よし」
意識が完全に覚醒したところで、雷志は早速刀を抜いた。
いつもの日課である。山田浅右衛門として、剣の修練は欠かせられない。
深く吐息を一つ。空っぽになった肺がわずかに痛み始めた。
そこで対照的にゆっくりと、亀の歩みが如く静かに肺を満たす。
黒刃を掲げ、肺に空気が満ちた、次の瞬間――
「疾!」
と、一気に空気を鋭く吐き出す。
鋭い風切音が静寂を切った時、一陣の黒雷が地上へと落ちた。
求められるものは、正しく一刀両断。正しい軌道を正確無比に狙い、そして一太刀で断つ破壊力を生む。
これだけを体現するための修練を愚直に重ねる。これこそが、雷志の日課だった。
常に実戦……骨の隙間を断つ手応えはもちろん、実際に耳にした醜悪な遺言の響きまでも。
過去の経験を、あたかも昨日の出来事であるかのように強烈に想像する。
常軌を逸脱した修練ということは、自他共に認めている。
これでは精神のほうがまず、保たない。そう口にする者は少なくはなかった。
(これで、いい……)
呼吸や歩行が当たり前であり、わざわざ意識しないで済む――この行為を、軽々しくしてはならない。
真の死とはなにか――かつて雷志は、こう自問したことがあった。
生命の活動が停止すること――多くがこう口にする。
果たしてそれが、真の答えなのだろうか……。
大多数がそう口を揃えるのだから、おそらくその認識が正しい。
否定する気は雷志も更々なく、だが肝心の答えは少々……否、かなり異なっていた。
真の死とは、忘れ去られることだ。
どれだけ外道でも、記憶から消えてしまえばそれまで。
これほど呆気なくも、末恐ろしい結末はそうそうない。
故に雷志は忘れない――少なくとも己の手で斬った者の名と、言葉はすべて余すことなく記憶している。
それが、せめてもの供養となろう。雷志はそう思った。
百本目の素振りは、なんとも間の抜けた声によって終わりを告げた。
「――、うう~ん……」
未だ心地良い微睡の海を彷徨っているのか。足取りはふらふらと覚束ない。
覚醒し切れていない顔はだらしなく、うっすらと開いた瞼の隙間からは白目がちらりと覗く。
目元を何度も手の甲で拭うが、覚醒する兆しは皆無に近しかった。
「……おはようございますオウカ。ずいぶんと眠そうですね」
声をかける――認識されるまでの時間が、異様に長い。
はたと顔を合わせても、少女からの反応はなかなか起きず。
ようやく口を開いたかと思えば――
「おひゃよ……あふぅ」
と、拙い言葉が返ってくる。これでは赤子と大差ない。
「オウカ……はぁ、まぁいいです。朝早いんですね」
「うにゅう……いつもこの時間に起きるんですぅ」
「早起きなのはいいことですが、それではあまり意味がないですよ……」
こんな調子で大丈夫なのだろうか……一抹の不安が、ふと脳裏によぎった。
(修練をするにしても、オウカに見合った内容に調整しなければな……)
同じ内容をしたからといって、すべてが統一されるわけではない。
個人差というものは、どうしても生じてしまう。
師範代は、純粋な技量だけでなく裁量を図るための慧眼も必要となる。
雷志は、師範代ではあるもののその実、指導は未だ一度もない。
弟子入りを志願する者は少なからずいたが、等しく断っている。
(人に教えられるほど自分は偉くない……そう、思っていたんだがなぁ)
ツキノヨルノオウカがそうであったように、雷志もまたこの展開は予想すらしていなかった。
失敗は許されない。途方もない重圧が、肩に容赦なくのしかかる。
「ふぅ……あ~気持ちよかったぁ!」
しっとりと濡れた水気を、顔を振って落とすツキノヨルノオウカ。
動物的行動が、改めて彼女が人非ざる存在という事実を雷志に実感させた。
「あ、おはようございますトレーナーさん!」
開口一番、元気いっぱいなツキノヨルノオウカに雷志ははて、と小首をひねる。
「すいません。その、“とれえなあ”というのはなんですか?」
間違っても、自分はそのような名前ではない。
知らない単語が、妖怪たちの間では当たり前のように用いられている。
後に意味を調べることが山のようにあり、これにはさしもの雷志も頭を抱えてしまう。
「えっと、トレーナーっていうのは馬鬼を調教したりする人のことです!」
「……つまり、私がオウカを鍛えるからそのように呼んだ、と?」
「はい!」と、屈託のない笑みを返すツキノヨルノオウカ。
雷志は小さく苦笑いを浮かべて――
「オウカ。私をそう呼び必要はありませんよ」
と、やんわりと否定した。
「え? どうしてですか?」
きょとん、と不可思議そうな顔が返される。
言い分ならば、彼女はなにも間違っていない。
馬鬼を鍛える者をそのように差すのならば、雷志もまたそう呼ばれるべきだ。
二人は、あくまでも一時的な関係性にすぎず。
加えて自身の名前ではなく、役職名で呼ばれることが無性に嫌だった。
「私のことは普通に雷志、と呼んでください」
「え~……」
「……なんで不満そうなんですか」
「だってぇ……」
頬をむっとさせるツキノヨルノオウカ。
不満が手に取るようにはっきりとわかるが、肝心の理由がわからない。
不満を抱かれることは、なにもないはずなのだが……。
年頃の娘の心情を察するのは、ある意味立ち合うよりも困難かもしれない。
雷志はいぶかし気に、ツキノヨルノオウカを見やった。
昨晩の寝付けは、あまりよろしくない。
傷のせいではない。単純にこれまでの環境から逸脱したのが要因だった。
枕が変わるとなかなか眠れない……などと、そう口にするほど雷志は繊細ではないが、何事にも限度がある。
家にいても寒さに震えるようでは、まるで意味がない。
これでは外にいてもなんら変わらないではないか……。
「……まずは、建物の修繕を念頭に置いた方がよさそうだな」
結局、一睡もすることなくそのまま夜を明かした。
今もずっと、生欠伸ばかりがこぼれる――もう何度目かさえ、よく憶えていない。
さらさらと流れるせせらぎを耳に、小川で顔を洗う。
ひんやりとした水気が、眠気を一瞬にして吹き飛ばした。
「……よし」
意識が完全に覚醒したところで、雷志は早速刀を抜いた。
いつもの日課である。山田浅右衛門として、剣の修練は欠かせられない。
深く吐息を一つ。空っぽになった肺がわずかに痛み始めた。
そこで対照的にゆっくりと、亀の歩みが如く静かに肺を満たす。
黒刃を掲げ、肺に空気が満ちた、次の瞬間――
「疾!」
と、一気に空気を鋭く吐き出す。
鋭い風切音が静寂を切った時、一陣の黒雷が地上へと落ちた。
求められるものは、正しく一刀両断。正しい軌道を正確無比に狙い、そして一太刀で断つ破壊力を生む。
これだけを体現するための修練を愚直に重ねる。これこそが、雷志の日課だった。
常に実戦……骨の隙間を断つ手応えはもちろん、実際に耳にした醜悪な遺言の響きまでも。
過去の経験を、あたかも昨日の出来事であるかのように強烈に想像する。
常軌を逸脱した修練ということは、自他共に認めている。
これでは精神のほうがまず、保たない。そう口にする者は少なくはなかった。
(これで、いい……)
呼吸や歩行が当たり前であり、わざわざ意識しないで済む――この行為を、軽々しくしてはならない。
真の死とはなにか――かつて雷志は、こう自問したことがあった。
生命の活動が停止すること――多くがこう口にする。
果たしてそれが、真の答えなのだろうか……。
大多数がそう口を揃えるのだから、おそらくその認識が正しい。
否定する気は雷志も更々なく、だが肝心の答えは少々……否、かなり異なっていた。
真の死とは、忘れ去られることだ。
どれだけ外道でも、記憶から消えてしまえばそれまで。
これほど呆気なくも、末恐ろしい結末はそうそうない。
故に雷志は忘れない――少なくとも己の手で斬った者の名と、言葉はすべて余すことなく記憶している。
それが、せめてもの供養となろう。雷志はそう思った。
百本目の素振りは、なんとも間の抜けた声によって終わりを告げた。
「――、うう~ん……」
未だ心地良い微睡の海を彷徨っているのか。足取りはふらふらと覚束ない。
覚醒し切れていない顔はだらしなく、うっすらと開いた瞼の隙間からは白目がちらりと覗く。
目元を何度も手の甲で拭うが、覚醒する兆しは皆無に近しかった。
「……おはようございますオウカ。ずいぶんと眠そうですね」
声をかける――認識されるまでの時間が、異様に長い。
はたと顔を合わせても、少女からの反応はなかなか起きず。
ようやく口を開いたかと思えば――
「おひゃよ……あふぅ」
と、拙い言葉が返ってくる。これでは赤子と大差ない。
「オウカ……はぁ、まぁいいです。朝早いんですね」
「うにゅう……いつもこの時間に起きるんですぅ」
「早起きなのはいいことですが、それではあまり意味がないですよ……」
こんな調子で大丈夫なのだろうか……一抹の不安が、ふと脳裏によぎった。
(修練をするにしても、オウカに見合った内容に調整しなければな……)
同じ内容をしたからといって、すべてが統一されるわけではない。
個人差というものは、どうしても生じてしまう。
師範代は、純粋な技量だけでなく裁量を図るための慧眼も必要となる。
雷志は、師範代ではあるもののその実、指導は未だ一度もない。
弟子入りを志願する者は少なからずいたが、等しく断っている。
(人に教えられるほど自分は偉くない……そう、思っていたんだがなぁ)
ツキノヨルノオウカがそうであったように、雷志もまたこの展開は予想すらしていなかった。
失敗は許されない。途方もない重圧が、肩に容赦なくのしかかる。
「ふぅ……あ~気持ちよかったぁ!」
しっとりと濡れた水気を、顔を振って落とすツキノヨルノオウカ。
動物的行動が、改めて彼女が人非ざる存在という事実を雷志に実感させた。
「あ、おはようございますトレーナーさん!」
開口一番、元気いっぱいなツキノヨルノオウカに雷志ははて、と小首をひねる。
「すいません。その、“とれえなあ”というのはなんですか?」
間違っても、自分はそのような名前ではない。
知らない単語が、妖怪たちの間では当たり前のように用いられている。
後に意味を調べることが山のようにあり、これにはさしもの雷志も頭を抱えてしまう。
「えっと、トレーナーっていうのは馬鬼を調教したりする人のことです!」
「……つまり、私がオウカを鍛えるからそのように呼んだ、と?」
「はい!」と、屈託のない笑みを返すツキノヨルノオウカ。
雷志は小さく苦笑いを浮かべて――
「オウカ。私をそう呼び必要はありませんよ」
と、やんわりと否定した。
「え? どうしてですか?」
きょとん、と不可思議そうな顔が返される。
言い分ならば、彼女はなにも間違っていない。
馬鬼を鍛える者をそのように差すのならば、雷志もまたそう呼ばれるべきだ。
二人は、あくまでも一時的な関係性にすぎず。
加えて自身の名前ではなく、役職名で呼ばれることが無性に嫌だった。
「私のことは普通に雷志、と呼んでください」
「え~……」
「……なんで不満そうなんですか」
「だってぇ……」
頬をむっとさせるツキノヨルノオウカ。
不満が手に取るようにはっきりとわかるが、肝心の理由がわからない。
不満を抱かれることは、なにもないはずなのだが……。
年頃の娘の心情を察するのは、ある意味立ち合うよりも困難かもしれない。
雷志はいぶかし気に、ツキノヨルノオウカを見やった。
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