天高く、馬鬼娘は風を駆る~冤罪処刑人は異端の少女とレースに挑む~

龍威ユウ

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第二章:初レース

第9話:修練に涙はつきもの

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 テンダンが保有する土地は、意外にも広い。

 かの大草原もそこに含まれているのだから、雷志もこれには痛く驚いた。

 同時に、それならばもっと所有者らしくしてほしいとも、すこぶる本気で思う。

 いずれも修練をする環境として、ここは申し分なし。

 こうもあっさりと手に入ったのは正に、僥倖という他あるまい。

「――、それじゃあオウカ。早速ですが、これより修練を始めます」

「はい! よろしくお願いします!」

 俄然やる気に満ちた返事――それも束の間のこと。

 怪訝な表情を示すツキノヨルノオウカが、おずおずと口火を切る。

「あの、ライシさん?」

「どうかしましたか?」

「その、この格好は……なんですか?」

 彼女の普段着は、黒を主とした着物だった。

 単調なものではない、色鮮やかな桜の刺繍もあり素材も高品質である。

 ただし、裾が極めて短く少しでも動けばいろいろと見えてしまいかねない。

 さしもの雷志も、これには言及せずにはいられなかった。

(これは、テンダンの趣味なのか? それとも、オウカの趣味なのか……?)

 いずれも、修練をするに相応しいとは言い難く。

 結果として雷志は、前借という形で稽古着を購入した。

 無地で地味――修練用なのだから、派手さはまったくもって必要ない。

「かわいくないです」

 不満を漏らすツキノヨルノオウカの頬は、焼き餅のように膨らむ。

「君は修練をなんだと思ってるんですか」

 遊びと勘違いしてはないだろうか……さしもの雷志も、間髪入れず深い溜息を返す。

「とにかく、修練をする間はそれを着用すること。あっちは、本番までとっておいてください」

「は~い……かわいくないなぁ」

 最後までかわいさにこだわる言動は、外見相応らしい。

 この娘の精神はまだまだ成熟し切っていない。

 揺らがぬ事実をしかと噛みしめ、早速雷志は修練に入った。

「まずはオウカ。短距離の“れえす”に参加できるようにあなたを鍛えます」

「え? 短距離ですか?」

 意外だ、とそう言いたそうにする少女に雷志は首肯を返す。

 レースは長さによって人気も、傾向もがらりと大きく変動する。

 花形とされるのが長距離……距離にしておよそ三十三町約3,600m

 迅速な走力と、それを維持するための高い持久力がもっとも求められる。

(これは最終目標だな)

 今のオウカに戦えるだけの実力は皆無に近しい。

 次に人気である中距離……最大にして二十二町約2,400m

 最後に短距離……わずか十一町1,200mと短く、人気はやや低め。

 だが、圧倒的な走力を持つ者のみが唯一脚光を浴びる。

 ツキノヨルノオウカがまず、踏破すべきはここにあった。

「気味の走りは確かに強いですが、だが力強いだけ。今のままだと確実に、他の馬鬼に潰される」

「そう、ですか?」

「悪癖っていうのは自分ではなかなかわからないものですよ――というわけで、今日からこれを履いてください」

「これは……?」

 不可思議そうな顔をするツキノヨルノオウカ。

 はて、と小首をひねる少女に雷志は気にせずそれを手渡した。

「鉄製の一本下駄です。今日から私が良しというまで、それですごしてください」

「わっ! わっ……! こ、これすごく歩きにくいです!」

 一本下駄に早速悪戦苦闘するツキノヨルノオウカ。

 姿勢が保てず、何度も転びそうになる姿が非常に危なっかしい。

 ここで甘やかすつもりも雷志には毛頭なく、例え盛大に転ぼうと手を差し伸べない。

 自力で解決するまで、じっと静観に徹するのみ。

「オウカ、奔っている時の君は姿勢がとにかく悪い。正しい姿勢でないから、余計な体力までも消耗する」

 草原での出会いで雷志は、あまりにももったいないとふつふつと感じていた。

 確かな力があるのに、それを完全に形にできていない。

 これでは宝の持ち腐れ。せっかくの才も無駄にしては無意味である。

 姿勢からの改善……雷志はまず、この課題に重きを置いた。

「うぅ~……歩きにくいし重いですぅ……」

「脚力の強化と正しい姿勢への強制、これを徹底していきます。

さぁ、その状態で体幹を保ちながら走りますよ」

「こ、こんな状態じゃあいつものように走れませんよぉ……」

 泣き言ばかりを述べるツキノヨルノオウカ。

 無理をしなくてもいい……本音はこうで、口走りそうになる己を理性でグッと抑制する。

 レースという戦場に立った瞬間より、子どもだから、という免罪符に効力はない。

「なら、この牧場を手放すということでいいですね?」

「それは、もっとやだ……!」

「なら、泣き言をいう前に身体を少しでも早く、多く動かすことに専念してください」

 時間は有限ではない。ついさっき、借金取りからの催促がきたばかりであれば、尚のこと。

 残された時間は、あまりに短い。次のレースまで、すでに一カ月を切っている。

(どこまでオウカが強くなれるかが、勝負の鍵だな……)

 可能性は、現状だけでいえば五割に辛うじて届かない。

 例えわずかでも、ツキノヨルノオウカを強くする――必ず、是が非でも勝たせる。

 そのためにも雷志は、ここで心を鬼にせねばならなかった。

 甘やかしならば、終わった後にでもいくらでもしてやればよい。

「ほらほら、そんな調子だと日が暮れてしまいますよ」

「ふぬぅ……!」

 体幹保持に難儀するツキノヨルノオウカは、よちよちとながらも着実に一歩を踏み出す。

 焦りは、禁物だ。如何なる戦況においても、冷静さを欠いた者から死していく。

 それが世の理であり、この妖怪の世界でもなんら変わるまい。

「あ……!」

 ぐらりと体幹が崩れたツキノヨルノオウカが、どしんと盛大に転んだ。

「いったぁい……」

 受け身も不十分で、膝小僧にできた擦り傷からじんわりと血が滲む。

 痛々しさとは裏腹に、陽光による輝きは異様に目立つ。

「うぅ……」

 ツキノヨルノオウカの瞳が、涙で潤む。

「その程度で泣いていては始まりませんよ」

 たかが擦り傷だ。痛みを感じるにしても、刀傷と比較すれば大したことはない。

 絶望にも近しい視線が雷志の瞳を射抜く。

 返す雷志の視線は対象的に、猛禽類のように冷たくも鋭い。

 温もりのない瞳に、優しさの欠片は皆無だった。

「立ってくださいオウカ。君は、この程度で立ち止まるほど弱くはないはずです」

「うっ……」

 下唇をきゅっと噛みしめ、ゆっくりとツキノヨルノオウカが立ち上がる。

 それを見届けて、ようやく――小川で濡らした手ぬぐいで彼女の傷をそっと拭った。

 応急処置をするほどでもないが、仮にも少女だ。傷物になってしまうのは、さすがに忍びない。

「大丈夫ですよオウカ」

 顔を見上げた時、涙で目元を腫らすツキノヨルノオウカとはたと目が合った。

 涙こそほろりと流れるものの、彼女の心は折れていない。

 この痛みに耐えながらも、挑もうとする強い意思に雷志もそっと微笑む。

「時間は確かにあまりありません。ですが、君なら絶対にできます」

「ライシさん……」

「さぁ、もう一度。何度失敗しても付き添いますよ」

 少女からの返答はなく、代わりに力強い首肯が返ってきた。

 相変わらずふらふらとしては派手に転ぶ。

 成果らしい成果とはお世辞にも言い難いが、今はそれで構わない。

 千里の道も一歩より……続けることこそ、力となるのだ。
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