佐瀬京志郎の異文譚~甘美なるその夢に鬼は安らぎを見るか~

龍威ユウ

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第二章:現代の神隠し

第8話:憂鬱な朝

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 どくん――自らの鼓動を感じる。どうやら目覚めの時がきたらしい。

 ゆっくりと瞼を開く。霞む視界に眩い陽光が容赦なく差す。

 それによって心地良い微睡の中にあった意識は完全に覚醒を果たした。

 外できれいに鳴る虎落笛に、胸の内がぞわりとした――寝起きは、最悪。

 身体がまるで岩にでもなったような気分。

 四肢に力を込めるもいつもより鈍重で、なかなか次に移ろうとしない。

 いつもと変わらない朝だ。

 ただし、今日はいつもとは少々異なっていた。

「……なんだか身体が妙に気怠いな」

 朝が億劫であるのは、いまに始まったことではない。

 京志郎の朝は、いつも悪夢によって目覚める。

 ごうごうと赤い炎が迫る。

 漆黒の世界は赤く照らされ、どこからともなく怒号にも似た悲鳴が鼓膜をつんざく。

 ただ、今回に限りその悪夢は見なかった。

 代わりに……どんな夢だったのか、いまいち思い出せない。

 夢を鮮明に記憶するのは、極めて稀なケースだ。

 多くの人間はまず、夢を見たということさえも記憶しない。

 それは京志郎とて例外ではなく――だが、なんとなく楽しかった。

 名前をつけることさえも難しく、どう形容すればよいかもわからない。

 ふわふわと曖昧な感覚だけが、妙に胸の内に残っていた。

「……らしくないな」と、京志郎は自嘲気味に笑った。

 夢などという曖昧なものを惜しい、とそう思う自分がいた。

 何の役にも立たないただの概念を何故こうも惜しく思うのか。それがよくわからない。

 悪夢を見なかったのだ。それだけでも僥倖というもの。

 できるならまた、この平穏を味わいたい――京志郎はそんなこと、ふと思った。

 重い体に鞭打って、どうにか朝食の支度をする。

 少しばかり焼きすぎたトーストにブラックコーヒー……いつもの朝食がやけに今日は苦い。

 皮肉にもその苦みが、京志郎に纏う気怠さを緩和させた。



『続いてのニュースです。全国で相次いでいる連続失踪事件。衛都士は更に詳しい調査を――』



 京志郎は基本テレビというものを見ない。

 それでも流すのは、単にBGM代わりとしてだった。報道された内容もいちいち記憶しない。

 “現代の神隠し”――そう大きく表示されたテロップだけは別だった。

「神隠し、か……」と、京志郎はコーヒーを一口すする。

 やはり、いつもより苦い。眉をしかめながら角砂糖を無造作に放り入れた。

 神隠し――ある日、人が忽然と姿を消す怪奇現象。

 古来より神仏や妖怪の仕業と強く信じられた。

 現在はこれらは等しく、科学によって説明がつく。

 神隠しも例外ではない――歴史的に、人攫いによるケースが多かった。

 それがどういうわけか現在、この日本各地で失踪者が多発していた。

「今の衛都士たちはなにをやってるんだ?」

 衛都士は優秀な人材が極めて多い。

 それだけに、未だ深い謎に包まれたままの怪事件に解決の目途が立っていない。

 京志郎はそれがひどく不思議で仕方がなかった。

 彼らが総力を挙げているのはもちろん知っているが、結果は未だなし。

 いよいよ世間の声も厳しくなってきた。

(とはいえ、衛都士はほぼお手上げ状態。目撃情報はおろか、それに繋がりそうな証拠もないときた……)

 これを神隠し……と、総称したくなるのも無理はない。



 不意に、簡素な音色チャイムが静寂を切った。

 時計の針は、まだ午前七時を指してから間もない。

 朝早くに来訪者とは、かなり久しぶりのような気がする。

 しかし、それが誰かまでは確認しないことにはわからない。

「宅配便か……?」

 不思議に思いつつも、京志郎は玄関へ向かう。

 ドアノブの手を伸ばした時――ほんの一瞬。肌がぞくりと粟立つ。

 扉越しからひしひしと伝わる気配は、明らかに一般人ではなかった。

 形容しがたい威圧感だが、そこに敵意などは含まれていない。

 これは、ずいぶんと懐かしいお客様だ――京志郎はふっと口角を緩める。

 ゆっくりと扉を開ける。

 その先にあるのは、黒――黒い壁が視界を覆った。

 あろうことか、壁は前後にかすかに揺れ、呼吸するかのよう。

 この壁は生きている――人間なのだから当然だが。

「――久しぶりだな。佐瀬京志郎さぜきょうしろう

 低く、しわがれた声が鼓膜に響く。

 京志郎はそれを、乾いた笑みで出迎えた。

「えぇ、お久しぶりですね――黒木隊長」

 例えるならば、今目の前にいる男は羆だ。ホッキョクグマでもあながち間違いではないかもしれない。

 2mを優に超える体躯だが、一際目立つのはやはり筋肉量だ。

 分厚い肉の層が自然の鎧となっている――実際、ナマクラでは傷一つつかない。

 特注サイズであるはずのスーツも窮屈そうで、今にもはち切れそうだった。

 威厳に満ちた顔は、平常時でもあたかも怒っているよう。

 普段は家事……特に裁縫を得意とする家庭的な男だが、やはり顔がとにもかくにも怖い。

 強烈な印象も相まって、誤解から敬遠されることをいつも嘆いていた――同情は、一応する。

「それで、俺になんの用ですか?」

 本当にこの男は、いったいなにをしにきたのだろうか……。

 互いに知らない仲ではないが、それは昔の話だ。

 かつての上司と、その部下だった男。退職者にわざわざ会う理由が思いつかない。

 できることならば、このまま早急に帰ってほしかった。

 そう思いつつも、京志郎は扉を閉じることなく応対する。

 黒木の怪力の前では、鍵の価値も一気に路傍の石となる。

 余計な出費を抑えるためにも、京志郎は渋々応対した。

「……相変わらず、汚い部屋だな」

 部屋を見回して早々に口火を切った黒木。

 軽視する彼の言動に京志郎も――

「説教をしにきただけなら今すぐ帰ってくれませんか?」

 と、鋭い眼光を返した。

「そうではない。今日は様子を見にきただけだ」

「もうあなたの直属の部下じゃないんですよ? それなのにわざわざですか?」

「……お前は、まだあの下手人を追っているのか?」

 その口調はどこか呆れたような、それでいて優しい。

 厳つい顔とは裏腹に気遣う優しさに、京志郎は小さく失笑し――

「当たり前でしょう」

 と、間髪入れずにそう返した。

 今の質問は、本気だったのだろうか……。

 この問い掛けには、なんら価値もなければ意味もない。

 黒木は、嘘を吐くのが大の苦手だ。長年の付き合いがあるからこそ、よく知っている。

 嘘ではないからこそ、京志郎はこれを愚行と断じた。

 送る視線は、さながら刃のよう。とても元上司に向けるものではない。

 敵意と捉えかねない態度なのは、京志郎も重々承知している。

 立場はもう同等ですらない。国の守護職と、ただの一般市民――どちらに権力があるかは一目瞭然だ。

 だが、己に敵意ある視線を向けられた黒木は、真逆にひどく穏やかだった。

 責めるでもなく、問うのでもなく。静かに佇んで見守るだけ。

「やはり、まだ続けているのだな……」

「黒木隊長、あの事件……どれだけの死傷者が出たか、忘れたわけではありませんよね?」

「むろんだ。あのような惨劇、忘れられるはずがない」

 過激派による首都炎上計画――火を放ち、混乱に乗じて帝を暗殺する。

 第一課が応対した中で過去最大級を誇るこの事件で、多くの命が犠牲となった。

「仲間も……あいつも殺されました。その時の下手人が今もどこかで生きているかもしれないんですよ?」

 当時、たった一人だけ下手人を取り逃がした。

 その下手人こそ、仲間たちを無惨にも殺した張本人だった。

 屋上に追いつめた末、どうにか致命傷の一太刀を浴びせた。

 とはいえ、最期の結末を京志郎はその目で見届けたわけではなかった。

 地上への落下死――高さは20m以上もある。落ちれば助かる可能性はなきに等しい。

 肝心の死体は、現在も見つかっていない。

(あの男は必ず、どこかで生きているはず。あの程度で、くたばったりするほど軟じゃない!)

 生きているからこそ、必ず見つけて今度こそきっちりと落とし前を付けさせる。

 京志郎は、覚悟の阻害をなによりも嫌った。

 しかし世間はそうではない。あの痛ましい事件は、もう遠い過去にすぎない。

 誰もがそう思うのも、大なり小なり心に傷を負ったのが原因だ。

 都合の悪いものは、誰でも早急に忘れたいと願う。

 忘れられればどれだけ幸福だろう――京志郎は、それに甘んじる気はない。

「黒木隊長。俺は誰がなんと言おうと、諦めるつもりはありません。必ずこの手で殺します」

「京志郎……」

 黒木がなにかを言おうとして、すぐに口を堅く閉ざした。

「……すいません。今日はもう帰ってもらってもいいですか?」

 これ以上の会話は無意味だ。京志郎はそう判断して、黒木を半ば強引に追い出した。

 抵抗はなかった――されればその時は、ここは半壊したかもしれない。

 無抵抗は黒木なりの優しさなのだろう。

 下手人でないことを、今ばかりは心底ほっと安堵した。
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