佐瀬京志郎の異文譚~甘美なるその夢に鬼は安らぎを見るか~

龍威ユウ

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第二章:現代の神隠し

第9話:同じ穴の狢

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 外は相変わらず鉛色の雲に覆われている。

 どんよりとした中、今日もイルミネーションが町を照らす。

 皮肉にも、その明るさは太陽よりもずっと美しくて眩い。

 例えるなら、喉の奥に魚の小骨が引っ掛かったかのよう。

 なかなか取れないそのもどかしさに、京志郎の表情もいつもより少し険しい。

 予期せぬ来訪があったためか――それもあるが、理由としてはいささか弱い。

 心に憤懣ふんまんを抱えて随分となる。

 原因は、知れている。過去の事件による心の傷は途方もない。

 これを癒すには、忌まわしき過去を断つ……それしか方法はないのだ。

(くそ……なんなんだ、この心の落ち着きのなさは)

 京志郎は大きな舌打ちを一つする。

 原因がはっきりとしない。胸の内がぐるぐるとざわつく。

 その感触ははっきりといって、極めて不快だった。

 行く当てもなく、町をふらりとひたすら彷徨う。

 これでわずかにでも、心にかかった靄が晴れてくれるならば……。

 淡い期待を抱いたが、叶う兆しは別段なし。

 むしろ時間の経過に比例して、ますます靄が濃くなっていく……そんな感じが、どうしても否めなかった。

 時間ばかりが流れ、いつの間にか周囲の人気もない。

 ふと、辺りを一瞥して京志郎はハッと息を呑んだ。

 無意識の内に、またあの道に入っていた。

「……改めて見たが、やはり異様な場所だな」

 雪も積もらず、まっすぐと並木道が前に伸びているだけ。

 世界から乖離された雰囲気は、正しく異様だ。

 そこまでわかってながら、否定的でない己がいる。

 足が勝手に前に進む。それを拒む道理も、気持ちも一切京志郎にはなかった。

 そしていつしか胸中に渦巻く苛立ちも、少しずつその鳴りを潜めていく。

 心なしか身体が軽い――思い過ごしだろうが、不快感はない。

 不意に、脳にあの人形の姿がちらりとよぎった。

「……また、見にいってみるか」

 たかが人形だ。それを今一度目にしたいと心がやけに浮ついた。

 らしくない、と京志郎は自嘲気味に鼻で一笑に伏した。

「まさか、再びここにくることになるとはな……」

 ひっそりと建つ【夢幻の遊戯場】を前に、一人もそりと呟く。

 昨日と同様、来客者の姿は一人もなし。

 穏やかでありながら、しかし、しんとした物寂しさが漂う。

「あっ!」と、活気ある声が静寂を切った。

 ぱたぱたと駆け寄る姿が、心に安心感を与える。

 そんな不思議な魅力を持つ女性――マリヤがにこりと笑った。

「いらっしゃい京志郎さん! 今日も来てくださったんですね!」

「おはようございます、マリヤさん。少しだけ立ち寄ろうと思いまして……」

 冷やかしにきた、などと面と向かって言えるはずもなし。

 京志郎の目的は、あくまでも買い物ではなく見物である。

 例のものは、店の奥にある扉の先だ。

 早く見にいきたい――その気持ちばかりが先行し、視線に現れてしまった。

 あからさますぎる視線に、マリヤも察したのだろう。くすりと忍び笑う。

「今日も私の愛娘たちを見に来てくださったんですか?」

「……えぇ。昨日見てから、気になってしまいましてね」

「ふふっ。そう言ってもらえるとうれしいです――展示室は出入り自由なので、いつでもどうぞ」

「ありがとうございます」

 冷やかしであるにも関わらず、人として器の大きさを再度実感した。

 その事実をしかと咀嚼し、京志郎は深くお辞儀をして展示室へと向かった。

 長い廊下を駆け足で渡り、ついに目的地の扉を開放する。

 満天の星が美しい幻想的な空間を目前に、京志郎はほっと息を吐いた。

 自らが特別であるかのような、そんな錯覚が心地良かった。

 そうした優越感も、視界の隅に映ったものに呆気なく終わりを迎えてしまう。

(今日は俺以外の人もきているみたいだな……)

 壮年の男性。身なりはよれよれのスーツと乱れて少し小汚い。

 展示物をじっと眺める彼もまた、マリヤ曰く選ばれた側なのだろう。

 とはいえ、その姿は客というには異様だ。

 繰り返す呼気は獣のごとく荒々しい。目も血走って、乾いた唇からは血色が失われて紫色に近しい。

 見るからに正常ではないが、一心にショーケースの中を凝視していた。

 ぶつぶつともれる言葉はさながら呪詛のようで、それが近寄りがたい雰囲気をかもし出す。

 以前あれば声をかけていただろう。犯罪は、起きる前に潰すに限る。

(もっとも、俺にはもうその権限はないがな……)

 気になる光景ではあるが、己の目的を優先した。

 彼女はこの先にいる。止めた足を動かそうとした――その時。

「あの、失礼します」

 例の男に声をかけられる。

「……俺になにか?」

「……佐瀬、京志郎さんですよね? あの時は助けていただき、ありがとうございました」

 突然、深々と頭を下げる男に京志郎の表情は対照的にとても怪訝だ。

 男の言葉にまったく身に覚えがなかった。誰かと勘違いしている可能性が高い。

 しかし、京志郎を見やる男の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

 纏っていた異様な気配も、すっかり柔らかくなっている。

「失礼ですが、どこかでお会いしたことが?」

 身に覚えがまるでない京志郎ははて、と小首をひねる他なかった。

「憶えていないのも、無理はないと思います」

 男は柔らかな物腰で、忘れていることに対し咎める様子はない。

「以前暴漢に襲われていたところを助けてくださったんですよ」

「なるほど」と、京志郎は短く返した。

 暴漢による事件は、テロ対策よりも遥かに件数が多い。

 いちいち数えていたらきりがなく、印象に残るものもほとんどない。

 この男も、自分が担当したいずれかの事件の被害者なのだろう。

「とにかく、あなたのおかげで今こうして命があります」

「それについては、お気になさらず。当然のことをしたまでですので」

「……ところで京志郎さん。あなたもまさかこの店を利用しているとは驚きましたよ」

 途端に、男の血走った目がぎらぎらと輝き出した。

 生命力にあふれ、だがどこか禍々しくもある。

 有無を言わせない威圧感に、京志郎もいぶかし気な視線を返した。

「たまたまですよ。常連ではないのであしからず」

「そうなんですか? いや、私はてっきりそうかと……」

 途端に、男ががくりと大袈裟に肩を竦めた。

 同類と思われたのだろうか……。とんでもない勘違いに、京志郎も思わず苦笑いを浮かべる。

「それなら京志郎さんはどうしてここに?」

「……ここにある作品を見にきただけですよ」

「あぁ、そうでしたか。ここにある作品は確かにどれも素晴らしい。それで? どの娘ですか?」

 まだ続くのか――京志郎は内心で男に鬱陶しさを覚えつつあった。

 目的はあくまでも件の作品だ。同じ客とこうして雑談を交えることではない。

 こうしている時間が惜しい。一刻も早く打ち切りたい、それが京志郎の本心だった。

 それでも男は尚も、話しかけて引き留めるのをやめようとしない。

「時に、京志郎さん」と、男がそっと口火を切った。

「京志郎さんはここにいる娘たちを見て、どう思いましたか?」

「どう、というのは? よくできた人形とは思いますが……」

「本当にそれだけでしょうか?」

 意味深な言葉に眉をしかめる。言っている意味がわからない。

「……少し身の内の話をしますとね、去年私は多くのものを失いました」

 ぽつり、と口にした男の言葉は先程までの活気はどこへ消えたのか。

 今にも呆気なく消え入りそうなほどに、とても弱々しい。

 血走った瞳も泥のようにどろりとして、黒く濁り禍々しさすらあった。

「それは、なんといいますか……お気の毒に」

「でもね、京志郎さん!」

 突然の大声が展示室に反響する。

 どんよりとした男の瞳はかっと見開かれていた。

 輝きが幾分が戻るが、依然としてどす黒いままだ。

 興奮状態にあるのは明確であり、その異常性に京志郎の表情も険しさが帯びる。

「私はここにきて……リリーちゃんと出会って心が救われたんです! 絶望の内にいたこの私が!」

「落ち着いてください! いったいなんの話を……」

「あなただってそうじゃあないんですか!?」

「え?」と、京志郎はいぶかし気な視線を返した。

「あなただって、癒されたくてここに導かれた! 安らぎがほしくてここにきた……違いますか!?」

 男の言葉の意味がわからない。

 彼は、精神に異常をきたしている。早急に適切な処置を受けるべきだ。

 傍からすれば誰もがそう思うであろう。京志郎とてそれは例外ではない。

 一蹴できない自分にひどく驚いた。

 言い分は支離滅裂であるのに、何故か他人事のように聞こえない。

 心の奥底を鈍器でがつんと、鋭く殴られたような感覚さえ錯覚してしまう。

「京志郎さん」

 男が笑う。にしゃりと歪んだ笑みに明るさは皆無だ。

「あなたも、受け入れたほうがいいですよ。そうすれば永遠に安らげるのですから……」

 終始、意味深な言葉を残して男の意識はようやく作品へと向いた。

 リリー……それが彼女の名前なのだろう。無機質な青い瞳に、男の歪んだ笑みがありありと映る。

 その瞳がわずかに動いた――ような気がした。

「なんだったんだ……」

 男はすっかり作品に夢中で、これ以上の対談は望めそうにない。

 やっと解放された京志郎は、眉をしかめながらもすぐに目的を思い出す。

「……安らぎと癒しがほしくて、か」

 先の男の言葉をふと思い出す。

 安らぎは、人であれば誰しもが求める願望だ。

 辛いことよりも楽なほうが断然よいに決まっている。

 しかし京志郎は自らの意志で、その安らぎを遠ざけた。

 心満たすは消えることのない、憎悪と使命の炎。

 燻ることなく、轟々と激しく胸の内を焦がさん勢いで燃えている。

 真の安らぎを得る時は、炎が跡形もなく消失した時のみだ。

「俺は、必ずこの手ですべてを終わらせてやるつもりだ」

 決意を新たに、ついに作品の前に着いた。

「……また、来てしまったな」

 誰に言うわけでもなく、だが気付けばそう口にしていた。

 ショーケースの中で人形エルトルージェがジッとこちらを見つめている。

「……ハッ」

 赤い瞳に映る己に、京志郎は驚き、そしてすぐに笑った。

「今の俺は、こんな顔をしているのか……」

 たかだか人形を目にしただけだというのに、そこに映る男の笑みは気持ちが悪いほどだらしない。

(周りに知り合いがいなくてよかった……)

 京志郎はすこぶる本気でそう思った。

 ショーケースをしばし見つめてから、何気なく冊子を見やる。

 昨日は真っ白だったページに、今日は文字がずらりと羅列している。

「最新話が更新されたみたいだな」

 すでに自分が、彼女の作品の一読者であると自覚する。

 否定はしない。事実、最新話を読むことに胸の内が陽気にざわついた。

 それ故に、せっかくなのだから世に出せばよいのにとも思う。

 ここで終わってしまうのは、あまりにももったいない気がした。

 後で軽く進言してみるのも一興だろう――京志郎は早速、新たな物語に視線を這わせた。
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