佐瀬京志郎の異文譚~甘美なるその夢に鬼は安らぎを見るか~

龍威ユウ

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第四章:夢現の狭間にて君がために踊る

第30話:それは優しい物語だった

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 妙に焦げ臭い。

 鼻腔をつく異臭によって京志郎は目覚めた。

「ここは……」

 見るも無残な光景がありありと映る。

 かつては清潔感と神聖さがあった白い内観も、黒く焦げて影も形もない。

 柱などの破損状況も壊滅的で、今にも倒壊しそうだった。

「ここは、本当にエルトルージェの城なのか……」

 見覚えのあるものがちらほらとあった。

 それがれっきとした証拠である以上、疑う余地はない。

 ここは間違いなく、エルトルージェの城だ――京志郎はそう確信した。

「……そうか。確かあの時、俺が殿を務めるっていって、それで――」

 夢での記憶が少しずつ、しかし鮮明に蘇っていく。

 アリアの手引きによって、辺りは火の海と化した。

 あれは、狂炎者という記憶を呼び覚ますための引き金だったのだろう。

 強引なやり方なのは否めないが、それがあったからこそ今がある。

「……少しぐらいは感謝しておいてやるか」

 きっとこれが最初で最後になるだろうが――京志郎はくつくつと笑った。

 京志郎は城内を散策した。

 エルトルージェは、果たして無事に逃げ切れたのだろうか……。

 そのことだけが不安となって、京志郎の表情も固い。

「くそっ……城内にいないぞ」

 エルトルージェの姿はどこにもなかった。

 相当な規模があるとはいえ、今や城はハリボテに近しい。

 散策は以前よりも遥かにしやすくなったにも関わらず。

 たった一人の吸血姫だけが見つけられない。焦りが京志郎の胸中に芽生える。

「あいつ、どこにいったんだ……?」

 まさか――じくりとうなじが疼く。最悪の結末が、ふと脳裏によぎった。

 それは、例え夢であろうと京志郎は断じて認めなかった。

 これまでのことがまやかしだった。だからといって、結末が不幸であっていいはずがない。

 どうせ目にするならば、不幸以外の展開がいいに決まっている。

 その時、京志郎はハッとした。一つだけ思い当たる場所があった。

 もちろん、そこにエルトルージェがいるという保証はない。

「行くだけいってみるか」

 京志郎はすぐに城を後にした。

 鬱蒼とした森を進んでいる時、黒い霧が周囲に立ち込める。

「プラージェか……」

 人の形をした未知の怪物。

 それを前にしていながら京志郎は、痛く落ち着いている。

 愛刀は腰に納まったままで、抜く気配さえもない。

 そもそも、最初から抜く必要性などなかった――それを知ったのは、つい最近だが。

 プラージェは人の形を成しただけで、なにもしてこない。

 ただジッと、その場で京志郎を見つめているのみ。

「心配するな。俺の答えはもう出ている――お前らとやり合うことはもうない」

 迷いはない。京志郎は深く首肯した。

 彼らもその意図を汲んだのだろう。元の霧となって、すっと消えた。

「……さて」と、京志郎は再び歩を進めた。

 日もすっかり暮れて、夜が訪れる。

 夜空にぽっかりと白い満月が浮かんだ。

 ほのかにも優しい月光に導かれて、京志郎は更に奥へと進む。

 微かに、玲瓏な声が耳に届いた。

 聞き間違えるはずがなかった――エルトルージェはやはり、あの場所にいる。

 可能性が確信へと変わった時、胸の内がじんわりと温かくなるのを感じる。

 彼女との再会を心待ちにする自分を、京志郎は否定しない。

 一刻でも早く逢いたい。その気持ちに嘘偽りは微塵もなかった。

 自然と足も速くなり、いつの間にか全力で森を疾走していた。

「はぁ……はぁ……もうすぐだ、エルトルージェ!」

 ついに森を抜け――広大な湖を前に、京志郎の顔もほころんだ。

「レーヴ ニ・ウーム ア ニコリュージャ フェリティーヒ ア・モーラ……」

 最初の出会いが、ふと脳裏によぎる。

(あの時はまだ出会ったばかりで、会話すらできなかったな……) 

 懐古の情に浸っていると――

「キョウシロウ……さん?」

 と、エルトルージェとはたと目が合った。

 次の瞬間――。

「キョウシロウさん!」

 小柄な体躯でありながら、その勢いは大砲のごとく。

 勢いよく駆け寄る吸血姫に、京志郎はすぐに身構えた。

 全身に凄まじい衝撃が加わる――エルトルージェが飛びついてきた。

「ぐっ……!」

 事前に身構えたことにより、どうにか受け止める。

 これが突然だったならば、遥か彼方まで弾け飛んでいてもおかしくはない。

 ひしっと蝉のようにしっかりと身体にしがみつくエルトルージェ。

 すらりと細い両腕には、万力よろしく凄まじい力がこめられる。

 悪意はなく、善意なのは京志郎も重々承知済みだ――だが、骨が軋む都度に顔から血の気が引いた。

「よかった……もう会えないかと思った!」

「し、心配かけて悪かったなエルトルージェ。俺なら大丈夫だ」

「……よかった」と、エルトルージェがぱっと顔を上げた。

 せっかくのきれいな顔も、涙でぐしゃぐしゃに汚れてしまっている。

 それでも笑みを浮かべようとする姿勢が、京志郎の胸を締め付ける。

 無事に再会を果たした。それはとても喜ばしい。素直に認める。

 だが――これより待つは、ハッピーエンドなどではない。

「ところで、エルトルージェは怪我とかはしていないか?」

「うん、わたくしなら大丈夫。だけど……」

 そういえば――周囲を見やり、すぐに気付く。

 アルバトロスの姿がどこにもない。

 京志郎はあえてそのことについて言及しなかった。

 彼になにがあったかは、エルトルージェの言動を見やれば察するのは容易い。

 つまりは、そういうことなのだろう。

「……そうか」と、京志郎はエルトルージェの頭を撫でた。

 できる限り優しく、彼女の悲しみが少しでも安らげるように。

 だからこそ、心が苦しい。京志郎はそっと目を伏せた。

「……エルトルージェ。これからどうする?」

「……わからない」

 そう力なく首を横に振るエルトルージェにいつもの活気はない。

 だがすぐに顔を見上げた。不安を宿しながらも羨望の眼差しが瞳の奥へと侵入する。

「だけど、わたくしにはキョウシロウさんがいるもん。だから、平気……」

「エルトルージェ……」

「キョウシロウさん。これからもずっと、わたくしの傍にいてくれるよね?」

 下手に着飾らない言葉が実にエルトルージェらしい。

 単純明快で、それ故に発する言葉の重みが違う。

 もちろんだ――思わず、そう口走りそうになる自分がいた。

(そうじゃないだろう、俺……)

 伝えるべき言葉はもう決まっている。

 後はそれを告げるだけでいい――たったそれだけのことが、なかなかできずにいた。

 心がまだ、迷っている。

 彼女のこの世界でたった一人きりにする罪悪感が。

 これまで共に過ごした平穏の日々が、京志郎を葛藤させる。

「あぁ、クソ……」

 悪態を吐いてしまう。

 こんなにも情けない男だったのか。京志郎は自らを叱責した。

「キョウシロウさん……?」

 エルトルージェの顔にも不安の色が滲む。

 涙で潤ませながらも赤い瞳は、京志郎の瞳をジッと見つめた。

 そこに圧はない。あるのは悲願……どうか想いに応えてほしい、と。そんな純粋無垢な少女の願いだった。

「エルトルージェ……」

 京志郎は拳を握り締め――そのまま思いっきり、己の頬を殴った。

 鋭く肉を弾く乾いた音が夜の静寂を切る。

「キョ、キョウシロウさん!?」

 突然の自傷行為に、目前の吸血姫もぎょっと目を大きく丸くする。

「ぐ……ちょっと力みすぎたか」

 痛い――頬にじんわりと熱が帯び、口腔内に鉄の味が浸透する。

 それが京志郎に覚悟を生んだ。もう、迷いはない。

 京志郎はまっすぐ、エルトルージェの瞳を見つめた。

「エルトルージェ。俺にとってお前との時間は掛け替えのないものだった」

「キョウシロウさん……!」

「だが……すまない。俺はお前といっしょにはいられない」

「……え?」

 ぱっと浮かんだ明るい笑みが、瞬時に曇った。

 絶望……この世の終焉を垣間見たような顔を、京志郎はとてもよく知っている。

 胸の内を食い破らん勢いで罪悪感が一気にあふれる。

 だが、撤回するつもりはない。例え結果的に傷付こうとも、訣別はせねばならない。

 京志郎は下唇を強く噛んだ。出血するが、京志郎にはむしろ都合がいい。

 そうでもしなければ、せっかくの覚悟が揺らいでしまいそうだった。

「ど、どうして……」

 絞り出すその声は蚊の鳴くようにひどくか細い。

 ぎこちない笑みは、目の前の現実を必死に否定しようとしている。

 京志郎はそれを、首を横に振って応えた。

「どうして……!?」

 とうとう吸血姫の感情が爆発した。

 決壊したダムのように、言葉という膨大な水量が一気に押し寄せる。

「どうして!? どうしてわたくしといっしょにいてくれないの!?」

「……すまない」

「謝らないで! 謝るぐらいならわたくしといっしょにいてよ!」

「それは、できない」

「なんで……なんでなんでなんでなんで!? なんでよぉ……」

 ぼろぼろと泣き崩れるエルトルージェ。

 京志郎は、そんな震える身体をそっと抱きしめた。

 これが慰めになるなどとは思わない。

 こうすることで少しでも彼女の孤独を和らげられるなら……。

 自分にとってなんて都合のいい介錯だ。自己満足以外のなにものでもない。

 自らを嘲笑し、京志郎は口火を切る。

「俺には、まだ成すべきことがある。それを思い出したんだよ」

「そんなの、知らない……わたくしには、関係ないもん……!」

「あぁそうだ。お前には一切関係ない――だがな、そうもいかないんだよ」

 突然、視界がぐらりと揺れた。

 意識が急速に朦朧とする中で、京志郎は冷静に思考する。

 これは、現実へと戻るための予兆なのだろう。

 死の感覚、というよりは夢からの目覚めに近い。

 恐怖はなく、あるのは心地良さと名残惜しさの二つのみ。

 悪くはない、同時にもったいなさすぎるぐらいだ。京志郎は優しく口角を緩めた。

 このまま身を委ねてしまってもよかったが、まだ言いたいことがある。

 霞む視界の中でエルトルージェの姿はもうほとんど映っていない。

 抱きしめたはずの感覚も、果たして腕の中にいるのかさえもわからない。

 それでも京志郎は、最後の言葉をつづった。

「縁があれば、またどこかで……違う形で会うこともあるだろう――多分な」

 意識が完全に途切れた――その直前。

 首筋の辺りにちくり、とかすかな痛みが走ったような感覚を京志郎は憶えた。
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