無能扱いの聖職者は聖女代理に選ばれました

芳一

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【36】小さな呟き

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差し込む朝日の眩しさに僅かに眉根を寄せてから、グリファートは睫毛を震わせ目を開けた。
「…?」
心地よい温もりと少しの寝苦しさと。果たして普段からこんな目覚めだったろうか、と寝ぼけ眼で数度瞬きを繰り返し────…

「うわっ!」

ぼやけた視界から徐々に輪郭を持ったそれにグリファートは驚きの声を上げた。
窓から注がれる陽光に当てられながら、呑気にも寝息を立てている男───レオンハルトの寝顔がすぐそこにあったのだ。
目の前の光景に反射的に飛び起きかけるも、レオンハルトの腕が重石のように上に乗っているせいであえなくベッドに逆戻りしてしまう。
少し大きめに作られているとは言え一人用のベッドであるし、まさかすぐ隣でレオンハルトが寝ているだなんて思わなかった。しかもこんなグリファートを腕の中に抱き込むような形で、だ。
グリファートは一人驚愕に口を開け閉めしていたが、やがて諦めたように現実を受け入れて小さく息を吐いく。

「び、びっくりした……」
「起きて一番にその反応はないだろ」
「うわあ!!」

今度は悲鳴にも近い声だった。
陽光の煌めきからかいつもより艶よく見える前髪の隙間から、レオンハルトの深い水底色の瞳が覗く。その視線と距離の近さにグリファートは何とも言えぬ恥ずかしさを覚えた。
せっかく落ち着きかけていた心臓も大きく跳ねる。

身体を繋げた夜は数度あったが、朝に自分以外の人間の温もりを感じながら目覚めるのは初めてだ。
レオンハルトとの行為は前後不覚になるほどに気持ちが良く、その後は大抵グリファートの方が先に根を上げる、もとい意識を失ってしまう。
汗やら放たれた白濁やらでべたついていた筈の身体は、しかし朝になるとすっきりと清潔になっていたので毎度レオンハルトが身綺麗にしてくれていた事は分かっていた。
そうして羞恥心と自己嫌悪が混ざった感情に胃もたれを起こしながらグリファートは一人で目覚めるのである。
今日もそうであると思っていたのに。

「何で君が一緒に寝てるんだよ…」
「情を交わしたんだから、そういうものだろ」
「……君、昨日から何か変なものでも食べた?」

恥ずかしさを誤魔化すようにつっけどんに言えば、グリファートの内心を見透かしたようにレオンハルトが笑う。
「生憎と好物の男しか口にしてないな」
「…っ、君さあ!」
上機嫌な笑みを浮かべるレオンハルトとは対照的にグリファートの心は荒れた。
先ほどから明らかにグリファートの反応を愉しんでいる。
昨夜からやたらと『情』と言い聞かせてくるのも、より意識させたいからなのか悪戯に翻弄したいだけなのか。
違う意味で出会った頃よりもグリファートを詰めてきている気がするのだが、言ったところでまた反撃を喰らいそうなので唸るだけにして口は噤んだ。

「それで、調子はどうだ」

グリファートを揶揄うのもそこそこにレオンハルトが問いかけてくる。
身体には情事後特有の感覚が残っているが、魔力を増強したからか調子はこれまでと比べ頗る良い。
「………お陰様で」
その返事にレオンハルトは「そうか」とだけ答えると、グリファートの髪を一房掬い上げ弄るように指に絡めた。
魔力の巡りは身体の不調だけでなく肌や髪の張り艶にも影響が出る。普段の草臥れた雰囲気など何処へやら、燻んだ色合いであるグリファートの灰髪は今は銀翼の如く輝き、肌もその年齢の男とは思えないほどの瑞々しさをもっていた。
見た目からして調子が良い事はレオンハルトにもわかったのだろう。
グリファートが起き上がる意思を見せるようにレオンハルトの腕に手をかければ、存外簡単に退かす事ができた。そのまま緩慢な動きでベッドから起き上がる。
ふと、未だ横になったままのレオンハルトと視線が絡んだ。
「………なに?」
「いや?」
「…何もないなら」
見る必要なんて。そうグリファートは言いかけたが、不意に笑みを溢したレオンハルトのせいで言葉を続ける事は叶わなかった。

レオンハルトの視界に映るその姿がどれほど美しく魅惑的だったかなどついぞ気付く事もなく、当のグリファートは注がれる視線に頬を赤らめて目を逸らしたのだった。







身支度を済ませ、食堂代わりに使っている部屋へとレオンハルトと共に二人で向かえば、ロビンが三人分の朝食を机の上に運んでいるところだった。
肌や髪の色艶が良くなったグリファートの姿にロビンもすぐに気が付いたようで、「聖女さま綺麗…」と頬を赤くして小さく呟く。
「……ん?」
聖女も綺麗も自分に向けられるような言葉ではないな、と一瞬苦笑いをしたグリファートだったが、すぐに違和感を覚えてロビンを見つめ返す。
いつもより大人しい声色に薄らと熱ったような頬、閉じかけた瞼にふらつく足取り───…これは。

「ロビン、ちょっと触るね」

一言告げて柔らかい髪先を退けるように掌を額に押し付ければ、そこからじわりと熱が伝わってくる。
「どうした」
レオンハルトが声をかけるのと、グリファートが薄く眉を寄せたのはほぼ同時だった。
グリファートはロビンを抱え上げると傍らにいたレオンハルトに向き直る。
「…熱があるみたいだ。レオンハルト、毛布の用意を頼む」
「わかった」
「それから、ジョフも呼んで来て欲しい」
返事をしながら駆け出したレオンハルトに背を向けて、グリファートも足速にロビンの部屋へと移動した。
小さな身体を優しくベッドに寝かせれば、ロビンがとろんとした瞳で「聖女さま…?」と不思議そうにこちらを見てくる。
何故運ばれたのかはわかっていないようだが、意識はしっかりとここにあるようだ。
「ロビン、いつから調子が悪かった?」
「朝、起きたらふわふわした…」
「痛いところとか、辛いところは?」
「…?さむい……」
咳や鼻水といった症状が出ている様子はないが、体温は徐々に上がってきているように思う。
ロビンの話から察するに朝起きてすぐは微熱程度だったのではなかろうか。だがそのせいで体調を崩している自覚が薄く、ロビンもいつも通り朝食の準備に取り掛かってしまったのだろう。
もしもロビンの様子に気付かず朝食を済ませ、レオンハルトと共に鉱山の浄化に赴いていたらどうなっていた事か。モランやジョフ、他にもオルフィスの住人が近場にいるとは言え、万が一という事もある。
高熱で倒れてしまう前に気付けたのは幸いだったというべきか。

「ロビン」

グリファートはロビンの額に手を添えると目を瞑り魔力を集中させた。
指先が途端震えたように思えて、相変わらず怖がっている自分にグリファートは自嘲しそうになる。
学舎周りは浄化したために瘴気を取り込むことができない。浄化の恵みには頼れない、村にいた『あの頃』と同じ状況だ。

(オルフィスを浄化した後の未来を、ちゃんと覚悟していただろうに)

近い未来ではなく、今になっただけ。だと言うのに、いざ直面すると人というのは動揺してしまうらしい。
レオンハルトにジョフを呼んでくるよう頼んだのも、グリファートが施す治癒だけではロビンの熱を完全に下げるまでに何日かかるかわかったものではなかったからだ。
レオンハルトに魔力を増強して貰ったとは言え、結局のところ浄化の恩恵がなければグリファート自身は無力である。
(……せめて、これ以上熱が上がらないように)
震える指先を叱咤するように一度大きく息を吐いてから、グリファートは再び掌に魔力を集中させ放出した。
グリファートがこうして魔力を放出し続けていれば少なくとも悪化する事はない。他の聖職者のようにすぐに癒してやる事ができないだけで、少しずつでも治癒は施されているのだから。

「……ぁ、さ…」

ふいに、ロビンが何か小さく呟きながらグリファートの裾を引いた。
「…ロビン?」
「………」
はくはくと口を動かしつつも熱で意識が薄くなり始めているのか、ロビンはゆっくりとした瞬きを静かに繰り返している。
先ほど寒いと口にしていたし、もうこのまま寝かせた方が良いかもしれない。グリファートがそう思い、ロビンの手を暖かいベッドの中へと戻そうとした時だった。


「ぉ、かあ…さん」

小さく吐かれたその言葉にグリファートの動きは止まった。
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