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第五章 NYAH NYAH NYAH
第六十五話 捜索と物音
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俺と四匹の猫たちは、中の様子を慎重に窺ってから、廃病院の中に侵入した。
閉院してから二十年以上経過しているだけあって、建物の中は荒れ放題だった。
元々は白く清潔だったはずの壁のあちこちには、スプレーで殴り書きされた卑猥な言葉や、妙に上手いイラストなどが所狭しと描き込まれていて、営業当時からすっかり変わり果てている。
リノリウムの床の上には、割れたガラスの破片やコンクリートの破片や書類 (中には患者のカルテらしきものまであった)が至る所に散乱していて、俺たちの行く手を阻んでいた。
俺は、スマホのライトをオンにして足下を照らしつつ、慎重に足を運ぶ。
万が一にでも、散乱しているガラス片や瓦礫を踏んで音を立てる訳にはいかない。立ててしまった音が、かなみさんを捕えた連中の耳に届いてしまったら大変だ……。
「……おい、遅いぞ。もっと急がんかい」
そんな俺に、苛立ちに満ちた叱咤が飛んだ。
思わずムッとした俺は、自分の少し先を歩いているハジさんに、抑えた声で言い返す。
「そ……そんな事言われても、こっちは目一杯急いでるつもりなんすけど! こんなに真っ暗な中で、落ちてるモンを踏んで音を立てないように気を付けて歩いてるんだから、スピードが遅くなるのはしょうがないでしょうが!」
「やれやれ……」
俺の反論を聞いたハジさんは、呆れたと言わんばかりに溜息を吐いた。
「これしきの足場の悪さくらいで、そんニャ弱音をほざくとは……。この程度、音を立てずに歩くくらい造作もニャい事じゃろうが」
「そ、そりゃ……アンタら猫にとってはそうかもしれないっすけど……!」
ハジさんの小言に、俺は思わずムッとする。
俺にそう言い放つだけあって、ハジさんたちの足取りは軽く、静かで、速かった。さすがは猫と言ったところか……。
もしかして……俺って足手纏い?
……いや、今はそんな泣き言言ってる場合じゃないな。
「ハジさん……かなみさんの居所、分かる?」
「ん? そうじゃニャ……」
俺の問いかけに頷いたハジさんは、首を巡らしながら耳をピクピクと動かす。
そして、やにわに目を鋭くさせた。
「……まだ遠いが、男の声が聞こえる……三人……いや、四人か」
「そ、それが……!」
「うむ……十中八九、かなみを攫ったクソ野郎どもだろうニャ。おミャえさんの言った通り、あのキノコ頭ひとりじゃニャかったようじゃニョ」
「……!」
ハジさんの言葉を聞いて、俺は自分の心臓の鼓動が早まるのを感じた。
「や、やっぱり……元カレひとりじゃないんですね……。にしても……合計で四人もか……」
「……どうした? 今更怖気づいたんか?」
「そ……そんな事無いっすよ!」
声が微かに震えるのを耳聡く聞きつけたハジさんの問いかけに、俺は慌てて首を横に振る。
「こ、ここまで来てビビってなんかいられませんよ!」
そう強がってみせた俺だが、その言葉とは裏腹に、身体が小刻みに震えているのが分かった。
うう……ダサいなぁ、俺……。
「……まあ、ニャにかと闘争やら抗争やらしとったワシならいざ知らず、軟弱な今時の若いモン代表みたいなおミャえさんじゃ、ビビっちまうのもしょうがニャいじゃろうニャあ」
「いや……闘争やら抗争って……どんな反省過ごしてきたんすか、アンタ……」
「まあ、そのうち話してやるニャ。このワシの華々しい武勇伝の数々をニャ。ニャッハッハッ!」
「絶対ロクでもない話っぽい……」
高笑いするハジさんにドン引きする俺。
と、その時、
「――にゃあ~」
俺たちの一番先に立って進んでいた十兵衛が、高い声で鳴く。
それを聞いた瞬間、他の二匹も緊張したかのようにピンと尻尾を立てた。
ハジさんも目を鋭くさせ、微かな音を聞き分けようとするかのように、耳を小刻みに動かす。
「……ど、どうしたんですか? また何か聴こえたんですか?」
ひとり蚊帳の外状態の俺は、ただならぬ四匹の反応に不安を覚えながらハジさんに尋ねた。
それに対し、ハジさんは難しい顔をしながら答える。
「うニュ……十兵衛の奴が、かなみの声を聞いたらしい」
「か……かなみさんの声がっ?」
それを聞いた俺は、思わず声を上ずらせた。
「ど、どこにいるんですかっ? は、早く行きましょうっ!」
「そう逸るでニャい! 今、十兵衛に訊くから待っとれ」
興奮する俺を窘めたハジさんは、足下の瓦礫を器用に避けながら、先行する十兵衛の元に近付く。
そして、猫語で数語やり取りをした後、おもむろに前脚を上げて天井を指した。
「十兵衛が言うには、すぐ上――二階かららしい」
「二階……!」
ハジさんの言葉を聞いた俺は、思わず息を呑んで天井を見上げ、さっき床に落ちているのを拾った病院のパンフレットを広げる。
パンフレットは、長い間風雨に晒されていたせいでボロボロだったが、中身は何とか読む事が出来た。
俺はパンフレットにスマホの光を当てながら、見開きで印刷されている『病院見取り図』に目を凝らす。
「ええっと……この病院の二階は……一般病室みたいですね」
「病室……」
俺の呟きを反芻したハジさんは、急に「いかんっ!」と声を上げた。
一瞬遅れて、俺も彼と同じ結論に達し、思わず「あっ!」と叫ぶ。
「それは……マズい……!」
おぞましい想像が頭の中に浮かんでしまい、顔面から血の気が引くのを感じる俺。
ハジさんも、これまでになく焦った様子を見せながら、くるりと踵を返した。
「こうしちゃおれん! おミャえら、先を急ぐぞ!」
「ミャッ!」
「にゃう!」
「シャアっ!」
駆け出したハジさんの後に続いて、ハジ軍団の三匹も一斉にその後を追う。
颯爽と駆け去る彼らに対して、一瞬躊躇して出遅れた俺だったが……、
「あ! ちょ、ちょっと……待って下さいよッ!」
すぐに覚悟を固め、慌てて猫たちの後に続いた。
……といっても、衝撃と音を防ぐ肉球を持たない人間の俺が彼らのように駆けたら、盛大に足音を響き渡らせる事になる……。
だから、なるべく足音を立てないよう、慎重にすり足で……。
うぅ……何だか、俺だけしまらないなぁ……。
閉院してから二十年以上経過しているだけあって、建物の中は荒れ放題だった。
元々は白く清潔だったはずの壁のあちこちには、スプレーで殴り書きされた卑猥な言葉や、妙に上手いイラストなどが所狭しと描き込まれていて、営業当時からすっかり変わり果てている。
リノリウムの床の上には、割れたガラスの破片やコンクリートの破片や書類 (中には患者のカルテらしきものまであった)が至る所に散乱していて、俺たちの行く手を阻んでいた。
俺は、スマホのライトをオンにして足下を照らしつつ、慎重に足を運ぶ。
万が一にでも、散乱しているガラス片や瓦礫を踏んで音を立てる訳にはいかない。立ててしまった音が、かなみさんを捕えた連中の耳に届いてしまったら大変だ……。
「……おい、遅いぞ。もっと急がんかい」
そんな俺に、苛立ちに満ちた叱咤が飛んだ。
思わずムッとした俺は、自分の少し先を歩いているハジさんに、抑えた声で言い返す。
「そ……そんな事言われても、こっちは目一杯急いでるつもりなんすけど! こんなに真っ暗な中で、落ちてるモンを踏んで音を立てないように気を付けて歩いてるんだから、スピードが遅くなるのはしょうがないでしょうが!」
「やれやれ……」
俺の反論を聞いたハジさんは、呆れたと言わんばかりに溜息を吐いた。
「これしきの足場の悪さくらいで、そんニャ弱音をほざくとは……。この程度、音を立てずに歩くくらい造作もニャい事じゃろうが」
「そ、そりゃ……アンタら猫にとってはそうかもしれないっすけど……!」
ハジさんの小言に、俺は思わずムッとする。
俺にそう言い放つだけあって、ハジさんたちの足取りは軽く、静かで、速かった。さすがは猫と言ったところか……。
もしかして……俺って足手纏い?
……いや、今はそんな泣き言言ってる場合じゃないな。
「ハジさん……かなみさんの居所、分かる?」
「ん? そうじゃニャ……」
俺の問いかけに頷いたハジさんは、首を巡らしながら耳をピクピクと動かす。
そして、やにわに目を鋭くさせた。
「……まだ遠いが、男の声が聞こえる……三人……いや、四人か」
「そ、それが……!」
「うむ……十中八九、かなみを攫ったクソ野郎どもだろうニャ。おミャえさんの言った通り、あのキノコ頭ひとりじゃニャかったようじゃニョ」
「……!」
ハジさんの言葉を聞いて、俺は自分の心臓の鼓動が早まるのを感じた。
「や、やっぱり……元カレひとりじゃないんですね……。にしても……合計で四人もか……」
「……どうした? 今更怖気づいたんか?」
「そ……そんな事無いっすよ!」
声が微かに震えるのを耳聡く聞きつけたハジさんの問いかけに、俺は慌てて首を横に振る。
「こ、ここまで来てビビってなんかいられませんよ!」
そう強がってみせた俺だが、その言葉とは裏腹に、身体が小刻みに震えているのが分かった。
うう……ダサいなぁ、俺……。
「……まあ、ニャにかと闘争やら抗争やらしとったワシならいざ知らず、軟弱な今時の若いモン代表みたいなおミャえさんじゃ、ビビっちまうのもしょうがニャいじゃろうニャあ」
「いや……闘争やら抗争って……どんな反省過ごしてきたんすか、アンタ……」
「まあ、そのうち話してやるニャ。このワシの華々しい武勇伝の数々をニャ。ニャッハッハッ!」
「絶対ロクでもない話っぽい……」
高笑いするハジさんにドン引きする俺。
と、その時、
「――にゃあ~」
俺たちの一番先に立って進んでいた十兵衛が、高い声で鳴く。
それを聞いた瞬間、他の二匹も緊張したかのようにピンと尻尾を立てた。
ハジさんも目を鋭くさせ、微かな音を聞き分けようとするかのように、耳を小刻みに動かす。
「……ど、どうしたんですか? また何か聴こえたんですか?」
ひとり蚊帳の外状態の俺は、ただならぬ四匹の反応に不安を覚えながらハジさんに尋ねた。
それに対し、ハジさんは難しい顔をしながら答える。
「うニュ……十兵衛の奴が、かなみの声を聞いたらしい」
「か……かなみさんの声がっ?」
それを聞いた俺は、思わず声を上ずらせた。
「ど、どこにいるんですかっ? は、早く行きましょうっ!」
「そう逸るでニャい! 今、十兵衛に訊くから待っとれ」
興奮する俺を窘めたハジさんは、足下の瓦礫を器用に避けながら、先行する十兵衛の元に近付く。
そして、猫語で数語やり取りをした後、おもむろに前脚を上げて天井を指した。
「十兵衛が言うには、すぐ上――二階かららしい」
「二階……!」
ハジさんの言葉を聞いた俺は、思わず息を呑んで天井を見上げ、さっき床に落ちているのを拾った病院のパンフレットを広げる。
パンフレットは、長い間風雨に晒されていたせいでボロボロだったが、中身は何とか読む事が出来た。
俺はパンフレットにスマホの光を当てながら、見開きで印刷されている『病院見取り図』に目を凝らす。
「ええっと……この病院の二階は……一般病室みたいですね」
「病室……」
俺の呟きを反芻したハジさんは、急に「いかんっ!」と声を上げた。
一瞬遅れて、俺も彼と同じ結論に達し、思わず「あっ!」と叫ぶ。
「それは……マズい……!」
おぞましい想像が頭の中に浮かんでしまい、顔面から血の気が引くのを感じる俺。
ハジさんも、これまでになく焦った様子を見せながら、くるりと踵を返した。
「こうしちゃおれん! おミャえら、先を急ぐぞ!」
「ミャッ!」
「にゃう!」
「シャアっ!」
駆け出したハジさんの後に続いて、ハジ軍団の三匹も一斉にその後を追う。
颯爽と駆け去る彼らに対して、一瞬躊躇して出遅れた俺だったが……、
「あ! ちょ、ちょっと……待って下さいよッ!」
すぐに覚悟を固め、慌てて猫たちの後に続いた。
……といっても、衝撃と音を防ぐ肉球を持たない人間の俺が彼らのように駆けたら、盛大に足音を響き渡らせる事になる……。
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