甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良

文字の大きさ
83 / 263
第一部八章 陰謀

瓜と銭

しおりを挟む
 「瓜ー。瓜はいらんかえ~!」

 喧しい蝉の音が鳴り響く恵林寺の境内に、瓜売りのよく通る声が響き渡る。

「採れたての瓜だよ~。お侍方、喉が渇いてなさるなら、おひとついかがかね~?」

 瓜売りは、その頬被りをした猿のような顔に人懐っこい笑顔を浮かべながら、手にした瓜を高く掲げつつ、鬱蒼とした木々に囲まれた境内を練り歩く。
 と、本堂の方から、わらわらと数人の武士が血相を変えてやって来た。

「これ! 止まれ! そこの瓜売り、止まれい!」

 武士達は、刀の鍔に指をかけ、いつでも鯉口を切れるようにしながら、瓜売りの周りを取り囲む。
 瓜売りの笑顔は消え、驚いた表情に変わった。

「おお、怖い。そのような怖いお顔で……一体何事で御座いまするか、お侍方――?」
「貴様、ここで何をしておる!」

 訝しげに訊く瓜売りの顔を睨みつけ、髭の濃い武士が居丈高に問い質す。
 だが、威圧感たっぷりの武士の誰何に、瓜売りはキョトンとした表情を浮かべて答える。

「……何をしておるも何も……あっしは瓜を売りに来ただけでござりますが?」
「……」

 瓜売りの言葉に、武士達は互いの顔を見合わせた。
 そんな彼らに向かって、眉根を寄せた瓜売りは、少し苛立ちを込めた目を向ける。

「本来、あっしは、向嶽寺の辺りで商売をしていたんですがね。今年は、アガリやら何やらでちょいと揉めちまいまして……。寺衆から出禁を喰らっちまったんですよ。それで、チョイと足を伸ばして、今年からは恵林寺ここで稼がしてもらおうと思いましてね……へへ」
「……残念だが、この恵林寺で商売は罷り成らぬ。早々と立ち去れ」
「ええ、何でですかい?」

 取りつく島も無い武士の言葉に、瓜売りは血相を変えて食い下がった。

「そこを何とか! 家には、腹を膨らませたかかあと、うるせえ盛りのガキが三人、あっしの帰りを待ってるんでさ。瓜を売りさばく事も出来ねえで、全部持ち帰ったとあっちゃあ、かかあが家に入れさせてくんねえよ!」
「知るか。とにかくダメだ。諦めよ」
「……そんなご無体な……」

 けんもほろろに拒絶された瓜売りだったが、諦めきれぬとばかりに、武士達の内、もっとも年若い者に縋り付いた。

「何故? 一体、何故でございますか? こんな広い境内の片隅で瓜を売るくらい、お見逃し下さいよぉ」
「……ええい、しつこい! あまりに食い下がれば、この場で斬って捨てるぞ!」

 泣き疲れた若い武士は、苛立ちで顔を顰めながら刀の柄に右手をかけ、鯉口を切る。
 瓜売りは「ひぃっ!」と叫ぶと、若い武士の元から飛び退き、背を丸めて頭を石畳に擦りつけた。

「ひい……な、何とぞ、お赦しを……!」
「――分かったら、早々に消えよ! これ以上、手を患わせるな。……我らは忙しいのだ。お屋形様の警護でな……」
「――オイ! 喋りすぎだ!」

 思わず口走った若い武士を、慌てた様子で年嵩の武士が小さな声で窘める。――だが、遅かった。
 瓜売りが、驚きで目を丸くした顔を上げた。

「――お屋形様? 信玄様がいらっしゃるのですか? この恵林寺に――?」
「……忘れよ!」

 興味津々で尋ねてくる瓜売りに、渋い顔を向けて、年嵩の武士は小声で言った。
 だが、瓜売りは、目を輝かせて武士達の方へとにじり寄る。

「――でしたら、是非とも、信玄様にお伝え下さい! あっしの売る瓜は、それはそれは瑞々しくて美味うござります。信玄様に召し上がって頂ければ、お喜びになるはずですし、あっしの瓜に箔が付くって――!」
「ええい、しつこいと言うに! 本当に斬り捨てるぞ、貴様ッ!」

 遂に激昂した若い武士たちが、一斉に刀を抜いた。瓜売りは「ひっ!」と短い悲鳴を上げると、身体を小さくして平伏する。
 ――と、

「……おい、止めろ! お屋形様の庇護篤いこの寺の境内を、卑賤な瓜売り如きの血で汚したとあっては、叱責では済まぬ事になる!」

 年嵩の武士の声に、その他の武士達はハッとして、戸惑い気味にお互いの顔を見合わせた。そして、渋々といった様子で、抜いた刀を鞘に納める。
 彼らが納刀したのを見た年嵩の武士は、ふるふると頭を振ると、懐に手を入れながら一歩前に出る。
 そして、亀のようにちぢこまって、ブルブルと震えている瓜売りの背中に向けて声をかけた。

「おい、お前。……そこまで申すのならば、ワシがその瓜を買うてやろう。さすがに、お屋形様に献上する訳にはいかぬが……それでも良いか?」

 武士の言葉を聞いた瓜売りは、猿のような顔にありありと喜色を浮かべた。

「ま……誠にござりますか! ……もちろん、それでも構いませぬ! さすが、武田家中のお侍様じゃ! 御心が広いッ!」
「……見え見えの追従は要らぬわ。――ほれ、銭じゃ。持っていけ」

 苦笑を浮かべて言うと、年嵩の武士は、懐から取り出した銭入れを瓜売りの前に放り投げた。

「あ――ありがとうございます!」

 瓜売りは、深々と頭を下げると、満面の笑顔を浮かべて、眼前に落ちた銭入れに手を伸ばした。――が、銭入れの紐を解き、中の銭を検めた瓜売りの顔が陰った。

「あの……いや……これは少し……瓜代としては――」
「……何じゃ、それじゃあ不満か?」

 口ごもる瓜売りに、ニタニタと底意地の嘲笑わらいを向けながら、年嵩の武士は訊いた。
 その言外の意味を悟った瓜売りの顔が青ざめる。

「……!」
「……確かに、この境内での殺生はならぬ。――が、ならば、どうかのう……?」
「ひ――!」
「――分かったら、その銭を持って、サッサと失せよ! ……もちろん、瓜はワシが買うたのじゃから、全て置いていけよ! カッカッカッ!」
「そ……そんな……ご無体な――」
「ほれっ! サッサとせぬか!」

 そう怒鳴ると、年嵩の武士は左足を引き、今にも抜刀しようという仕草を見せる。

「ひ――ッ!」

 瓜売りは悲鳴を上げると、足を縺れさせながら、一目散に逃げ出す。
 その滑稽な姿に、武士達は一斉に嘲笑わらい声を上げた。
 年嵩の武士が、瓜売りの背中に向かって、更に言葉を投げる。

「安心せい! お主の美味い瓜とやらは、ワシらが有り難く平らげてやるからのう! ハッハッハッ!」
「ガハハハハハッ!」

 年嵩の武士の言葉に、他の武士の嘲笑が加わる。

「…………」

 その言葉を背中越しに聞きながら、瓜売りは脇目も振らずに、山門に向かって走る。
 ――と。

「…………くく」

 その口元が、三日月のように綻んだ。
 彼は走りながら、不敵な薄笑いを浮かべ、ぼそりと呟く。

「――ああ、皆で仲良く食うがいい。それは、美味い瓜だからな。……、な――」
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

If太平洋戦争        日本が懸命な判断をしていたら

みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら? 国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。 真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…分水嶺で下された「if」の決断。 破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。 現在1945年夏まで執筆

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

徳川慶勝、黒船を討つ

克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。 もしかしたら、消去するかもしれません。

東亜の炎上 1940太平洋戦線

みにみ
歴史・時代
1940年ドイツが快進撃を進める中 日本はドイツと協働し連合国軍に宣戦布告 もしも日本が連合国が最も弱い1940年に参戦していたらのIF架空戦記

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...