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第二部一章 進撃
印象と実像
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信繁は、岩村城主遠山景任との面会の為、十数騎の供廻を従えて、城へ向かっていた。
その傍らには、数年前に東濃で在番していて、景任と面識がある秋山虎繁が、取次役として付いている。
「意外で御座いましたな」
岩村城の大手門へ向かう途中の緩やかな坂を馬で上りながら、虎繁がぽつりと言った。
彼と馬を並べて歩を進めていた信繁が、その言葉を耳にし、訝しげに訊き返す。
「何がだ?」
「いえ……先ほどの四郎様に御座います」
信繁の問いかけにそう答えた虎繁は、穏やかな微笑みを浮かべながら答えた。
「酒の件で、つい頭に血が上って言い返した某に対して、御自身のお立場を笠に着て恫喝するでもなく、すぐに頭を下げられた……。正直、驚き申した」
虎繁はそう言うと、顎髭を指の腹で撫でる。
「最初に四郎様のお顔を拝見したのは、一昨年に躑躅ヶ崎で催された評定の場でしたが……」
「ああ、あの時か……」
信繁は、虎繁の言葉を聞いて、懐かしそうに隻眼を細めた。
その評定の時の事は、信繁も良く覚えている。
永禄四年の川中島の戦いで重傷を負って以来、実に二年ぶりに自分が参加した評定であり、それまで公の場に姿を見せなかった武田家の四男が、家臣たちの前で“諏訪四郎勝頼”として堂々と名乗りを上げた場でもあったからだ。
当時の事を思い出し、感慨に耽る彼の横顔を見ながら、虎繁は言葉を継ぐ。
「――あの時は、まるで人形のようにすました顔をなさっておられて、某は正直、『随分とお高く止まっていらっしゃる』と、あまり良い印象を抱いてはいなかったのですが……あ、これは、くれぐれも四郎様にはご内密に……」
さすがに口が過ぎた事に気付いた虎繁は、慌てた様子で付け加えた。
信繁は、そんな虎繁に思わず口元を綻ばせる。
「ははは、分かっておる。――この場に昌幸が居なくてよかったな」
「確かに……喜兵衛の奴めに今の言葉を聞きつけられたら、口封じに高い酒を奢らねばならぬところでしたな」
虎繁は、ホッとした顔で信繁の言葉に頷き、先ほどの話の続きを口にした。
「……ですが、先ほどの四郎様の御振舞は、そんな某の印象とは正反対で、正直、かなり面喰いました」
「そうかな?」
信繁は、虎繁の言葉に小首を傾げる。
「四郎は、前からあのような男だったぞ。素直で、優しい心根をしておる」
彼の脳裏に、弟の五郎と親しげに話す四郎の姿や、兄義信との確執を悩み、叔父である信繁に仲立ちを頼んできた時の必死な様子が浮かんだ。
……だが、虎繁の言う事も解らなくはない。
「まあ……あやつも、あの頃は些か肩に力を入れ過ぎていたきらいはあるがな……。それが、お主らには取っつきにくいように見えてしまっていたのかもしれぬ」
「かもしれませんな」
信繁の言葉に、虎繁は苦笑した。
そして、周りを進む馬廻衆たちの耳に届かぬように声を潜め、言葉を継ぐ。
「……まあ、正直、今の四郎様も些かお固いかと……。もう少しこう……色々な事に寛容になって頂いた方が……」
「ははは……、お主の言う“色々な事”とは、酒の事であろう?」
「まあ……はい」
愉快げに打ち笑う信繁に、虎繁はバツ悪げに頭を掻いた。
そんな彼に、信繁はにこやかに微笑みながら頷く。
「……そうか、分かった。四郎には、それとなく話をしておこう。もっと肩の力を抜いて、皆に接せよ……と、伯耆が申しておったとな」
「さ、左馬助様! それは何卒ご勘弁を……!」
冗談めかした信繁の言葉に、虎繁は覿面に狼狽えた。
――と、その時、行列の先頭を進んでいた騎馬武者が、前方を指さして叫ぶ。
「――典厩様! 秋山様!」
「うむ――」
騎馬武者の指さす先に目を遣った信繁は、小さく頷いて表情を引き締めた。
大きく開いた大手門の前で、平服姿の数人の男が立っている。
「あれが……」
「はっ」
信繁の言葉に、虎繁は小さく頷いた。
「中央に立っている柿渋色の大紋を着ているのが、岩村城の主・遠山大和守殿に御座います」
「そうか……」
虎繁の囁きを聞いた信繁は、静かに片手を挙げた。
その手の動きに応じ、十数騎の馬廻衆はピタリと馬を止めた。
その真ん中で、信繁は隻眼を細め、柿渋色の大紋姿の男に焦点を合わせる。
「ふむ……」
――岩村城主・遠山大和守景任は、中肉中背の男だった。
弘治二年(西暦1557年)に父親の景前が急逝した事により、遠山家の家督を継いだ時には、まだ元服してから間もない頃だったというから、まだ三十にもならない年齢のはずだ。
だが、薄い口髭を蓄えたどことなく気弱そうな顔立ちは、実年齢よりも老けているように見えた。
「……」
景任の顔と姿を素早く観察した信繁は、次に、城主の周囲に立つ武士たちに目を移す。
彼らは、主の景任と同じように大紋を纏い、大手門の前で横一列に並んでいた。
その表情は一様に固かったものの、信繁らに対する敵意や殺意は感じられない。
「……よし」
安全を確信した信繁は、周囲の馬廻たちに目配せをしてから、再びゆるゆると馬を進め始めた。
彼の目配せを受けた馬廻衆らも、安堵した表情を浮かべながら、馬の横腹を軽く蹴る。
一方の岩村城の者たちも、信繁たちが近付いてくるのを見て、その場で一斉に膝をつき、深々と頭を垂れた。
彼らからあと数歩のところで馬を止めた信繁は、虎繁に目配せをすると、彼は一歩馬を前に進め、膝をついている景任に向かって声をかける。
「――お久しぶりで御座るな、遠山殿。ご健勝で何より」
「はっ。秋山殿もお元気そうで」
虎繁の声に顔を上げた景任は、やや強張った微笑みを浮かべた。
景任に頷き返した虎繁は、掌を上にして、傍らの信繁を指し示す。
「遠山殿、こちらにおわせられるのは、此度の我が軍の総大将・武田左馬助様に御座る」
「はっ」
虎繁の言葉に、景任は更に緊張した表情を浮かべ、再び深く頭を下げた。
そして、馬を止めた信繁に向かって、少し上ずった声を上げる。
「此度はようこそお出で下さいました、武田典厩様」
「うむ、わざわざのお出迎え、痛み入る」
景任の慇懃な挨拶に、馬上から軽く会釈する信繁。
そんな彼の事を、片膝をついたまま見上げながら、景任は言葉を継いだ。
「お初にお目にかかり申す。拙者が、この岩村城の主・遠山大和守景任に御座ります。以後、お見知りおきをば……」
その傍らには、数年前に東濃で在番していて、景任と面識がある秋山虎繁が、取次役として付いている。
「意外で御座いましたな」
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彼と馬を並べて歩を進めていた信繁が、その言葉を耳にし、訝しげに訊き返す。
「何がだ?」
「いえ……先ほどの四郎様に御座います」
信繁の問いかけにそう答えた虎繁は、穏やかな微笑みを浮かべながら答えた。
「酒の件で、つい頭に血が上って言い返した某に対して、御自身のお立場を笠に着て恫喝するでもなく、すぐに頭を下げられた……。正直、驚き申した」
虎繁はそう言うと、顎髭を指の腹で撫でる。
「最初に四郎様のお顔を拝見したのは、一昨年に躑躅ヶ崎で催された評定の場でしたが……」
「ああ、あの時か……」
信繁は、虎繁の言葉を聞いて、懐かしそうに隻眼を細めた。
その評定の時の事は、信繁も良く覚えている。
永禄四年の川中島の戦いで重傷を負って以来、実に二年ぶりに自分が参加した評定であり、それまで公の場に姿を見せなかった武田家の四男が、家臣たちの前で“諏訪四郎勝頼”として堂々と名乗りを上げた場でもあったからだ。
当時の事を思い出し、感慨に耽る彼の横顔を見ながら、虎繁は言葉を継ぐ。
「――あの時は、まるで人形のようにすました顔をなさっておられて、某は正直、『随分とお高く止まっていらっしゃる』と、あまり良い印象を抱いてはいなかったのですが……あ、これは、くれぐれも四郎様にはご内密に……」
さすがに口が過ぎた事に気付いた虎繁は、慌てた様子で付け加えた。
信繁は、そんな虎繁に思わず口元を綻ばせる。
「ははは、分かっておる。――この場に昌幸が居なくてよかったな」
「確かに……喜兵衛の奴めに今の言葉を聞きつけられたら、口封じに高い酒を奢らねばならぬところでしたな」
虎繁は、ホッとした顔で信繁の言葉に頷き、先ほどの話の続きを口にした。
「……ですが、先ほどの四郎様の御振舞は、そんな某の印象とは正反対で、正直、かなり面喰いました」
「そうかな?」
信繁は、虎繁の言葉に小首を傾げる。
「四郎は、前からあのような男だったぞ。素直で、優しい心根をしておる」
彼の脳裏に、弟の五郎と親しげに話す四郎の姿や、兄義信との確執を悩み、叔父である信繁に仲立ちを頼んできた時の必死な様子が浮かんだ。
……だが、虎繁の言う事も解らなくはない。
「まあ……あやつも、あの頃は些か肩に力を入れ過ぎていたきらいはあるがな……。それが、お主らには取っつきにくいように見えてしまっていたのかもしれぬ」
「かもしれませんな」
信繁の言葉に、虎繁は苦笑した。
そして、周りを進む馬廻衆たちの耳に届かぬように声を潜め、言葉を継ぐ。
「……まあ、正直、今の四郎様も些かお固いかと……。もう少しこう……色々な事に寛容になって頂いた方が……」
「ははは……、お主の言う“色々な事”とは、酒の事であろう?」
「まあ……はい」
愉快げに打ち笑う信繁に、虎繁はバツ悪げに頭を掻いた。
そんな彼に、信繁はにこやかに微笑みながら頷く。
「……そうか、分かった。四郎には、それとなく話をしておこう。もっと肩の力を抜いて、皆に接せよ……と、伯耆が申しておったとな」
「さ、左馬助様! それは何卒ご勘弁を……!」
冗談めかした信繁の言葉に、虎繁は覿面に狼狽えた。
――と、その時、行列の先頭を進んでいた騎馬武者が、前方を指さして叫ぶ。
「――典厩様! 秋山様!」
「うむ――」
騎馬武者の指さす先に目を遣った信繁は、小さく頷いて表情を引き締めた。
大きく開いた大手門の前で、平服姿の数人の男が立っている。
「あれが……」
「はっ」
信繁の言葉に、虎繁は小さく頷いた。
「中央に立っている柿渋色の大紋を着ているのが、岩村城の主・遠山大和守殿に御座います」
「そうか……」
虎繁の囁きを聞いた信繁は、静かに片手を挙げた。
その手の動きに応じ、十数騎の馬廻衆はピタリと馬を止めた。
その真ん中で、信繁は隻眼を細め、柿渋色の大紋姿の男に焦点を合わせる。
「ふむ……」
――岩村城主・遠山大和守景任は、中肉中背の男だった。
弘治二年(西暦1557年)に父親の景前が急逝した事により、遠山家の家督を継いだ時には、まだ元服してから間もない頃だったというから、まだ三十にもならない年齢のはずだ。
だが、薄い口髭を蓄えたどことなく気弱そうな顔立ちは、実年齢よりも老けているように見えた。
「……」
景任の顔と姿を素早く観察した信繁は、次に、城主の周囲に立つ武士たちに目を移す。
彼らは、主の景任と同じように大紋を纏い、大手門の前で横一列に並んでいた。
その表情は一様に固かったものの、信繁らに対する敵意や殺意は感じられない。
「……よし」
安全を確信した信繁は、周囲の馬廻たちに目配せをしてから、再びゆるゆると馬を進め始めた。
彼の目配せを受けた馬廻衆らも、安堵した表情を浮かべながら、馬の横腹を軽く蹴る。
一方の岩村城の者たちも、信繁たちが近付いてくるのを見て、その場で一斉に膝をつき、深々と頭を垂れた。
彼らからあと数歩のところで馬を止めた信繁は、虎繁に目配せをすると、彼は一歩馬を前に進め、膝をついている景任に向かって声をかける。
「――お久しぶりで御座るな、遠山殿。ご健勝で何より」
「はっ。秋山殿もお元気そうで」
虎繁の声に顔を上げた景任は、やや強張った微笑みを浮かべた。
景任に頷き返した虎繁は、掌を上にして、傍らの信繁を指し示す。
「遠山殿、こちらにおわせられるのは、此度の我が軍の総大将・武田左馬助様に御座る」
「はっ」
虎繁の言葉に、景任は更に緊張した表情を浮かべ、再び深く頭を下げた。
そして、馬を止めた信繁に向かって、少し上ずった声を上げる。
「此度はようこそお出で下さいました、武田典厩様」
「うむ、わざわざのお出迎え、痛み入る」
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