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第二部二章 駆引
会談と牽制
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「御免」
そう短く告げて、苗木城本丸の広間に入ってきたのは、黒塗りの具足に身を包んだ武田家の使者・秋山伯耆守虎繁であった。
「は……」
彼の姿が見えるや、上座に座っていた苗木城主・遠山直廉が深々と平伏する。
「……」
だが、彼の後ろで背筋を伸ばして立膝座りをしている琴は、無表情のまま、申し訳程度に頭を下げたのみだった。
と、広間に吹き込んだ風の中に混ざる微かな香の香りに気付いた彼女は、眉をピクリと上げ、襖の方をそっと窺い見る。
そして、虎繁の後に続いて広間に入ってきた、緋色縅の胴丸を纏った女――つやの姿に思わず目を見開いた。
琴の驚いた顔に気付いたつやは、ふっと口元を緩めると、彼女に向かって軽く会釈をし、虎繁に続いて腰を下ろす。
ふたりが用意された円座の上に座ったのを見た直廉が、引き攣った愛想笑いを浮かべながら、まずは虎繁に声をかけた。
「こ……これはこれは、秋山殿。お久しゅう御座ります」
「こちらこそ、御無沙汰しております、勘太郎殿。御健勝のようで何より」
直廉の挨拶に穏やかな微笑みを浮かべながら、虎繁は軽く頭を下げる。
そして、直廉の斜め後ろに控える琴にも会釈した。
「奥方殿も、お変わり無いようで」
「……ようこそお出で下さいました、秋山伯耆守殿」
虎繁の短い挨拶に感情の籠もっていない声で返した琴は、頭を下げる事すら厭うように目礼だけをする。
そして、その白目がちな目を巡らし、虎繁の背後に座っているつやの顔を見据えると、慇懃に声をかけた。
「……叔母上も、お久しゅうございます」
「お久しぶりです、琴殿」
僅かに棘を感じさせる琴の声色など気にせぬ様子で、つやは微笑みを浮かべながら、深々と頭を下げる。
その拍子に、彼女が纏っている胴丸の金具が擦れ、カチャカチャという金属音が鳴った。
琴は、その音を聞くや口の端を三日月の形に吊り上げる。
「それにしても……今日は随分とお勇ましい恰好ですわね、叔母上」
「……」
穏やかな口調とは裏腹に、皮肉と嫌味が茨の棘のように含まれた琴の言葉にも、つやは穏やかな笑みを絶やさなかった。
挑発をすかされた琴は、不満げに表情を消して黙り込む。
「……そ、それで」
広間の空気が一気に不穏な雰囲気を帯びたのを察した直廉が、取り繕うように口を開いた。
「本日は、わざわざ我が城にお立ち寄り下さり、ありがとうございます」
「いや……」
直廉の言葉に、虎繁は僅かに目を細めながら頭を振る。
「斎藤領に向かう為、我が軍が勘太郎殿の領内を通るのですから、ご挨拶に伺うのは当然で御座ろう」
そう言うと、彼は直廉に向けて深々と頭を下げた。
「もちろん、本来ならば、総大将たる武田左馬助様が直々にお伺いするべきところですが、何分にも些事繁多にて、副将たる某が名代として罷り越し申した。何卒ご寛恕を賜りたく……」
「あ……いやいや、滅相も無い」
頭を下げた虎繁に、直廉は慌てて手を振る。
「武田様は一軍を率いておられる身ですから、お忙しいのは重々承知しております。それにもかかわらず、我らに過分なお気遣いを頂き、武田様には感謝申し上げます」
「いえいえ……」
直廉の言葉に、虎繁は鷹揚に微笑んだ。
「何も過分な事など御座いませぬ。何せ……」
彼はそこで一旦言葉を切ると、それまでとは一変した、鋭い眼光を宿した目で直廉の顔を見据え、言葉を続ける。
「御領内を無事に通らせて頂くのですから、感謝を申し上げるべきなのは当方の方です」
「……!」
直廉は、虎繁が目の底に潜ませた殺気に気圧され、思わず息を呑んだ。
言うまでもなく、今の虎繁の言葉は、彼に対する明白な牽制である。彼は、『我らを裏切って、背後から攻めかかるような事などせぬように』と、直廉に向けて暗に釘を刺しているのだ。
「いや……ははは……」
直廉は、笑い声を上げながら表情を引き攣らせ、着物の袖で額に浮いた汗を拭いた。
そして、虎繁から逸した目をつやに向け、少し上ずった声をかける。
「と、ところで、義姉上。本日は、何故我が城に参られたのですか? それに、そのお召し物は……」
「この戦装束の事でしょうか?」
「は……はあ、まあ」
つやに問い返された直廉は、当惑顔でおずおずと頷いた。
そんな彼に、つやはすました顔で答える。
「戦装束を纏うのは、戦場に向かう時以外に何がございますか?」
「い……」
つやの言葉に、直廉は絶句する。
これも、虎繁とは違う角度からつやが放った牽制の一矢であった。
つまり、つやは『場合によっては、苗木と一線を交える事も厭わない』と仄めかしているのである。
その優しげな物腰とは裏腹に、強烈な意志を隠そうともしないつやに、虎繁は内心で舌を巻いた。
(……美しいだけの手弱女かと思っておったが、存外に肝の据わった女だ)
そして、先日の事を思い出して苦笑を浮かべる。
(『戦装束を纏うのは、戦場に向かう時』か……。それはつまり、先日の岩村城での会談も、つや殿にとっては紛れも無い戦だったという事か)
「勘太郎殿」
つやは、虎繁が内心でそんな事を考えているとはつゆ知らぬまま、凛とした声で義弟の名を呼び、彼の顔を真っ直ぐに見据えながら言葉を継いだ。
「正直、私は回りくどい事が嫌いな質ですので、率直に申し上げます」
「……!」
「本日、私が苗木まで出向いたのは、貴方の兄君の妻として――そして、本家筋である岩村遠山の者として、分家筋である苗木遠山の真意を問う事に他なりませぬ」
「な……!」
「……っ!」
つやが毅然とした態度で口にした言葉に、琴はもちろん、直廉ですら顔色を変えた――。
そう短く告げて、苗木城本丸の広間に入ってきたのは、黒塗りの具足に身を包んだ武田家の使者・秋山伯耆守虎繁であった。
「は……」
彼の姿が見えるや、上座に座っていた苗木城主・遠山直廉が深々と平伏する。
「……」
だが、彼の後ろで背筋を伸ばして立膝座りをしている琴は、無表情のまま、申し訳程度に頭を下げたのみだった。
と、広間に吹き込んだ風の中に混ざる微かな香の香りに気付いた彼女は、眉をピクリと上げ、襖の方をそっと窺い見る。
そして、虎繁の後に続いて広間に入ってきた、緋色縅の胴丸を纏った女――つやの姿に思わず目を見開いた。
琴の驚いた顔に気付いたつやは、ふっと口元を緩めると、彼女に向かって軽く会釈をし、虎繁に続いて腰を下ろす。
ふたりが用意された円座の上に座ったのを見た直廉が、引き攣った愛想笑いを浮かべながら、まずは虎繁に声をかけた。
「こ……これはこれは、秋山殿。お久しゅう御座ります」
「こちらこそ、御無沙汰しております、勘太郎殿。御健勝のようで何より」
直廉の挨拶に穏やかな微笑みを浮かべながら、虎繁は軽く頭を下げる。
そして、直廉の斜め後ろに控える琴にも会釈した。
「奥方殿も、お変わり無いようで」
「……ようこそお出で下さいました、秋山伯耆守殿」
虎繁の短い挨拶に感情の籠もっていない声で返した琴は、頭を下げる事すら厭うように目礼だけをする。
そして、その白目がちな目を巡らし、虎繁の背後に座っているつやの顔を見据えると、慇懃に声をかけた。
「……叔母上も、お久しゅうございます」
「お久しぶりです、琴殿」
僅かに棘を感じさせる琴の声色など気にせぬ様子で、つやは微笑みを浮かべながら、深々と頭を下げる。
その拍子に、彼女が纏っている胴丸の金具が擦れ、カチャカチャという金属音が鳴った。
琴は、その音を聞くや口の端を三日月の形に吊り上げる。
「それにしても……今日は随分とお勇ましい恰好ですわね、叔母上」
「……」
穏やかな口調とは裏腹に、皮肉と嫌味が茨の棘のように含まれた琴の言葉にも、つやは穏やかな笑みを絶やさなかった。
挑発をすかされた琴は、不満げに表情を消して黙り込む。
「……そ、それで」
広間の空気が一気に不穏な雰囲気を帯びたのを察した直廉が、取り繕うように口を開いた。
「本日は、わざわざ我が城にお立ち寄り下さり、ありがとうございます」
「いや……」
直廉の言葉に、虎繁は僅かに目を細めながら頭を振る。
「斎藤領に向かう為、我が軍が勘太郎殿の領内を通るのですから、ご挨拶に伺うのは当然で御座ろう」
そう言うと、彼は直廉に向けて深々と頭を下げた。
「もちろん、本来ならば、総大将たる武田左馬助様が直々にお伺いするべきところですが、何分にも些事繁多にて、副将たる某が名代として罷り越し申した。何卒ご寛恕を賜りたく……」
「あ……いやいや、滅相も無い」
頭を下げた虎繁に、直廉は慌てて手を振る。
「武田様は一軍を率いておられる身ですから、お忙しいのは重々承知しております。それにもかかわらず、我らに過分なお気遣いを頂き、武田様には感謝申し上げます」
「いえいえ……」
直廉の言葉に、虎繁は鷹揚に微笑んだ。
「何も過分な事など御座いませぬ。何せ……」
彼はそこで一旦言葉を切ると、それまでとは一変した、鋭い眼光を宿した目で直廉の顔を見据え、言葉を続ける。
「御領内を無事に通らせて頂くのですから、感謝を申し上げるべきなのは当方の方です」
「……!」
直廉は、虎繁が目の底に潜ませた殺気に気圧され、思わず息を呑んだ。
言うまでもなく、今の虎繁の言葉は、彼に対する明白な牽制である。彼は、『我らを裏切って、背後から攻めかかるような事などせぬように』と、直廉に向けて暗に釘を刺しているのだ。
「いや……ははは……」
直廉は、笑い声を上げながら表情を引き攣らせ、着物の袖で額に浮いた汗を拭いた。
そして、虎繁から逸した目をつやに向け、少し上ずった声をかける。
「と、ところで、義姉上。本日は、何故我が城に参られたのですか? それに、そのお召し物は……」
「この戦装束の事でしょうか?」
「は……はあ、まあ」
つやに問い返された直廉は、当惑顔でおずおずと頷いた。
そんな彼に、つやはすました顔で答える。
「戦装束を纏うのは、戦場に向かう時以外に何がございますか?」
「い……」
つやの言葉に、直廉は絶句する。
これも、虎繁とは違う角度からつやが放った牽制の一矢であった。
つまり、つやは『場合によっては、苗木と一線を交える事も厭わない』と仄めかしているのである。
その優しげな物腰とは裏腹に、強烈な意志を隠そうともしないつやに、虎繁は内心で舌を巻いた。
(……美しいだけの手弱女かと思っておったが、存外に肝の据わった女だ)
そして、先日の事を思い出して苦笑を浮かべる。
(『戦装束を纏うのは、戦場に向かう時』か……。それはつまり、先日の岩村城での会談も、つや殿にとっては紛れも無い戦だったという事か)
「勘太郎殿」
つやは、虎繁が内心でそんな事を考えているとはつゆ知らぬまま、凛とした声で義弟の名を呼び、彼の顔を真っ直ぐに見据えながら言葉を継いだ。
「正直、私は回りくどい事が嫌いな質ですので、率直に申し上げます」
「……!」
「本日、私が苗木まで出向いたのは、貴方の兄君の妻として――そして、本家筋である岩村遠山の者として、分家筋である苗木遠山の真意を問う事に他なりませぬ」
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