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第二部二章 駆引
説得と結論
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「……」
直廉は、虎繁の静かながらも重みのある言葉を聞き、顔を青ざめさせて沈黙した。
その視線は、三方に盛られた甲州金の山と虎繁、そしてつやの顔の間を不安げに行き交う。
――と、その時、
「ふ……」
彼の背後から、失笑とも嘲弄ともとれる吐息が上がった。
その場にいた三人の視線が、吐息を漏らした者へと集まる。
「……いえ、失礼いたしました」
三人の注目を浴びた琴は、打掛の袖で口元を隠しながら、軽く頭を下げた。
そして、細めた目で虎繁の顔を見据えながら、低い声で言う。
「ですが……斯様な物と金で、私たち苗木遠山の衆を買おうという武田様のお心根が、とてもさもし……滑稽に思えましてね」
「奥方殿……さすがにその物言いは――!」
琴の言い草を聞き、さすがに顔色を変えた虎繁が声を荒げかける。
――と、その時、
「……琴殿」
緊迫する広間に凛とした声が響いた。
その声に、琴はやにわに表情を緊張させ、声の主に鋭い目を向ける。
つやは、琴の刺すような視線を浴びながらも、落ち着いた口調で言葉を継いだ。
「貴女は、今の遠山家の……いえ、東美濃が置かれている情勢が、良く見えていらっしゃらないようですね」
「……それは、どういう意味でしょうか、叔母上?」
琴は、つやの言葉に僅かに片眉を上げながら訊き返した。その声には、隠しきれない苛立ちが感じ取れる。
それに対して、つやはあくまで穏やかな口調で答えた。
「今の東美濃は、東の武田、西の斎藤、南には織田と今川……と、周囲を大きな勢力に取り囲まれている状況です。そんな中、我ら遠山一族が生き残る為には、どこかの勢力の庇護を受けなければなりません」
「……そのような事、今更叔母上に教えて頂かなくとも存じております」
琴は、つやの言葉を鼻で嗤う。
「ですから、今まで我らは武田家と織田家に両属し、安定を保ってきた――」
「確かに、今まではそれでも良かった……いえ、赦されてきました」
つやは、琴の言葉を中途で遮ると、「ですが――」と頭を振り、言葉を続けた。
「これからは、それはもう赦されません。武田家が、本格的な西進をお決めになりましたから……」
「……」
それを聞いた琴は、憮然として口を噤む。
無論、琴もつやに言われるまでもなく理解していた。
武田家が稲葉山 (現在の岐阜県岐阜市)の斎藤氏と事を構える為には、ここ東美濃の地を完全に掌握する必要がある。それなのに、東美濃に勢力を張る遠山家が、自分たちと同様に美濃の地を狙っている織田家にも仕えている両属状態のままでは、いつ寝返るか分からず、後顧の憂いが拭えない。
だからこそ、武田家は、遠山七支族の中で唯一旗幟を鮮明にしていない苗木遠山家を、些か強硬な手段に訴えてでも完全に家中へ抱え込もうとしているのだ。
「ですが……」
だが、琴はそれでも言い抗おうとする。
「だからといって、我が織田家を捨てて……」
「琴殿」
再び、つやが琴の言葉を中途で遮った。
彼女は、やや険しい光を宿した瞳を琴へ向ける。
「貴女は、ひとつ考え違いをしています」
「考え違い……?」
「今の貴女は、もう織田家の女ではありませぬ」
「……!」
淡々と紡がれたつやの言葉に、琴はハッと目を見開いた。
そんな彼女の表情の変化を見ながら、つやは更に言葉を継ぐ。
「私も貴女も、共に遠山家へ嫁いだ身。今はもう遠山家の女なのです。であれば、遠山家の存続と繁栄を第一に考えるべきでしょう」
「……」
琴は、つやの言葉に何も言わなかった。先ほどと同じように表情を消し、自分からつと目を逸らした姪の顔を一瞥しつつ、つやは言葉を継ぐ。
「武田様は遠山家に、恭順後の本領安堵と国人衆としての待遇をお約束して下さいました」
「左様」
つやの声を受けるように、虎繁が首肯した。
「要するに、木曾谷 (現在の長野県木曽郡)の木曾殿と同様という事ですな。後日、当家より改めて在番衆を置かせて頂く事になろうが、それ以外は、今までと変わらぬとお考え頂いて差し支え御座らぬ」
「今までと変わらぬ……ですと?」
虎繁の説明に表情を輝かせたのは、直廉だった。
そんな直廉に、虎繁は小さく頷き、話を続ける。
「……どうであろうか。これでも、まだ当家に属される気にはなりませぬか?」
「うむ……」
虎繁の言葉に、直廉は迷う素振りを見せながら、ちらりと背後に目を遣った。
そんな夫の視線に気付いた琴は、おもむろに手にした扇を開いて口元を隠すと、僅かに眉を顰める。
そして、扇の陰で小さく息を吐くと、「……分かりました」と、呟くように言った。
「そこまで武田様に御配慮頂けるというのであれば、当家にお誘いを拒否する理由もありませんね」
「おお……では!」
妻の言葉を聞くや、安堵の表情を浮かべながら声を上ずらせる直廉。
そんな彼に小さく頷きかけた琴は、「それに……」と、つやに微笑みかけた。
「叔母上……いえ、岩村遠山家の奥方様がわざわざこの城までお越しになられ、私たちを直々に説得なさったのです。そこまでされて、さすがに否やとは申せませぬ」
「琴殿……」
琴の言葉に、僅かに戸惑う表情を浮かべるつや。
一方の虎繁は、喜色を満面に浮かべつつ、その身を乗り出す。
「奥方殿、勘太郎殿……では!」
「ええ」
虎繁の問いかけに、穏やかな微笑みを湛えながら首肯した琴は、立膝の姿勢から手を前に身体を支えて上体を倒した。
それを見た直廉も、慌てて姿勢を正しながらその場で両手をつき、深々と頭を下げる。
「我ら苗木遠山の衆一同、謹んで武田様の御意に従いまする!」
「……よしなに」
ふたりが頭を垂れたのを見た虎繁とつやは、互いの顔を見合わせた。
そして、僅かに微笑みを浮かべて頷き合うと、直廉たちと同じように深く頭を下げるのだった。
――だが、虎繁たちからは見えていなかった。
平伏する琴の美しい顔に、穏やかならぬ薄笑みが浮かんでいるのを――。
直廉は、虎繁の静かながらも重みのある言葉を聞き、顔を青ざめさせて沈黙した。
その視線は、三方に盛られた甲州金の山と虎繁、そしてつやの顔の間を不安げに行き交う。
――と、その時、
「ふ……」
彼の背後から、失笑とも嘲弄ともとれる吐息が上がった。
その場にいた三人の視線が、吐息を漏らした者へと集まる。
「……いえ、失礼いたしました」
三人の注目を浴びた琴は、打掛の袖で口元を隠しながら、軽く頭を下げた。
そして、細めた目で虎繁の顔を見据えながら、低い声で言う。
「ですが……斯様な物と金で、私たち苗木遠山の衆を買おうという武田様のお心根が、とてもさもし……滑稽に思えましてね」
「奥方殿……さすがにその物言いは――!」
琴の言い草を聞き、さすがに顔色を変えた虎繁が声を荒げかける。
――と、その時、
「……琴殿」
緊迫する広間に凛とした声が響いた。
その声に、琴はやにわに表情を緊張させ、声の主に鋭い目を向ける。
つやは、琴の刺すような視線を浴びながらも、落ち着いた口調で言葉を継いだ。
「貴女は、今の遠山家の……いえ、東美濃が置かれている情勢が、良く見えていらっしゃらないようですね」
「……それは、どういう意味でしょうか、叔母上?」
琴は、つやの言葉に僅かに片眉を上げながら訊き返した。その声には、隠しきれない苛立ちが感じ取れる。
それに対して、つやはあくまで穏やかな口調で答えた。
「今の東美濃は、東の武田、西の斎藤、南には織田と今川……と、周囲を大きな勢力に取り囲まれている状況です。そんな中、我ら遠山一族が生き残る為には、どこかの勢力の庇護を受けなければなりません」
「……そのような事、今更叔母上に教えて頂かなくとも存じております」
琴は、つやの言葉を鼻で嗤う。
「ですから、今まで我らは武田家と織田家に両属し、安定を保ってきた――」
「確かに、今まではそれでも良かった……いえ、赦されてきました」
つやは、琴の言葉を中途で遮ると、「ですが――」と頭を振り、言葉を続けた。
「これからは、それはもう赦されません。武田家が、本格的な西進をお決めになりましたから……」
「……」
それを聞いた琴は、憮然として口を噤む。
無論、琴もつやに言われるまでもなく理解していた。
武田家が稲葉山 (現在の岐阜県岐阜市)の斎藤氏と事を構える為には、ここ東美濃の地を完全に掌握する必要がある。それなのに、東美濃に勢力を張る遠山家が、自分たちと同様に美濃の地を狙っている織田家にも仕えている両属状態のままでは、いつ寝返るか分からず、後顧の憂いが拭えない。
だからこそ、武田家は、遠山七支族の中で唯一旗幟を鮮明にしていない苗木遠山家を、些か強硬な手段に訴えてでも完全に家中へ抱え込もうとしているのだ。
「ですが……」
だが、琴はそれでも言い抗おうとする。
「だからといって、我が織田家を捨てて……」
「琴殿」
再び、つやが琴の言葉を中途で遮った。
彼女は、やや険しい光を宿した瞳を琴へ向ける。
「貴女は、ひとつ考え違いをしています」
「考え違い……?」
「今の貴女は、もう織田家の女ではありませぬ」
「……!」
淡々と紡がれたつやの言葉に、琴はハッと目を見開いた。
そんな彼女の表情の変化を見ながら、つやは更に言葉を継ぐ。
「私も貴女も、共に遠山家へ嫁いだ身。今はもう遠山家の女なのです。であれば、遠山家の存続と繁栄を第一に考えるべきでしょう」
「……」
琴は、つやの言葉に何も言わなかった。先ほどと同じように表情を消し、自分からつと目を逸らした姪の顔を一瞥しつつ、つやは言葉を継ぐ。
「武田様は遠山家に、恭順後の本領安堵と国人衆としての待遇をお約束して下さいました」
「左様」
つやの声を受けるように、虎繁が首肯した。
「要するに、木曾谷 (現在の長野県木曽郡)の木曾殿と同様という事ですな。後日、当家より改めて在番衆を置かせて頂く事になろうが、それ以外は、今までと変わらぬとお考え頂いて差し支え御座らぬ」
「今までと変わらぬ……ですと?」
虎繁の説明に表情を輝かせたのは、直廉だった。
そんな直廉に、虎繁は小さく頷き、話を続ける。
「……どうであろうか。これでも、まだ当家に属される気にはなりませぬか?」
「うむ……」
虎繁の言葉に、直廉は迷う素振りを見せながら、ちらりと背後に目を遣った。
そんな夫の視線に気付いた琴は、おもむろに手にした扇を開いて口元を隠すと、僅かに眉を顰める。
そして、扇の陰で小さく息を吐くと、「……分かりました」と、呟くように言った。
「そこまで武田様に御配慮頂けるというのであれば、当家にお誘いを拒否する理由もありませんね」
「おお……では!」
妻の言葉を聞くや、安堵の表情を浮かべながら声を上ずらせる直廉。
そんな彼に小さく頷きかけた琴は、「それに……」と、つやに微笑みかけた。
「叔母上……いえ、岩村遠山家の奥方様がわざわざこの城までお越しになられ、私たちを直々に説得なさったのです。そこまでされて、さすがに否やとは申せませぬ」
「琴殿……」
琴の言葉に、僅かに戸惑う表情を浮かべるつや。
一方の虎繁は、喜色を満面に浮かべつつ、その身を乗り出す。
「奥方殿、勘太郎殿……では!」
「ええ」
虎繁の問いかけに、穏やかな微笑みを湛えながら首肯した琴は、立膝の姿勢から手を前に身体を支えて上体を倒した。
それを見た直廉も、慌てて姿勢を正しながらその場で両手をつき、深々と頭を下げる。
「我ら苗木遠山の衆一同、謹んで武田様の御意に従いまする!」
「……よしなに」
ふたりが頭を垂れたのを見た虎繁とつやは、互いの顔を見合わせた。
そして、僅かに微笑みを浮かべて頷き合うと、直廉たちと同じように深く頭を下げるのだった。
――だが、虎繁たちからは見えていなかった。
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