甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良

文字の大きさ
161 / 263
第二部四章 衝突

救出と捜索

しおりを挟む
 保科正俊と、彼に従う数騎の兵たちは、巧みに手綱を繰りながら、敵兵の群れのただ中に躍り込んだ。
 馬群の先頭に立った正俊は、馬上で軽々と六尺 (約百八十センチメートル)の手槍を振り回し、彼を討ち取らんと殺到する敵兵たちを薙ぎ払っていく。
 彼に続く騎馬兵たちはもちろん、彼らに徒歩かちで付き従う郎従たちも負けじと奮闘し、斎藤兵は彼らの鬼神の如き働きの前に気圧され、尻込みし始めた。
 敵兵が怯んだ気配を敏感に感じ取った正俊たちは、盛んに喊声を上げながら、更に敵陣の奥へと進んでゆく。
 ――と、

「……くそっ!」

 ほどなく、正俊は凄惨な光景を目の当たりにし、口惜しさが詰まった声を上げた。
 彼の目に飛び込んだのは、地面に倒れ、悲痛な鳴き声を上げながら藻掻いている夥しい馬たちと、その周囲に転がる諏訪衆たちの骸だった。
 ここで斎藤軍の罠に嵌った諏訪衆たちの身体にはいくつもの傷が刻まれ、ぱっくり開いた傷口からは真っ赤な鮮血が噴き出し、彼らの纏う甲冑を紅く染め上げている。
 諏訪衆たちの死骸の多くは、既に首を奪われており、そうでない骸の死に顔は、どれも深い恐怖と無念で醜く歪んでいた。

「……たわけ共が……!」

 正俊の口から、低い罵倒が漏れる。その罵倒の言葉は、諏訪衆……そして、今際いまわの味方にそのような恐怖を与えた敵たち――その両方に向けて放たれたものだ。

「やあああ――っ!」
「――五月蝿うるさいッ!」
「ぐあぁっ!」

 一瞬生じた隙を狙って突きかかった斎藤兵の喉を手槍で一突きに貫いた正俊は、血走った目で辺りを見回す。

「小原丹後! どこじゃッ! 返事をせいっ!」

 ――だが、そんな彼の呼びかけに応える声は無く、聞こえてくるのは地面に臥した諏訪衆たちの呻き声と敵兵の喊声ばかりだった。

「……ちいっ!」

 忌々しげに舌打ちした正俊は、更に敵陣の奥へ駆け入ろうと手綱を繰る――その時、

「あいや、待たれよ!」
「――っ!」

 唐突に上がった制止の声に気付いた正俊は、表情を引き締めて振り返る。
 彼を呼び止めたのは、紺色縅の甲冑を纏い、小脇に十文字槍を手挟んだ騎馬武者だった。

「その丸の内一文字の旗印……御身は、保科弾正殿に相違御座らんか?」
「……いかにも」

 騎馬武者に名を呼ばれた正俊は、警戒をしながら小さく頷く。
 彼の顔立ちは面頬に覆われていて分からぬものの、その声の張りから、まだ年若い男のようだ。だが、その落ち着いた佇まいから、それなりの場数を踏んできた猛者である事が察せられる。
 一瞥した瞬間にそこまで読み取った正俊は、手槍を握る右手に力を込めながら、落ち着いた声で尋ね返した。

「そういうお主は何者じゃ?」
「――拙者は、斎藤家が足軽組頭・猪子兵助いのこひょうすけ高就たかなり

 面頬の奥の目を輝かせながら簡潔に名乗った騎馬武者――猪子兵助は、手挟んでいた十文字槍をゆらりと構える。

「ここで“武田の槍弾正”と名高き保科殿と相見あいまみえるは、この上なき僥倖……一騎討ちを所望いたす」
「……」

 兵助に一騎討ちを挑まれた正俊は、一瞬躊躇した。
 もちろん、一騎討ちに臆した訳では無い。――ただ、ここでいたづらに時を費やしてしまう事で、小原継忠の発見と救出が遅れる事を憂慮したのだ。
 ……だが、こう面と向かって一騎討ちを挑まれた以上、断る訳にもいかぬ。

(……やむを得ぬか)

 そう心の中で呟いた正俊は、兵助に応じて手槍を構えようとする――と、その時、

「――待たれよ!」

 不意に溌溂とした声が上がり、それと同時にふたりの間にひとりの騎馬武者が割り込んだ。
 その背中を見た正俊が、思わず驚きの声を上げる。

「――千次郎!」
「猪子殿と申したか? 僭越ながら、貴殿の一騎討ちの申し出、父に代わって、この拙者……保科千次郎正月まさあきがお受けいたす!」

 正対した兵助に堂々と名乗りを上げた正月は、背中越しに父へ視線を向け、低い声で囁いた。

「この場は拙者が引き受けまする! 父上は小原殿を……!」
「千次郎……」

 息子の言葉に一瞬だけ迷った正俊だったが、彼が(大丈夫です、ご心配召されるな!)と告げるように力強く頷いたのを見るや、口の端を僅かに綻ばせ、即座に馬首を返す。

「よし――ここは任せる! くれぐれも油断するなよ!」
「はっ! お任せ下さいッ!」

 弾んだ正月の返事を背中に聞きながら、正俊は郎従を従えて駆け出した。
 行く手を遮る敵兵を手槍で蹴散らし、足下に転がる諏訪衆みかたの骸を跳び越え、草の間に隠れた罠を巧みに避けながら、どんどんと敵陣の中へ中へと進んでいく。
 そして――、一際多く密集している敵兵の集団を見つけた。
 集団の中心辺りからは、金属がぶつかり合う甲高い音が間断なく上がっている――。

「……あそこか!」

 敵の群れの真ん中に目当ての者が居る――即座にそう確信した正俊は、一際強く馬の尻を叩き、敵の集団のただ中に飛び込んだ。

「退け退け――っ! 無駄に死にたくなければ、今すぐ道を開けよ、雑兵どもッ!」

 手槍を振り回しながら大音声だいおんじょうで叫ぶ正俊と彼の郎従の気魄と剣幕に怯んだ斎藤兵たちは、地面を転ぶようにしながら、慌てて彼らの進路から退く。
 それでも前に立ち塞がろうとした騎馬兵の側頭部を、勢いよく振るった槍の柄で強かに打ち据えて乗騎の上から落とした正俊は、断ち折られた手槍の柄を支えに立つ血塗れの男を馬上から見下ろした。
 彼の姿を見て、心の中で安堵の息を吐いた正俊だったが、心を鬼にして怒鳴りつける。

「まったく……何をしておるんじゃ、このたわけが!」

 その声を聞いて虚ろな顔を上げた男に、正俊は力強く言った。

「ようやく見つけたぞ……小原丹後!」
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

If太平洋戦争        日本が懸命な判断をしていたら

みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら? 国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。 真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…分水嶺で下された「if」の決断。 破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。 現在1945年夏まで執筆

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

徳川慶勝、黒船を討つ

克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。 もしかしたら、消去するかもしれません。

東亜の炎上 1940太平洋戦線

みにみ
歴史・時代
1940年ドイツが快進撃を進める中 日本はドイツと協働し連合国軍に宣戦布告 もしも日本が連合国が最も弱い1940年に参戦していたらのIF架空戦記

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...