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第二部四章 衝突
救出と捜索
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保科正俊と、彼に従う数騎の兵たちは、巧みに手綱を繰りながら、敵兵の群れのただ中に躍り込んだ。
馬群の先頭に立った正俊は、馬上で軽々と六尺 (約百八十センチメートル)の手槍を振り回し、彼を討ち取らんと殺到する敵兵たちを薙ぎ払っていく。
彼に続く騎馬兵たちはもちろん、彼らに徒歩で付き従う郎従たちも負けじと奮闘し、斎藤兵は彼らの鬼神の如き働きの前に気圧され、尻込みし始めた。
敵兵が怯んだ気配を敏感に感じ取った正俊たちは、盛んに喊声を上げながら、更に敵陣の奥へと進んでゆく。
――と、
「……くそっ!」
ほどなく、正俊は凄惨な光景を目の当たりにし、口惜しさが詰まった声を上げた。
彼の目に飛び込んだのは、地面に倒れ、悲痛な鳴き声を上げながら藻掻いている夥しい馬たちと、その周囲に転がる諏訪衆たちの骸だった。
ここで斎藤軍の罠に嵌った諏訪衆たちの身体にはいくつもの傷が刻まれ、ぱっくり開いた傷口からは真っ赤な鮮血が噴き出し、彼らの纏う甲冑を紅く染め上げている。
諏訪衆たちの死骸の多くは、既に首を奪われており、そうでない骸の死に顔は、どれも深い恐怖と無念で醜く歪んでいた。
「……たわけ共が……!」
正俊の口から、低い罵倒が漏れる。その罵倒の言葉は、諏訪衆……そして、今際の味方にそのような恐怖を与えた敵たち――その両方に向けて放たれたものだ。
「やあああ――っ!」
「――五月蝿いッ!」
「ぐあぁっ!」
一瞬生じた隙を狙って突きかかった斎藤兵の喉を手槍で一突きに貫いた正俊は、血走った目で辺りを見回す。
「小原丹後! どこじゃッ! 返事をせいっ!」
――だが、そんな彼の呼びかけに応える声は無く、聞こえてくるのは地面に臥した諏訪衆たちの呻き声と敵兵の喊声ばかりだった。
「……ちいっ!」
忌々しげに舌打ちした正俊は、更に敵陣の奥へ駆け入ろうと手綱を繰る――その時、
「あいや、待たれよ!」
「――っ!」
唐突に上がった制止の声に気付いた正俊は、表情を引き締めて振り返る。
彼を呼び止めたのは、紺色縅の甲冑を纏い、小脇に十文字槍を手挟んだ騎馬武者だった。
「その丸の内一文字の旗印……御身は、保科弾正殿に相違御座らんか?」
「……いかにも」
騎馬武者に名を呼ばれた正俊は、警戒をしながら小さく頷く。
彼の顔立ちは面頬に覆われていて分からぬものの、その声の張りから、まだ年若い男のようだ。だが、その落ち着いた佇まいから、それなりの場数を踏んできた猛者である事が察せられる。
一瞥した瞬間にそこまで読み取った正俊は、手槍を握る右手に力を込めながら、落ち着いた声で尋ね返した。
「そういうお主は何者じゃ?」
「――拙者は、斎藤家が足軽組頭・猪子兵助高就」
面頬の奥の目を輝かせながら簡潔に名乗った騎馬武者――猪子兵助は、手挟んでいた十文字槍をゆらりと構える。
「ここで“武田の槍弾正”と名高き保科殿と相見えるは、この上なき僥倖……一騎討ちを所望いたす」
「……」
兵助に一騎討ちを挑まれた正俊は、一瞬躊躇した。
もちろん、一騎討ちに臆した訳では無い。――ただ、ここで徒に時を費やしてしまう事で、小原継忠の発見と救出が遅れる事を憂慮したのだ。
……だが、こう面と向かって一騎討ちを挑まれた以上、断る訳にもいかぬ。
(……やむを得ぬか)
そう心の中で呟いた正俊は、兵助に応じて手槍を構えようとする――と、その時、
「――待たれよ!」
不意に溌溂とした声が上がり、それと同時にふたりの間にひとりの騎馬武者が割り込んだ。
その背中を見た正俊が、思わず驚きの声を上げる。
「――千次郎!」
「猪子殿と申したか? 僭越ながら、貴殿の一騎討ちの申し出、父に代わって、この拙者……保科千次郎正月がお受けいたす!」
正対した兵助に堂々と名乗りを上げた正月は、背中越しに父へ視線を向け、低い声で囁いた。
「この場は拙者が引き受けまする! 父上は小原殿を……!」
「千次郎……」
息子の言葉に一瞬だけ迷った正俊だったが、彼が(大丈夫です、ご心配召されるな!)と告げるように力強く頷いたのを見るや、口の端を僅かに綻ばせ、即座に馬首を返す。
「よし――ここは任せる! くれぐれも油断するなよ!」
「はっ! お任せ下さいッ!」
弾んだ正月の返事を背中に聞きながら、正俊は郎従を従えて駆け出した。
行く手を遮る敵兵を手槍で蹴散らし、足下に転がる諏訪衆の骸を跳び越え、草の間に隠れた罠を巧みに避けながら、どんどんと敵陣の中へ中へと進んでいく。
そして――、一際多く密集している敵兵の集団を見つけた。
集団の中心辺りからは、金属がぶつかり合う甲高い音が間断なく上がっている――。
「……あそこか!」
敵の群れの真ん中に目当ての者が居る――即座にそう確信した正俊は、一際強く馬の尻を叩き、敵の集団のただ中に飛び込んだ。
「退け退け――っ! 無駄に死にたくなければ、今すぐ道を開けよ、雑兵どもッ!」
手槍を振り回しながら大音声で叫ぶ正俊と彼の郎従の気魄と剣幕に怯んだ斎藤兵たちは、地面を転ぶようにしながら、慌てて彼らの進路から退く。
それでも前に立ち塞がろうとした騎馬兵の側頭部を、勢いよく振るった槍の柄で強かに打ち据えて乗騎の上から落とした正俊は、断ち折られた手槍の柄を支えに立つ血塗れの男を馬上から見下ろした。
彼の姿を見て、心の中で安堵の息を吐いた正俊だったが、心を鬼にして怒鳴りつける。
「まったく……何をしておるんじゃ、このたわけが!」
その声を聞いて虚ろな顔を上げた男に、正俊は力強く言った。
「ようやく見つけたぞ……小原丹後!」
馬群の先頭に立った正俊は、馬上で軽々と六尺 (約百八十センチメートル)の手槍を振り回し、彼を討ち取らんと殺到する敵兵たちを薙ぎ払っていく。
彼に続く騎馬兵たちはもちろん、彼らに徒歩で付き従う郎従たちも負けじと奮闘し、斎藤兵は彼らの鬼神の如き働きの前に気圧され、尻込みし始めた。
敵兵が怯んだ気配を敏感に感じ取った正俊たちは、盛んに喊声を上げながら、更に敵陣の奥へと進んでゆく。
――と、
「……くそっ!」
ほどなく、正俊は凄惨な光景を目の当たりにし、口惜しさが詰まった声を上げた。
彼の目に飛び込んだのは、地面に倒れ、悲痛な鳴き声を上げながら藻掻いている夥しい馬たちと、その周囲に転がる諏訪衆たちの骸だった。
ここで斎藤軍の罠に嵌った諏訪衆たちの身体にはいくつもの傷が刻まれ、ぱっくり開いた傷口からは真っ赤な鮮血が噴き出し、彼らの纏う甲冑を紅く染め上げている。
諏訪衆たちの死骸の多くは、既に首を奪われており、そうでない骸の死に顔は、どれも深い恐怖と無念で醜く歪んでいた。
「……たわけ共が……!」
正俊の口から、低い罵倒が漏れる。その罵倒の言葉は、諏訪衆……そして、今際の味方にそのような恐怖を与えた敵たち――その両方に向けて放たれたものだ。
「やあああ――っ!」
「――五月蝿いッ!」
「ぐあぁっ!」
一瞬生じた隙を狙って突きかかった斎藤兵の喉を手槍で一突きに貫いた正俊は、血走った目で辺りを見回す。
「小原丹後! どこじゃッ! 返事をせいっ!」
――だが、そんな彼の呼びかけに応える声は無く、聞こえてくるのは地面に臥した諏訪衆たちの呻き声と敵兵の喊声ばかりだった。
「……ちいっ!」
忌々しげに舌打ちした正俊は、更に敵陣の奥へ駆け入ろうと手綱を繰る――その時、
「あいや、待たれよ!」
「――っ!」
唐突に上がった制止の声に気付いた正俊は、表情を引き締めて振り返る。
彼を呼び止めたのは、紺色縅の甲冑を纏い、小脇に十文字槍を手挟んだ騎馬武者だった。
「その丸の内一文字の旗印……御身は、保科弾正殿に相違御座らんか?」
「……いかにも」
騎馬武者に名を呼ばれた正俊は、警戒をしながら小さく頷く。
彼の顔立ちは面頬に覆われていて分からぬものの、その声の張りから、まだ年若い男のようだ。だが、その落ち着いた佇まいから、それなりの場数を踏んできた猛者である事が察せられる。
一瞥した瞬間にそこまで読み取った正俊は、手槍を握る右手に力を込めながら、落ち着いた声で尋ね返した。
「そういうお主は何者じゃ?」
「――拙者は、斎藤家が足軽組頭・猪子兵助高就」
面頬の奥の目を輝かせながら簡潔に名乗った騎馬武者――猪子兵助は、手挟んでいた十文字槍をゆらりと構える。
「ここで“武田の槍弾正”と名高き保科殿と相見えるは、この上なき僥倖……一騎討ちを所望いたす」
「……」
兵助に一騎討ちを挑まれた正俊は、一瞬躊躇した。
もちろん、一騎討ちに臆した訳では無い。――ただ、ここで徒に時を費やしてしまう事で、小原継忠の発見と救出が遅れる事を憂慮したのだ。
……だが、こう面と向かって一騎討ちを挑まれた以上、断る訳にもいかぬ。
(……やむを得ぬか)
そう心の中で呟いた正俊は、兵助に応じて手槍を構えようとする――と、その時、
「――待たれよ!」
不意に溌溂とした声が上がり、それと同時にふたりの間にひとりの騎馬武者が割り込んだ。
その背中を見た正俊が、思わず驚きの声を上げる。
「――千次郎!」
「猪子殿と申したか? 僭越ながら、貴殿の一騎討ちの申し出、父に代わって、この拙者……保科千次郎正月がお受けいたす!」
正対した兵助に堂々と名乗りを上げた正月は、背中越しに父へ視線を向け、低い声で囁いた。
「この場は拙者が引き受けまする! 父上は小原殿を……!」
「千次郎……」
息子の言葉に一瞬だけ迷った正俊だったが、彼が(大丈夫です、ご心配召されるな!)と告げるように力強く頷いたのを見るや、口の端を僅かに綻ばせ、即座に馬首を返す。
「よし――ここは任せる! くれぐれも油断するなよ!」
「はっ! お任せ下さいッ!」
弾んだ正月の返事を背中に聞きながら、正俊は郎従を従えて駆け出した。
行く手を遮る敵兵を手槍で蹴散らし、足下に転がる諏訪衆の骸を跳び越え、草の間に隠れた罠を巧みに避けながら、どんどんと敵陣の中へ中へと進んでいく。
そして――、一際多く密集している敵兵の集団を見つけた。
集団の中心辺りからは、金属がぶつかり合う甲高い音が間断なく上がっている――。
「……あそこか!」
敵の群れの真ん中に目当ての者が居る――即座にそう確信した正俊は、一際強く馬の尻を叩き、敵の集団のただ中に飛び込んだ。
「退け退け――っ! 無駄に死にたくなければ、今すぐ道を開けよ、雑兵どもッ!」
手槍を振り回しながら大音声で叫ぶ正俊と彼の郎従の気魄と剣幕に怯んだ斎藤兵たちは、地面を転ぶようにしながら、慌てて彼らの進路から退く。
それでも前に立ち塞がろうとした騎馬兵の側頭部を、勢いよく振るった槍の柄で強かに打ち据えて乗騎の上から落とした正俊は、断ち折られた手槍の柄を支えに立つ血塗れの男を馬上から見下ろした。
彼の姿を見て、心の中で安堵の息を吐いた正俊だったが、心を鬼にして怒鳴りつける。
「まったく……何をしておるんじゃ、このたわけが!」
その声を聞いて虚ろな顔を上げた男に、正俊は力強く言った。
「ようやく見つけたぞ……小原丹後!」
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