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第二部五章 応酬
鉄砲と長柄槍
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「な……なんだ……?」
柵のすぐ手前まで到達した武田軍の徒歩兵が、突然携えていた竹束の楯を柵に押し付けるようにしたのを見た斎藤軍の鉄砲組頭は、敵の行動の意図を測りかねて呆気にとられた。
だが、竹束の楯の向こう側から上がり始めたザクザクという音を聞いた途端、敵が何をしようとしているのかを察し、表情を強張らせる。
「――ま、まさかっ、奴ら……土を掘り返して柵を崩す気かっ!」
上ずった声で叫んだ組頭は、咄嗟に竹束の下から見える柵の木杭の根元に目を遣った。そして、木杭が埋まっている土台の土が、鈍く光る鍬や鋤の刃によってみるみる掘り起こされていくのを見て、自分の悪い想像が当たってしまった事を悟る。
彼は狼狽しながら、配下の鉄砲足軽たちに向けて、金切り声で叫んだ。
「い、いかんっ! ――者ども、あの邪魔な竹束を撃ち崩し、柵を掘り崩そうとしている敵兵を排除せよ! さすがにこれだけ近い距離で撃てば、先ほどのようにはいくまいてッ!」
「は……はっ!」
組頭と同様に混乱していた鉄砲足軽たちだったが、説得力のある命令に、多少は落ち着く。
そして、急いで次弾を装填し、すぐ目の前の柵に圧しつけられた竹束の楯に向かって狙いをつけ、相次いで引き金を引いた。
分厚い黒雲に覆われた戦場の空に、幾つもの雷が落ちたかのような轟音が響き渡る。
――だが、
「だ……駄目か……っ!」
延べ百発以上の銃弾を至近距離から浴びせたにもかかわらず、竹を縛る縄を断ち切る事が出来た数帖を除いて、竹束の楯のほとんどは依然として健在のままだった。
その間にも、竹束の向こうで木杭の土台を掘り返す作業は続けられている。
平常時は甲斐の金山の採掘作業に従事している金山衆の手際は鮮やかで、急造といえど、やすやすとは崩れぬように堅く搗き固められたはずの柵の土台の土が、彼らの鍬と鋤によってどんどん削られていく……。
一方の鉄砲足軽たちは、自分たちの銃撃を文字通り跳ね返す忌々しい竹束の楯を前にしたまま、自分たちが築いた馬防ぎの柵が引き倒されるのを指をくわえて見ているしかないだろう……。
「む、むう……」
その事を悟った鉄砲組頭だったが、この想定外すぎる状況に対応できるだけの知恵も権限も持ち合わせていない彼は、配下の鉄砲足軽たちと同様に、なす術もなく立ち尽くすしかなかった。
――と、その時、
「――ええい! 貴様ら、何を呆けておるのだッ?」
「え、遠藤様……!」
後方から馬で駆けてきて、鉄砲組頭と足軽たちを一喝したのは、甲冑の上に藍染の陣羽織を羽織った、まだ年若い武者だった。総大将の安藤守就から柵の守りを任されていた、郡上郡木越城 (現在の郡上市大和町)の城主・遠藤紀四郎胤俊である。
鉄砲隊に馬上から叱声を浴びせた彼は、柵に立てかけられた敵の竹束の楯を一瞥するや口惜しげに舌を打った。
そんな彼に恐懼しながら、組頭はおずおずと言う。
「も、申し訳ございませぬ……。で、ですが、この竹束が――」
「……この竹束に鉄砲が効かぬ事は、既に他の組頭から聞き及んでおる」
「え……?」
胤俊が口にした答えを聞いた組頭は、驚きで目を丸くした。
「す、既にご存知であらせられましたか……。で……では、我らは如何様にすれば……?」
「うむ……」
組頭の問いかけに小さく頷き返した胤俊は、彼だけでなく鉄砲足軽たち全員に聞こえるように声を張り上げる。
「こうなってはやむを得ぬ! もう柵を守る事は諦めるゆえ、貴様ら鉄砲衆は一旦後ろへ下がれ!」
「な、なんですとっ?」
胤俊の下知を聞いた鉄砲組頭は、当惑と驚愕を隠せぬ様子で目を剥く。
「そ、それでは……敵の――武田の騎馬隊の脚を止める術が……」
「案ずるな!」
組頭が抱く懸念を払うように、胤俊は殊更に大きく頭を振ってみせた。
そして、鋭い目で柵向こうの竹束の楯を睨みつけながら、自信ありげに言葉を継ぐ。
「敵が騎馬で突っ込んでくるのならば、むしろ好都合。あの大きさの竹束は、馬に乗ってはまず持てぬからな!」
「あ……!」
胤俊が何を言わんとしているのかを察した組頭が、目を見開いた。
確かに、弓手で手綱を掴み、馬手に手槍を携えては、人ひとりが後ろに隠れられるほどの大きさの竹束楯を持つ事は不可能だ――!
その事に思い至った組頭に小さく頷きかけた胤俊は、脇に手挟んでいた手槍で敵の事を指し示しながら言う。
「柵を破って敵の騎馬衆が陣の中に攻め込んで参ったら、まずは長柄槍衆の槍衾でその脚を止める! 首尾よく敵が動きを止めたら、先ほど陣内に誘き寄せた敵の先陣どもに猪子殿がしたのと同じように、お主ら鉄砲衆が狙撃して討ち取る……という手筈よ!」
「な……なるほどっ! 相分かり申した!」
「分かったら、さっさと動け! 急げよ!」
大きく頷いた組頭をけしかけながら、胤俊は再び柵の方を一瞥した。
そして、土台を掘り返され、先端に投げ縄が引っかけられた木杭が、地面に引き倒されようとしているのを見て、表情を険しくする。
「いかん、もう、あまり暇が無い! 長柄槍衆は、鉄砲衆と入れ替わりに前へ出て、直ちに槍衾を組めぃ!」
焦燥を帯びた胤俊の下知に従い、それまで鉄砲衆の後方に控えていた長柄槍隊が前に出て、横一列に並んだ。
そして、得物である二間半 (約四メートル半)の長槍の穂先を揃え並べるように前へ構え、柵が引き倒された後の敵の突撃への備えを整える。
――それから間もなくして、
“メリメリ”という音を立てながら、遂に斎藤軍の設けた馬防ぎの柵は武田軍の金山衆の手によって引き倒され、両軍を隔てる物理的な障害は無くなった。
だが……、
「……何だ? 敵は……どうしたのだ?」
固唾を呑んで敵の出方を窺っていた胤俊は、思わず当惑の声を上げる。
「なぜ……邪魔な柵を引き倒したのに、一向に攻めかかって来ぬのだ、敵は……?」
柵のすぐ手前まで到達した武田軍の徒歩兵が、突然携えていた竹束の楯を柵に押し付けるようにしたのを見た斎藤軍の鉄砲組頭は、敵の行動の意図を測りかねて呆気にとられた。
だが、竹束の楯の向こう側から上がり始めたザクザクという音を聞いた途端、敵が何をしようとしているのかを察し、表情を強張らせる。
「――ま、まさかっ、奴ら……土を掘り返して柵を崩す気かっ!」
上ずった声で叫んだ組頭は、咄嗟に竹束の下から見える柵の木杭の根元に目を遣った。そして、木杭が埋まっている土台の土が、鈍く光る鍬や鋤の刃によってみるみる掘り起こされていくのを見て、自分の悪い想像が当たってしまった事を悟る。
彼は狼狽しながら、配下の鉄砲足軽たちに向けて、金切り声で叫んだ。
「い、いかんっ! ――者ども、あの邪魔な竹束を撃ち崩し、柵を掘り崩そうとしている敵兵を排除せよ! さすがにこれだけ近い距離で撃てば、先ほどのようにはいくまいてッ!」
「は……はっ!」
組頭と同様に混乱していた鉄砲足軽たちだったが、説得力のある命令に、多少は落ち着く。
そして、急いで次弾を装填し、すぐ目の前の柵に圧しつけられた竹束の楯に向かって狙いをつけ、相次いで引き金を引いた。
分厚い黒雲に覆われた戦場の空に、幾つもの雷が落ちたかのような轟音が響き渡る。
――だが、
「だ……駄目か……っ!」
延べ百発以上の銃弾を至近距離から浴びせたにもかかわらず、竹を縛る縄を断ち切る事が出来た数帖を除いて、竹束の楯のほとんどは依然として健在のままだった。
その間にも、竹束の向こうで木杭の土台を掘り返す作業は続けられている。
平常時は甲斐の金山の採掘作業に従事している金山衆の手際は鮮やかで、急造といえど、やすやすとは崩れぬように堅く搗き固められたはずの柵の土台の土が、彼らの鍬と鋤によってどんどん削られていく……。
一方の鉄砲足軽たちは、自分たちの銃撃を文字通り跳ね返す忌々しい竹束の楯を前にしたまま、自分たちが築いた馬防ぎの柵が引き倒されるのを指をくわえて見ているしかないだろう……。
「む、むう……」
その事を悟った鉄砲組頭だったが、この想定外すぎる状況に対応できるだけの知恵も権限も持ち合わせていない彼は、配下の鉄砲足軽たちと同様に、なす術もなく立ち尽くすしかなかった。
――と、その時、
「――ええい! 貴様ら、何を呆けておるのだッ?」
「え、遠藤様……!」
後方から馬で駆けてきて、鉄砲組頭と足軽たちを一喝したのは、甲冑の上に藍染の陣羽織を羽織った、まだ年若い武者だった。総大将の安藤守就から柵の守りを任されていた、郡上郡木越城 (現在の郡上市大和町)の城主・遠藤紀四郎胤俊である。
鉄砲隊に馬上から叱声を浴びせた彼は、柵に立てかけられた敵の竹束の楯を一瞥するや口惜しげに舌を打った。
そんな彼に恐懼しながら、組頭はおずおずと言う。
「も、申し訳ございませぬ……。で、ですが、この竹束が――」
「……この竹束に鉄砲が効かぬ事は、既に他の組頭から聞き及んでおる」
「え……?」
胤俊が口にした答えを聞いた組頭は、驚きで目を丸くした。
「す、既にご存知であらせられましたか……。で……では、我らは如何様にすれば……?」
「うむ……」
組頭の問いかけに小さく頷き返した胤俊は、彼だけでなく鉄砲足軽たち全員に聞こえるように声を張り上げる。
「こうなってはやむを得ぬ! もう柵を守る事は諦めるゆえ、貴様ら鉄砲衆は一旦後ろへ下がれ!」
「な、なんですとっ?」
胤俊の下知を聞いた鉄砲組頭は、当惑と驚愕を隠せぬ様子で目を剥く。
「そ、それでは……敵の――武田の騎馬隊の脚を止める術が……」
「案ずるな!」
組頭が抱く懸念を払うように、胤俊は殊更に大きく頭を振ってみせた。
そして、鋭い目で柵向こうの竹束の楯を睨みつけながら、自信ありげに言葉を継ぐ。
「敵が騎馬で突っ込んでくるのならば、むしろ好都合。あの大きさの竹束は、馬に乗ってはまず持てぬからな!」
「あ……!」
胤俊が何を言わんとしているのかを察した組頭が、目を見開いた。
確かに、弓手で手綱を掴み、馬手に手槍を携えては、人ひとりが後ろに隠れられるほどの大きさの竹束楯を持つ事は不可能だ――!
その事に思い至った組頭に小さく頷きかけた胤俊は、脇に手挟んでいた手槍で敵の事を指し示しながら言う。
「柵を破って敵の騎馬衆が陣の中に攻め込んで参ったら、まずは長柄槍衆の槍衾でその脚を止める! 首尾よく敵が動きを止めたら、先ほど陣内に誘き寄せた敵の先陣どもに猪子殿がしたのと同じように、お主ら鉄砲衆が狙撃して討ち取る……という手筈よ!」
「な……なるほどっ! 相分かり申した!」
「分かったら、さっさと動け! 急げよ!」
大きく頷いた組頭をけしかけながら、胤俊は再び柵の方を一瞥した。
そして、土台を掘り返され、先端に投げ縄が引っかけられた木杭が、地面に引き倒されようとしているのを見て、表情を険しくする。
「いかん、もう、あまり暇が無い! 長柄槍衆は、鉄砲衆と入れ替わりに前へ出て、直ちに槍衾を組めぃ!」
焦燥を帯びた胤俊の下知に従い、それまで鉄砲衆の後方に控えていた長柄槍隊が前に出て、横一列に並んだ。
そして、得物である二間半 (約四メートル半)の長槍の穂先を揃え並べるように前へ構え、柵が引き倒された後の敵の突撃への備えを整える。
――それから間もなくして、
“メリメリ”という音を立てながら、遂に斎藤軍の設けた馬防ぎの柵は武田軍の金山衆の手によって引き倒され、両軍を隔てる物理的な障害は無くなった。
だが……、
「……何だ? 敵は……どうしたのだ?」
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