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第二部五章 応酬
銃弾と竹束楯
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――愕然とした組頭が漏らした声の通りだった。
横一列に並び、竹を束ねた急造の楯らしきものを掲げた敵の徒歩衆は、斎藤軍の鉄砲隊が放った二百発近い銃弾を浴びたにもかかわらず、誰ひとりとして斃れてはいなかった。
武田の徒歩衆と、柵を挟んで対峙する斎藤軍の鉄砲隊との間の距離は、僅か半町 (約55メートル)ほどだ。
たとえ敵が楯を構えていようとも、この至近距離で銃弾を放てば、楯ごと体を貫通させられるだけの威力が、鉄砲という武器には有る――はずなのだが。
「な……何故だ? 何故、まともに鎧も纏っておらぬにもかかわらず、あの兵どもは無傷で立っておるのだッ?」
組頭は、目の前の状況に混乱を隠せぬ様子で、再び当惑の声を上げる。
――と、
“ドン! ドン! ドン! ドン! ドン!”
再び、武田軍の本陣の方から陣太鼓が打ち鳴らされ、その腹に響く音の拍子に合わせるようにして、一旦は止まっていた徒歩衆が足並みを揃えて再び前進し始めた。
それを見て我に返った組頭は、慌てた様子で再び右手の刀を振り上げつつ、声を張り上げる。
「な、何をしている! もう一度だ! さっさと準備せい!」
狼狽で上ずった組頭の叫び声を聞いた鉄砲足軽たちは、忙しく動き始めた。
彼らは、まだ銃身から黒煙が細く上がる火縄銃を後ろに控えていた兵たちに渡し、それを受け取った後方の兵たちは、代わりに火薬と銃弾を装填済みの火縄銃を渡す。
あとは引き金を引くだけの状態の火縄銃を受け取った射手たちは、先ほどと同じように銃身を柵の横木に乗せ、歩を揃えて接近してくる武田兵たち――より正確には、彼らが体を隠すように構えている竹束の楯に向けて狙いを定めようとした。
……と、その時、
「……は、放てえぇ――っ!」
組頭が、鉄砲足軽たちの準備が整う前に号令を下してしまった。彼は、接近してくる武田の徒歩衆の異様な落ち着きぶりを目の当たりにした事で焦燥と恐怖を覚え、指揮官としての冷静な判断力を失ってしまっていたのだ。
鉄砲足軽たちは、組頭が急な号令を下した事に驚きと戸惑いを覚えたが、それに疑念を挟む事はしない。
ただただ、一刻も早く下された号令を遂行する事だけを考え、碌に狙いを付けぬまま引き金を引いた。
再び、戦場に火薬が爆ぜる音が響き渡る。
……だが、充分な準備を経ぬまま放たれた二射目の銃撃音は、万全の態勢で放たれた一射目のそれとは違ってまばらで乱れていた。
上手く火縄が火皿に落ちなかったりして不発に終わった銃や、発射自体は出来ても、明後日の方向へ逸れていったり、武田軍の遥か手前の地面を抉っただけに終わった銃弾も少なくない。
それでも、鉄砲隊が放った弾丸の半数以上が、武田の徒歩衆目がけて発射された。
――だが、
「バカな……っ?」
信じ難い光景を目の当たりにした組頭は、愕然としながら大きく目を見開く。
「は……弾かれただとっ?」
――そう。
鉄砲隊が放ち、武田軍が構えた竹束の楯に当たった銃弾は、竹束を穿ち抜くどころか、食い込む事すら無く、甲高い音を残して明後日の方向へと弾き飛んでしまったのだ――。
――金山衆が携え、斎藤軍の銃撃を防いだ竹束の楯を考案したのは、武田家の武将・米倉丹後守重継である。
天文二十二年 (西暦1553)三月、中信濃に侵攻した武田軍は、当時は村上義清方についていた刈谷原城 (現在の長野県松本市刈谷原町)を包囲した。
その攻将のひとりが、米倉重継である。
彼は、甘利藤蔵昌忠や多田三八郎昌利らと共に城を攻めたが、籠城方から撃ち込まれる銃弾に苦しめられた。
当時は、鉄砲が種子島に伝来してから十年しか経っていない事もあって、武田軍が戦場で鉄砲に遭遇したのは、この戦いが初めてだった。
未知の兵器を前にした武田軍の兵たちは、対抗する術もなく次々と狙撃され、被害ばかりが増えていく。
死人と怪我人が増えていく事に困り果てた重継だったが、たまたま逸れて竹林の方に飛んでいった銃弾が竹の幹に当たって弾き飛ばされたのを見て、ひとつの対抗策を思いついた。
彼は、付近の竹林から伐採した大量の竹を紐で括って束ねただけの即席の楯を大量に作らせて横一列に並べ、将兵をその陰に隠れさせて一気に攻め上がったのだ。
その効果は抜群だった。現在の椎の実型の弾丸とは違い、当時の火縄銃の弾丸は球状であり、破壊力に比べて貫通力は低い。その為、竹の茎に当たると、その曲面で弾筋を逸らされてしまうのだ 。
その効果によって、重継の想定通りに飛んでくる銃弾を悉く弾き飛ばした竹束楯に守られ、無傷で城内に攻め寄せた武田兵たちは、ほどなく城を落としたのである。
それ以来、武田軍は竹束の楯を戦場に持ち込むようになった。だが、武田家が竹束楯を“当家秘伝の戦法”として秘匿した為、その存在はほとんど他国に知られていなかったのである。
だからこそ、初めて竹束楯の姿とその効果を目の当たりにした斎藤軍が受けた衝撃は、計り知れないほどに大きかったのだ――。
「な……っ?」
自分たちの銃撃に晒されても全く動じる様子も見せずに前進してくる武田軍の徒歩衆の姿を見て、鉄砲足軽たちの間に動揺が広がった。
動揺は、すぐさま恐慌へと変わる。
「う、うわああああああっ!」
顔を引き攣らせた鉄砲足軽たちが、後方の足軽からひったくるように新しい銃を奪い取ると、碌に狙いもつけずに撃ち放ったが、それは徒に弾丸と火薬を消費するだけの徒労に終わった。
一方、そんな敵の混乱と狼狽をよそに、武田軍の金山衆が遂に柵の手前まで辿り着く。
浅い空堀を次々と跳び越えた彼らは、それまで前に掲げていた竹束楯を柵へ立てかけるように圧しつけ、柵内からの攻撃を防ぐ態勢をとる。
そして、それまで楯の後ろに隠れていた者たちが、おもむろに携えていた鋤や鍬を振り上げ、柵の杭が埋まった地面を掘り起こし始めたのだった――!
横一列に並び、竹を束ねた急造の楯らしきものを掲げた敵の徒歩衆は、斎藤軍の鉄砲隊が放った二百発近い銃弾を浴びたにもかかわらず、誰ひとりとして斃れてはいなかった。
武田の徒歩衆と、柵を挟んで対峙する斎藤軍の鉄砲隊との間の距離は、僅か半町 (約55メートル)ほどだ。
たとえ敵が楯を構えていようとも、この至近距離で銃弾を放てば、楯ごと体を貫通させられるだけの威力が、鉄砲という武器には有る――はずなのだが。
「な……何故だ? 何故、まともに鎧も纏っておらぬにもかかわらず、あの兵どもは無傷で立っておるのだッ?」
組頭は、目の前の状況に混乱を隠せぬ様子で、再び当惑の声を上げる。
――と、
“ドン! ドン! ドン! ドン! ドン!”
再び、武田軍の本陣の方から陣太鼓が打ち鳴らされ、その腹に響く音の拍子に合わせるようにして、一旦は止まっていた徒歩衆が足並みを揃えて再び前進し始めた。
それを見て我に返った組頭は、慌てた様子で再び右手の刀を振り上げつつ、声を張り上げる。
「な、何をしている! もう一度だ! さっさと準備せい!」
狼狽で上ずった組頭の叫び声を聞いた鉄砲足軽たちは、忙しく動き始めた。
彼らは、まだ銃身から黒煙が細く上がる火縄銃を後ろに控えていた兵たちに渡し、それを受け取った後方の兵たちは、代わりに火薬と銃弾を装填済みの火縄銃を渡す。
あとは引き金を引くだけの状態の火縄銃を受け取った射手たちは、先ほどと同じように銃身を柵の横木に乗せ、歩を揃えて接近してくる武田兵たち――より正確には、彼らが体を隠すように構えている竹束の楯に向けて狙いを定めようとした。
……と、その時、
「……は、放てえぇ――っ!」
組頭が、鉄砲足軽たちの準備が整う前に号令を下してしまった。彼は、接近してくる武田の徒歩衆の異様な落ち着きぶりを目の当たりにした事で焦燥と恐怖を覚え、指揮官としての冷静な判断力を失ってしまっていたのだ。
鉄砲足軽たちは、組頭が急な号令を下した事に驚きと戸惑いを覚えたが、それに疑念を挟む事はしない。
ただただ、一刻も早く下された号令を遂行する事だけを考え、碌に狙いを付けぬまま引き金を引いた。
再び、戦場に火薬が爆ぜる音が響き渡る。
……だが、充分な準備を経ぬまま放たれた二射目の銃撃音は、万全の態勢で放たれた一射目のそれとは違ってまばらで乱れていた。
上手く火縄が火皿に落ちなかったりして不発に終わった銃や、発射自体は出来ても、明後日の方向へ逸れていったり、武田軍の遥か手前の地面を抉っただけに終わった銃弾も少なくない。
それでも、鉄砲隊が放った弾丸の半数以上が、武田の徒歩衆目がけて発射された。
――だが、
「バカな……っ?」
信じ難い光景を目の当たりにした組頭は、愕然としながら大きく目を見開く。
「は……弾かれただとっ?」
――そう。
鉄砲隊が放ち、武田軍が構えた竹束の楯に当たった銃弾は、竹束を穿ち抜くどころか、食い込む事すら無く、甲高い音を残して明後日の方向へと弾き飛んでしまったのだ――。
――金山衆が携え、斎藤軍の銃撃を防いだ竹束の楯を考案したのは、武田家の武将・米倉丹後守重継である。
天文二十二年 (西暦1553)三月、中信濃に侵攻した武田軍は、当時は村上義清方についていた刈谷原城 (現在の長野県松本市刈谷原町)を包囲した。
その攻将のひとりが、米倉重継である。
彼は、甘利藤蔵昌忠や多田三八郎昌利らと共に城を攻めたが、籠城方から撃ち込まれる銃弾に苦しめられた。
当時は、鉄砲が種子島に伝来してから十年しか経っていない事もあって、武田軍が戦場で鉄砲に遭遇したのは、この戦いが初めてだった。
未知の兵器を前にした武田軍の兵たちは、対抗する術もなく次々と狙撃され、被害ばかりが増えていく。
死人と怪我人が増えていく事に困り果てた重継だったが、たまたま逸れて竹林の方に飛んでいった銃弾が竹の幹に当たって弾き飛ばされたのを見て、ひとつの対抗策を思いついた。
彼は、付近の竹林から伐採した大量の竹を紐で括って束ねただけの即席の楯を大量に作らせて横一列に並べ、将兵をその陰に隠れさせて一気に攻め上がったのだ。
その効果は抜群だった。現在の椎の実型の弾丸とは違い、当時の火縄銃の弾丸は球状であり、破壊力に比べて貫通力は低い。その為、竹の茎に当たると、その曲面で弾筋を逸らされてしまうのだ 。
その効果によって、重継の想定通りに飛んでくる銃弾を悉く弾き飛ばした竹束楯に守られ、無傷で城内に攻め寄せた武田兵たちは、ほどなく城を落としたのである。
それ以来、武田軍は竹束の楯を戦場に持ち込むようになった。だが、武田家が竹束楯を“当家秘伝の戦法”として秘匿した為、その存在はほとんど他国に知られていなかったのである。
だからこそ、初めて竹束楯の姿とその効果を目の当たりにした斎藤軍が受けた衝撃は、計り知れないほどに大きかったのだ――。
「な……っ?」
自分たちの銃撃に晒されても全く動じる様子も見せずに前進してくる武田軍の徒歩衆の姿を見て、鉄砲足軽たちの間に動揺が広がった。
動揺は、すぐさま恐慌へと変わる。
「う、うわああああああっ!」
顔を引き攣らせた鉄砲足軽たちが、後方の足軽からひったくるように新しい銃を奪い取ると、碌に狙いもつけずに撃ち放ったが、それは徒に弾丸と火薬を消費するだけの徒労に終わった。
一方、そんな敵の混乱と狼狽をよそに、武田軍の金山衆が遂に柵の手前まで辿り着く。
浅い空堀を次々と跳び越えた彼らは、それまで前に掲げていた竹束楯を柵へ立てかけるように圧しつけ、柵内からの攻撃を防ぐ態勢をとる。
そして、それまで楯の後ろに隠れていた者たちが、おもむろに携えていた鋤や鍬を振り上げ、柵の杭が埋まった地面を掘り起こし始めたのだった――!
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